5話 魔法の国より愛(ヤンデレ)をこめて4
「あらま、案の定ですわね」
「ん、そうかな? 叫び方が少し真に迫ってる気がする。トラブルかも」
「ぎゃああああっ! 助けてルシエラ!」
ミアの言葉が正しいと裏付ける様に、涙目になったフローレンスが三人めがけ一目散に駆けてくる。
「おっ、ナスターシャの妹じゃないか。遭遇一番乗りだな、逃げ足だけは褒めてやる。だが残念だが、シルミィ様も邪魔する権利を……」
「アンタの相手をしてる暇はないのっ!」
「ゴギュ!」
嫌味を言いかけたシルミィを跳ね飛ばし、フローレンスは勢いそのままルシエラとミアの前へと滑りこんだ。
「フローレンスさん、どうしましたの? わたくし、立場上フローレンスさんの手助けはできませんわよ」
「緊急事態! 緊急事態なのよ! もうテストなんて話じゃないのよ! 助けて!」
涙目になったフローレンスはルシエラの胸ぐらを掴んでゆっさゆっさと必死に揺らす。
「ん、落ち着いて。あと、ルシエラさんの胸は私専用だから」
ミアがフローレンスを後ろから引き剥がし、パニックで要領を得ないフローレンスをなだめすかしていく。
「そうですの、まずは落ち着いてくださいまし。今の説明ではわたくし達には何が何やら……」
「すぐに分かっちゃうのよぅ! ほら!」
ぐるりと向き直り、フローレンスが必死に森の奥を指さす。
森の奥からがさがさと木々のこすれる音がし、次いでバキバキと木の枝か幹かが折れ曲がる音がした。
「足音が無い。獣の類ではありませんわね」
ルシエラが僅かに緊張した面持ちで物音の先を見据え、やがて森と夕闇の合間から影の怪異が姿を現した。
「んっ、ネガティブビースト」
──グリッターは最終的に飲んだ人間をネガティブビースト化する。ナスターシャさんが言っていたのは本当でしたのね!
本来の核であり弱点である仮面こそないが、プリズムストーンに由来するその影の体は紛れもなくネガティブビースト。余りにも早い再会だった。
だが既に覚悟はできている。再会を受け入れる時間をくれたナスターシャに感謝しつつ、ルシエラは凛然とネガティブビーストと相対する。
「フローレンスさん、ここはわたくし達が相手取ります。下がっていてくださいまし!」
「ま、待って! ああああ、あれ! 中にセリカが入ってるの! 憑りつかれたんでなく変身しちゃったの!」
「セリカさんですの!? まさかセリカさん、グリッターを……」
「使ってないし、プリズムストーンの破片も見てないわ! 一緒にテスト受けようとしてたら急にああなったの! 他にもああなった生徒が何人もいたわ! おかげで森の中は地獄絵図よぅ!!」
ルシエラは影の異形を視界から外さぬまま、薄暗くなってきた森を手早く見回す。森にはごく僅かではあるが自然由来ではない魔力が満ちていた。
それは無意識下でも魔法障壁を纏うよう訓練されているルシエラには一切影響なく、意識せねば分からないほど微弱なもの。しかし、未熟な魔法使い達にとっては徐々にその身を蝕む毒となる。
──さては誰かがグリッターを噴霧しましたわね。
「シルミィさん、これはどういうことですの」
ルシエラは今にも襲い掛かって来そうなネガティブビーストを視線に収めつつ、モップから落っこちてお尻を撫でているシルミィを問いただす。
「し、知る訳ないだろ!? 私はついこの間アレにボコられたんだぞ、こんな事態になるならぽんぽん痛いって言って監査休んでるんだが!」
そう答えるシルミィの目には涙が薄っすらと浮かんでいた。
流石に演技でこの表情ができるとは思えない。
「わかりました、この場での追及はいたしませんわ。取り合えずシルミィさんは駅に戻ってくださいまし、きっと生徒の皆さんは心情的に駅の方へと逃げてくると思いますの」
「はぁ? 何でお前が仕切ってるんだ。生徒会の監査なんてお飾りだろ! 私は責任者なんだからこの事態を治める必要がある! 既に泣きそうになってるが!」
シルミィはそう言うとモップで突撃、次いでその手に光の刃を手にしてネガティブビーストへと斬りかかった。
「け、軽率な行動は止めてくださいまし!」
「問題ない! ナスターシャはこれで有効打を与えていた! これなら通用する、多分!」
繰り出される刃の切っ先が影の体を捉え、そのまま空を切る様に手ごたえなく影の体を通り過ぎた。
「……全く効いてないんだが」
『GYAAAAAAAA!』
「ぐぎゃああ!!」
お返しだと言わんばかりにネガティブビーストがその腕を振り回し、シルミィがきりもみしながら夕焼けの彼方へと飛び去って行く。
「シルミィさん!」
一応魔法障壁を展開しているのは確認できた。ダメージは負っているだろうが恐らく命に別状はないだろう。
「予想通りとは言え、魔法協会の援護はあまり期待できませんわね」
