表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺は彼女を監禁する / 白銀の剣閃  作者: 清水
叛逆 〜 The Silver Ring and Swirling Black Doubts.
22/26

LVNH//O//2038/04/14/22/21//TE-01/2021/05/22/FCE

 真っ黒い画面に映し出された、無機質な真っ白い文字。

 それは、ネット世界における一つの闇を体現したものであった。

 いや、闇なんていう言葉で覆い隠すのは良くないな。ちゃんと、言っておこう。これはオカルト板の闇なんかではなく、ただの異常な猟奇事件の断片であった。猟奇というだけで異常という意味を持っていそうだが、一応、強調のつもりで付け加えておいた。そりゃあ、ねえ、付け加えたくもなる内容だ。


 みんな死んだ

 かがrはごすろりにコロされた

 ここは数列爆弾で吹き飛ばす、全て消す、全てだ


 浮かび上がる無機質で冷酷な白い文字は独りでにあらぬ方向に散らばり、歪み、回転し、浮遊し始める。だが、これは俺の幻覚という訳ではない。これは、俺の目が、俺の目に溜まる涙のせいだ。

 さっきから咳が、止まらないのだ。気怠さが重々しく身体全体を這いずり回り、とりわけ、吐き気を誘引している。喉の奥を波のように寄せては引いていく胃の中身が憎らしくて仕方ない。さっき胃の中身を全て空っぽにしてきたというのに、これ以上俺の胃の中から出て行こうと言うのか。胃の所有者たる俺としても、胃の中身に嫌われたようで少し悲しい。

 と、言うような下らない冗談を言わないと自我を保てそうにない。その最たる原因は、気味の悪い牛頭天王と呼ばれた銅像の画像でも、旧滝沢邸のボロボロに崩れた和室の画像でもない。言うまでもないだろう、念写使いのトムが貼り付けた「旧滝沢邸内で撮られたと思われる」ズタズタに裂けても原型が分かってしまう、生殖器の画像だ。

 はっきり言って、偽物や悪戯のようには思えない。トムの野郎はマジな念写使いで、やたらと真実を世間へ知らしめることを信条としているからな。実際に、人が殺される瞬間の画像も平気でネットへ貼り付けてしまう奴だ。まあ、彼は盗撮という罪で警察から色々とイザコザを起こしているから、こういう遠回しな方法でしか警察へ助力出来ないんだろうが。

 とにかく、トムの貼り付けた念写が本物でないと話が先に進まない。この画像が貼られた後の漢4は焦っていたのかもしれないが、念写についての具体的な否定をしなかった。同様に肯定もしなかったが。


「ルナ、具合は大丈夫か? それに、澄鈴も……」


 俺の右後ろに控えていたあのルナでさえ、先のようにスレッド全体を細かく観察する鷹のような目を画面から背け、絶句したままだ。

 このスレッドを復元してくれたセキエイシステムの支配者である電脳間脳少女の澄鈴に至っては、言うまでもない。この画像やスレッドの狂いに狂った展開をいち早く知り、俺たちに警告してくれたのは彼女だ。

 俺たちは彼女のありがたい警告を無視して、この陰惨たるスレッドの真相を垣間見た。誰よりも不快に思っているのは、初めから閲覧を拒んでいた彼女のはずだ。本当に申し訳ない。

 だが……それでも、澄鈴の警告を振り切ってでも、このグロテスク極まりない画像から得るべき情報は確かにあった。このUSBの解析を求めた港元市の魔術師が欲しがっていたであろう情報を。

 いや、大体、このグロテスクな画像が念写使いによる偽物や悪戯じゃないと俺が確信したのはその情報のお陰なのだ。トムがスレッドに貼り付けた念写は、一見すれば、目も背けたくなるような凄惨なグロ画像だ。一見も何も、それは確かなことだ。だが、着目すべき点を変えれば、様々な情報が見て取れる。

 まず、引き裂かれた生殖器が散乱している木の床が、漢4の投稿した小さな図書室の木製の床の色と確実に違うということだ。念写の画像を見るに、床に飛び散っている血液の隙間を縫って見え隠れする木の床(と表現するくらいに血液の量が夥しい)は明らかに黒ずんでいるのだ。光の加減という理由だけではないだろう。これは、きっと……。


「ルナ、この木の床が異常に黒いのはなんだ。そういう色を持っている木材っていうだけか?」

「いえ、この広がり方はカビです。黒カビ、という種類でしょうか」


 グロテスクな画像を拡大すると、ルナは何とかその目を細めて注意深く観察し始めた。澄鈴は画像の拡大に対して文字にならないうめき声を上げていたが、何とか協力してくれた。そしてルナは、極めて単純明快な解答を出した。

