幸せを祈って
「ニナ……」
「手伝いに来ました、ジェシカさん」
ニナを出迎えたジェシカは腕に赤ちゃんを抱きかかえて、髪はぼさぼさで、目の下にはくっきりと隈ができていた。
「ありがと。今何か飲むものを……」
「ジェシカさん」
ふらふらしながら、それでもニナをもてなそうとするジェシカの後ろ姿に、ニナははっきりと声をかけた。
「私はジェシカさんを手伝いに来ました。赤ちゃんの洗濯物の、やり方を教えてください」
話をしながら通されたリビングは、なんとかしようと手を付けて、途中で手が回らなくなって中断された、そんな形跡であふれていた。途中まで洗った食器、お湯を沸かしたが使われず冷えた鍋の水。取り込んで畳みかけ、そのまま山になった洗濯物、一箇所にまとめられたゴミ……そんな、なんとかしようの努力の跡だ。赤ちゃんに必要なものだけは最優先で、なんとかぎりぎりで回している。そんな状況だった。
ニナはひとつ頷いて、ジェシカを振り返った。
「まず洗濯をします。それからリビングを掃除します。埃がたつので、赤ちゃんと寝室にいてください。あれこれ開けたりはしませんが、触ってはいけないところはありますか?」
「ないよ、でもあたしも……」
「私はジェシカさんを助けにきたんです。少しでも休めそうなら、休んでいてください。必要なものがあれば、呼んでください」
ニナは遠慮がちなジェシカを寝室に押し込み、リビングを振り返った。まずは水場で、さっき教わった通りに消毒液に漬けられたおむつを洗うのだ。ニナはむんっと気合を入れて、腕まくりをした。赤ちゃんはなんと、ニナが出迎えられてから今もずっと、ジェシカの腕の中で元気に泣き声をあげていた。
庭の物干し台にたくさんのおむつを干し、シーツをはためかせた。肌着もたくさん並んでいる。それはすべて、赤ちゃんの幸せを願った日々の結晶だ。ニナは青空の下で風に揺れる洗濯物たちを見て、満足そうに頷いた。
それからニナは窓を大きく開けて、掃除を始めた。上から下へ埃を払い、掃いてゴミをまとめ、溜まっていたキッチンの食器を洗って片付け、台所をぴかぴかに拭き上げた。
途中で何度か、ジェシカがおむつを取りに顔を出した。ニナは感心して、「本当におむつがたくさん必要なんですね」とつぶやき、ジェシカは「飲んだらすぐ出すんだけど、どうなってるんだろうね……?」と言いながら我が子を撫でた。
その後ニナは昼食を作り始めた。時間も材料もあまりないので簡単なものだが、パンを切ってハムやチーズを挟み、ライノが用意したスープの素を使って、少しでも温かいものを、と刻んだ野菜の入ったスープを作った。
丁度出来上がったころにジェシカがおむつを取りに顔を出して、ニナはジェシカに昼食にしようと声をかけた。ジェシカはスープのいい匂いに大きく息を吸って、それから「この子、抱いてないと起きて泣くんだよね……」と吸った息を吐くようにつぶやいた。
ニナは「私の抱っこでも大丈夫でしょうか……大丈夫そうなら代わるので、食べてください」と言いながらテーブルに食事を用意して、自分は近くのソファーに腰掛けてジェシカから赤ちゃんを受け取った。
乳を飲んでぐっすりと眠っていた赤ちゃんは、受け渡すときに少しむずがったがニナの腕の中ですやすやと寝息をたてて、ニナとジェシカはほっとして目を合わせて微笑みあった。
「……なんか、こんなにゆっくりあったかいもの食べるの久しぶりな気がする」
温かいスープを口に運びながら、ジェシカがしみじみと言葉を落とした。
「最近ずっと、とにかく隙を見つけて口に詰め込んでてさ……その子抱いてないとすごい泣くから、そうは言ってもやることあるからって泣かせてたら、引きつけ起こしてさ。…………大丈夫って聞いても、死んじゃうんじゃないかって思って、怖くて、泣かせるの怖くて」
ジェシカはぽたぽたと涙をこぼしながらスープを食べ続けた。
「ニナありがとう。あったかい、おいしい。来てくれてありがとう、助けてくれて、ありがとう」
寝られなくて、簡単に失われそうなか弱い命を抱え込んで、ジェシカは疲弊していた。大粒の涙をこぼしながらニナが作った昼食を食べ、目を真っ赤にして「ごちそうさま。ありがと、代わる」と言ってニナの前に立った。
ニナは微笑んで、「ぐっすり眠っているので、もう少しこのままで。この子の名前を教えてもらえますか?」とジェシカにささやき、ジェシカは幸せそうに笑って「ケヴィンっていうんだ」と愛おしげな視線をニナの腕の中に向けた。
ジェシカはニナの隣に腰掛けて、すぐにうつらうつらと舟を漕ぎ出した。おなかが温められて、ニナに不安を打ち明けられて、安堵したのだ。
しばらくすると代わりのようにケヴィンが目を覚まして、たまたま泣くことなくきょとんとした顔でニナを見つめていた。
「ケヴィンくん、もう少しジェシカさんを寝かせてあげてくださいね」
あんなに小さいと思いながら作った肌着はそれでもまだ大きくて、ぶかぶかの肌着の袖から覗くちいさな拳を指でつつくと、ニナの指がきゅっと握り込まれた。こんなにちいさいのに指が5本あって爪が生えていて、そんなことが信じられないほど尊かった。
柔らかくて温かくて、それから不思議と甘い香りがする。
「あなたにたくさんの加護がありますように」
加護の祈りは、ジェシカやライノに聞いてからヒースクリフと共に贈るから、これはただの祈りの言葉だ。それでもニナは腕の中の温かな命に、幸せを願わずにいられなかった。
隣ですやすやと寝息をたてるジェシカ、腕の中で指をきゅっと握りしめるケヴィン。
彼がおなかをすかせて泣き始めるまで、ニナはじっとケヴィンの幸せを祈り続けた。