飛び去るシルミィを視線で見送ったルシエラは、自らに迫りくるネガティブビーストへと向き直る。
「ルシエラ、私はどうすればいい!?」
「フローレンスさんは無事な方を集めて駅へと帰還してくださいまし。ミアさんはその援護を」
涙目で逃げて来た割りに協力する気のフローレンスに少しだけ感心し、ルシエラは次々繰り出される影の拳を躱しながらそう指示を出す。
話に聞くグリッターの特性から鑑みるに、体内の魔力残量が少ない者達からネガティブビーストへと変質させていくはずだ。
規格外の魔力を誇り無意識で肉体強化や対魔法を行使しているミアは影響を受けず、高い潜在魔力を持つフローレンスも暫くの間は無事だろう。ならば二人に他の生徒達を先導して貰う他ない。
「ん、分かった。フローレンスさん意外と根性あるね」
「ここで一人逃げられたらもっと大成してるわよ。私は筋金入りのダメ人間だもの、ここで逃げたらこの先ずっと後悔で寝覚めが悪くなるわ」
「わたくしはセリカさんを元に戻して出所を叩きます。場当たり的に元に戻してもこの状態では再び異形化するだけですから」
言わなければ素直に見直していたのにと感心に呆れを半分混ぜつつ、ルシエラは手にしたピッケルに魔力を付与。
ネガティブビーストへと一気に踏み込んで核となる輝点を両断する。
ルシエラの一撃によって影が払われ、セリカの体が露出する。そこに間髪入れず追い討ちで魔力を込めた拳を叩き込む。
セリカがコホッとむせるような息を吐き、プリズムストーンの破片らしき小さな輝石が地面に転がった。
「これでひとまずは大丈夫ですわ。セリカさんが気がついたら魔法を使わないように言っておいてくださいまし、体内の魔力が少なくなるほどネガティブビースト化が促進されますわ」
救急箱から取り出した魔力補給用の魔石をセリカに握らせながらルシエラが言う。
テストで張り切り過ぎた生徒のために用意した魔石だったが、思わぬ形で役に立った。
「わ、分かったわ!」
「ん」
フローレンスとミアが揃って頷き、それを確認してルシエラは不穏な魔力が濃く満ちている方へと駆け出す。
森には既に相当数のネガティブビーストが闊歩し、それと対峙する生徒の姿も疎らにあった。
「うあああっ! 来るな化け物っ!」
ルシエラの近くでも、怯える少女を庇いながら一人の少女が絶叫と共に氷の魔法を連打していた。
近づけぬほど矢継ぎ早に巨大な氷塊を打ち込まれ、体を崩壊させた影の怪異が軍服の女へと姿を戻す。
「はーっ、はーっ……。やったの……?」
「凄い! まーちゃん! 授業の時とは比べ物にならないぐらい凄いよ!」
「え、えへへ! 火事場の馬鹿力って奴なのかな、自分でも信じられないぐらい魔法の威力がでる…NOOOOO!』
クラスメイトを助け安堵の笑みを浮かべていた少女だったが、人ならざる咆哮を発して影を吹き出し、次は自らがネガティブビーストへと変貌してしまう。
「え……!? まーちゃん! まーちゃあああああああんん!」
それを見て絶叫する少女。
だが、先程少女を助けたもう一人の少女は、目下最大の脅威として今まさに襲い掛かろうとしていた。
「そこを動かないでくださいまし!」
長く伸びた八本脚で少女を蹂躙しようとする影の異形。
ルシエラはすかさずそこに割って入り、異形の輝点を両断する。
「あ……」
「この方を連れてできる限り迅速に駅へ! ただし、魔法はできる限り使わないようにするのですわ!」
半ば放心状態の少女にルシエラが言う。
同行していた少女がネガティブビースト化した以上、この少女も既に相当量のグリッターを吸い込んでいるはずだ。
魔法の行使によって体内の魔力量が減れば、グリッターの濃度が薄い地点にたどり着く前にネガティブビースト化してしまうだろう。
「え、ええと……」
「ここは危険ですの。早く!」
「わ、分かりました!」
放心状態だった少女が正気を取り戻し、気絶している少女を背負ってよろよろと駅の方へ歩いていく。
──見ていて気が気でないですわ。本当なら同行してあげたい所なのですけれど。
ルシエラはそのたどたどしい様子に不安を覚える。
だが、先に元凶を食い止めなければ意味がない。ルシエラとミア以外は遅かれ早かれネガティブビーストへと変貌してしまうのだ。
ルシエラは後ろ髪を引かれる思いで二人の少女に背を向け、更に森の奥へと走り出す。
森の奥へと踏み入るにつれ、森に満ちた異常な魔力の濃度は更に上がっていく。
「この感じ、近いですわね」
その勘を裏付けるように、視線の先の木々は月明りとは違うほのかな光で照らされていた。グリッターによる魔力の光だろう。
この先に元凶があると確信したルシエラはピッケルを構え、開けた小さな広場へと躍り出た。




