LVNH//O//2038/04/15/05/26//TE-01/2021/05/22/FCE
遅咲きの桜も散り散りになる四月中旬の山の中、ゆっくりと滑り落ちていく鋼索鉄道。赤と白のケーブルカーは桜色と去年の間に溜まった褐色の混ざる何とも不思議な絨毯の上を走り、窓からは静かに聳える巨木のスライドショーが展望出来る。
指先をあれ程凍らせた白い霧は山を下って行くに連れてその密度を失い、東の方角からのオレンジ色の光によって外側から柔らかく、しかし、強くうち破かれていくようだ。ふむ、戦蓮社村から離れつつある証拠だな。まるで村の周囲を囲う結界のようだったな。
霧が見えなくなり、明るく、鮮やかになっていく景色を窓越しに眺める金髪碧眼の少女は、その様子を瞬きも惜しむ様子で楽しんでいるようだ。
俺もそんな少女の楽しげな表情を見ていると、余りにも突然に俺の隣から離れて行ってしまった一つの風穴が埋まっていくのを感じる。風穴を埋める彼女は暖かく、まるで、風穴の輪郭をゆっくりと熱し、溶接したようにぴったりと嵌まり込む。
抜け落ちた部位の代わりを果たしてくれるメイド、ルナは口元をあんぐり開けながら流れていく山の景色を鑑賞している。外の景色が相当、珍しいようだ。今まで一度も見た事の無い、そんな表情を浮かべている。
そうだな。俺はコイツに、もっと、もっと色んな外の景色を見せてやりたい。そう思った。
「我が友人の言う通り、見事なまでの阿呆面ではないか。ククク、よもや見紛うことはあるまい、汝が戦蓮社高校二年の藤原衛紀だな?」
と、目の前の幼女が俺の恥ずかしくなるようなポエムめいた感情の吐露を見事にも台無しにしてくれたのは、箱根ケーブルカーの終着駅である強羅駅で箱根登山電車に乗り換えた少し後のことであった。
実際のところ、ケーブルカーを乗っている時間は二十分弱程度で、景色をいつもより真剣に眺めていた俺としてはあっという間に終着駅に着いてしまったものだと感じるばかりだ。
だが、トンネルがやや多めという事を除けば、景色自体はケーブルカー同様に登山電車からでも充分に楽しめる。ルナもケーブルカーで積みに積んだテンションを維持、どころか更に高揚させて登山電車に乗り込み、再び窓に張り付いた。よく疲れないな。
登山電車の座席はいわゆるボックス席であり、ルナは言うまでもなく窓際に座り、その隣の通路側の席には俺が座った。勿論、ルナの和服越しの柔らかいお尻の感覚を求めるという非常に不純な動機で、だ。
ルナが顔を窓際に貼り付けると和服に包まれたお尻がこちらの方に向けられるからな。ほら、もっとお尻を突き出して窓に張り付いてごらん。もっと、もっとだ。
そうこうして、窓の外の景色だけでなく、乗り物の外観までがそっくりな登山電車は野外彫刻で有名な某美術館のある彫刻の森駅、それから猪の出現でこの辺りの村からは良く知られている宮ノ下(実際に俺は見たことがない)の駅を通り過ぎ、ルナが大変興奮した上大平台信号場での一回目のスイッチバック(この辺りの傾斜はキツく、計三回ものスイッチバックを必要とする)の地点を越えた。とりわけタイミングが重要というわけではないが、幼女が生意気極まりない発言をしたのは、丁度、その時だった。
この俺とルナの(俺にとってのみ)甘い二人だけの空間に侵入したのが、例の幼女だ。何と、ケーブルカーでも俺の目の前でふんぞり返っていたダスターコートをすっぽりと被った幼女は俺たちの使っているボックス内に堂々と入ってきて、またしても俺の目の前に座りやがった。
別に他のボックス席が空いてないというのなら、幼女の一人や二人など気前良く同じボックス席に入れてやってもいい。けれども、ただの平日であるこの時期、午前五時半というこの早朝の時間帯、その他様々な理由を考慮すれば乗客など多くて五人程度のはずだ。
故に車両内のボックス席は余りに余っており、一人で一つのボックス席を使えるはずなのだが、この厨二病患者の幼女は構わず俺たちの領域に侵入してきやがった。
「……どこの誰からそんなことを吹き込まれたのかは分からないが、お前の言う通りだ。俺が戦蓮社高校の二年、藤原衛紀だ」
目の前、腕組みの姿勢から更にウザ度を数百パーセント引き上げたドヤ顔頬杖のロリが、俺様になかなか失礼な物言いで声をかけた。そのロリのドヤ顔には、どういう角度から光を照射したら生まれるのか謎な影が浮かんでおり、ある意味非常に絵になっている。
まるで、薄暗い部屋で行われる闇組織のリーダーたちの会議にでも出席していそうな顔だ。いや、マジでそういうアニメや漫画だったら、闇組織のリーダーの中でもかなり強そうなロリキャラみたいな顔をしてやがる。
ほら、度々見かけるだろう。見た目ゴリラのマッチョ男を一撃で倒しちまうような、見た目で判断してはならないロリキャラ。一体、この幼女にはどんな武器が似合うかな。やっぱり、西洋人形のような見た目とのギャップ萌えを狙って日本刀とかが似合うのかな。ああ、クソ。日本刀とか、嫌なこと思い出しちまったよ。
だが、残念ながら、ここはただの登山電車の車内であって、そんな薄暗い闇組織の首脳会談の開かれる部屋なんかではない。ロリの腰掛けている椅子は円卓に取り付けられた玉座なんかではなく、登山電車に取り付けられているちょっとふかふかなシートでしかない。漆黒のシルクで包まれた人差し指と中指の間に格好良く挟んでいるカードはただの切符であって、タロットカードやトランプ、果ては日本刀でも無い。
本当に、周囲から浮きまくりなんだよなあ、この幼女。それこそがギャップ萌えの根源なのだろうが、それらしい場所、例えば中世の洋館だとかお城に居れば完璧なのにと思わざるを得ない。ギャップ萌えを狙うだけにしては惜しい人材だ。
「お前、と言ったか、小僧。汝、その不遜な言葉遣いは、余がこの世に住まう遍く神々を束ねる真紅桜闇の化身としての称号『後継者』を冠する者の始祖たる存在であり、同一称号を冠する歴代の魔術師の中でも真紅桜闇直々に戴いた世界を黄昏へ導く闇の魔術、余の古の一族より伝わりし研鑽された鉄鋼の魔術、真紅桜闇の代理神且つ大地母神であるキュベレイとその信仰に基づく三大魔術、その全てを操る歴代最強にして唯一無二の魔術師であり、その身分も高貴なる古代アナトリアの覇権国家ヒッタイト帝国の正統継承国であるフリュギア王国を統べるゴルディアス王の……………………む、娘であると知っての戯言ではあるまいな」
