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さすがにやりすぎだったかもしれないが・・・

 北方戦争の小野田兄弟、調べてみたら小野田君の兄だった。もう、俺の知る世界の資料は見れないが、きっとあっちには居ないだろう・・・

 小野田君自体も最終階級が少将らしい。なんだろうな、この兄弟。

 おっと、で、駿河型戦艦というのは今でも日本にあるそうだが、その経緯もこの兄弟によるらしい。なんでも北方戦争からこの方、ソ連の脅威を訴え続けた彼らの意見が米国にも届いたようで、日本軍は解体されたが米軍管理の下で北方艦隊は維持されたようだ。

 なんせ、燃費の悪い旧式砲の戦艦と魔改造重巡、韋駄天駆逐艦コンビであったこと。一度は米国への回航や試験も考えられたそうだが、それは試験艇で十分だったようで、この艦隊は手に余る玩具として捨て置かれたのが現状らしい。

 そりゃそうだよな、存在自体がオーパーツだもん・・・

 駿河型戦艦は3万トンの巨艦なのにガスタービン。アイオワ級と同等の最高速力33ノットを誇る韋駄天。航続力はあれだったが・・・

 迷艦青葉はどうやらこちらでも健在らしい。ソロモンで被弾に次ぐ被弾で1943年に機関損傷で帰港したのち、資料はないが小野田君の暗躍でガスタービンへの換装に一年を費やし、退場直前に俺が見つけたネット情報から思いついた迷案の3次元レーダーの試験艦になったらしい。斜めに傾け背中合わせ二面にした2次元レーダを回転させることで距離と高度を同時に測っているのではないかという初期のソ連製3次元レーダー方式に関する記事から思いついたんだよ。うん・・・ 

 試験は理論を証明することに成功したらしいが、この時代の機器ではデータの連続処理が追い付かなかったようで、実用にはならなかったらしいが・・・

 

 無駄な回り道の結果、航続力2100浬に低下した青葉は戦線復帰ができず、大和の特攻に付いて行くにも試験用に装備した3次元レーダーや33号電測儀というお荷物が足かせとなっていたらしい。

 5月にはお荷物の3次元レーダから普通のOPS11と言ってきたが、正式には21号電探というらしいな。に、換装され、重量過大な33号電測儀も撤去し自由の身になるが、もう艦隊行動どころではない状況だったわけだ・・・




 島風型駆逐艦はどうやら俺の居た世界の蒸気タービンではなく、俺の作ったガスタービン案で作ってしまったらしい。うん、小野田君、やって良い事と悪いことの判断はしようよ・・・

 結果、公試で44ノット、常用41ノットの韋駄天になったのだが、いかんせん燃費がアレで航続力は2400浬でしなないそうな。2番艦は俺の和製フレッチャー案で建造された旗風。これでゲームでは大暴れできる。

 擬人化ゲームでもスピード狂姉妹なことはさっき確認した。旗風は見せパンで単装砲ちゃんが無双機関砲状態らしいが、俺の責任ではない。

 

 そういえば全く書いてこなかったが、対水上レーダーも22号電探というが、あのラッパ2連装ではなく、今の船舶レーダーのように棒状だ。俺が居た時代にラッパが完成したが、どうやら俺が書いたイラスト、OPS11と航海レーダーを実用として開発されたのが原因らしい・・・

 イラストを描いていなかった射撃用の31号電測儀はラッパ3連装だから、なんだかなぁ~、想像の斜め上だよ。いや、当時の人からしたらイラストのある対空、対水上レーダーはイラストを前提に、射撃レーダーは当時の常識の範囲で設計したんだろうな。

 

 このガスタービン艦隊に小野田君が設計した戦時量産型駆逐艦、あの松型が何隻かくっついて北方艦隊を構成していた。軽巡はいない。松型の備砲は八九式高角砲ではなく十一年式高角砲単装2基と長八センチ連装高角砲改1基の混載。ここでも歴史が変わっていやがる・・・

 この艦隊は戦闘終結後も対ソ部隊として陸奥湾に日本人乗組員のまま配置され、自衛隊が組織された1953年に自衛隊に移管されたようだ。その結果、この世界では舞鶴ではなく青森に護衛隊基地があり、舞鶴が小規模な警備隊と造船、修理施設として整備されているらしい。

 自衛隊に移管後、島風姉妹は1960年まで自衛隊に籍を置き退役後はスクラップに。

青葉は1980年まで現役にあり、今は船の科学館の屋内乾ドックで幻の3次元レーダーと33号電測儀のレプリカを装備した形で展示されているらしい。3次元レーダは分かるが、33号電測儀が何かと思ったら、同時多目標追尾型の射撃レーダーを目指していたらしい。うん、当時の技術じゃ無理だよ。ラッパ3連が3組とかアホの極みやね・・・。

駿河型戦艦は冷戦終結まで現役を務め、93年に退役、駿河は三笠の近くに、近江は鉄のくじら館や大和ミュージアムとともにくろがね館として呉において現在も保存されている。




 俺が計画案出した長一二センチ連装高角砲5基装備の和製アトランタは未成に終わったらしい。当然、青葉に積まれている「余った軽巡用ガスタービン」とはこいつのだろ。ちゃ、ちゃんと巡行用ディーゼル付けてたから完成したらガスタービン艦隊と違って実用できたんだからな!!、減速機の信頼性があれば・・・、青葉に積むにあたって、問題続出だったディーゼルエンジン用減速ギアは取り外されから青葉があんなに足短くなったのか・・・。

