会合 2
長い間父が考えていただろうことは、一笑に付されて終わってしまった。
シンシアには、怒っていいのか、笑っていいのか、それとも情けなく思っていいのか、もうわからない。
社交デヴューの時に、ケルター家に伝わる首飾りを身につけさせて貰えたから、娘として認めてもらえているとは思っていた。
けれど、疎まれていたことだけは、これではっきりした。
もっともそれも、その理由に比べれば、たいして衝撃的な事実ではない。あんなことを思いこめることが、シンシアには不思議だった。
「領地管理者となるディーン殿に伺いましょう。」
バラカ男爵の的が変わった。
「返済のための具体的な案を何かお考えですか?」
「それは、まだです。」
ディーンは、あっさりと無策を披露してしまった。
「では、今後ケルター領をどのように運営するおつもりでしょう。利益を上げなければ、借財を抱えたままになりますよ。」
「まずは領地に帰り、検討します。」
ディーンの答えに、バラカ男爵の声が低くなった。
「監査部から警告を受けてから、四十日以上もあったはずです。一度も領地に戻っていないのですか。」
「それは…」
反論が止まった。
父からすぐには知らされなかったのを、シンシアは知っている。けれど教えられたのは十五日ほど前だったはずだ。領地に何日かは滞在できる。
「領地を良く知るご令嬢に、意見は求められなかったのですか?」
話が当初の計画通りになって来た。シンシアが何をしてきたか知ってもらい、それを引き継いでもらわなければいけない。バラカ男爵に向けて、上手くお話し下さいとシンシアは願った。
「シンシアに何を聞けと言われるのですか。」
父の声に怒りが入っている。からかわれていると思っているのかもしれない。
「確かに領地で過ごすことの多い娘ですか、世間知らずです。」
「お父上はご存じありませんでしたか。確かにきっと最初は、どなたもそう思っていたでしょう。」
バラカ男爵の声に、シンシアへの労わりを感じた。
「けれどご令嬢は、諦めなかったようですね。一昨年、隣接しているすべての領地から自由販売許可を得られています。」
「まさか」
それまでは一定の農作物しか取り引きの契約しかしていなかった。互いの領地の農民の利益を守るためだ。自由販売契約が出来たのは、幸か不幸か今のケルター領では他領を脅かすほどの生産量がないことも理由のひとつだ。
今日、シンシアはどれだけ父を驚かせただろうと思いつつ成り行きを見守るしかない。
「そんなことの出来る権利が、娘にはないでしょう。」
父はあくまで否定する。それも仕方がない。
「成人した貴族であれば、権利はあります。王立学院を卒業されて、法律士の資格を得られた時点で、法的に成人です。ご当主に一々相談する必要はなくなります。」
当主が領地に不在の時は、その領地を預かる家の者が領地管理を代行できる。
法には女性では駄目だと書かれていない。女性がそんなことをするはずがないという『常識』のせいだ。けれどカイル・キルティ卿がそうしようとしているように、妻に領地管理の一端を任せている貴族がいないわけではない。
もちろんこれは、シンシア一人では出来なかっただろう。最初にセアラが、疎遠となっていたオーガス侯爵家の夫人との仲を取り持ってくれた。それからはオーガス侯爵が、口添えをしてくれた。他の隣接している領地の当主が話を聞いてくれたのはそのおかげだ。
父は何を考えているのだろう。幾度となく思ったことを、シンシアはまた思った。
「それ以前から、ご令嬢は果樹栽培に力を入れられていますね。職人も増やしています。戦さで負った怪我のために野良仕事が難しくなった者たちに、職の斡旋もしていたようです。他にもいろいろをされていますが、やはり果実の生育が良くなった事と、一昨年の働きが大きいですね。他領と隣接している街や村は、これで生活の目処が立つようになったようです。今年は王都でもケルター産のオレンジやカースが出回っていますから、他の村々も期待をしていることでしょう。」
また沈黙だ。
セアラがペンを動かした。
『心が折れちゃったかも』
父と兄のことだろう。ここでつぶれてもらっては困る。
特にディーンには、困難に立ち向かって欲しいのだ。