む、娘……だと。その重々しく仰々しい肩書を背負った父親の、娘、だと。な、何という、恥ずかしいセリフだ。俺まで恥ずかしくなってくるぞ。
厨二病の幼女は自身の肩書き、もとい意味の無い長々しいセリフを息も絶え絶えに言ってのけた。諺に言う虎の威を借る狐とは正にこのことだが、正直に言うと、厨二的センスを著しく欠いた俺には肝心の虎の威さえも理解出来ない。
それもそうだろう、そのアマネクカミだとかサクセサだとかの片仮名語の羅列や、「である」という表現とその活用の乱発によって彼女の発した日本語自体が崩壊しているからな。意味の無いセリフという言い方もあながち間違いではないだろう。
とは言え、一応は文系に所属する俺には、厨二病幼女の崩壊気味の日本語からコイツらが親子揃って厨二病患者(厨二病は遺伝する病のようだ)ってこと、それからここ最近エンカウンター率が相変わらず異常なアナトリアとヒッタイトという世界史用語くらいは汲み取れたつもりだ。
ええと、どの辺りだっけか、アナトリアって。用語としては覚えているんだが、地域は忘れてしまった。
だが、俺としてはアナトリアという世界史用語が地域名であると記憶していただけで賞賛の言葉を送ってやりたい。凄いぞ、俺。
「え、えっと……娘、娘さんですか。王様の娘ってことは、お姫様、か。そうか、お姫様なんですね?」
「お父様がアナトリアを統べるフリュギア国王なのだから、その娘は姫、王女であろうな。小僧、汝の言う通りである」
俺は零れ落ちそうな爆笑を、まるで核弾頭のように丁重に、丁寧に、必死に堪えて何とか会話を繋げる。頰の筋肉の稼働音が聴けるとしたら、今頃ギシギシと崩壊寸前の音色を奏でているはずだ。
そんな彼女の自己紹介とは、まったく、実にギャップ萌え要素をふんだんに振り撒いたあざとさ満点のそれであった。本当に、どこまでも厨二病に対する綻びの多いお姫様だ。
それとも、金髪赤眼の幼女姫はこの歳で、厨二病の綻び=あざとさ、という究極の等式を分かってそんな事を言っているんじゃないだろうな。だとしたら、それはあざといを通り越して、単純にウザい、だ。
ロリコン燎弥はこういう厨二っぽい幼女が好みと熱弁していたが、これのどこが良いんだろうか。彼女が可愛いのは認めるが、やっぱり、厨二系美少女を嫁にしたいという願望は二次元の世界でしか通用しそうにない。
「ふっ、ふふふ。そ、そうかい、お姫様。公共の場で余り、大きなお声でお恥ずかしいお話しするのはお上品でなくてよ、くく、ふふ。あひひ」
「な、何が恥ずかしいと言うのだッ。汝が如き矮小なる人間の分際で、この高貴たる身分にある余に無礼な態度を取るとは……ッ」
爆笑は抑えてはいるものの、どうしても小さな、しかし断続的な笑いがぽろぽろと溢れてしまう。というか、我慢なぞ出来るものか。もうどうでも良い、食らいやがれ。俺は我慢するのを諦めた。
俺の皮肉どころか煽りそのものを含めた舌の刃は幼女姫のブルジュ・ハリファ並みの高さを誇るプライドに直撃し、彼女はその金髪の緩い縦ロールを揺らして激怒しているようだ。
煽り耐性ゼロの厨二病のお姫様は、言っちゃあ何だが、不健康なまでの白い肌をその赤眼よりも真っ赤に染め上げ、幼く可愛らしい声を荒らげる。
俺も俺で人間の屑のような大人気の無い舌術を以ってしてクソガキ幼女を切り付けまくっているが、不思議と罪悪感は生まれない。泉のように湧き出るのは罪悪感ではなく、一種の優越感だ。
そうだ、お前は俺の顔を阿呆面と言ってくれたな。しっかりしゃっきりきっちりと、反省して貰おうじゃないか。年上の男性に逆らったらどうなるかを、トラウマにならない程度に叩き込んでくれるわ。
などという、あのルナでさえ引き攣った笑顔で見つめるくらいには外道な顔をしていたと思われる俺、その俺の期待を、意外なことにこの幼女姫は裏切ってくれたのだ。
始めは顔を真っ赤にしていた彼女だが、やがて緩めの縦ツインを大きく揺らして顔面を床に向け、怪しげに笑い始めた。その奇妙な状態が数秒続くと、何と彼女は全く面白くないことに、形状記憶合金のようにドヤ顔に頬杖という先と寸分違わぬ状態へと元通りになってしまったのだ。
それと同時、登山電車は二回目のスイッチバックを、スイッチバック式停車場を兼ねる大平台駅で行い、東方からの陽光と共に影が先とは逆方向へ流れ始める。その有様はまるで、幼女姫が先までの流れを変更させたようにも感じられてしまう。
事実、幼女姫の挙動は俺の優越感の行く手を阻害してくれるばかりか、俺の大人気の無さを酷く露呈させる以上に嫌な状況を引き起こしてくれやがった。
「そうか……ククク。汝、余程、その魂を余に喰われたいようだな。良いだろう、汝には余自身の力を教えてやろうではないか。余の力は、『喰魂』だ。人の魂を喰う力を持っている、いわゆる喰魂鬼なのだ」
「あ、ああ、そ、そうですか。姫自身の力というのは、才能とも呼ばれる魔術、つまり、我的魔術のことですかね。『喰魂』ですか。それはそれは、珍しく素晴らしいお力をお持ちですね」
「ククク、正確に言うと、余は人間などという虫螻が如き下位な身分ではない故、我的魔術などという言い方はしない。人間の言葉に無理にでも直すのなら、そうだな、権能とでも言おうか」
こうなればやけくそだ、勝手にしやがれ。
クソ生意気な幼女姫を虐めてやろうという気概をすっかり萎えさせた俺は半ば呆れ口調で彼女をよいしょしてやる。
幼女姫は、ここは想定通りの上機嫌な口調で怪しい笑みを浮かべる。シルクで包まれた小指を唇に添えながら、だ。その姿は上品でありながら、どこかに闇を堕としているようだ。
もう、今、本当に、この瞬間こそが、症状の進行レベルを問わず厨二病患者には何を言っても無駄と感じた瞬間であった。もう諦めよう、無駄だ。
