最初の、料理
「こいつは白菜だ」
ゲアトはまな板の上にごろんと白菜を乗せ、ニナに見せた。
「こいつは根本の芯だけ切って、ゆすりながら左右に開いてやればいい。みてろ」
ゲアトがトンと白菜の根本に包丁を入れ左右に割り開くと、白菜はそれが自然だというようにばさりと半分に分かれた。
「こうやってやれば余計な切れ端がでない。平らな面を下にしてもう半分に割るぞ。お前さんがやってみろ」
包丁の持ち方と使わないときに置く位置、食材を押さえる手のかたち、ニナはそういった注意を真剣に聞き、初めて包丁を握った。
「この白い部分の、下ンところだけに包丁をいれるんだ。押さえる手の指は曲げとけよ」
「はい……!」
ニナは教わった通りに、ざくりと白菜に切れ目を入れた。慎重に包丁を引き抜いて教わった通りに置き、切れ目から左右に割ると葉がぎゅっぎゅと開いてばさりと半分に分かれた。
もう半分も同じように割ってから水で洗い、大きな鍋に四つ割りの白菜をごとりと入れる。ゲアトは次にベーコンの塊を取り出し、またニナに切らせて同じ鍋に入れさせた。
「あとは塩と、ほんの少しの白ワインだ。蓋をして火をつけるぞ。火を弱めろ……それくらいだ。あとは放っとけばいい」
火はちろちろと弱く鍋底を温める。初めて扱った包丁は嬉しさよりも緊張が先立って、間違いなく取り扱うことしか考えられなかったが、ニナはゲアトに終わりを告げられやっと達成感を感じ始めた。
「これで……料理ができるんですか?」
「簡単なやつだがな。だがまあ、そういうのが旨いんだ」
ゲアトは横目でニナを見ると口の端を吊り上げてニヤリと笑った。
「もうすぐヒースクリフが帰ってくるだろ。食わせてやるといい」
「はい……!」
ニナは鍋をずっと見つめてヒースクリフが帰ってくるのを待った。ほんの少しの白ワインだけで他に水は入れていないのに、鍋はしばらくするとくつくつと音を立て始める。
優しい音と、温かい湯気。ニナは鍋を見ているだけで楽しくて、ネビュラと一緒にその音に耳を傾け続けた。
ヒースクリフが帰ってきたのは、ゲアトがそんなニナを見て「そろそろ鍋に穴が空いちまいそうだな」と笑ったころだった。
「ヒースさん、おかえりなさい。あの、そこに座って少し待ってもらえますか?」
「うん、いいよ。急がなくていいからね」
ヒースクリフは何かニナにやることが残っているのだろうと思い快諾した。
ニナは急いで鍋の前に戻り、慎重な手付きで鍋の蓋を持ち上げた。
鍋からはもうと湯気がたち、あんなに鍋いっぱいだった白菜は嵩を減らして鍋の底でスープにつかりくったりと煮込まれている。
「スープはどこから来たんですか……?」
「白菜からでたんだ。さあ、よそうぞ」
柔らかな白菜が崩れないように慎重に木べらとおたまで持ち上げ、皿によそう。ごろごろとしたベーコンと一緒にスープをすくい上げて注ぐと、美味しそうな香りがあたりに広がった。
「削ったチーズをスプーン一杯に、黒胡椒を挽くぞ。胡椒はまあ好みだな、足りなきゃあとで足せ。ほら、完成だ」
完成した一皿は、どこからどう見てもきちんと料理だった。ゲアトに教わりながら、ニナが作ったのだ。
「ほら、ヒースクリフに出してやれ。お前さんの分とパンは持っていってやるから」
「はい……!」
ニナは慎重に皿を持ち上げ、ヒースクリフの元に運んだ。
「あの、おまたせしました。どうぞ」
ことりと目の前に置かれた皿を見て、ヒースクリフは不思議そうな顔をした。
「ありがとう。美味しそうだね、今日の日替わりメニュー?」
「主よ、ニナが作ったのだ」
「ニナが!?」
ヒースクリフはニナの方を向いて、目と口をまんまるく開いて驚いた。
「食べていいの!?」
「はい、あの、ちゃんと教わって作ったのできっとおいしいです。食べてもらえたらうれしいです」
「俺がうれしい!ありがとうニナ、本当にうれしい」