 俺はその解答に安心し、次なる推理へと思考を馳せる。まあ、推理という程ではないが、カビの発生についてだ。

 カビ、漢字で記すと黴だが、その実態は胞子であり、我々が肉眼で見るカビとはそうした胞子が発芽し、密集したコロニーだ。

 但し、カビの胞子自体は空気中に当たり前のように飛び交っており、この黒ずんだ床のようにコロニーを形成する場にはある特徴がある。特徴というか、要するに、カビが成長しやすい環境のことだ。それは、高温多湿の空間で、且つ風通しの悪い空間のことだ。

 だが、壁や天井が朽ち果てつつある、ほぼ野晒し状態のはずの旧滝沢邸では、そのような空間は生まれないはずだ。漢1や漢4が投稿した画像には、天井が丸ごと崩れ落ちている部屋だった部屋と表現すべきものもあったくらいだ。

 そんな野晒し状態の屋敷内の風通しはある意味非常に良く、果処無村のような標高の高い場所では通常、気温はそんなに高くはならない。これはカビが喜ぶような環境ではないはずだ。であれば、この念写が撮影された高温多湿で風通しの悪い空間は一つしか思いつかない。


「これは、スレッドに書いてあった、蓋の下にある『地下室』だ」

「そうですね。風通しの悪い地下室ならば、内部の空気がこもって湿度も高くなるでしょう。カビの生育地としては最適な場所です。それに、この部屋には書物が置かれた本棚がありますから、このスレッドの主の書き記した蓋の下の地下室と条件が合致します」


 その通りだ。漢1が発見した地上にある図書室の蓋から降りて行ける地下の部屋。その地下の部屋にも本棚があったと言う。その情報とこの念写による画像を照合すれば、その条件と合致するのだ。

 このグロテスクな画像の内の数枚には、確かに書物が所狭しと並んだ本棚が一つだけ写り込んでいるのだ。古めかしい、床と同じように黒カビがコロニーを形成している木製の本棚が。

 ルナめ、観察眼が蘇ってきたな。だが、俺はそんな優秀なメイドのルナの上に立つべくご主人様だ。だから、少し、その上を行かせてもらうぞ。まあ、ちょっと卑怯な感じなんだけどね。もはや、条件反射のようなものなのだ。これについては、な。


 對港元國乃至陸浦氏用 咒殺子凾ノ製造法    天正十八


 その、難しい漢字だらけの羅列が、書物の背表紙に筆で書かれたタイトルと思われる文字群だ。俺の過剰な条件反射(昔、玲華から心理学の基礎として教わったが、こういう反応はとりわけ鋭敏化と呼ぶらしい)、所詮は気のせいだと思った。

 だが、小さな画像なのですぐには判別出来ず、更に拡大してようやく見えるくらいで、それでも読むという段階には一歩足りない。何せ、文字が達筆過ぎて、ただの記号に見えてしまうのだ。読みにくくて仕方ない。だが、艱難辛苦の末に達筆過ぎる記号は、文字群としては読めた。

 かくして、文字群の中に、その二文字はあった。


 港元


 日本の関東地方の山奥の中の更に山奥、小さな寒村の日本邸内に隠された地下の図書室の本棚に置かれた一冊。本の背表紙に記された文字は今の時代の人間には読めないような古めかしい文字だらけだが、運が良いのか悪いのか、その二文字だけは現在と同様の形で残っていた。

 解像度の低い画像ではあるし、一度は数列爆弾で吹き飛んだデータだが、読み間違えという線は無いだろう。偶然ってことも、まあ無いだろう。


「こ、これは……。ご主人様、よくお気付きになられました。恐らく、これが、これこそが港元帝国が欲していた情報に違いありません。ただの偶然とは考えられません。流石はご主人様です」

「生憎、『港元』という大ッ嫌いなワードについてはどんな状態でも条件反射を起こしちまうんでね……。全く、迷惑な身体ですこと」


 ルナは自分でも気付かなかった、気付けなかったこの重大な情報について、大層驚いたようだ。この古臭い文字の羅列が表示されたディスプレイに向けて、そのエメラルドの瞳が大きく見開かれている。

 俺は褒められた恥ずかしさから皮肉めいた言い方でルナへ助力を要請すると、彼女は二つ返事で作業へ取り掛かる。俺の右後ろに控えていた彼女は俺の真隣にまでその艶かしい身体を乗り出し、画面を凝視する。

 おうおう、ルナの和服越しの柔らかおっぱいが右肩に当たって最高に素敵な気分ですわ。出来たらその姿勢のまま、残りの読めない文字についても読んでいただきたい。ルナなら多分、俺のいやらしい命令にも命令ならばと従ってくれそうだが、パワハラ&セクハラになるので喉の途中まで来たその命令を嚥下する。

