百一章 王太后の目標
「ねぇ、呼び方の事なんだけれど、公の場では仕方ないけれど、個人的な場では名前で呼んで貰えないかしら。
だって今度王太后ではなくなったら、また違う名前で呼ばれる事になるのでしょ? それなら最初から名前の方で呼んでもらいたいの」
それを聞いた淑女達はサーッと顔色を無くした。それってつまり……
「お、叔母様、まさか、陛下と正式に……?」
王女が最後の言葉を濁して尋ねると王太后は頷いた。
「貴女の王妃教育と、王子の様子をもう少し見たいから、あと三、四年はこの状態を続けるつもりよ。
でも足腰がまだきくうちに、正式に離縁して自由に暮らすつもりなの。
この国の改革にもようやく目処がついたし、立派な後継者も決まったし、もうそろそろ好きにしてもいいわよね!」
王太后の同意を求めるような問い掛けに、女性達は直ぐ様大きく頷いた。
不敬に当たる恐れがあるので声に出しては賛同は出来なかったが、心の中では積極的に応援したい気持ちだった。
前国王が彼女にどんなに酷い仕打ちをしてきたのかを全員が知っていたからだ。
それに離縁するかどうかは王太后自身で決めてよいと王立会議で決まっているのだから、そもそも問題は無いのである。
まあここでそれを知っているのはミラージュジュとマリアだけだったが。
「やはり、離宮の事が許せないのですね、お義母様?」
マリアの問い掛けに王太后は頷いた。
「離宮で家族のやり直しをしましょうと言ったら、あの人、最初は渋っていたけれど、結局あの暮らしが気に入ったみたいなの。
久しぶりに私がにこやかにして一切小言を言わなかったし、かわいいお嫁さんや初めての内孫と暮らせて、終始ご機嫌だったわ。
そんなあの人の前で笑顔を貼り付けている事に、私は物凄い忍耐力を必要としたわ」
「わかります」
経験者のスージーが頷いた。
「こう言っては不敬ですが、あの無神経さは親子で本当にそっくりですね。
特に陛下のお年になっても人の心を思いやれないなんてとても驚きました。
私、あの様子を見ていて、多分自分の夫も同じ様に変わらないだろうと判断して離縁を決意したんです」
周りの者達は、マリアの言葉に前国王の罪の重さを改めて実感させられた。
「そしてあの人は、ヴェオリア元公爵の前でとうとう決定的な台詞を吐いたのよ。
『私にとってここは天国のように居心地の良い場所だ』
って。もしかしたらあの男にただ嫌味を言っただけなのかも知れないけれど、私には許しがたい言葉だったのよ。
私は産後の肥立ちが悪くて、陛下が西の隣国とのゴタゴタの処理で忙しくしていた時にお役に立てなかった。だから、ヴェオリア公爵に言われるまま離宮へ行ったわ。
でも本当は何も出来なくても陛下の側にいて精神的な支えとなりたかったの。それが妻の役目でしょ?
でも、妻を気に掛ける余裕が無くて辛いから離宮に行っていて欲しい、と陛下が仰っていると聞いたから、仕方なく私は離宮へ行ったのよ。
今ならあの陛下が私や子供達を思いやるなんて事は絶対にあり得ないとわかるわ。
でも当時私は結婚してまだ三年も経っていなかったんですもの、そんな事分からなかったのよ。
でも、ヴェオリア公爵に騙された事は直ぐにわかったわ。だって外へは出して貰えないし、情報も遮断されていたんだから。
それに母国から一緒に来た侍女や護衛達とも離れ離れにさせられたのだもの。
見知らぬ使用人に最低限の世話だけはしてもらったけど、ほぼ軟禁状態に置かれたせいで体調は益々悪くなったわ。そのせいで王城に戻って来られたのは半年後だったわ。
恐らく私が精神的におかしくなればいいとでも思っていたのでしょうね。
さすがに死なれたら外交問題に発展するだろうから、公爵も直接手をかけるつもりはなかったのでしょうけれど。
そしてやっと帰ってみれば、その時はもう陛下はヴェオリア公爵の娘を側妃として迎え、子まで成していたのよ。そして悪びれずこう言ったの。
『自分が一番心身共にきつい時にシシリアが側にいて支えてくれた。
もちろん君もお産で体調を崩していたのだから、君を責めるつもりは無いよ。しかし、私とシシリアの事も認めてくれ』
って……」
「「「うっ!!!」」」
女性達は思わず両手で口を押さえ、涙を溢れさせた。酷い、酷すぎる。
前国王はこの国に来てまだ三年も経たず不安で、しかも産後の肥立ちの悪い妻を頼れる人もいない離宮に閉じ込めた。
そして一度も会いにも来ず、その挙げ句に側妃を迎え、その彼女が自分の辛い時に支えてくれたとほざいたのである。
妻は自分自身が辛い時でも夫を支えようと思っていたのに。
死ねばいいのに、と彼女達は全員心の中で思った。
ミラージュジュも結婚初夜に夫から最低最悪の言葉を投げかけられた。
これは偽装で白い結婚だと。愛人が真実の愛の相手で、彼女が生んだ子供を自分の子供として育ててくれと……
これはミラージュジュを愛しているからこそ嫌われたくてわざと酷い嘘をついていたのだ。
彼女は当然そんな夫の心情を知るよしもなかったのだが、それでも結局彼女は夫を嫌ったり憎んだりは出来なかった。
何故なら酷い言葉とは裏腹に、レオナルドの言葉や態度には気配りや優しさが滲み出ていたからである。
しかしもし前国王陛下のような言葉や態度をされていたら、二度と夫を愛する事は出来なかっただろう。
