彼の夢見た、未来(2)
ズン……と重い音を響かせ、巨躯が地に伏した。アルは最後の力を振り絞って龍の首を断ち、そのままふらついて仰向けに倒れる。
「アル……ッ!!」
少し離れた場所からエーリヒが慌てて駆け寄った。顔は涙に濡れ、噛み締めた唇からは血が滲んでいた。
「――――倒した」
アルは倒れ込んだまま、ぼんやりと呟いて空に手をかざした。爪は割れ、指は何本かねじ曲がっている。反対の腕は動かせそうになかった。限界を超えて酷使した肉体は小刻みに震えている。よく今まで動いたものだと、アルは息を吐いた。
「……なあ、俺これで金剛石だよな」
「ばか、しばらく黙ってろ!!」
焦って取り出した回復薬の瓶がエーリヒの手元でガチャガチャと音を立てる。応急手当をしながら、エーリヒはずっと涙をこぼしていた。
助けに入りたいと、衝動的に動きそうになる体を抑えるのはとても辛かった。身に爪を立て、歯を食いしばって必死に見守った。――聖域の森に生息する龍種の単独撃破。その偉業を成した者には金剛石が与えられる。前ギルド長も、ヒースクリフも通った、確かな道だ。
エーリヒはアルの願いを知っていた。それを長年ずっと隣で応援してきた。いざとなれば身を挺して介入しようと決めていたが、いざという事態が起こらなかったことへの安堵よりも、アルが偉業を達成した喜びよりも、今は目の前のアルの酷い状態を物案じてエーリヒは必死に手を動かす。堪えきれぬ嗚咽が、口端から漏れた。
この場でできる処置を終え、エーリヒはへたり込んで涙をぐいと拭った。アルは意識を失って、今はすやすやと寝息を立てている。その様子にハアと安堵の息を吐いたエーリヒは、ツールバッグの中に入れた記録珠をあらため、丁寧に包み直してバッグにしまい込んだ。
この記録珠には、アルの死闘がすべて記録されている。アルと共に金級になったとはいえ、エーリヒは朱線を引かれた過去を持つ。自分の証言だけではアルの偉業に疑いを持たれてしまうかもしれないと、エーリヒはそれを恐れていた。
力の抜けた膝に活を入れ、エーリヒは龍の首を魔法で牽引し、アルを背中に負って歩き始めた。
誰にも難癖をつけさせない。アルは、金剛石になるのだ。
――アルはあの日、恋に落ちた。
気高さを感じさせる、優雅な立ち居振る舞いに目を奪われた。ニナに向けて見せた、あどけない微笑みに心を射抜かれた。目の前を通り過ぎる凛とした横顔に、鼻腔をくすぐる香りに、ただ呆然と立ち尽くして彼女を見送った。
彼女が何者か、誰に聞かなくてもわかった。辺境伯令嬢オリヴィア。平民のアルには手が届かない、高嶺の花だ。
しかし、近付く方法が全くないというわけではない。ランクをあげれば。それがアルにとれる、唯一の方法だった。
ニナやヒースクリフやライノを通して、彼女の話を人伝に聞いた。自身のランクが上がるに従って、彼女と直接面識を持つ機会を得た。その度に胸が高鳴った。彼女の厳しさと優しさを、未来を見据え努力する様を、知れば知るほどに心惹かれた。胸がしめつけられるような恋情は募り、諦めることはできなかった。
――金級ではまだ足りない。それではまだ彼女に手が届かない。
アルは病室で目を覚ました。数日の入院が必要だと言われ、治療を受けている。鏡で自分の顔を見ると、白目がまだらに赤く染まっていて驚いた。強く力んだ結果、目玉の血管が切れたらしい。
(…………金剛石)
アルは寝台の上で上体を起こし、包帯まみれの両手を見つめた。
(これで、彼女の夢を叶える駒になれる)
彼女に必要なのは、武力だけだった。アルがなりたいものと一致していたから、ためらう理由は何ひとつなかった。金剛石は、王家と縁付くことさえできる、特別な立場だ。特別で分かりやすい、武力の証明だ。
夢を叶えるために自分の手をとれと、彼女にそう突きつけるのは卑怯だろうか。アルは手を結んで開きながら少しそう思う。でも、アルが持つ手段はそれだけだから。あとは、オリヴィアが選んでくれればいいと思っている。彼女に「必要ない」と言われたら、その時にはキッパリ諦めようと覚悟している。
アルは再び手を結び微笑んだ。期待に胸が高鳴って、叫び出したい気持ちだった。
バタバタと慌ただしい足音が聞こえ、アルの病室のドアが勢いよく開かれた。駆け込んできたのはエーリヒだ。
エーリヒは真っ青な顔で、息を弾ませて、悲痛な顔でアルを見つめた。言葉を出そうとして、詰まって、何度もそれを繰り返してつっかえつっかえエーリヒは言葉を絞り出す。
「次期辺境伯が、レオン様に決まった」
アルは、間に合わなかったのだ。