だが、喰魂鬼と名乗った彼女の肩書きは、父親であるところのゴールデンアース王だかゴールデンレトリバー王だかに比べてその肩書きが異常に少なく感じられた。幼女姫の父親は闇やら鋼やらを使いこなすのに、お前は一つだけなんだな。
とも思ったが、幼女姫の我的魔術、彼女の言葉で言うのなら権能、それについては確かに厨二病の好みそうな典型的なワンキルスキルだ。
魂を喰う、彼女の言い方は少し脚色掛かっているという点を考慮に入れなければならないが、要は必殺自体を取り柄とする魔術のことだろうな。攻撃性を持つ魔術は使いようによっては人を殺めることが出来る(当然だ)が、この幼女姫が言わんとしたのは「殺害」すること自体を主眼とする魔術のことなのだろう。まあ、そんな魔術なんて嘘っぱち、存在するわけがないんだろうけどね。
何たって、魔術先進国の港元市でさえ必殺自体を取り柄とする強力な魔術を扱う魔術師なんて保有してないんだから。有って堪るか、そんなチート魔術。
だけど、必殺自体を取り柄とするチート魔術が仮にもあったとして、そんな魔術が真逆の性質を持った不死身の俺とかち合ったらどうなるんだろうね。いや、そんな実験的感覚で殺されたら一溜まりも無い。
「そんで、虫螻並みの人間より遥か天上におはしますご大層な喰魂鬼様、もとい、喰魂姫様がこの俺に何の用ですか?」
「喰魂姫、か。小僧にしては面白いことを言うなと褒めたいが、汝に初めから用など無い。思い上がるなよ、小僧」
落ち着け、藤原衛紀。こんな幼女姫の言うことを真に受けちゃダメだからな。
いやいや、はっ倒すぞ、ロリガキ。俺に用が無いというのに、よくもまあ突っ掛かってくれたな。
「余が気にかけたのは、汝と同種である人間ということに変わりはないが、そこの女だ。金髪で、和服の」
「和服に金髪と申しますと……私の事、でしょうか?」
幼女姫はダスターコートですっぽりと包まれていた下半身、正確には漆黒のパンプスをお履きになっている御御足をちょいちょいと動かす。彼女の左足に装着されているパンプス、その側面に咲いている黒い薔薇から視線を移し、黒い紐の交差の下に見える不健康なまでの白さをなぞり、爪先、その直線上にいた人間は金髪の和服女、つまり、窓に張り付いている俺のメイドだった。
疑問を呈した我がメイドのルナに対し、厨二病の幼女姫は偉そうに軽く頷く。
輝く金髪を持つ和服を身に纏う割りと長身なメイドのルナ、暗い金髪を持つダスターコートを身に纏う異常に小さい厨二病な幼女姫。これは、何とも奇怪な組み合わせだな。同じ異邦人であることが唯一の共通項であろうか、あらゆる身体的特徴、性格が正反対である。
幼女姫の足で人を指差す(語弊は、無いだろう。足にも指がある)とは何とも不遜極まりない行為だが、窓に張り付いていた俺のメイドは嫌な顔一つせずに立ち上がり、和服の脇線を丁寧な手付きでちょこんと軽く持ち上げ、深いお辞儀をする。
それはなさながら、メイドがステレオタイプなメイド衣装の裾を軽く持ち上げて挨拶するような姿であった。おいおい、ルナ、ソイツにそんな敬意を払う必要は一切無いぞ。
「フリュギア王国のお姫様、ご挨拶が遅れた私のご無礼をどうかお許し下さい。我が主とのご歓談に割って入るのも憚られたのでございます」
「汝の謝罪、余が聞き入れた。汝の罪は、今、この瞬間、余の名において赦そうではないか。いや、感謝の言葉は言わなくて良い。余は遍く世界を愛する慈悲深き存在である。だから、まず、汝は名乗れ」
「畏まりました。お初にお目に掛かります、お姫様。私は藤原衛紀様にお仕え申し上げる専属メイドの、暁月瑠詠と申します。以後、どうかお見知り置きを」
「……暁月瑠詠、やはり人間の名前だな。それを聞いて安心した。人間でない余には苗字や名前という概念が理解出来ないのだが、そうだな、汝の名乗りに対して余も名乗らねばなるまい」
まるで懺悔の儀式とでも言わんばかりの馬鹿馬鹿しい程に大仰なご挨拶と共に、ルナは俺との関係を丸っきり赤の他人の幼女姫に詳らかに喋ってくれやがった。
しかも、その挨拶と同時に対話不可能と思われた幼女姫とまるで会話をしているようではないか。更には、人間を散々見下してくれるような幼女姫もルナに名乗るような口振りではないか。
俺は最初から幼女姫と喧嘩腰で意味の有る会話が成り立たなかったというのに、俺とルナ、何という雲泥の差のコミュニケーションスキルであろうか。
まあ、それもそのはずだ。ルナの通常業務はメイド、常に相手を上に据え置いたことを前提とした業務だ。ルナにとってはこういうお姫様のような高貴な身分の人間の下で働くことこそが真の居場所なのだろう。
つまり、この高飛車で生意気な厨二病の幼女姫と常に下手に回る謙虚なメイドのルナの組み合わせは、非常に奇妙でありながら、非常に良い組み合わせなのだ。
というか、ルナ。いつの間に、お前の名前、暁月瑠詠になったのだ。俺はお前のためだけにルナという片仮名二文字の名前を特別に授けたというのに、お前の都合でよくもまあ勝手に改変してくれたものだな。ご主人様からの贈り物に小細工を弄するなど、どうあっても不敬罪は免れ得ないぞ。
とも思ったが、意外にもすんなりと来る響きであり、俺も忽ち気に入った。そうだな、暁月瑠詠。最近流行りのキラキラネームかもしれないが、元々が外人さんのルナだからそこまで悪くもないだろう。確かに、基本的に人間ならば苗字と名前を持つものだ。
だが、俺は既にルナという実に簡単な二文字で呼び慣れてしまったから、普段と変わらずにルナって呼び続けるけどな。出会って二日程度で普段というのも、何だか曖昧な表現だが。
って、いやいや、問題はそんなところじゃない。お。お前、赤の他人の幼女姫にご主人様だとかメイドだとか変なこと吹き込むんじゃねえぞ。
この暗黒の疾病、通称厨二病には妙な正義感の高揚という症状が見られるからな、この幼女姫がその妙な正義感に駆り立てられて警察に通報なんてしてくれやがったらどうするつもりなんだ。
やっぱり、幽星体の解除なんてさせるんじゃなかった!