 ルナは数秒の間、その難解な文字に視線を行ったり来たりさせた。果たして、服装こそ現代の日本人以上に純日本人だが、本質は金髪碧眼の異邦人の彼女が日本人(の国籍を持っている)の俺の読めない日本語が読めるかは謎だ。だが、彼女は最終的に少し訝しむような口調で見解を述べた。


「このタイトルを現代語に無理矢理直しますと……『対港元国ないし陸浦氏用の呪殺子函の製造法』と言ったところでしょうか。對、國、殺、凾はいずれも旧字体で、現代は使われていない文字です。乃至や咒という文字は、元からある文字を単に難しく表記した場合の文字です」

「港元若しくは陸浦一族に対する『呪殺子函』の作り方の本、って感じかな。要は、何かの道具の作り方が書いてあるんだろうな。だけど、ルナ……」

「はい、誠に申し訳ございません。この『呪殺子函』、いえ、敢えてオリジナルの名称を使うのであれば、『咒殺子凾』の意味は分かりかねます。何かの固有名詞なのは確かだと思うのですが……」


 俺はルナの言う旧字体の知識を借りて、この古臭いタイトルをより我々の用いる日本語に近付けるが、一つの問題が生じる。固有名詞の翻訳で困るのは英語の和訳でも良くある話だ。つまり、『呪殺子函』、ルナの言う通り、固有名詞らしいものは敢えてオリジナルのまま表記するのであれば、『咒殺子凾』の意味がまるで理解出来ない。でも、まるで、というのは少々言い過ぎた表現かもしれないな。呪いに、殺す、という頭二つの文字だけでロクなもんじゃないのは察しが付く。


「にしても、函、箱……『はこ』、か。何だか、つい最近、聞いたようなワードの気がするぞ。気のせいだと、良いんだが……。まあ、今は、函については棚に置いておこうか」

「私には、『はこ』について思い付く節が無いのですが……。しかし、そうですね、固有名詞そのものから推察出来る情報も限られています」


 ルナの言う通りだ。馬鹿な俺にはこれ以上の情報は脳みそにうんともすんとも湧いてこない。「はこ」についてはきっと、気のせいだろう。

 それに、どうせ、この古めかしい書物を直接(・・)読めば、この気色の悪い四字熟語の真相が嫌でも明らかになるはずだ。そう言うことなんだろう、ルナ?


「今は、この『咒殺子凾』の製造法を港元帝国の魔術師たちより早く知ることが先決ですね。そのためには、この、旧滝沢邸の地下の図書室に向かう必要があります。そこでこの書物を手に入れないと」


 彼女は一つのスレッドと、それに貼り付けられた数枚の画像から一つの結論を導き出した。とはいえ、ご主人様の俺も負けずに彼女の出した結論と概ね同じ結論を打ち出したと思ってもらって差し支えない。

 港元市が欲している『例外』(インダルジェンス)に関わるデータは恐らく、このトムの念写に写り込んだ、わざわざ「港元」という忌まわしい二文字が入り込んだ書物のことに違いない。この関連性を差し置いて他に情報があるとは思えないのだ。

 それならば、俺たちが港元市の魔術師たちを出し抜くには、このUSB内のデータだけではなく、実際にその『對港元國乃至陸浦氏用 咒殺子凾ノ製造法』という怪しい古文書から『咒殺子凾』とかいう名前からしてヤバそうな何かの製造法を突き止める必要があるのだろう。

 畜生め、俺とルナもUSBの中身のデータが直に対抗手段になると踏んでいただけに、幾ばくかの落胆を覚える。

 だが、そうも言ってはいられない。一応は、港元市の魔女たちより一ステージ分くらい上に立てたのだから悪いことではない。千里の道も何とやらだ。でも、戦力の面では一ステージ上に立つどころか、千ステージ分くらい下に位置するんですけどね。

 ああ、もう、今もこの瞬間に燎弥の教えてくれた港元市と南アフリカの共同制作によるとんでもないアンチマテリアルライフル(具体的な名前は忘れた。何とかサードだった気がする)で照準を合わせられてないか心配で仕方ない。こんな小さい村で藤原なんて言えば俺の家くらいしかないんだから、俺を探すことなど造作もないのだろう。なあ、俺の顔に赤いレーザーポインターとか張り付いてないよな?


