アリスの最期
<生唾を飲む>
言葉では知っていた。
生まれて初めて、聖はソレをやっていた。
鈴森の言うコトが、恐ろしかった。
この男は今、まるでマユを見ているような目をしていないか?
まさか。
なんで……。
ミラー越しに目が合う。
鈴森は、「あ、すんません」と。
強ばった聖の顔に、何かに気付いたかのよう。
「神流さん、すんません。……また、やってしもうた。
自分にしか見えてないモンでした」
「……」
聖は、何を見ているのか、聞けなかった。
はっきり知るのが怖い。
もしも今マユが見えているとしたら?
おかしいじゃないか。
マユは側に居ないのに。
今、存在するとしたら……俺の頭の中だけ。
今だけじゃ無い。いつだって頭の中にはマユが居るかも。
この人、ソレが見えてるの?
俺の頭の中が……。
「ガキの頃から、ですねん。ややこしいコト言うては、変な奴、気色悪い奴、言われてましてん。病気ちゃうか、言うてね、オカンに医者に連れて行かれました」
「病院ですか……それで?」
病による幻覚、妄想なのか?
(俺のも病気だったりして)
「病気では無かったです。この子はいちびりや。おもろいコト言ってウケたい性分やと。ただの嘘つきやんか、ってオカンは呆れてました。それからね、黙っとこうと心がけてるンやけど……時々しくじるんです。ほんまに忘れて下さい。すんません」
鈴森は大きな頭を何度も下げる。
何も悪さをしていないのに、こうやって謝って生きてきたのか。
「謝らないで下さい。俺も似たような感じなんで……ちょっと違うけど」
カミングアウトされて、こちらが黙っているのは卑怯だと思った。
鈴森は全く驚かない。
薫から何か聞いているのか?
「鈴森さん。俺も、面倒を避けたいんで……黙っていたいんですけどね」
「いやいや、神流さんは本物。自分みたいな、しょうもないのとは違うでしょ。有名な霊感剥製士やないですか。数々の事件を結月さんと……何もしらんと、この前は失礼しました」
名刺からネット検索したらしい。
「そんな真に受けないで下さいよ。ネットの噂に過ぎない。……まあ他の人には見えないモノが見えちゃって、それ黙ってると誰かがヤバイって時だけ、カオルには伝えてきました。余程の理由が無い限り、自分の胸だけに留めておいた方が平和に暮らせる。そう思いませんか?」
聖は鈴森が何を見ているか、知りたくなかった。
お互い、そういう話題は避けるべきだと考えた。
友人になれそうな、良い奴だから尚更に、楽しい話だけしたかった。
「ほんまですね。秘密にしとくべきでしたね。しやけど神流さんが、知っていてくれる、いうだけで、自分は安心出来ます」
あっさり言った顔が、一瞬<熊のぬいぐるみ>で無かった。
知性と度胸を備えた、若き経営者の顔だった。
工房に着くと
桜木悠斗が、出迎えた。
ドアの前に立っていた。
白いシャツに黒いズボン。
シンプルな装いでもカッコイイ。
でも……ちょっと表情が暗い。
悲しみが肩に乗っているような
いつもと違う陰気な気配は気のせいか?