「余は人間ではない故、汝ら人間とは格の違う名を持つ。フリュギア王国の第一王女、喰魂姫の『盗蹠』だ。覚えておくが良い……ククク」
「喰魂姫のトウセキ様、ですね。この私めの記憶に留めさせていただきます。名乗らせてしまった非礼を、どうかご容赦下さい」
「一体、どんな名前何だっつうの。トウセキ、何て聞いたことも無い名前だぞ……」
俺の提案した喰魂姫という二つ名を交えてトウセキ、と名乗った幼女姫はルナの丁寧な態度は終始気に入ったようだが、呼び捨てにしやがった俺については大層気分を害されたようだ。
トウセキという名前の幼女はその血色の瞳を刃に変えて俺を睨みつける。はは、そんな睨み付けなんて怖いけど、慣れっこなんでね。昨日は三人くらいの女子から鋭い視線を食らったばっかりなんだから。
だが、俺が彼女の名前について訝しむことをそこまで責めないで欲しい。だって、トウセキだぞ、トウセキ。一体、どういう漢字で表記すれば良いか検討も付かない。
いや、そもそも彼女は見た目からして日本人じゃないし、フリュギア王国の第一王女と名乗るのだから、少なくとも漢字で表記出来る名前でも無いのだろう。
まさか本当に彼女の言うところのフリュギア王国なる謎の王国が実在するとはハナから考えていないが、日本人より高い鼻を持つ整った顔立ちや白い肌、くすんだ金髪から察するにこの幼女姫がヨーロッパ系の人種なのは間違いない。
でも、今の今までトウセキなんて名前を英語の授業でも海外関連の番組でも、ましてや小説の中でも見かけたことがない。
ほら、ヨーロッパの国の言語、とりわけ人名ってのは各々が方言みたいなものなのだろう。だから、英語圏でのチャールズという名前はフランス語圏ではシャルル、ドイツ語圏ではカール、スペイン語圏ではカルロ、と言った具合に何らかの関連性がある。
そう言ったある種の方言の中からでも、トウセキ、などという名前は見たことも聞いたこともない。というか、トウセキという語句が苗字なのかも名前なのかも、若しくは苗字と名前の組み合わせなのかも検討付かない。まるで分からない。
「一体、その……トウセキっていうのは、どういうスペルで表記するんだ。それとも、漢字で表記するのか?」
「余の名は『盗蹠』だ。それ以上であって、それ以下でもない。『盗蹠』は『盗蹠』であり、『盗蹠』以外の何物でもない。故にこそ、余を意味ある語として表現するのであれば、『盗蹠』以外の表現など存在しない。その『盗蹠』という表現こそが、余の存在理由であり、存在証明だからな。余は汝に何度も言っておるがな、余は汝の如き下位な種族である人間ではないのだ。汝ら人間の常識なぞを当て嵌めてくれるなよ、小僧」
「なるほど、分からん。一ミリも、分からん。いちいち聞いてすみませんでした。こんなことも分からない馬鹿ですみませんでした。反省しています」
相変わらず表記方法の不明なトウセキと名乗る幼女姫は以上だとか以下だとか、理由だとか証明だとか、そんな意味不明な理屈にもなっていないような理屈をズラズラと並べて畳み掛けに来た。
対して俺は、もう、トウセキに対して日本語が通じるという甘い考えを一切放棄せざるを得ないと感じた。
今一度、トウセキの事を整理してやろう。厨二病患者のトウセキの発言の内、自身の威信を高める発言は全て妄想、偽言、嘘八百。信用していては身が持たぬ。彼女とまともに日本語で対話をしようものなら、日本語を装った、或いは非常に酷似した独自の言語、フリュギア語で混乱の道へ突き進むことになる。
「反省をしているなら、それ相応の謝罪をしろ。余は遍くこの世を愛する慈悲深き存在だ。汝が如き虫螻でも謝罪をするのであれば、愛し、その罪を赦そうではないか。ほら、謝れ。反省しろ」
「ええ、反省していますとも。それはもうこの俺たちを取り巻く地球、またそれを内包する太陽系や大宇宙より広く、この俺たちを立たせる大地の砂粒、またそれを構成する原子や素粒子より深く反省しているとも」
「……ほ、本当か。そんなにも反省しているのか。良いだろう、赦そうではないか。ここまで反省するとは見直したし。何と詩的でロマンティックな表現なんだし。私は気に入ったし、小僧」
俺と一緒に頭を下げようとするルナを制した俺は、港元市の魔術師矢吹遥への反省を示し、あえなく撃沈した反省の詩を流用した。
だが、それがトウセキには予想以上にウケたようだ。考葦先生(本名はパンセだっけか)も喜んでくれるはずだ。
妙に詩的でロマンティックな表現に弱いらしいトウセキはドギマギしたような表情を隠して俯いてこくこくと頷くが、表情を隠した程度ではお前の同様は隠せないぞ。だって、お前、一人称が「余」から「私」になっているくらいだからな。
どうやら、素が出るというのはあざとさを狙った演技ではなく、本当に焦っている時のようだ。これは、もう、あざと過ぎだろ。
「一人称が『私』のままだよ、トウセキちゃん」
「な……な、何を言うか。汝の言うことが、り、理解出来ないし。しょ、所詮は虫螻か。あんまり余を怒らせるではないぞ。余の力は『喰魂』だし。ほら、恐れろ、がおー!」
わなわなと震えるトウセキはパンプスの踵でカンカンと地団駄を踏み、伏せていた顔を上げ、悔し紛れに暗く赤い瞳で俺をキッと睨む。何と弄りがいのある幼女なんだ。
と、今度は出山信号場で三度目のスイッチバックが行われ、形成逆転の予兆を感じさせた。こっからは俺のターンだ。俺はもうコツを掴んだからな。
トウセキの厨二病的発言、つまりフリュギア語には反応してはいけないが、トウセキが厨二病の綻び、つまり日本語を出した瞬間にソイツに食い付けば良いのだ。俺は日本語を生まれてこのかたずっと使ってきている(港元市は一応、大日本帝國の継承国を自称しているから、公用語は日本語だ)からな、得意な分野に持ち込めばトウセキを弄ぶことが出来る。ああ、流石にフリュギア語は皮肉で言っているだけだぞ。
はは、厨二病と幼女、加えてドS属性の女を虐め抜くことを好むあの悪友にこの幼女姫を紹介して(売って)やったらどれだけの報酬が得られるだろうか。六十キロの金塊ぐらいは戴けるだろうか。少なくとも、昨日のイザコザの貸しは返せるだろう。
巨乳巨尻派の俺はぺたんこトウセキに興味は無いが、女性であるトウセキの需要がそれなりに高いであろうことは男性として一応は見抜けたつもりだ。