「さて、ということは、今夜も血みどろな果処無村に繰り出すということのか。あーっ、もう、嫌になっちゃうぜ。またあんな儀式とこんばんはでもしてみろ、ルナでも漏らすぜ」

「そ、それは困りますね……。失禁してはご主人様のご迷惑になってしまいますからね。しかし、行かないわけには行きません。このまま知らんぷりのままでも彼女らは躊躇なく襲ってくるでしょうから」


 少し、ルナの失禁に期待してしまったが、いや、何でもない。話題逸らし、話題逸らし……。

 さて、確かに、魔眼と業務用クリップの魔術師はそう断言してたしな。お兄ちゃんはこの件から逃げられないだとか何だとか。あの狙撃銃と魔眼の組み合わせがあれば、「逃げられない」という言い方にもより説得力が増す。事実、爆速自転車で逃げるのがやっとだったくらいだからな。

 俺は彼女からの狙撃が本気で不安になって窓を見つめるも、ちゃんとカーテンが掛かっていたので安心した。いや、カーテンなんて布切れ、あの魔眼にとっては有って無きが如しかもしれないが。


「でも……どうして、港元なんて文字が古めかしい古文書のタイトルにまで書いてあるんだ。時期がおかしくないか?」


 今後の計画が出来た次に来る問題というのは、やはり、港元に関わる部分だ。先ほどは偶然や見間違いなんかじゃないと一蹴してしまったが、一体全体、どうしてこの二文字がこんな場所で発見されるのか。

 港元市が、港元帝国がその名を全国津々浦々に轟かせたのは独立を宣言した第二次世界大戦終結後、若しくは米露が共通の敵と認定した冷戦終結直後のはずだ。そうだと言うのに、港元というワードがどうして、こんな古めかしい古文書(意味が重複していそうだが、気にするな)のタイトルに使われているのだろうか。

 俺が確認出来る書物の中では、港元というワードが入っているのはこの一冊だけだが、他の書物も全て古に書かれたであろうものばかりだ。これだけ一冊、冷戦直後に書かれたというわけではあるまい。

 ……ああ、悪かったな。そうだよ、俺のような世界史選択者にはこの書物の背表紙に記されたタイトル、の下部に記された「天正十八」というのが、西暦では何年かが分からないのだ。多分、明治や大正よりは昔なんだろうなあ、ってことぐらいしか分からない。

 いや、正直に言うと天正十八というワードがいわゆる和暦なのかも分かっていない。若しかしたら、年号とは全然関係なくて、作者の名前なのかもしれない。流石にそれは、違うか。


「ご安心を、ご主人様のお考えの通りですよ。天正というのは日本の元号、和暦です。天正十八年というのは、十六世紀後半、丁度、一五九◯年に相当致します。当時の日本は戦国時代の真っ只中でしょうか」

「……ああ、教えてくれてどうもありがとう。悪かったな、ご主人様がこんなことも知らないで。畜生。恥ずかしいったらありゃあしねえ」


 三角関数についても、和暦についても教えてくれる素敵なメイドは愚鈍な俺に気遣って再び土下座をしようとしたが、まあ、彼女の優れた頭脳はありがたいことに変わりはない。俺がもっと優秀なら良いだけの話なのだが、こうして勉強を教えてくれる人は大事だからな。

 これから、俺に勉強を教えてくれるのは文理共に出来るであろうルナ、君一人で充分だな。任せたぞ。数日後に引っ越すあの女の代わりだ。


「だが、そんな時代にこの果処無村と港元市は関わりがあったということなのか? だって、果処無村というのは、それは……」


 俺が続く禁断の言葉を言おうとしたが、喉に閊えてうまく言えない。ルナはそれを察して、彼女が代わりの言葉を紡ぐ。紫がかったような、とても、妖しい声色で。さながら、俺の不安を煽り、戸惑いの落とし穴へ誘うような。


「ご主人様。果処無村というのは、言わば、果処無神社の神職を務め、歴代の村長をも輩出する滝沢家そのものということですよ。つまり、言いにくいですが、我々が次に直面すべき函の製造法という問題に、滝沢家と港元市の歴史的関係が大きく関わるでしょう」


 そういう、ことだ。果処無村の元来の中心地は果処無神社。その果処無神社にお仕えする一族こそが滝沢家であり、この村全体の指導者、即ち、村長となる掟がある。

 今では果処無神社もろとも滝沢家のほぼ全員が焼失したけれども、現在でも件の掟は固守されているようで、果処無村の村長は一応、滝沢玲華という滝沢家唯一の生き残りの少女が務めている。村長が村で暮らしていないのもおかしな話だが、これは果処無村=滝沢家の図式は現在でも息衝いているというわけであり、加えて果処無村=滝沢玲華という図式も同時に成立するということだ。

 つまり、事によっては、函の製造法に滝沢家と港元市の関係も影響してくる可能性が強いというわけだ。何たって、滝沢邸の図書室の地下室にある本棚、そこに置いてある古文書のタイトルにわざわざ『對港元國』と銘打っているのだ。無関係ではあるまい。

 だが、両者の関係が大きな謎とは言っても、結局は、これが問題の主題になるわけではない。主題はあくまでも、現在の港元市の欲している情報であろうこのヤバそうな名前が付いている函の製造法の方だ。こいつが最優先事項だ。