ちなみに擬人化ゲームの青葉は改3があって、長一二センチ連装高角砲を8基も搭載して3次元レーダーと33号電測儀で同時多目標追尾のできる防空艦なんだそうだ。別名イージス青葉。海戦ゲームに実装したら1隻でミッドウェイ艦載機無双するゲームクラッシャーやろうなwww

 和製アトランタは海戦ゲームの課金艦仁淀として実装されゲームクラッシャーであることから再販予定がない幻となっているようだ。




 そういえば、ジェット機はどうなったのか調べてみたら驚愕した。秋水”怪”が実用化しているようだ、アリエナイ・・・

 局地戦闘機「閃電」、日本が1944年に開発したジェット戦闘機。ネ210(推力1430㎏)ジェットエンジン2基を搭載し最高速度1020㎞に達する当時世界最高速の戦闘機。

 形は第三世代とか言ったな、あれは嘘だ。気が付いたらB1ランサーとか、Su27とかF-14トムキャットとか、世代が更に進んでいた。作れなくていい、こんな機体を開発してた日本すごい!って記事を帰って読めたらそれで良いと思っていたんだ。その時点では。だから妥協なくハジけてやったのさ。後悔はしていない。だが、どうしてデキたの?無理でしょ?、きっととんでもない欠陥機だったんだろうと思ったのだが・・・


 どうやら、小野田君が俺の設計資料を中島飛行機に持ち込んだのが1941年春の事らしい。俺はチートなCADエンジニア状態で、ディスプレイは京並みの演算速度を持つスパコンが本体だったらしい。もしかしたらAI内蔵だったのかもしれん。適当にそれっぽくデザインすればきれいに3D化され、適当にシミュレート起動したら動いてくれていたからね。あれはチート過ぎた。でなきゃ、一般人の俺に艦艇設計なんぞできんのだから。

 そのチートで遊んだ結果、シミュレーションではちゃんと飛んでくれる機体に仕上がって喜んだのさ。当時の技術で可能かどうかなど考えてもいない。ただ、音速を超えないようにしたくらいだ。だって、インテークを超音速型にしたら絶対怪しまれるのが判っていたから、当時の技術で可能なように、ほぼエンジンがむき出しに近い感じにした。信頼性も考えて吊り下げ式にしたらどう見てもB1とかF-14とかSu27になってしまっただけなんだよ?

 

 中島飛行機に持ち込まれたそれは中島飛行機の技師だけでは手に負えず三菱や川西、川崎などからも技師を招集して空技廠主催の形で設計の検証が行われた。ジェットエンジン自体がまだ開発途上で推力2t以上とされたエンジンをどうするわけにもいかなかったが、エンジンさえ出来れば飛ばせそうだという結論が出たのが開戦頃の話。しばらくは小規模な検証チームに縮小されて模型による実験が行われていたが、ジェットエンジンの実物が完成した1942年夏に実機開発に移行、当時はまだ非力なネ20(推力680㎏)しか存在しなかったが、スケールダウン試験機1機を1942年秋には完成させ日本初のジェット機による飛行が行われた。

 試験機による実験や検証は1年近く続けられ、翌年春には必要とされる2tの推力を双発で得ることが出来るネ201(推力990㎏)を搭載したフルスケールの2号機の試験飛行も開始されていた。1号機は時速760㎞、2号機に至っては時速900㎞に達したが、当時の南方戦線でわずか1000㎞弱の航続力しか持たない機体を運用するような場所は存在しなかった。

 しかし、B-17の高高度性能や新型爆撃機の情報入手で実用化への道は開けており、戦局の悪化が目に見えだした1943年夏以降には本格的な開発に移行している。

 ジェット機開発の拠点は小野田君の提案(俺の遺言www)で東京や名古屋ではなく新潟に置かれ、1943年10月、完成見込みのたったネ210を搭載した実用機として正式に開発許可が下りた。

1944年4月17日には実用型1号機が初飛行したが全力試験はエンジンの耐久性試験の関係から6月までずれ込み、6月22日に時速1075㎞を叩き出したが、このとき音速に近い吸気がタービン圧縮を阻害しエンジン停止、辛くも双発のうち1基の再始動に成功して帰還しているが、原因究明には時間が掛かると思われていた。だが、計画書に最初から記載されていた「音速に近づくとエンジン効率の低下やエンジン停止の恐れあり」という俺のコメントが効いたのだろう、比較的早く原因が究明され、7月12日には飛行再開、8月には制式化が決定し、量産体制が敷かれることとなった。総生産数は122機。

 敗戦間際に25年も先のオーパーツを122機も生産できたことは驚愕に値する。飛行性能はシミュレートほど良好ではなかったらしいが欠陥と呼べるほどのものではなく、設計図の検証に参加した技師達のその後に大きな影響をあたえている。


戦後、「閃電」を調査した米軍はあまり良い評価をしていない。使用素材や工作精度の問題からか、エンジン寿命の短さやインテーク設計の不備、機関銃の取り付け精度など、粗探しが多分に目立つ。それが変化したのは70年代以降なようで、インテーク以外の設計技術がオーパーツ過ぎる事が見抜かれ、奇跡とか七不思議と呼ばれているようだ・・・、まずかったか?

 

やりすぎでしょうかね、これ・・・

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