「がおー、って何なんだよ。キャラ崩壊し過ぎだろ、トウセキちゃん。ほら、さっきまでの厨二病はどうしたんだ」
「よ、余をトウセキちゃんなどという間抜けた名前で呼ぶんじゃないし! 余の名は『盗蹠』だし! 何度も汝に教えてきたはずだし!」
「ああ、もう、お前本当に可愛い幼女だな。さっきの仕返しも兼ねてお前を、絶対に俺の悪友の燎弥に売り飛ばして金に換えてやる。安心しろ、アイツならお前をとっても可愛がってくれると思うぜ。ククク、何キログラムの金が舞い降りてくるかねえ……ククク」
「ん、んひゅう……。な、何なんだし、お前は。はっ……さ、さては、お前とあのシスコン変態野郎は、グ、グル、つまり、これは罠だと言うのか? あ、真紅桜闇よ、どうか余の敵を殲滅し、私を……じゃなかったし、よ、余を救済し給ええええ!」
トウセキの癖、もとい厨二病が伝染してしまった俺がトウセキ以上に闇と悪の道を極めたような顔で笑うと、あれだけ多くの後ろ盾と最強の我的魔術を保有している(と本人は言っている)トウセキ自身がガタガタと怯え始めた。
始め、トウセキちゃんは厨二病という現実から余りにもかけ離れた堅牢なる城壁で身を構えていた。現実離れした妄想の砦の内部は、本当に違う位相にあるようだった。
だが、一度その攻め方を覚えれば、後は勝手にボロを出してくれるのは他ならぬ城主トウセキちゃん自身であった。本来ドMの俺としては誠に妙な話だが、木の枝で突くと面白いくらい崩壊していく城壁(その虚乳とかけている。気が付いたか?)を相手にするのはなかなか興味深いと感じているらしい。
ほら、彼女の幼い声は強風に晒された風鈴から垂れ下がっている短冊のようにぶるぶると震え、か細い残響だけを残している。実に脆いですなあ、トウセキ城城主トウセキちゃん。
しかし、それでもあのプライドの高いトウセキちゃんだ。必死に自身の買い手となる燎弥のことを「あのシスコン変態野郎」と知っているような素振りをすることで一グラム程度の虚勢を張ろうとしている。
だがなあ、残念だよ、トウセキちゃん。俺の悪友である燎弥が変態野郎というのは大当たりなんだが、アイツは両親も親子もいない天涯孤独の悲しき男なんだよ。彼自身もそう名乗っていたし、彼が魔術のリバウンドで昏倒した時にも彼の家には誰もいなかったしな。
「いやあ、あれだけ人間を見下しておいて最後は神頼みとは無様ですなあ。フリュギア王国の第一王女、喰魂姫のトウセキちゃんよお」
「お、おのれ、余を愚弄してくれたな。余の一族に伝わるキュベレイ信仰に基づく三大秘術の一つ、霊峰聖森で汝を形の無い空気にしてくれる。いや、それではまだ生温い。ククク、良いだろう、喰魂の力で汝を殺してやろうではないか……!」
「おい、ほら、ルナ。このトンネルを抜けると、箱根登山鉄道名物の鉄橋を通るからじっくり観察しておけよ。割りと一瞬で通り過ぎちゃうからな」
「は、はい、畏まりました。ご主人様がお勧めした絶景スポット、必ず確認致します。鉄橋、ですね。今から楽しみです」
俺はトウセキちゃんが中二病の城壁を整え直したのを察知し、ヒットアンドアウェイ作戦に基づいて完全なる無視を決め込む。この城壁にいくら攻撃しても弾の無駄だからな。そしてこの荒唐無稽で無知蒙昧で無味乾燥な話題を変えるために、我がメイドのルナにこの箱根登山鉄道の路線で最も有名な名所、絶景と言われる出山鉄橋について教えてやる。
この景色は確かに箱根の中でも一位、二位を争う絶景スポットであり、長期休暇の期間に訪れる観光客もこの景色を納めるためだけに多くのカメラを用意する程だ。
ゴトゴトと真っ暗なトンネルの中を走る登山電車が前方から差し込む光の筋に向かって直進すると、視界がぱあっと白い光に包まれる。そして、我が両目の明順応が完了すると、車両の両サイドには緑色の鋼の交錯が流れ、交錯の隙間からは箱根の山々を成す一面の緑が目に飛び込む。
俺個人としては秋の時期の真っ赤に紅葉した山の眺めが好きなのだが、眼下に生い茂る一面の深緑もそれなりに良いものだ。
「これが、檻の外の景色ですか……。良いもの、ですね」
ルナは山に広がる緑とはまた違う緑の瞳をうるうるとさせ、ほぼ無意識に賛辞の言葉をぽろぽろと零す。聞き捨てならぬワードも同時に聞こえてきた気もするが、概ね気に入ってもらえたようで嬉しいよ。俺は別にここの鉄道職員でも、ましてや観光業務に携わる職員でも無いのに無性に誇らしげな気持ちになる。
まあ、戦蓮社村のみならず、箱根の山奥に住まう人々はただでさえ何も無い地域に住んでいるのだから、この景色くらい自分たちのものであると主張したくなるものだ。
そうだ、これは俺たちの景色だ。そして、それをルナ、お前にプレゼントだ。はは、冗談だよ。
「風光明媚、とは、正にこの光景のことですね。穏やかな緑が、日の出の優しい光の中で……。素晴らしいです。ほら、トウセキ様もご覧になると良いですよ。お心が落ち着かれるかと」
「余を無視するとは、万死に値する行為だぞ。で、どうしたんだし、瑠詠。って、おお、すんげえ綺麗だし……。な、なんてな、余は何百年という時を果処無で過ごしておるから、こんな景色は見飽きているんだし!」
ルナさん、もとい暁月瑠詠さんが再び厨二病の鎧を身に付けるトウセキちゃんの注意を逸らし、ややこしそうな厨二トークは封殺された。
それからというものは、厨二病を忘れてしまったトウセキが無邪気に景色を知っていると言い張り、ルナが景色と共にトウセキを褒めちぎるというコントが終始続き、終いには登山鉄道の終点、小田原駅まで着いてしまった。
やっぱり、この金髪色白二人の組み合わせは良いな。我儘なお嬢様と従順なメイドというのも勿論あるが、それよりは仲の良い姉妹と言った感じだ。
それにお嬢様とメイドの設定だと、ダスターコートをすっぽり被っただけのトウセキお嬢様の服装はメイドよりも地味だからな。
***
戦蓮社村からケーブルカー、登山鉄道で山を下って一時間弱。俺たちは登山鉄道の終点のホームに降り立つ。
国により特例市に指定された神奈川県西部の市。戦国時代には城下町として栄えた歴史ある市。それが、俺たちの本日(正確には午前中のみ。少なくとも午後三時までには撤退したい)の目的である小田原市だ。