 いや、この函の製造法が明らかになって、ようやく、果処無村の事件や儀式と港元市との謎の関係が暴かれるのだ。先に述べたことと少し矛盾するが、最終的な目標は果処無村と港元市の繋がりだ。


「だけど、これは本格的にあの女がこの一連の事件に絡みだす可能性が増すぞ。アイツは今でこそ戦蓮社に住んでいるが、果処無の正真正銘の巫女で、指導者で、村長だ。はあ、厄介なこった」


 バギン。

 と、俺の溜息と同時、

 唐突に嫌な音が耳に突き刺さる。


「ご主人様、今の音は……」

「こ、これは、我が家のオンボロ風呂場のドアが開いた音だ。ということは、アイツの入浴が終わった合図だぞ。しかし、おかしいぞ、今日の入浴は普段より五分ほど早く終えていることになるぞ……!」


 おいおい、果処無やら旧滝沢邸、挙句は存在さえもあやふやな函の製造法とか言っている場合じゃねえぞ。緊急事態にも程がある。

 あの女の通常の入浴時間は約一時間、正確に平均するとその値は六十四分となる。しかし、今日はその平均値より五分も早いのだ。これはまた大きな外れ値だ。

 一応言っておくと、この後の玲華の行動は季節によっていくつかのパターンに変動するのだが、今日は冬に比べてまだ暖かい時期なので、パターン一の行動を取る。

 玲華の入浴後のパターン一の行動とは、バスタオルで身体を一通り拭くと、下着さえも身に付けずに台所へ直行、冷蔵庫に何本も格納されている牛乳瓶を一本丸ごと素っ裸で呷り、自分の胸をふにふにと弄ってから数分項垂れて、ようやく着替えを始めるというものだ。

 恐らく、クラスメイトの誰かから都市伝説級の牛乳バストアップ法を吹き込まれたのだろう。普段は冷静で真面目な大和撫子なのだが、胸のことになると正気を保てなくなるらしい。そんな信憑性があるんだかないんだか曖昧な牛乳に縋り付く辺り、自分で物事を考えて行動することを旨とする彼女の行動から相当逸脱している気がする。どんだけ胸気にしているんだ。どうでも良いけど。

 こんな玲華の習性を知るために多くの年月と同時に、非常に多くの犠牲者が出たが(俺だけだ)、今こそ、その情報が生きる時だ。これを利用して、一瞬でも時間を稼ぐ。そうしなければならない理由があるのだ。

 何故って、俺たちはまだ港元市の魔術師から掠め取ったUSBメモリに記録されたURL先のページを一個しか見ていないのだ。残りのURL三つについては一つも閲覧出来ていない。

 半ば反射的に俺は銀の指輪を見つめる。後、一回分なら指輪の能力が使えるだろう。情報そのものを引きずり出すという高級な方法は今の魔力では使えない(だからこそ、指輪から直接答えを得ずに、このスレッドに関する推理なんて真似事をしていたのだ。魔力の回復を待っていては、事件解決の期限に間に合わないのだ)が、直接身体を動かして運命を変える低級な情報なら得られるはずだ。俺は右手人差し指に嵌められた宝具と呼ばれる代物に意識を向ける。

 どうか、この運命を、書き換える力を……!


「ルナ、今すぐ、幽星体(アストラル)を展開しろ。それから階下に行って冷蔵庫に入っている牛乳瓶を全部、隠せ。隠す場所は一階ならどこでも良い。バラバラに隠す必要はない、一瞬でも良いからあの女が牛乳瓶を探す時間を作ってくれ。アイツはこの時期は下着も着ないで台所へ行くから、今すぐに行け!」

「要は時間稼ぎであり、尚且つバラバラに隠す必要が無いのは、私めがご主人様のお側に直ぐさま戻ってこい、という意味ですね。承知致しました、全てルナにお任せ下さい」


 俺は指輪から与えられた低級の知識に基づく必要最小限の命令を下し、その命令に含まれた意図を完全に把握したルナはその場で第三者からその存在を感知されなくなる殻を纏い、深くお辞儀をして颯爽と階下へ向かった。

 一体、幽星体(アストラル)の殻が何の魔術なのかはサッパリ検討も付かないのだが、それが今のところ俺が見たことのあるルナの扱う魔術の全てだ。この殻を纏うルナは俺以外の事物とは、一切の関係を絶つことが出来るらしい。

 本当にこの世界の事物と関係を絶っているのなら、どうやってそのフローリング床に立っているんだとか、どうやって呼吸をしているんだとか、数個の疑問が残るものの、お昼のファミレス騒動でもその殻が十二分に機能しているのは確認済みだ。今朝の恐ろしい玲華から指輪を隠せたのもその幽星体(アストラル)という殻のお陰だ。俺は基本的に、彼女のこの魔術に全幅の信頼を寄せている。


「よし、次は澄鈴、お前だ。次々と仕事を頼んで本当に済まないとは思うが、残りのUSBのデータは全部俺の携帯に転送しろ。今、すぐだ」


Sumire.S > [RFS] う、うん。分かったよー!

