10話 ウサミミランド6
その後、ルシエラ達は再び夜の学校へと繰り出していた。
廊下を我が物顔で這いずる異形や、そんな異形を全く気にしないバニーガール達を物陰から見送り、壁に張りついて周囲を見回し慎重に進んでいく。
影人間がうろつき始めたということは、漆黒の世界樹が成長している証明でもある。一刻も早く観測魔法を破壊し、漆黒の世界樹が育ちきる前に叩かねばならない。
「ルシエラさん、食堂こっちじゃないけど」
「わかっておりますわ」
「ん、やっぱりシャルロッテさん探してるんだ」
目的地が食堂ではないと気づいたミアは、当然のようにルシエラの考えを当てて見せた。
「……お見通しですのね」
「うん、ルシエラさんはそう言う人だから」
「ははあ、ルシエラさんも律儀ですねぇ」
「律儀なんて上等なものではなく、話を聞きたいだけですわ。少なくともシャルロッテさんが何を考えているのかだけは知りたいんですの」
それは正義感のように立派なものではない。
シャルロッテの原動力が贖罪ならば、それはルシエラと同じ理由。だから知りたいだけなのだ、彼女が今の答えに至った道筋を。
そんな胸の内に突き動かされて夜の学校を進み、ルシエラはまだ明かりのついている職員宿舎に到着する。
「さてと……シャルロッテさんの部屋は一番近くの部屋ですわね」
ルシエラは入り口のボードに記されている部屋割りを確認し、無人の管理人室からマスターキーを持ち出す。
ここの管理人達もバニー姿となって外へ繰り出しているのだろう、付近に人の気配はない。
「アンゼリカさん。一度離れていてくださいまし」
シャルロッテの部屋へと向かう直前、ルシエラは小声でそう言って、アンゼリカに目配せをする。
「はい、そうですね。私はどう考えてもシャルさんに会わない方がいいですよね。こっそり隠れて待ってます」
ルシエラの意図を理解したアンゼリカは、手慣れた動きですいすいと屋根裏へ潜り込んでいく。
「アンゼリカさん、こっそりが本格的ですの……」
「よくやってるから手慣れてる、ね」
「え……?」
事もなげに言うミア。ルシエラは呆けた顔で暫し硬直していたが、気を取り直して忍び足で歩きだす。
シャルロッテの部屋に明かりがついているのは既に外から確認済み。ルシエラは細心の注意を払って扉の鍵を開け、そのまま僅かに扉を開いて中の様子を窺う。
シャルロッテはバニー姿のままベッドに寝ころんで読書をしていた。
ルシエラとミアは部屋の前で頷きあうと、
「シャルロッテさん、夜分遅くに失礼いたしますわ」
「こんばんは」
シャルロッテを挟みこむようにして一気に部屋へとなだれこんだ。
「わ、わ、わ、ルシエラだ! あれあれ、もしかして私囲まれて拉致されちゃう? 身代金でドーナツ山ほど買われちゃう?」
突然の来訪に驚いたシャルロッテが、きらきらまなこを見開いてベッドの上で跳ね起きる。
「買いませんわ!」
「じゃあ、あんドーナツ?」
「誘拐なんてしませんの。わたくし貴方と少しお話がしたくなりましたの、聞きたいことがありますわ」
「それって授業の話?」
ルシエラ達に攻撃の意思がないことを察したのか、シャルロッテはベッドの上に正座して小首を傾げた。
「いいえ、私的な話ですわ」
「ふぅん、変なルシエラ」
シャルロッテはきょとんとした顔で小首を傾げたままだったが、
「お仕事のことじゃないなら遠慮しとく。それって私にメリットないよね」
そう言って可愛らしくウィンクした。
──全くこの方は……。
至っていつも通りの反応にルシエラは呆れてしまうが、ここまで出向いて引き下がる訳にもいかない。
「ではドーナツをさしあげますわ。それでどうですかしら」
「オッケー手を打った☆」
ルシエラがそう提案し、シャルロッテがぱちんと指を鳴らして快諾する。
「ドーナツ、そんなに好きなんだ……」
予想通りの反応を見たミアはぽつりとそう呟くのだった。
その後、ルシエラ達は再び食堂へと向かい、そこでドーナツを作り始めることとなった。
この離れ小島で出来合いのドーナツを入手するのは困難、ならばルシエラが作るしかない。
「それでシャルロッテさん」
「まずはドーナツを出してくださーい。ルシエラ、料理できるように見えないもんね」
「むむっ、信頼されておりませんわね」
料理の腕前を訝しむシャルロッテに、不服だとルシエラが口を尖らせる。
「ん、ルシエラさん料理できるの?」
「ま、ミアさんまで。わたくし、田舎では宿屋兼酒場でお世話になっておりましたの。家事全般お茶の子さいさいですわ」
「でも指、綺麗だけど」
ミアはルシエラの指先をじっと見つめる。家事をしているような人間の指には見えないと言いたいようだ。