「我々は、シンシア殿が領地管理者でも良いと思っています。しかしディーン殿が、その仕事を引き継がれた上で、今後のケルター領の在りようを考えられるのなら、それを尊重します。」
「娘に教えを乞えと仰るか。」
父の苦々しそうな声に、胸が痛む。
「ケルター子爵領を良く知る会計士ですよ。ディーン殿は兄上だ。妹御以上の成果を上げられるでしょう。」
バラカ男爵が、兄を持ち上げてくれる。
「領民の生活を、戦争以前の状態に戻すことには時間がかかるでしょう。ましてや借金などされては、いくら無利子でも、窮状から脱することは不可能でしょう。」
「では、どうせよと言われるのです。」
父でなくても、声を荒げただろう。
「返してもらうのです。」
さらりとバラカ男爵が告げた。
父と兄はどんな顔をしているだろう。
「まずは修正申告です。これくらいのことは思いついて頂きたかった。」
バラカ男爵の声が厳しいものになる。
「一年前に限り、修正できるでしょう。人頭税が今は払い過ぎているのですから、その分の返済を求めて下さい。」
「一度出したものを、返せなど言えません。」
父が頑ななところを見せた。
「何の根拠もなく減らせ、返せと言われる方もいるのですよ。子爵のお気持ちより、正しく税を納めて頂くことの方が大事です。」
切って捨てられた感じだ。
「カティス家にも貸しがあるでしょう、ケルター子爵。」
頭の中に、王太后さまの顔が浮かんだ。
シンシアが知らずに飛び込んだ仕掛けが動き始める。
「ケルター子爵は真面目な方だ。法をきちんと遵守されている。正当な手続きなしにカティス子爵領にいる元兵士たちの帰還請求をされているではありませんか。」
他家に預けられた兵は、必ず元の領主の下に帰さなければならない。
その法が定められたのは、三百年近く前だ。それまではともかく、その後、預かった領民を返さなかった貴族はいない。返すのが『常識』になったからだ。
だから『忘れられた法』なのだ。
請求期間は十年間。請求を無視した領主は、国に対して罰金と相手方領主に対して損害賠償を支払わなければならない。他領に人が流れてしまうのを防ぐため、安くはない金額が設定されている。
請求期間十年を超えた場合、人を留めた領主は自領の民として人名簿に乗せる義務が生じる。人頭税の頭数に入っていなかったので、期間を遡って税を納める義務も発生する。
もし民本人に元の領主の下へ帰る意志があるなら尊重されるが、今回の例では大半の者がカティス領民と結婚し家庭を持っている。
セアラの予想では、戻って来ない者が多いだろうということだった。
ケルター領に戻っても荒れた農耕地で一から始めなければいけない。けれどカティス領にいれば、目先の生活は何とかなる。銅山採掘は後三年足らずで出来なくなるが、おそらく長期の将来設計より、家族を選ぶだろうというのだ。当時十八才だった若者は三十四才に、二十五才だった者も四十一才になっている。結婚した相手の親は老齢になっているだろう。住み慣れた土地を離れて、貧しい地へいくことに耐えられるかどうかわからない。
すでにもう十六年もカティス領にいる。人名簿への記載は速やかに行うよう警告され、彼らには迷う暇もないかもしれない。
ケルター領で、息子が帰って来ると信じている親たちの事を思うと、シンシアの気持ちは沈む。
「ケルター子爵は損害賠償請求を申し出てください。監査部は罰金を科すよう、内務省に申し立てます。彼らが行わないなら、私たちが訴訟を起こします。」
カティス家には打撃となるだろう。
「請求を放棄などされませんように。悪しき前例となります。」
バラカ男爵が強い態度を示しているのが分かる。
父は沈黙を守っている。
「勉強不足で申し訳ありません。」
ディーンが問いかけた。
「どれくらいの金額が得られるのでしょう。」
真っ直ぐすぎる質問だが、回りくどいよりいいかもしれない。
「我々の試算では、一年分を補える金額です。」
シンシアは、勢いよくセアラを見た。
試算では、ほぼ二年分の金額のはずだ。間違っていたのだろうか。
セアラの表情が厳しい。彼女も知らなかったのかもしれない。
今さらながら、セアラが口の前に一本指をたて、静かにという仕草を寄こしてくる。