Sumire.S > [RFS] でも、えーきの携帯電話、ぶっ壊れているんじゃなかったけ

Sumire.S > [RFS] 本当に送っちゃっていいの? 送っちゃうよー?


 畜生、完全に忘れていた。携帯が九頭龍湖に水没したからこそ、衛世の遺品である自作パソコンから情報を引っ張ってきたんだった。

 いや、しかし、未だにディスプレイに表示されている猟奇事件実況板は本来、数列爆弾で吹き飛ばされていたデータだ。俺の携帯では閲覧不可能どころか、USBを読み込むことさえ出来なかったから、結果的にはそれで良かったのだ。

 ……って、そうじゃない。焦るな、藤原衛紀。自分の優秀なメイドの時間稼ぎを無駄遣いするな。指輪からの新たな知識はもはや魔力の残量から望めそうもない。自分で、自分だけで考えなくては。


「構わない、送れ、澄鈴。水没した携帯は明日にでも修理してやる。だから、今はそのUSBメモリにあったURLと、肝試し実況板に投稿されていた画像を貼り付けて送ってくれ。グロ画像もまとめて全部一緒にいれてくれて構わない」


Sumire.S > [RFS] ん、りょーかいだよ! ちょっと待っていてねー☆

Sumire.S > [RFS] 澄鈴ちゃんはお仕事だーい好きなのー♡

Sumire.S > [RFS] だからじゃんじゃん、お仕事頼んでねっ<(´・д・`)ノ


 電脳間脳少女の澄鈴はルナ同様に仕事を任されるのがお好みらしく、何とか持ち前の明るさを取り戻した。その可愛らしい声には生気が宿り、パチパチと青白い静電気を散らすような電子音と可愛らしい顔文字で彼女は応じた。

 やっぱり、こっちの方が彼女らしいな。衛世と『統一協会』(ユナイト)の中枢であるデータベースをハッキングだかクラッキングだか(お恥ずかしながら両者の違いをあまり理解出来ていないのだ)を仕掛けた時もそんな調子だったのだろう。

 それから、瞬きをすると同時に、澄鈴のコメントを打ち出すウィンドウにメールの文章、”sseml”の拡張子付きの文章が出来上がっていた。仕事が好きと公言するだけあり、彼女は仕事の手際もとにかく早かった。


Sumire.S > [RFS] 20380414.sseml

Sumire.S > [OTS] Email Address ( )

Sumire.S > [RFS] さあ、えーき! その空欄の中に自分の携帯のメアドを打ち込むのだーヾ(*・ω・)ノ゜!


 彼女の電子音に頷いた俺はOTSの英字の横に並ぶ空欄の中に携帯のアドレスをやや乱暴にキーボードを叩いて入力し、エンターキーをその勢いのまま押し込むように決める。

 入力された俺のオーダーはセキエイシステムへ飛び、澄鈴の用意したメールが転送されたことを示すクリアの英字が出現した。これは、セキエイシステムという衛世独自OSを呼び出す時の"Basic Code"を入力した時の現象と同じだ。

 もう、大凡の検討は付いている、OTSの英字三文字は"Order To Sekiei system"という英文、澄鈴のコメントの先頭にいつもくっ付いているRFSの英字三文字は"Responde From Sekiei system"という英文の略称なのだろう。

 そして、セキエイシステムという衛世の独自OSに準拠するアプリケーションを示す拡張子のSSは"Sekiei System"を表しているのだろう。セキエイシステム、セキエイシステムって自己主張がなかなか激しいな。


Sumire.S > [RFS] ☆ 転 送 完 了 だ よ ー ☆


「ありがとう、澄鈴。良くやった」

 

 澄鈴は嬉しそうにえへへと笑うと、直ちに肝試し実況のスレッドを閉じ、USBメモリの安全な取り外しが可能な状態へ移行させた。画面からは次々に表示されていたウィンドウが消え、黒地に白群色の文字と記号が浮かぶセキエイシステム本来のデスクトップが再び姿を露わにした。

 にしてもセキエイシステムの設計者、我が父親め、色といい、英字のフォントといい、パソコン自体のフォルムといい、いちいち格好良いデザインをしてくれるな。まるでハリウッド映画御用達のスパイに指示を送る司令室に置かれたパソコンみたいにクールだ。これを暗室で使えば正にスパイ映画やロボットアニメのワンシーンだ(俳優、若しくは主人公がイケメンじゃないとかいう指摘はしないお約束だ)。

 でも、何でパソコンは暗室で使うのが定石になってるんだろうね。パソコンに限った話ではないが、画面を見る時は部屋を明るくしましょうと習ったのだが。俺は目がオカシクなっても潰せば直せるから、次からはその常識に則って暗室で使ってやるか?