小田原市というのは、戦蓮社村、ひいては箱根と呼ばれる山岳エリアから最も近い位置にあるそれなりに規模のある市、と俺は考えている。いや、俺だけでなく戦蓮社村に住む人ならみんなそう考えているだろう。
戦蓮社に住んでいる爺さん婆さんが「昨日、市に買い物に行ってきた」と言えば、この場合の「市」とは九十パーセント以上の確率でこの小田原市のことを指す。そのくらい、この辺りの山々に住む人々にとってこの市は特別な場所なのだ。
時間の関係で登山鉄道のホームこそ人の行き来は非常に少ないものの、流石は近代的な都市だ、この小田原駅は何も箱根登山鉄道だけの駅ではない。ここにはJR東日本、小田急電鉄、伊豆箱根鉄道、加えて東海道新幹線を軸とするJR東海など多くの鉄道の集中する駅だ。
つまり、乗り換えや新幹線によって、小田原駅全体で考えれば人の行き来は非常に激しいのだ。
人口数百人程度の戦蓮社村で生活している俺にとっては駅構内の人口だけで窒息してしまわないか心配だ。こればかりは、何度体験しても慣れないものだ。
「現在時刻、午前六時二十六分です。ご主人様が予定されていた時刻より五分程度遅れていますが、計画に支障は出ないでしょうか」
「五分の遅れの原因は明らかに喰魂姫にあるんだが、まあ、誤差の範囲内というヤツだ。概ね計画通りだよ、安心して」
また、多くの路線以外にも緑色のヘンテコな女神のマークで有名な某コーヒーチェーン店(ヒント。スタバと呼ばれている)や明治時代から存在する大手本屋さんの支店、それからスターリング少年の飼っていそうなアライグマみたいな名前を冠するデパート、いわゆる駅ビルまでもが入っている。
しかも、この駅ビルには戦蓮社村というド田舎では到底生まれ得ないであろう「ふぁっしょん」という概念を当て嵌めた洋服店や雑貨屋が存在し、戦蓮社村にあるレストランという概念も気取りに気取って「ぐるめ」と呼ぶらしい。
先日、爆乳の魔術師にも田舎者と罵られたが、実際に俺は田舎者らしいからな、この辺の都会事情はまるで知らない。とは言え、所詮は父さんと行った横浜や六本木、秋葉原、渋谷、新宿なんかに比べたら極々小規模な市なんだがな。
そんな微妙な小都市小田原に、最高に意味不明な「三人組」が上陸してしまった。そう、根暗で目付きの悪い俺を含めて、三人組だ。もう言わなくても分かると思うが、奴はどうにも俺たちから離れようとしないのだ。
「余に非があると言うのか、小僧。人間の分際で実に生意気な事を言うな。少しは身分を弁えたらどうだ」
「お前以外に有り得ないだろ。っていうか、何でまだ付いて来ているんだよ。本格的に追っ払うぞ、金に換えるぞ」
「まあまあ、良いではございませんか、ご主人様。お買い物は皆で行けば、その分楽しくなると聞きますよ。……で、デート、というものは別のようですが」
「俺たちがこれからするのは楽しいお買い物でも、無論デートでも無いんだが。分かっているのか、ルナ」
と、まあ、こんな風に戦蓮社高校の制服の俺、紅基調の和服のルナ、漆黒のダスターコートのトウセキの三人組は今、妙に薄暗かった駅構内から、全体的に白色で統一された景色の広がる東口高架歩道、そこに設置された銀白色の鐘を木の実みたいにぶら下げまくったカリヨンベル時計塔の前で何気無く立ち止まる。
いやあ、実におかしな三人組だ。和服の外人さんを根暗の俺が連れて歩いているという謎過ぎる状況だけで道行く人々が注目するというのに、そこにダスターコートをすっぽりと被っている厨二病の外人さんまで追加と来やがった。
しかも、この状況を更にややこしくする要因として俺の眼前に聳える壁は、正に俺の視線のやや下辺りに聳えている壁、もとい幼女の胸囲ならぬ脅威だ。
「おいおい、こんな幼女を連れているせいで逮捕とか勘弁だからな。本当に、頼むから消えてくれ。ほら、そこのバームクーヘン買ってやるから」
「ば、ばあむくうへん、だと? 何だそれは。新手な魔導書の巻物か? 気になることは気になるし、余は今すぐにでも食べてみたいんだし……が、そうはいかないのだ。余とて不本意だが、余の友人の頼みだからな。聞かぬわけにもいかないのだ」
「じゃあ、バームクーヘンの話は一切合切無しだ。ああ、残念だなあ。さらば、北海道産物展。さらば、北菓楼。さらば、バームクーヘン。さらば、妖精の森」
「ん、んひゅう……。考え直させろだし。ば、ばあむくうへん、やっぱり食いたいんだし。お前、今すぐ買えだし」
と、根暗男子高生と厨二病幼女が口論を繰り広げて、またその度に和服の外人さんが仲裁に入るものだから非常に目立ってしまうのだ。
三者三様明らかにおかしな格好をして、おかしな言動を取っているからな、大道芸とでも思われているのかもしれない。当然だな。
だが、それはまた残念なことに大道芸と軽くあしらえるレベルを超えてしまっている。もう、人の視線、視線、視線だらけだ。視線だけじゃない。首を傾げられ、人差し指で指され、また或いはスマートホンの小さなカメラの穴越しにまで見つめられている気がする。おーい、そこの小田高の制服を着た可愛い茶髪のお姉ちゃん、これは大道芸でもRPGのマップ移動画面でも何でも無いんだぜ。頼むからTwitterで「駅前に変な人たちがいる」とかツイートしないでくれよな。ただでさえ俺は昨日の爆走自転車の件でネット発の有名人になっちまっているんだから。
「山だらけの戦蓮社村とは違い、潮の香りがします。外の世界とは、実に興味深いですね。建物が集まる景色、人々の歩く音、匂いまでもが生まれて初めてで、新鮮です」
「まあ、近くには相模湾があるから当然だな。それ以前に、何が生まれて初めて、だ。この香りを初めて嗅いだクセに、よくもまあ潮の香りだなんて分かったものだな……」
「はい、私は何でも知っているメイドです。私はご主人様にお仕えし、ご主人様のお役に立たなければなりません。そのためには家事全般は言うに及ばず、幅広い知識が求められます」
全く、左右からチグハグなコメントがいちいち飛んでくるものだ。今、この高架歩道で香るのは北海道産物展の目玉、北菓楼のバームクーヘン「妖精の森」だろうが。さあルナよ、仮にも君が大人ならばここはご主人様とバームクーヘンの魅力について一緒に語ろうではないか、トウセキを追い出すために。