「そんなに、ですか。」
ディーンが驚きつつ、怪しんでもいうようだ。
「カティス家が応じてくれますか?」
「お父上が、領民返還請求をされています。それには名簿も付けられていますから、問題なく通るでしょう。」
本当はそう簡単に行かないだろうと思う。長い裁判になることも考えられる。
シンシアは、セアラとちらりと見た。けれど今回は、内宮の方々が後ろにいる。早々に決着がつく算段がもうあるのだろう。
「ただ、これからの一年が問題です。」
シンシアが眉を寄せた。試算のどこに間違いがあったのだろう。
「ケルター領には体力がない。来年もまた同じ危機に見舞われないとは限りません。」
バラカ男爵が重々しく言っている。シンシアと打ち合わせとした時と話が違う。
「さらに人頭税を下げれば、なんとか乗り越えられるかもしれません。」
「どうやって下げるのですか?」
ディーンの声に不審を感じる。
「領地の状況の他に、領内の人口数によっても人頭税は決められます。シアーズを手放されるなら、さらに低額になりますよ。」
「何を言われるか!」
父が大声を張り上げた。領地を失うことは恥だとされている。
「あなたがたはオーガス侯爵のまわし者か。ケルターを辱めるつもりか。」
「我々を今、辱められたのは貴方です。ケルター子爵。」
厳しい声が、父の声を大きく抑え込んだ。
「我々監査部は国王陛下直下の部門。国のためにあります。一貴族の利のためになど動きません。」
建前はそうだろう、と思ってから、シンシアは彼らが裏の事情を知らないことを思い出した。
監査部には、本当に彼らの言う通りで在って欲しい。
「ご令嬢の名義にされてはいかがですか。」
バラカ男爵の言葉に驚いた。
セアラに向かって声が出そうになるが、もちろん出せない。声を出さずにどういうことかと訴える。
また、静かにという仕草をされた。
「話になりませんな。」
父の言葉遣いがだんだんぞんざいになってきた。
「シアーズは飛び地でしょう。他家には当主以外の名義にして、その方の名で納税をされる方も多くいますよ。一応脱税ではありません。」
「それなら私の名でお願いいたします。」
ディーンが申し出た。それでは駄目なのよとシンシアは心の中で思う。
「ケルター領の領地管理者と同じ名義では、意味がありません。管理者が違うという事実がものを言うのです。」
バラカ男爵の説明に、また沈黙が来た。
「バラカ卿。」
カイルが呼びかけた。こんな時なのに、シンシアは彼の声に心が騒ぐ。
「ディーン殿を領地管理者と受理してよいのではないですか。」
いきなり話が大本に戻った。
「そうですね。私たちのサインを入れて、担当部署へ届けましょう。ケルター子爵の下へは、数日中に受理の文書が届けられるでしょう。」
書類が繰られ、整えられるのがわかった。やがて椅子が大きく音を立てる。
「カティス家への申し入れは、内務省の担当者と足並みをそろえて頂きます。我々は調整係となり、お力をお貸ししましょう。本日は御苦労さまでした。」
突然の終了宣言だ。
さぁおしまいだ、出て行って下さいと言わんばかりの言われ方に、シンシアは少々腹が立つ。あんな思わせぶりな事を言っておいて、いきなり話を断ち切った。
父も兄も何も言わない。言えないのかもしれない。
向こうの部屋のドアがノックされた。
バラカ男爵が応じると、お迎えにまいりましたという女官の声が聞こえた。
追い払われるような対応だ。きっと父と兄も怒っているに違いない。
「失礼する。」
案の定、不機嫌を隠さない父の声の後、無愛想な兄の声が続いた。
「失礼いたします。」
足音荒くふたりが出て行く。
友好的には進まないだろうと思っていた。だからシンシアは顔を出したくなくて監査部にまかせてしまったのだが、ケルター家側からは何の言質も取っていない。
これで終わりなのかと、シンシアは呆然とした。
辛くても苦しくても、自分でやった方がマシだったのではないか。
少なくとも努力をすれば、兄とは話が出来たはずだった。
重い後悔がシンシアに圧し掛かってきた。
2015.2.4.誤字修正:言う通り遭って欲しい → 言う通りであって欲しい