「そこは常々魔法でケアしておりますわ。魔力の被膜を使えば冬の冷水でも手先が痛むこともありませんし、回復魔法でスキンケアもできますのよ」
手早くエプロンを着けたルシエラは小麦粉を計量してボウルに入れ、
『ア…ア……イタイイタイ。カラダ、ホシイ……アッ!』
卵を割るついでに襲い掛かって来た異形の頭部をかち割る。
次いで溶かしたバターを加え、すりおろした蓮根を加えて更にかき混ぜる。
「あ、何してるの! 今蓮根シュッてしてるの見えた! 食べ物で遊ぶのは冒涜、冒涜ですっ! ドーナツ虐待罪で逮捕します! 冒涜グルメはんたーい!」
と、それを見たシャルロッテががおーと両手をあげてルシエラへと詰め寄って来た。
「冒涜とは失敬な! 蓮根ドーナツは我が村定番の贅沢おやつですのっ! 批判は食べてから聞きますわ!」
だがルシエラはそれに怯まず、シャルロッテの眼前に泡だて器を突きつけて啖呵を切る。
「むむーっ! じゃあマズかったらドーナツ虐待罪で女王の証のペンダント没収、失敗ドーナツ供養をした後にドーナツ職人として修行してもらうからねっ! ドーナツ職人の朝は早いよっ!」
「ふふん、どうぞご自由に」
キラキラまなこで睨みつけるシャルロッテに対し、ルシエラは悠然とドーナツを揚げながら鼻を鳴らす。
「凄くアンフェアな勝負なのに受けちゃうんだ」
「負ける全く要素が無いですの。つまりノーリスクですわ」
揚がったドーナツにハチミツと粉糖をまぶし、余裕の笑みを浮かべてそう言うと、
「さあ、完成ですの。ご賞味あれ」
優雅な動きで山盛りのドーナツをシャルロッテに突きつけた。
「うーん、丸い。蓮根入ってて輪っかじゃない……これって本当にドーナツ? 別の食べ物だよね」
だがその見た目が気に食わないらしく、シャルロッテは月見団子のように積まれた丸いドーナツとにらめっこして眉をひそめる。
「そこまで拘るなんてとんだワガママ娘ですの。しのごの言わずに我が村秘伝のレシピを食すがいいですわ!」
しびれを切らしたルシエラはドーナツをつまみ上げ、シャルロッテの口に無理やり押し込んだ。
「むぐっ! はふっ、もぐもぐもぐもぐ、はふっもぐもぐ」
シャルロッテのキラキラまなこがくわっと見開かれ、そのまま口内の熱気を逃がしながらひたすら咀嚼する。
ドーナツを頬張ったまま動かないシャルロッテ。自信満々だったルシエラもその姿にほんの少しだけ不安になる。
やがて蓮根ドーナツを頬張ったままシャルロッテが動きだし、握手するようにルシエラの手を握ってチップを手渡した。
「素晴らしいね! ファビュラスだね! この魔法学校から立派なドーナツ屋さんが生まれて感動ですっ!」
ごくんとドーナツを飲み込むと同時、興奮した様子のシャルロッテが握ったルシエラの手をぶんぶんと大きく振った。
「ふふん、我が村の料理が理解されて何よりですの。さあ、約束通りお話して貰いますわよ」
シャルロッテからの賞賛を受け、満更でもない様子のルシエラが自慢げに胸を張る。
「もぐもぐ。うん、いいよ。でも不利なことは言わないからね、黙秘権をこーしします。あ、後追加のドーナツ揚げて」
蓮根ドーナツを頬張りながら、シャルロッテは食器棚から新しい平皿を取り出してルシエラに押し付ける。
「えと、私が揚げとく、ね」
ミアがそれを引き受け、ルシエラはエプロンの紐を緩める代わりにその表情を引き締める。
「シャルロッテさん、とある筋からお話を聞きましたの。貴方、妹さんをヴェルトロンに戻すために女王の座を求めておりましたのね」
女王候補の座を降ろされるかもしれないことには触れず、ルシエラが言う。
そこまで踏み込んでしまうと彼女の行動がより厄介なものになってしまう恐れがある。もしも捨て鉢になってしまったら最悪だ。
「アンジェから聞いたの?」
「とある筋ですの」
「んもう、アンジェも余計なこと言うねえ。そうだよ。でも、それでルシエラがすることは何も変わらないんだし、気にする必要はないと思うけど」
シャルロッテはドーナツを頬張ると、いつもと変わらない表情でウィンクしてみせる。
「変わるでしょう! 貴方の理由を知れたのですもの、お互いの妥協点を探れますわ!」
「違うよ、変わってない。それは元々ルシエラがしたいことだよ」
「え……」
「どうしてルシエラが女王に拘るのか教えてあげよっか。それは自分が罪を犯したと思っていて、その贖罪をしたいからなんだよ」
ドーナツを食べる手を止め、シャルロッテはじっとルシエラの目を見つめる。
己の心の内を見透かすようなその視線にルシエラは僅かにたじろぐ。
「それは……シャルロッテさんと同じように?」