俺はバームクーヘンについてそれこそ一切合切語る気の無い自称監禁されしメイドさんに皮肉交じりにコメントしてやる。しかし、俺が返答してやったってのにルナはトウセキ張りに意味不明な理論を並べてはぐらかしやがった。
そうだったよ。俺の話をはぐらかすのはルナのお得意技だったじゃないか。先日の港元市の魔女共との戦闘や俺の体内に侵入した毒物の除去、セキエイシステムを用いたUSBメモリの解析の際に活躍したルナは頭の回転が早く、行動力に満ちた有能なメイドという印象がかなり強い。実際、それはそうなのだ。俺は彼女に何度救われたことか。
だが、よくよく思い出せばコイツもトウセキ並みに、ともすればトウセキ以上に意味不明な女だったことに改めて気付かされた。そうだった、そうでしたよ。彼女はどうして俺が第三者には絶対に認識されない幽星体の例外なのか、彼女と藤原衛世との関係性は何なのか、度々口にする監禁とはどういうことなのか、などなど様々な疑問を封殺されている。
それどころか、彼女の本名と住所、それから生年月日でさえロクに答えていないのだ。自身の出身を述べているトウセキの方がマシかもしれん。ああ、一体全体どうして俺の周りの女の子はみんなどこかオカシイんだよ。
「あ、バームクーヘン、美味しそうですね。帰りに玲華さんへのお土産として買って行きましょうか」
「いやいや、そんなことしなくて良いから、面倒くさい。それに、今、バームクーヘンについて語り始めても遅いぞ。もう北海道展は通り過ぎちゃったからな」
そんなこんなで俺たちは東口の高架歩道を降り、そこから近代的な小田原駅とは打って変わって歴史的な街並みを残す錦通り商店街を数分練り歩き、激安の殿堂とか銘打っているやや大きめな例のディスカウントストアの入り口に辿り着く。
お店の看板に張り付いている年中サンタコスをしているというなかなか奇天烈な性癖をお持ちになっているペンギンの絵を見て思い出したが、父がセキエイシステムを内包したあの自作パソコンのパーツを買っていたのもこのディスカウントストアだった気がする。俺は今、ルナから返してもらった銀の指輪を嵌め直しつつ、この指輪がつくづく父の形見なんだなあと思う。
「さて、気を引き締めて行きますか。目指せ、携帯回復!」
「はい。頑張りましょう、ご主人様。僭越ながら私がお力添え致しましょう」
「ふん、下位なる存在である人間の遊びに触れるのも悪くはない」
俺は後方右隣のルナ、後方左隣のトウセキに向かって声をかける。それに対してメイドはぱあっと笑顔を浮かべ、厨二病患者は微笑みたいのを無理に我慢した妙な顔を浮かべる。二人とも良い顔じゃないか。
でも、一体全体、どういうわけなのだろうか。どうにも嫌な予感しかしないのだ。『暁月の環』もある以上、携帯の回復に必要なパーツは揃うには揃いそうなのだが……何か、なあ。
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未受信メール25件があります。
Sumire.S 4月14日(水)
件名 こっちも送っとくよー☆ 下記のメッセー……
Sumire.S 4月14日(水)
件名 ☆ 転 送 完 了 だ よ ー ☆ こ……
天草燎弥 4月14日(水)
件名 無題 どこにいるの衛紀くん?返事して欲……
天草燎弥 4月14日(水)
件名 無題 どこにいるの衛紀くん?返事して欲……
天草燎弥 4月14日(水)
件名 無題 どこにいるの衛紀くん?返事して欲……
天草燎弥 4月14日(水)
件名 無題 どこにいるの衛紀くん?無事だと良……
天草燎弥 4月14日(水)
件名 無題 どこにいるのかな、衛紀くん?今、……
天草燎弥 4月14日(水)
件名 無題 どこにいるのかな、衛紀くん?さっ……
天草燎弥 4月14日(水)
件名 無題 衛紀くん、今、どこにいるのかな?……
天草燎弥 4月14日(水)
件名 無題 燎弥くんの携帯を借りています、滝……
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かくして、俺の読みは当たった。
案の定、悪い予感は的中した。してしまった。
俺の予感や直感というものは、基本的に悪いことばかり的中するのだ。前々から思ってはいたが、昨日辺りにそれは確信に変わった。んで、今回もその例に漏れることなく悪い予感は的中したのだった。
第一に、俺の買い物中にドヤ顔のままのトウセキが訳も分からずに店内の十八禁コーナーに突撃してしまったり、ルナが安物のメイドのヘッドドレスと呼ぶのか、或いはカチューシャと呼ぶのか分からんアレ(レースが付いているひらひらのアレだ)をねだってきたり、一度注意したのも無視して十八禁コーナーからトウセキが魔具の中でも近接戦闘最強と謳われている高周波振動生成鎖剣の新たな可能性と勘違いしてピンク色のバイブをカッコよく振り回してきたりした。いや、ルナのおねだりなんかは良いとして、マジでトウセキは許さん。何が、新たな可能性だ。
「修復おめでとうございます、ご主人様。これで漸く澄鈴様から転送されたデータの閲覧が出来そうです!」
「それもそうだが……これ、何で燎弥からのメールだらけなんだよ。気持ち悪い、最悪だ。これも悪い予感的中って事か」
ああ、スマートホン自体は指輪の指示通りの修理で見事息を吹き返した。俺が前日から山だと思っていたスマートホンの修理はたったの五分で終了した。
流石は指輪の知識だ、と素直に喜びたいのだが、いや、指輪の知識は確かに素晴らしいものなのだが、コイツはちょっと融通が利かないヤツと評価せざるを得ない。
というのも、このスマホの修理に必要だった物品はピンセットにマイナスドライバー、ガムテープとホッチキスと銅線五センチだけだったのだ。
てっきり、小難しいネジやボルトなどのパーツ、それから魔具の一つや二つは買わなければならなかと身構えていた(魔具は高価だ。と言っても、千円くらいに落ち着くが)のだが、指輪が購入を命じた物品は魔術の欠片も無い非常に原始的な物ばかりだった。まるで教育番組お得意の工作番組で必要なアイテムの数々だ。
まあ、恐らく、宝具自体が魔力消費を慮る俺の思考を汲み取って魔術を用いない原始的な手段での修復方法を提示したのだろう。大変ありがたいお心遣いだが、俺がそんなにも魔力消費を気にかけるのはお前のせいなんだぞ?
