笑顔
学校を飛び出した。
理央の行動を考えると、学校から出ているはずだ。
普段だったら寺の境内にいる可能性が高い。
――くそくそくそ、うじうじしやがって!! 俺の馬鹿野郎!!
俺は走りながら自分をなじる。突然の変化に付いてけなかった自分が嫌になる。
理央のサインに気がついていたのに、平穏に身を任せていた。
俺たちはそんなのじゃない。理央は俺と一緒だ。心が壊れていたんだ。
境内は祭りの準備をしている。今は人が多い。
そんなところに理央が向かうとは思えない。
なら、浜辺のテトラポットだ。
俺は海辺を全速力で走った。
渋滞している海岸道路の車を並走して俺は走る。
「へい、兄ちゃん元気だな! よくわかんねーけど頑張れよ!!」
「うおぉ!? あぶねえよ! 走ってんじゃねえよ!」
車から俺に声をかける若者、うざそうに見ている中年、写メを取るギャル――
俺の頭の中にあるのは理央の事だけだ。
渚が言った言葉『だから好きなのよ』、それを覆い隠すほどに俺の心の中は理央で占めている。
ったく、始めから分かってただろ、この馬鹿野郎が!
なんで自分に正直になれないんだ。分かっていても気づかないふりをしていただろ?
理央に会いたい。理央に触れたい。理央と喋りたい。
理央の事が世界で一番大切なんだよ――
俺は海岸道路から浜辺に飛び降りた。
砂の上を転がりながら着地する。
よく理央と一緒にどこまで高い所から飛べるか競い合った。
理央と一緒に浜辺を走った。
理央と一緒に祭りを周った。誰も祝ってくれなかったから、藤沢でお互いの誕生日をお祝いした。初めて入ったファミリーレストランは緊張した。でも理央がいたからご飯が超美味しく感じられた。
遠足に行けなくて、修学旅行に行けなくて――、俺達は二人で旅行と称して冒険をした。
辻堂まで歩いて、海浜公園で遊んで、江ノ島水族館の前で魚を見た気分になった。
バレンタインではチョコの代わりに菓子パンをくれた。一緒にゲームをしながら食べるパンは格別に美味しかった。お互い地頭が良かったのか、近所の高校に入学できた。入学祝いで二人で横浜に行ってみた。人が多すぎて別世界だった。そんな世界でも俺と理央は笑い合いながら街を歩いた。
いくらでも思い出はある。俺たちは二人で一人なんだ。理央がいない人生なんて考えられない――
俺は岩場を器用に乗り越える。
ここは俺たちの遊び場だった。誰も来ない俺たちの秘密基地。
大人は危険だから近づくなと言うけど、誰もいない場所が俺たちに必要だった。
ここで花火を見たことがあった。
すごく綺麗だった。現実の苦しいことを何もかも忘れられた。
横にいた理央の横顔を見たら――俺は見惚れてしまったんだ。
理央は俺に気がつくと笑ってくれた。
いつからなんて考えたことがない。
ただ俺は約束に縛られて、心に本当の気持ちを押し込めていたんだ。
岩場からテトラポットに飛び移る。
その先を抜けると、奥の岩場に辿り着ける。
幸い波は弱い。
焦る気持ちを抑えて、俺は奥の岩場にある大穴を目指した。
自然にできた大穴。まるで洞窟の入り口のような姿だ。この岩場は崖と海しかない。
磯の香りが強く漂う。
理央の姿が見えた。
靴を脱ぎすて裸足で大穴の入り口に立っている。
それがひどく危うく見えた。なんでそんな顔してるんだよ?
心臓が激しく鼓動する。
理央は一度決めた事は必ず実行する。
自分の身体が思うように進まなくて焦りが生まれる。
理央は海に向かって歩き出した。
こんな岩場の海の飛び込んだら――
俺はありったけの大声で叫んだ――
「理央ーーーー!! 馬鹿野郎!! 俺は――お前にムカついてるんだよ!!」
理央の動きが止まった。俺の方を振り向いて、少し怒った顔をしていた。
言葉が勝手に出ていた。俺は心底理央に腹を立てていた。
なんで俺と壁を作った? 理由なんて分かってる。だけどな、勝手に決めつけるんじゃねえよ!!
俺は走りながら言葉を放ち続けた。
「だからお前は馬鹿なんだよーー!! いつまで経っても貧相な身体付きなんだよ!!」
理央がたまらず俺に叫ぶ。
「う、うるさいよ!! ゆーさくだって身体だけ大きくなって心はガキのままじゃん!!」
「はっ!? 勝手に人の心を決めつけるてめえに言われたくねえよ!!」
「うるさいよ!! ゆーさくなんて渚と付き合えばいいんだよ! それが一番みんなが幸せになれるんだよ!!」
みんな、だと?
俺にとってみんなは身内じゃない。
俺にとって、一番大事なのは―――
「馬鹿野郎!! それじゃあお前が幸せにならないじゃねえかよ!! はぁはぁ、お、いついた……」
俺の目の前に理央がいる。
体力の限界であった。
俺は理央に抱きつくように倒れた。
岩場でゴツゴツして痛い。だけど、俺の上に乗っている理央の身体の重みが心地よい。
「……ゆーさくの、馬鹿。私の幸せなんて……」
「どうでも良くねえよ。ははっ、ていうか、初めてじゃね? 俺たちが喧嘩したのって」
「う、ん、そだね。初めてかな? だってゆーさくが馬鹿で見てられなかったんだもん」
「う、うるせえな……」
理央は体重を俺に乗せてきた。心の底から浮かぶ感情。
俺はそれを押し殺す事はやめた。
理央がいれば他に何もいらない。そんなことにいつまで経っても気がつけなかった大馬鹿野郎だ。
「ゆーさく、ノーカンにしてあげるから、渚ちゃんの所に戻っ――」
「うるせえよ! 勝手に決めつけるんじゃねえよ! 俺はな……」
俺は理央を強く抱きしめた。俺の今の力のあらん限り。
だって、想いが溢れて止まらねえんだよ――
「お前が世界で一番大切なんだよ。――だから一生俺のそばにいろよ」
沈黙が広がった。
理央の背中が上下している。
すすり泣くような声が聞こえてきた。
「駄目だよ……、わ、私なんて、幸せになる権利なんてないよ……」
「わりい、もう無理だ。ガキの本気を見せてやるよ。俺が理央を一生守る」
理央の家庭のことは知っている。親は駄目人間だ。どうせ高校卒業したら理央に水商売をさせようとしてたんだろう。
ガキにはどうしようもないと思っていた。誰にも頼ろうとしなかった。
だけど、俺は理央を幸せにできるなら誰にだって頭を下げれる。大人にだって頼れるんだ。
理央は嗚咽が激しくなる。俺は理央を愛おしく抱きしめる。
もう二度と離さない。誰にも邪魔させない。
俺は優しく理央に囁いた。
「……明日の祭り、一緒に周ろうな。……嫌だって言っても連れてくぞ」
理央は俺の胸に顔を埋めて小さくうなずいた。
「……ゆーさく」
理央は顔をあげた。涙を流しながら笑顔を俺にくれた。
その笑顔は――俺にしかわからない本当の理央の笑顔であった。
ここで一章完です!