ヒースクリフは皿に向き合って、うれしい、と言いながらにこにこと笑ってスプーンを手に取った。
ニナはヒースクリフがスプーンを口に運ぶ様をどきどきとしながら見つめた。とても緊張して、心配で、でも不安の底には期待と喜びがある。
こんな気持ちは初めてだった。鼓動は早まっているのに、嬉しいのだ。
「……おいしい」
ヒースクリフは幸せをじわりと噛みしめるように、優しい顔でつぶやいた。
「すごく優しくて温かい味がする。ニナはすごい。本当にありがとう」
「よかったです、うれしいです。ありがとうございます……!」
ニナはほっとして、とけるように微笑んだ。
「ほら、お前さんの分をもってきたぞ。作ったんだ、食ってみろ」
ゲアトがニナの分の皿とパンの入ったかごを持ってきて、ヒースクリフの隣の席にごとんと置いた。
「はい、ありがとうございます。楽しみです!」
ニナは席について、皿にスプーンを入れた。
白菜はとろりとスプーンですくえるほど柔らかかった。口に含めば白菜がもつ自然な甘みと、ベーコンの旨味とチーズのコクがじゅわりと口いっぱいに広がり、黒胡椒がぴりりと香る。
「おいしいです……!」
ニナは瞳を輝かせてよろこんだ。教わりながらとはいえ、これを自分が作ったなんて信じられなかった。
「マスター、とてもおいしいです!」
「そいつァよかったじゃねえか」
ゲアトはニヤリと笑って厨房に帰っていった。
「ニナじゃん、何食べてんの?今日の日替わり?」
感動しながら無言で食べ進めていると、ジェシカがやってきた。
「へえーおいしそう、あたしも食べよ。親父さん日替わりちょうだいー!」
ジェシカはニナの皿を覗き込んで、隣に座るなり注文しようと声を上げた。
「日替わりなら出せるが、そいつは違うぞ。ニナが作った……スペシャルメニューだな」
「え、すっご!ニナ作ったの!?おいしそうじゃん、ずっとがんばってたもんね!」
「はい、マスターが教えてくれました。それで……」
ニナは、できればジェシカにも食べてもらいたくて、ジェシカと厨房に交互に視線を送った。
できれば食べてもらいたい。でも何といって勧めたらいいかわからない。そもそも自分が勝手に「どうぞ」と言っていいものなのだろうか。
ニナがどうしたらいいかとあわあわしていると、ジェシカは当たり前のようにゲアトに声をかけた。
「あたしも食べたい!あたしの分ある?」
「もう一人前あるが、食っていいかはニナの横で泣きそうになってるやつに聞け」
ニナとジェシカはゲアトの言葉にきょとんとして、それからニナの隣の席を見た。
ヒースクリフは、天を仰いで感動に震えながら大事に料理を味わっていた。
「ジェシカも食べていいよ……」
「え、いやほんといいの?あとでヒースクリフさん恨まない?」
「食べるといいよ、ニナが作ったから、みんなで食べよう……」
そういうなら、と戸惑いながらジェシカがうなづくと、ジェシカの前に料理が置かれた。
ゲアトがどうしようもねえな、と言いたげな呆れた目つきでヒースクリフを見ながらよそってきたのだ。
「おいしそ!いただきまーす!」
目の前に置かれた皿にジェシカは戸惑いを忘れ去って、スプーンを持ち上げた。
ところで白菜は四つ割りで、四人前ある。ゲアトは誰にも何も言わず、きっかり自分の分を確保していた。なにせ、愛弟子の初めての料理なので。
それに誰も気付かずに、温かくて楽しい食事は和やかに進んでいく。
「ん!おいしい、ニナすごいじゃん!」
「はい、うれしいです。マスターが教えてくれて、とてもおいしいです」
まだ本当に一番最初の、手取り足取り教えてもらった一皿だ。それでもニナはおいしい料理を作り出せた自分が誇らしかった。
またきっと作ろう。もっとたくさん教わって、色々な料理を作れるようになろう。
ニナの心は、この先の希望に溢れていた。