「勝手に入って済みません。弁当の到着が予定より早くなったんです。カオルさんにラインしたら、こっちに配達して貰うようにと」
桜木は鈴森を見て若干驚いた様子。
カオルは、客人の参加を伝えていないのか。
「桜木さん、鈴森さんです。えーと……」
紹介の途中で鈴森は名刺を出し、桜木に頭を下げている。
「はじめまして。飛び入りで、厚かましいことやけど、お招き頂いて光栄です」
鈴森は緊張した様子。
「こ、こちらこそ。あ、済みません。私の名刺は事務所に置いてきてしまいました」
桜木の顔が強ばっている。
そして鈴森の名刺に目を落とす。
「県内で養豚を……豚です。近所の爺さんが川で溺れた件で刑事さんと、お近づきに」
鈴森は自己紹介。
「例の『熊さん』? てっきり、白木さんのご関係かと」
桜木は、ほっとした顔で聖に。
コスチュームと迫力から、堅気でないと勘違いしたようだ。
「あ、すみません(熊さん、なんて)失礼なコト言っちゃった」
薫が『熊さん』と呼んでいたに違いない。
「失礼なんて、とんでもない。たいがい、どこでも、そう呼ばれてます。ニックネームみたいなもんや」
鈴森は大きな手で、桜木の肩をポンポン叩きながら
嬉しそうに言った。
なぜか……。
その仕草が、桜木の肩に乗っている陰な気配を払っているかのように
見えた。
「どうぞ中に。そのうちカオルもくるから。先に始めましょう」
二段構えの大きな弁当が、12個。
テーブルの上に収まらず、床に置かれていた。
「これはこれは、えげつない量ですやん。えっ? ……まさかの錦堂の弁当。こんな贅沢させてもおてホンマにええんですか」
鈴森は驚き、喜んでいる。
聖は、鈴森が工房に入ってからの様子を、横目でつぶさに観察した。
初めて剥製工房に来た客は
大抵、陳列棚の前で足を止め、剥製を眺め何かを言う。
(ほう、良く出来てますね。生きてるみたい)
とか、言う。
だがこの男は、棚に目もやらなかった。
視線はまっすぐにパソコンデスクの<白いヨウムの剥製>に。
そして素早く一礼、した。
ヨウムに宿っているマユが視えているのか?
確認すべきか?
いや、さっき約束したのだ。
何が視えても、よほどのことが無い限り、お互い口にだすまい、と。
「まずはビールですね」
聖は作業室からビールを運んだ。
「結月さんから、びっくりするようなイケメンやと聞いてはいたけど、こんなに澄み切った人、初めて視させてももろうた」
鈴森は悠斗にビールを注いだ。
(澄み切った?)
変わった表現だと聖は感じた。
「自分は、何の取り柄も芸もないので……せめて見苦しくなければ良かったです」
大げさに容姿を褒められても、サラリと返す。
元ホストの話術が垣間見えた。
「弁当、開けちゃいましょう」
鰻がメインの和食弁当。
(美味い)
(日本酒もありますよ)
(もう一杯ビール欲しいです)
一つ目の弁当を食べ終わった頃、
薫が来た。
「カオル遅かったね」
「うん。ちょっとな」
「?」
「これ、拾ったんや」
カオルは革ジャンのジッパーを下げた。
そこから、子犬が首を出す。
クンクン鳴いてる。
「うわ。かわいい!」
聖は奪うように子犬を自分の手の中に。
「男子ですな。これはちっこい。まだ赤ちゃんや」
と鈴森。
「セイ、牛乳あるか?」
「冷蔵庫にある。温めるよ、すぐに」
聖は鈴森に子イヌを預けようとした。
すると、いやいやと手を振り
「桜木さんに抱いて貰った方がいいですよ。この子は桜木さんの犬やから」
妙な事を言う。
「俺の犬、ですか?」
桜木は子イヌと鈴森を交互に暫く見つめ、子イヌを抱き取った。
「本当にいいんですか? 自分が貰っても?」
今度は聖と薫に潤んだ目を向ける。
「ユウト、どないしたん?……もしかして泣いてるン?」
言われたとたん、桜木の目から大粒の涙がこぼれる。
俺の犬……。
そういえば俺のシロは何処に居る?
聖はシロが、この時刻に戻っていない事実に気付いた。
「桜木さん、シロはアリスと一緒ですか」
聞いてみれば
「セイさん。シロはアリスを探しています」
と。
「なんやと。アリスが行方不明なんか? いつからや。最期に姿を見たのはいつや?」
薫が驚いて聞く。
「あの……信じてもらえないと思いますが。アリスは消えたんです。消滅した。粉々に砕け散って消えました。自分の腕の中で……こんな風に抱いていて……急に弱って寝てばかりで、抱いていたんです」
愛おしそうに子イヌを揺すりながら、
アリスの最期を語った。