 冗談はさておき、一時は自作パソコンの設計など初心者にも出来ると燎弥から聞いて以来、なかなかダメージを食らっていたが、父への尊敬の念が再び生まれた気がした。

 このセキエイシステムはやっぱり、優れたものであった。初心者なんかに、このセキエイシステムが作れるもんか。父は部品のレベルからパソコンを組み立て、セキエイシステムという独自のOS、それに準拠したアプリケーションをも独自に開発したのだ。


 全ては、たった、一人の死にかけの少女を救うために。

 澄鈴は……父さんに命を救われた少女なのだ。

 昨晩の、俺と、同じように。


「なあ、澄鈴。その……俺のこと恨んでないか。父さんのことで。アイツが昨晩死んだのは、俺の命を守るためだぞ。俺の、せいで……」


Sumire.S > [RFS] はいはいはーい! 黙れ、黙れ、黙れー!

Sumire.S > [RFS] 悲しくて、辛くて、悔しいし、どうしようもなく泣き出したいけど、今は我慢しなきゃ。

Sumire.S > [RFS] えーせーにえーきの事、頼まれたんだもん。私も協力するから、頑張ってね!

Sumire.S > [RFS] って、この澄鈴ちゃんに何てこと言わせてんのよー!

Sumire.S > [RFS] こういうのは、澄鈴ちゃんのキャラじゃないんだよー(`д´ ╬ )!

Sumire.S > [RFS] ん、あれ、えーせーからメール来た。ほら、これも、えーきの携帯に転送しとくね!


「……ああ、済まないな、こんなんで。頑張ろうな、澄鈴。……って、お、お前、何を言っているのだ?!」


 俺が自然としみったれたようなことを澄鈴に零したが、彼女はそれを勇ましく払いのけて前向きなことを言って退けた……その矢先。そんな勇敢な彼女のありがたいお言葉が、木っ端微塵に吹き散らされた。

 彼女の可愛らしい電子音から、どう考えても、明らかに、理解不能な言語が検出されたのだ。

 同じ、日本語とは到底考えられそうもない。平安時代の古語でも喋ってもらった方がまだ理解出来る方だ。いや、言語とかそういう問題でも無いな。そうだ、オカシイのは俺の耳と、内耳神経に繋がれた脳みその方だ。ついでに心臓もおかしい。さっきから苦しい程にバクバクしっぱなしなのだ。動悸が止まらない、もう歳だって言うのか。

 とにかく、その言葉は脳の中をスケート選手のように軽々しく、短距離ランナーのように早々に、青白い静電気のように一瞬で、通り抜けて行った。理解不能な言語の通り抜けた跡には、トンネルを駆ける車の尾灯の赤色の輝きだけが靡くように疑問だけを残した。

 言っていることがしっちゃかめっちゃかで済まない。そのくらい混乱していると考えてもらって差し支えない。

 ただ、今、思うことは、もう一度、そのセリフを言って欲しいということだった。何かの聞き間違いだと思うのも仕方がないだろう。

 実際、衛世は特定の決められた時間以降に開示するという手法を使って俺に遺言と呼べぬメモを送ってきていたのだが、澄鈴の様子からするに、そういう絡繰りが用いられたメールでは無いのだろう。正に、今、この瞬間に送られてきたメール、そんな感じだ。

 だが、そんなことが、あるものか。死んだ人間から、現在進行形で、メールが届くなんて。あるわけがない。常識的に考えて有り得ない。


「冗談はやめろ、澄鈴。えい」


 どうせこの湿った雰囲気を一蹴するための冗談だろう。

 俺は、素早い動きで衛世自作のパソコンの横にあるUSBポートからUSBメモリを抜き出す。

 澄鈴は驚いたように「ぐぽー」という謎の擬音を上ずったような可愛らしい電子音で発声したが、何だかそれがエロい擬音に聞こえた赤面状態の俺は必要以上に力を込めてパソコンを閉じた。それと同時、澄鈴の「ぎゃっ」という小さな断末魔が途切れた。

 なるほど、彼女はパソコンの電源が途切れると会話出来なくなるらしい。全く、澄鈴の奴め、タチの悪い冗談はやめたまえよ。はいはい、シンミリタイムはこれにて終了だ。俺もお前と同じく、こういうキャラじゃないんだ。