恐らく離縁、または家を出て行っただろう。王太后のような立派な覚悟など持たずに結婚したのだから。たとえ帰る家がなかったとしても……そう、ミラージュジュは思った。
「私はあの言葉で、あの人の妻でいる事を辞めたの。ただ国母として生きる事を決心したの。
そしてあの離宮は私にとって憎悪の対象となったのよ。
だから二十六年間あそこへは決して足を踏み入れなかった。
それなのに、私が何故離宮へ行かなかったのかを疑問にも思わず、天国のように幸せな場所だと言ったのよ。許せる訳がないわ。
あの人はどんな償いでもするから許して欲しいと言ったわ。やり直せると思っている時点で反省していないのだと分かったわ。
だからどういう償いをしてくれるのか楽しみなのよ。それを確認してから別れるつもりよ」
口元に作り物の笑みを浮かべた王太后が、全ての物を凍らすような冷えた目でこう言った。
するとその時、突然場違いな明るい声がした。
「マーガレット様、あの男に期待を持たせるだけ持たせて、その後で思い切り振ってやりまりしょう! 二度と立ち上がれないように」
女性達が一斉に振り返ると、そこにはノアが両腕を腰に当て、ニコニコしながら立っていた。
「ノ、ノア……貴方なんてこと……」
ミラージュジュがアワアワしていると、王太后も今度は本物のニコニコの笑みを浮かべながら礼を言った。
「ありがとう、ノア君。貴方が味方になってくれれば、こんなに心強い事はないわ」
「もちろん、ぼくはマーガレット様の一番の応援団です。ですからいずれは世界中を旅して回って来て下さい。
ただしたまにはこの国に戻ってきて、子供達に世界中の面白くてワクワクする話を聞かせてやって下さいね。
それまでに、ここにいる淑女の皆様方と力を合わせて学校をたくさん作っておきますから」
「まあ、それは素敵な夢、いいえ新しい目標になるわ。ありがとう、ノア君!」
心からの微笑みを浮かべた王太后マーガレットは、とても美しく神々しかった。
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三月の半ばになってようやく、ザクリーム侯爵は職場の者達の協力のおかげで、なんとか総務統括庁の骨子案を仕上げる事が出来た。
この後は長官がいなくても、彼の指示書があればどうにか仕事が進められそうになったので、ザクリーム侯爵はようやく長期休暇を取得する事が出来た。
ラナキュラスの墓参りをした後、北の隣国や東の隣国、そして南の隣国へ妻とゆっくり旅する予定だ。
ところがこの話をどこから聞いたのか、一緒に連れて行って欲しいとアダムス王子に懇願された。もちろん、墓参りまでであるが。
とても嫌だったが、同じ馬車で行く訳でもないし、けじめをつけて前に進みたいという彼の気持ちも分かったので、最終的に侯爵はそれを受け入れた。
しかし珍しく侯爵の妻ミラージュジュは浮かない顔をしていた。ジャックスによると、王太后から前国王の話を聞いて、それに伴ってアダムス王子への不信感が再燃したのではないか、という事だ。
その話の中身は女同士の話だから口が裂けても言えない、と妻は教えてくれないのだが。
「親子は別人格だという事はわかっています。ノアやローバート様を見れば一目瞭然です。
ですが、アダムス様はやる事なす事父親である陛下にそっくりですから……
女好きというより、無神経な所がですよ」
それはわかる気がする。そんなに悪い奴ではない気もするのだが、いかんせん腹が立つ男なのだ。それは無神経な所なのかも知れないなぁと。
普通新婚旅行に付いてこようなんて思わないよな。いくら途中まででも。
そもそも新婚旅行がこんなに遅くなったのは、自分のせいだとわかっているだろうに。
しかしまあ、一日半の辛抱だとレオナルドは思っていた。
それに大体アダムスがいてもいなくても、既に団体旅行のようになっていたのだから。
長期休暇の申請は、休みを取る事が雇用契約で決まっているのだから別に他人の許可なんて要らないのに、何故だか国王ローバートがこう言ったのだ。
「休暇を取るのも、旅行に行くのも構わない。ただし、騎士団を連れて行け。
この大改革で没落した者も多い。だから、君が私のブレイン、しかもこの改革の立役者だと知ったら、無差別に逆恨みする輩がいるかも知れない。
だから用心するのに越した事はないぞ」
と。なるほどとは思ったが、自前の警備で大丈夫だとその話を辞退しようとした。
しかし遠慮する事はない。君達の護衛をしたいと希望する騎士がわんさか集まってきているんだ。だから是非使ってくれと言われた。
何か怪しいとザクリーム侯爵はこの時感じたが、次の国王の言葉でその疑問は霧散してしまった。
「どうせこちらが命令や依頼をしなくても、君達夫婦は旅先で見聞を広めながら、色々と思い付いてはメモやノートを取るのだろう?
それらはいずれ全てこの国の為になるのだから、護衛を出すくらい当然の事だろう?
それに君達は『この国の至宝』だからね、何かあったら困るんだよ。
なるべく二人の邪魔はしないように皆には言い聞かせておくからね」
自分だけではなく、妻ミラージュジュも『この国の至宝』扱いだ。もちろん彼女は自分にとって『至宝、宝玉、掌中の珠』ではある。
しかしそれをこの国の……と言われるのは一見ありがたそうだが、あの男の思いが練り込まれていそうで嫌だ……とレオナルドは思ったのだった。
読んで下さってありがとうございました!