「そうだよ。自分が罪人だと思ってしまったら、その心の枷は償うか赦されるかでしか外せないと思うんだ。だからルシエラは対立する敵であっても赦したい、そうやって自分自身が赦されたいから」
──ぐうの音も出ませんわ、シャルロッテさん見透かして来ますわね。流石は赤のヴェルトロンですわ。
彼女の言葉が自分の心の内を言い当てたものであると認め、ルシエラはその洞察力に感嘆する。
「そしてそれは私も同じ。だから今のルシエラと私の間に妥協点はないよ。ルシエラも私も誰かを信じてないもんね」
「それは言い過ぎですわ。少なくともわたくしは皆さんを信じておりますもの」
毅然と言い返すルシエラ。
それを聞いたシャルロッテが僅かに口の端を吊り上げた。
「ぶぶーっ、してませーん。例えば大事に持ってるそのペンダント、いつも賞賛できる相手が現れたら渡すって言うよね」
「ええ、そのつもりですわ」
「でもね、ルシエラは女王として血筋、能力、実績全部を持ってる。そんなルシエラよりも女王に相応しい女王候補なんている訳ないよ。それでもルシエラは素直に相手を認めて、自分より劣った人間に大事なものを全部託せる?」
「それは……」
ルシエラは即答できず言いよどむ。
──勿論、ミアさんになら託せますけれど……。この問いの回答としては相応しくありませんものね。
当然、ルシエラもナスターシャ達に色々と頼んだり頼りにしている。だが、シャルロッテが問うているのはそこではない。
女王の座や形見のペンダント、ルシエラが自らが解決しなければと尽力している行動の源泉。それらを他人に任せることができるのか、ミアと言うルシエラにとっての"特別"以外を認めることができるのか、そう問うているのだ。
「ね、ルシエラは答えられない。結局、自分が解決しなきゃ気が済まないんだよ。わ、そこも私と同じだねっ☆」
それを見たシャルロッテはいつも通りに明るくそう言うと、ドーナツを再び頬張りはじめた。
「もぐっ、もきゅ、むぐむぐ。だからねルシエラ、私に信じて欲しいなら、まずは自分が信じて見せて? だって相手を信じられない人を信じられるわけがないよ」
ルシエラが押し黙り会話が途切れる。
その間にシャルロッテはもくもくとドーナツを平らげていく。
「あれー、もうなくなっちゃった、ご馳走様でした。それじゃ私は帰るね。ピンクの人、残りのドーナツはお持ち帰りでお願いしますっ☆」
「待って。私も揚げた報酬、欲しい」
シャルロッテにドーナツを渡しながらミアがシャルロッテに言う。
「あ、ドーナツ揚げるの引き受けたのってそれが狙い? 意外と抜け目ないねっ☆」
ドーナツ入りの袋を受け取ったシャルロッテは厨房の出口前まで歩いて足を止める。少しだけなら付き合うと言う意思表示だろう。
「ピョコミンとタマちゃんの事情、教えて欲しい。特にタマちゃんのこと」
「タマちゃん? 猫?」
「時計塔で監査してる魔法少女。あの子、私の友達だから」
「わーお、世間って狭いね! 私は事情聞いてないけど、友達だったんなら私よりどんな子か知ってるんじゃない? ねえねえ、そのタマちゃんはどんな子だった?」
大袈裟に驚いてミアの方へと跳ね歩いて来るシャルロッテ。
わざわざ厨房の出口まで歩いて足を止めた彼女だが、どうやらミアの出した話題は大いに彼女の興味を引いたらしい。
「んっ、いつも見た目は威勢がいいけど根は小心者の寂しがり屋で、心細い時とかの方がそれを隠すために強気でキツイ言葉を言ってた」
食い入るように詰め寄って来るシャルロッテに少し面食らいつつも、ミアはタマキを思い出すようにたどたどしく言葉を紡ぐ。
「そっかー、それで時計塔で会った時はどんな態度だった?」
「えと、凄く酷い事を言われて……あ」
そこまで言ってミアははっと気がつく。
「そう、そうなのかな。ありがとう、シャルロッテさん」
そして、そのポーカーフェイスを少しだけ真剣なものにした。
「よくわかんないけど私何もしてないよね。自己解決だねっ」
「それでもありがとう」
「じゃさ、次戦う時があったら手加減してくれる?」
ぱちんと指を鳴らしてウィンクするシャルロッテ。
「それはダメ」
「そっかー、ならいいや。それじゃルシエラもミアもドーナツご馳走様。おやすみー」
シャルロッテは残念そうに眉をしかめると、手をぶんぶんと振って駆け去って行く。
「あ、いつの間にか名前呼びになってる。えと……ルシエラさん」
「大丈夫ですわ、シャルロッテさんが言う通りやることは変わりませんもの。ただ……信じていない、ですの。痛い所を突かれましたわね」
ルシエラは歩き去るシャルロッテを悔しげに見送るのだった。
分かり難い展開を読みやすく修正しました
2023/12/30