さて、そんな原始的なアイテムでどうやって水没したスマホの心肺蘇生を行ったかと言うと、これまた非常に野蛮で精密さの欠片も無い方法だった。
最初に電池パックを取り外し、電池パックの接続部位の上部を爪で無理矢理引っぺがす。次に剥き出しになった集積回路の問題部位(ショートして狂った部位だ。指輪が教えてくれる)をマイナスドライバーで完全に破壊し、ピンセットで完全に除去する。そんで欠落した部位には代わりとなる銅線をホッチキスの針で器用に繋ぎ止め、電池パックとそのカバーを取り付ける。その後、さっき無理矢理引っぺがした集積回路の上にあったカバーをガムテープで無理矢理止めて、最後にスマホを手で五回叩く。これで修理完了、復活だ。ほら、素人でも直せた。
……と、こんな風に明らかに正規の修理方法ではない。今、この短時間生き返れば充分、そんなところだ。な、言った通り融通が利かない宝具だろう?
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Sumire.S 4月14日(水)
件名 こっちも送っとくよー☆ 下記のメッセー……
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「っていうか、五回叩いて修理とか、本当に大丈夫だったのか、コレ?」
「スマートホン内部の乾燥は結構出来ているようなので、一日か二日は持つかと……」
なるほど、明らかに大丈夫じゃなさそうだ。俺、逆にこのスマホの完全復活への道を閉ざしたんじゃないだろうか。買い替え不可避だぞ、クソッタレ。画面の上下左右の端からガムテープが飛び出て見えているし。
とは言え、確かに俺のスマホは数日振りにその画面に輝きを取り戻し、且つ受信メールボックスをも表示しているのも事実と言えば事実だ。壁紙は何故か真っ黒のままだが。
「その宝具、汝に知識を授ける類のモノだな。愚か者の藤原衛紀にはお似合いではないか、ククク」
「煩いなあ、クソ幼女。って、あれ、澄鈴の奴、マジで冗談メールを送ってきてやがったのか」
そこで、俺はまたしても悪い予感に、ブチ当たる。
いや、悪い予感というよりは、胸騒ぎが止まらない事態に直面するのだ。
復活した俺のスマートホン、その受信済みメールボックスの中身。
その中身の一番上に表示されている、澄鈴からの一通のメール。
俺は何気無く、そのメールを、選択し、開く。
***
2038/04/14/22:36:23
From: Sumire.S
To: 藤原 衛紀
件名: こっちも送っとくよー☆
本文
下記のメッセージはSumire.Sさんから転送されてきたメッセージとその情報を表示しております。
====(ここから)====
2038/04/14/22:36:16
From: 藤原 衛世
To: Sumire.S
件名: 驚いたかな、俺からのメールに……(暗黒微笑)
本文
あはは、実は生きていました(テヘペロ)
っつうか、勝手に死んだことにしてんじゃねえぞ、怒るぞ。でも、混乱しているのもこちらも同じ状況だからそんなに責めないで欲しいんだゾ。
さて、早速、本題に入ろうと思う。
俺は生きてはいるが、今の状況が全く掴めないんだ。無事なことは無事なんだが、危機でもあるんだ(アイツが狙ってきている!)。
だから、衛紀。今起こっているあらゆる事件の数々を教えてくれ。どんな些細なことで良い。お前の考えも含めて送ってくれ(ここ大事)。このメールを見たら、すぐにだ。
但し、条件がある、という硬い言い方は好きじゃないから、お父さんとの約束をスポンジ並みに柔らかく言うゾ。
・俺の生存についてはこのメールも含めてお前以外には誰にも知らせるな。
・勿論、彼にも、彼女にも教えるな。まあ、君の大切な彼女には教えても良いか。うん、許す。
・どんなにややこしい事態でも、衛紀の憶測が混じっていても良いから、嘘だけは吐くな。
・嘘だけは書くな。嘘だけは止めろ。いや、マジで止めてください。
お父さんとの約束は以上だ。
指切りげんまん、嘘吐いたら股間切断前提の私刑&死刑だゾ。
それじゃあ、返信待っているぜ。アデュー!
追伸
お父さんがいないからって、玲華ちゃんとあぁ〜ん♡なことしちゃダメだゾ。
あと、冷蔵庫に入っている俺の名前入りのプリンは食べないで。
====(ここまで)====
上記のメッセージはSumire.Sさんから転送されてきたメッセージとその情報を表示しております。
***
そこには、死んだはずの、いや、死んだと思っていた父からのメールがあった。父からのメールとは、澄鈴のタチの悪い冗談などでは、無かったのだ。
これはもう、胸騒ぎが収まりそうもないぞ。いや、本当に済まないな、せっかく来てくれたフリュギアの女王、トウセキ姫。今、この展開で、形の無い空気となったのはお前なのかもしれない。
俺を取り巻く一連の事態は、このメールにより、
終幕へと、一気に加速を始める。




