7話 黄昏は巨人の国3
「ふぇ、えぐっ……ぐすっ、うあ、うわああああああ!」
人目のつかない森の岩陰、アンゼリカは一人大声で泣いていた。
ルシエラの視界に入る為に必死に努力し、古文書にしかないような古い術式も、最新式の術式も全て覚え。ようやくルシエラの好敵手に相応しい自分になれた。そう思っていた。
なのに崩れた、一瞬で全て崩れてしまった。アンゼリカが積み上げてきた努力が、自尊心が、ルシエラの好敵手として立ち塞がれると言う自負が全て。
「どうすれば、どうすればいいんですか! これだけ努力してダメならどうすればいいんですか!?」
寄りかかっている岩肌を叩き、胸中で渦巻く怒りを吐き出すように叫ぶ。
初めてルシエラに負けた時と同じ絶望。だが、あの時のアンゼリカは自らの才に驕って大した努力をしていなかった。だから必死になれば喰らいつけると言う可能性が、希望があった。
だが今は違う。初めて負けたあの時からアンゼリカは弛まず必死に努力し続けた、なのにまるで届かなかった。皮肉なことにその絶望は積み上げた努力の分だけ深く暗い。
憧れ、嫉妬、絶望、怒り、渇望、恐怖、永い時間の果てにルシエラへの恋心だけが残る前、かつてのアンゼリカの心に吹き荒れていた黒い嵐。それが再び心に吹き荒れる。
「はあっ、はあっ……! 嫌だ、嫌だ、こんな私は嫌なのに……!」
ずるずると岩にもたれかかるように膝をつき、必死に探し求める。彼女との絶望的な差を埋める何かを。
だが、ない。ない。ない。ない。ない。
当然だ、そんなものが見つかるはずがない。それを埋めるためにアンゼリカはこの五年間必死になり続けたのだ。
積み重ねて来た努力でも埋められなかった差、それが簡単に埋められてたまるものか。
「あれー、アンジェこんな所に居たんだ」
「シャルさん……」
突然聞こえた底抜けに明るい声にアンゼリカは慌てて涙を拭って表情を取り繕う。
さっきは情けない姿を見せてはしまったが、流石に涙までは見せられない。
「どしたの、こんな所で。ドーナツ食べる?」
「要りません。ちょっと考え事をしていただけです。……もし、もしですよ。どんなに頑張っても振り向いてくれない人が居て、シャルさんだったら振り向いてもらうために何をします?」
「洗脳」
即答するシャルロッテ。
「はぁ……。聞いた私が馬鹿でした」
アンゼリカは呆れ顔で首を横に振ると、シャルロッテに背を向けて立ち去ろうとする。
一気に冷めてしまった。彼女が居ては落ち着いて悲観に暮れることすらままならない。
「ねえねえ、アンジェの言ってる振り向いてくれない相手ってルシエラのこと?」
シャルロッテの言葉にアンゼリカの足が止まる。
「そうですよ。それがなにか?」
相変わらず空気を読まないなと思いつつ、アンゼリカは苛立ち交じりにそう返答する。
「アンジェってルシエラの何になりたいの?」
「どういう意味ですか、最初から言ってますけど」
アンゼリカは思わぬ問いに聞き返す。
「あのさ、傍から見てる感じだと、アンジェってルシエラに勝ちたいんじゃなくて、仲良くなりたいんだと思うんだよね」
「…………それはそう、かもしれませんね」
一拍思考した後、アンゼリカはそれを肯定した。
アンゼリカにとってルシエラは憧れであり、天に燦然と咲く星そのもの。
アンゼリカは彼女を叩き潰し勝利したいのではない。彼女に自らを知ってもらいたい、気持ちを受け取ってもらいたい、そして願わくば抱き上げられ共に同じ高みを見上げたい。
だからアンゼリカは自らの胸に渦巻く感情を恋と称しているのだ。
「だからね、アンジェ。アンジェのしてきたこと、最初っから間違ってると思うよ。だって、ルシエラにとってのアンジェって、ただの迷惑な厄介さんにしか見えないと思うから」
「っ!」
シャルロッテの容赦のない台詞に、アンゼリカの顔が歪む。
「えっと、だから、こういう時は……アンジェの頑張って来たこと、無駄な努力だったね☆」
シャルロッテは明るくそう言ってウィンクする。
「うっ、くっ、あああっ!」
その無慈悲な言葉に、必死に押し殺していた叫びが喉から漏れる。
無駄な努力。無駄な努力すらせず、他人を先導する少女に否定された自らの努力。
僅かに残っていた自信が、プライドが、拠り所が、全て崩れ落ちる。それは正に致命傷。悲観に暮れていたアンゼリカの心を的確に破壊する一撃だった。
「無駄な努力はさっさと止めて考え直した方がいいよ。うんうん、私いいこと言った!」
その場で立ったまま動かないアンゼリカに笑顔でそう言うと、シャルロッテはぴょんぴょんと軽やかな足取りで立ち去っていく。
彼女がが立ち去ってもなお、アンゼリカはその場から動けなかった。
「なんて愚かなんでしょう。私が積み重ねてきた努力は無駄だったなんて……」
なんとか絞り出した声でそう言うと、アンゼリカは手を握りしめる。
「なら、もう……」
手段なんて選ばない、選べない。
好敵手となれないのなら、願い結ばれないのなら。嫌悪すべき敵としてでも視界に入ってやる。
そうしなければアンゼリカ・アズブラウは進めない。ルシエラと出会ってしまったあの過去に縛り付けられたままになってしまう。
もう、ただ天の星を見上げるだけの乙女になんて戻れない。戻りたくない。
「でも……」
だが、アンゼリカは一瞬躊躇し自問自答する。それはついぞこの前自分が見下した魔法協会の幹部達とまるで変わらない所業ではなかろうか。
それでも、アンゼリカは奥歯を強く噛みしめて決意する。なら認めてやる、自分もあの連中と同類の下卑た魔法使いだと。
それでも勝ちたい、ルシエラに爪痕を残したい。あの日焼き焦がされた心にはもうそれしか残っていない。
アンゼリカは夢遊病のようにふらふらと立ち上がると、薄暗くなり始めた森の奥へと消えていくのだった。




