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【第2章準備中】呪いのせいで「女嫌い」と呼ばれる黒獅子殿下は、呪い集めの令嬢と共に解決方法を探す  作者: 杵島 灯
第1章

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6.実験室を後にして

「殿下の反応はおもしろいですねえ!」


 笑顔でペンを走らせるイーリスの横に立ち、フィンは机の上から一枚の紙を取った。これは先ほど『(すす)けの羽根ペン』なる呪具で自分が書いたものだ。誰かに対するメッセージがすべて悪意に満ちた文言になるというそのペンは、フィンに「昔から兄上を憎んでいる」「兄上さえいなければ私が王太子となれるのに」という文字を書かせていた。


「兄上を憎んでいる、か」


 フィンは紙片を眺めながら口の端を上げる。

 そんな感情を抱いたことは一度もない。むしろ逆だ。


 フィンの二つ名でもある「黒獅子」は、父譲りの黒髪と黒い瞳が由来だ。

 対して四歳上の兄ロレンツは母譲りの白金の髪と澄んだ青い瞳をもち、「蒼穹(そうきゅう)」に例えられることもある。優しく柔らかな物腰を持ち、誰に対しても慈愛に満ちた態度で接する兄は、まさに晴れ渡る空と呼ぶのにふさわしい。


 国内でもロレンツの人気は高いし、フィンも兄のことを心から尊敬している。五年前に兄が病に倒れ、亡くなるかもしれないと言われたあのときの息の詰まるような思いは、今でも忘れられない。

 辺境へ行ってから母の死を知らされたあとは、兄までいなくなってしまったらどうしようという思いで過ごしてきた。王宮に戻って元気な姿を見たときは、どれほど嬉しかったことか。


 兄が王位を継いで人々を導き、弟は武術に打ち込んで国を守る盾になる。

 それはフィンの理想でもあったし、きっと父と母の望みでもあって――。


「残念ですけど、今日はここまでにしましょうか」


 ゆったりとした声が聞こえてフィンが我に返ると、イーリスが机の上の紙をまとめているところだった。


 今日はこの部屋の棚にあった呪具をいろいろと試した。おかげで彼女の書きつけた紙はずいぶん増え、彼女の好奇心もかなり満たされたのではないかと思う。

 とはいえまだフィンがイーリスと会っていくらも経過はしていない。この短時間で分かったことなどほとんどないだろうと分かってはいるのだが。


「なにか解決の糸口はつかめただろうか?」


 怨みの言葉を書き綴った紙を机に置きながら尋ねてみると、イーリスはあっさりと答えた。


「はい」


 予想外の言葉が戻ってきて、フィンは思わず目を見開く。

 イーリスはフィンを見上げてにこりと笑った。


「残念ながらまだ推論でしかないので、申し上げられる段階までは行ってません。さらに調べていく必要がありますけれど、あんまり時間をかけるわけにはいかないので、なるべく急ぎますね」

「あ? ああ、頼む」

「それでは部屋を出ましょう」


 イーリスは階段脇のハンドルを回し、天井の換気孔を閉じた。かすかな風音が途絶えて静寂が降りる。

 続けざまに小さな足音が部屋を巡り、そのたびに明かりが一つ、また一つと落ちていく。濃くなる薄闇の中でフィンは机に視線を向けた。

 一番上の紙に文字が記されている。

 先ほどまでは何も無かったはずなので、イーリスが最後に記したようだ。


 ――幸福は祈り、不幸ならば呪い。


 最後の光が消えた。


「殿下、行きますよ」


 促されるままに、フィンは階段へ足をかける。

 一歩踏み出したところで、なんとなく部屋を振り返った。闇の底にぼんやりと浮かんで見えるのは、机の上に置かれた紙の白だ。そこに書いてあった言葉を思い出し、フィンは口の中だけで呟く。


『幸福は祈り、不幸ならば呪い』


 あれはいったい、どういう意味だったのだろうか。考えに沈んでいると、小さな笑い声がする。


「あらあらあら。殿下も病みつきになっちゃいました?」


 顔を上げると、階段を登り切ったイーリスが嬉しげな笑みをこちらへ向けていた。


「病みつきとは?」

「呪具ですよ。楽しかったんですよね?」

「いや、違う」

「またまたー。殿下ったら素直じゃないんですねー」


 小さく息をつき、今度こそフィンは闇に背を向ける。



 来たのと同じ道をたどって外へ出ると、あたりは既に真っ暗だった。

 イーリスの実験室に入ってからさまざまな呪具を試した時間を考えるのなら、この状況は当然だ。


「殿下。次は明後日の夜、いまと同じ時刻にお会いするということでいかがでしょう?」


 フィンはイーリスの差しだす懐中時計を覗き込んだ。ほんのりと光る星灯石(せいとうせき)を装飾につかっているおかげで、周りが闇であっても時間が見える。


「手間をかけるがよろしく頼む」


 フィンが頭を下げると、イーリスも微笑んでスカートの裾をつまんだ。その優雅な仕草でフィンは「そうだ、彼女は公爵令嬢だった」と思い出した。

 同時に、彼女もフィンと同じく“舞踏会へ参加しなかった”という事実にも。


「公爵家から迎えは来るのだろう?」

「来るとは思いますが、それより先に帰ります」

「どうやって?」

「歩いてです」

「歩いて……?」


 フィンは頭の中に王宮周辺の地図を描く。


 ――小離宮群(しょうりきゅうぐん)から正門へ向かい、貴族街から公爵邸へ。


 歩けはするが、ずいぶんと距離がある。どう考えても馬か馬車が必要だ。

 フィンがそう言うと、イーリスは近くで鬱蒼と茂る木立の一角を指した。


「あそこからなら、すぐです」

「は?」


 思わず間の抜けた声が出てしまったが、イーリスは気にした様子もなく微笑んだまま続けた。


「あの場所には、うちの敷地へ抜けられる隠し通路があるんです」

「……その隠し通路を作ったのは、先々代のバルツァー公爵夫人か?」

「ご明察! さすがは殿下!」


 何が“さすが”なのかはよく分からなかった。


「殿下、お帰りの際にランタン使います?」

「多少なら夜目が効くから、私は平気だ。君が使うといい」

「分かりました、お言葉に甘えて持って行っちゃいますね。では、おやすみなさいませー」

「おやすみ」


 フィンが答えると、イーリスはランタンで足元を照らしつつ木立の方へ向かっていく。

 迷いのない足取りからは、暗闇を恐れる気持ちなど微塵も感じられない。


 ――やはり変わった女性だ。


 そもそも呪いとは本来、災厄を呼び、不幸を広めるもの。なのにイーリスも先々代のバルツァー公爵夫人も、どうしてここまで呪いに情熱を捧げられるのだろう。フィンにはまったく分からない。


 だが、フィンはもう、世間が言うようにイーリスを「気味の悪い女」だとは思えなくなっている。


 彼女は誰もが忌み嫌う“呪い”について、目を輝かせながら生き生きと語る。その姿に陰惨さはなく、むしろ清々しさまで感じられるほどだ。ならば呪いというものもただの災いではなく、秘められた何かがあるのかもしれない。

 この短時間でそう思うようになってしまった自分がおかしくて、フィンは口の端をわずかに緩める。


 木立に消える前、彼女は一度だけ立ち止まった。フィンが小さく振った手に大きく振り返すと、亜麻色の髪はふわりと闇へ溶けていった。

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