『親の愛情』
「ケヴィンくん、今日はご機嫌ですね」
ニナはにこにこ微笑んで、ケヴィンに話しかけた。ソファーに座ったニナの腕の中で、ケヴィンは「あー、うぁー」と声をあげながら何かを掴む仕草をしている。ニナの顔を見て、ケヴィンも笑顔を見せてくれた。
「助かるよニナ。はいはいを始めたら大変だってライノさんが聞いてきてさ。でっかいラグを買ってきたんだけど、敷く前に床磨きたくてね」
まだ寝返りもしてないんだけどね……とこぼしながら、ジェシカはモップの柄にあごをあてた。
「だから、家具の位置が変わったんですね」
リビングから細かな家具が姿を消し、広い空間が取られている。テーブルは端によせられ、足にぐるぐるに布が巻き付けられていた。
「まだ早いと思うんだけど……大丈夫だろうで大変な目にあったしね。ライノさんは『俺がやるから置いとけ』って言ったんだけど、家にあると気になってさ」
ジェシカはそう言いながらきびきびと床をモップで磨いていく。ニナの助けと龍樹の実の効果で、ジェシカは本来の活発さを取り戻していた。
「ラグを敷くから、今日は室内履きなんですね」
「そ。今日からずっとかな。ケヴィンが小さい間はね。面倒でごめんね」
「いえ、うちもそうなんです。いつだったか、ヒースさんが『床がきれいなのに土足で入るのやだ』と言い始めて……慣れるとそのほうが楽ですよ」
「あー、そうかもね……うちも慣れたらそうするかな。よし、終わり!」
ジェシカはモップを片付けて手を洗い、ニナの隣に腰掛けてニナからケヴィンを受け取った。
「ありがとね、ニナ。いっぱい助けてくれてさ。あたし、絶対にこの恩を返すよ。ニナに何かあったら絶対に力になるし、もし将来ニナが子供を産むことがあったら、同じようにニナを助ける。ニナみたいにうまくやれるかわかんないけどさ。でも絶対に助けるよ」
「ふふ、ありがとうございます。私にそんな日が来るでしょうか」
「わかんないけど、来るかもしれないよ」
「そうですね……」
ジェシカの腕の中で、おなかをすかせたケヴィンが泣き始めた。「おっと」と声をあげて、ジェシカはケヴィンに乳を与え始める。
乳を飲むケヴィンを見守るジェシカは、優しい母親の顔つきをしている。ニナはその風景をぼんやりと見つめた。
ニナが『親から与えられる愛情』を思うとき、脳裏に浮かぶのはネビュラの姿だ。
ニナは『アンタ』と『オマエ』を自分の両親だと認識していない。ニナが本当に幼いころに、あの家に迷い込んでしまったのだろうと思っている。だから邪険にされ、売られたのだ、と。それほどに、ニナが後からネビュラに教えられた『親』というものと、ふたりの有り様はかけ離れていた。
ニナが『親』と聞いて考える温かさをくれたのは、いつもネビュラだった。だから、まっさきに思い浮かぶのはいつもネビュラの姿だ。
(私も、あんなふうに)
ネビュラからもらった愛情を、誰かに注ぐ日が来るのだろうか。そんなことが自分に起こるだろうか。
ニナはぼんやりと、乳を飲むケヴィンを見つめ続けた。
「あのさ、もうあたしは大丈夫だよ。1日おきじゃなくて大丈夫。ニナもやりたいこと、色々あるでしょ。……週に1回くらいは、来てほしいんだけど……ニナのごはん食べたくて。話もしたいし」
帰り際、ジェシカがニナを見送る際にそう言った。ニナは、ジェシカがそう言えるくらい落ち着いたことも、『ごはんが食べたい』と言ってもらえたこともうれしくて、にこにこと笑みを浮かべた。
「はい、じゃあ来週また来ますね。保冷庫に作り置きの料理があるので、明日食べてください」
「うれしい!ありがとニナ、また来週ね」
「はい、また」
ニナは夕暮れの空を見上げて、この時間ならギルドに行ってヒースクリフを待とう、と考え歩き始めた。首から下げたネックレスを服の上からそっと撫で、柔らかく微笑む。
これがあるからいつでもネビュラに迎えに来てもらえるけれど、ギルドの食堂で温かいココアを飲みながら、ヒースクリフを待つ時間もニナは好きだった。
季節はもう真冬で、街を吹き抜ける風はとても冷たい。ニナは凍えた指先にふうと息を吹きかけて、ギルドを目指して歩いて行った。