 それから彼女の小さな悲鳴を聞き届けた後、机の上に陳列された衛世の防水メモや澄鈴の本体である脳の残骸が沈殿するやや太めの試験管、血で書かれた呪符、人差し指から引き抜いた銀の輪、澄鈴から引っこ抜いたUSBメモリを床に落ちていたビニール袋(多分、今日の夕方に買ったソーダアイスと付いてきたものだ)に丸ごと全部ぶち込み、衛世自作パソコンごとベッドの下に放り込む。ベッドの下はいらなくなった学校からの配布物や、ゴミ箱に(投げて)入らなかったティッシュペーパー、黒歴史の代表格卒業アルバム、その他多くの埃なんかが詰め込まれているから最高の隠し場所なのだ。

 よし、これで証拠隠滅完了だ。


「ご主人様、ただいま帰還致しました。何とか、異常はありません。ご主人様は、如何でしょうか?」


 と、澄鈴の退場と同時に音も無く俺の元に現れた少女は、特殊任務を与えたメイドのルナであった。

 彼女は階下であの女が入浴後に必ずラッパ飲みする牛乳瓶を隠すという大命を下された身だが、その作戦はかなり難航したようだ。彼女は珍しく、俺が全速力で駆けた際も見せることのなかった息を切らす姿を見せた。

 彼女の赤基調の和服や流麗な金髪も微かに乱れており、俺はルナに負担をかけ過ぎていないかが心配になる。まさか、また身体強化の術を使ったのではないかとも疑うが、リミッター解除を行う呪符は既にビニール袋の中にぶち込んであったのだ。

 まさか、オートで展開していると思われるこの幽星体(アストラル)の殻が彼女に負荷をかけているのか……?


「俺の方は問題無い。閲覧してないページのURLは澄鈴に頼んで俺の携帯に転送してもらった。そんで、あの女に見つかって困るものは隠した……。だが、ルナ、お前こそ大丈夫なのか? どうやら、かなり疲れているみたいだが」

「申し訳ございません。玲華様の牛乳への執着には驚きまして……作戦を独断で変更してしまいました。身勝手な行動、どうかお許しください」


 呼吸がようやく整ってきたルナが言うには、ルナが隠したはずの牛乳瓶はあの女によってものの数秒で見つかってしまったらしいのだ。

 頭脳明晰なルナの考察を挙げておくと、あの女は魔術を用いてたった数秒で隠された牛乳瓶を探し当てたという。確かに、あの女は今日の夕方辺りに第Ⅳ種魔術群(ヴィッセンシャフト)に属する粒子の流動に関する魔術が得意と言っていたな。恐らく、部屋の中で本来は観測されるはずのない粒子の流動がある位置、即ち、牛乳という粒子の流動が活発な液体を発見したのだろう。ルナはそれを踏まえ、あの女による牛乳への執着に驚いたというのだ。

 勿論、ルナからの報告を受けた俺自身も驚いた。何故って、それは、俺がルナに下した大命が失敗に終わってしまったということなのだから。これは、ご主人様としてメイドの上に立ち、メイドに的確な指示や命令を下さなければならないというご主人様としての威厳どころか、権利さえも剥奪される可能性もあるということだ。愚かな上官による愚かな命令で死に瀕する部下を見る程愚かしいこともあるまい。ご主人様、失格だ。

 しかし、それにも関わらず、階下からはドライヤーの騒音が聞こえる。彼女が通常通りに牛乳瓶を発見したというのなら、本来は階上にある自室に向かっている時間だ。運が悪ければ、俺の部屋にまで進駐してきている頃合いだろう。

 だが、現在、あの女はドライヤーで髪の毛を乾かしている。それもそのはず、そうでないと困るのだ。何故なら、如何に低級な知識であろうと、俺の『暁月の環』(グレモリー)が「絶対的に」運命を書き換える力を発揮したのだから。

 たとえ、牛乳瓶を隠す作戦自体が失敗しても、運命の書き換えは宝具の持つ絶対性とやらが何とかしてくれるはずだ。この場合であれば、運命を書き換える力によって突き動かされたルナがその場で立案した作戦が功を奏したということになるが、これは一種のバタフライ効果というヤツだろうか。

 やはり、低級な情報では、その低級な情報の先にある、このバタフライ効果こそが本命であるということまで伝達出来なかったのだろう。不便なもんだ。


「じゃ、じゃあ、一体どうやって時間を稼いだんだ?」

「最終手段です。玲華様の下着を、脱衣場に置かれていました箪笥の内、ご主人様の下着の中に隠してきました」


 ッ……それは、ほ、本当に最終手段だな。

 お前の頭の回転は大変素晴らしいと思うし、その場でよく優れた判断が出来たものだ。その行動力にも毎度感心してしまう。

 だが、お前もお前で躊躇というものが微塵も無いな。メイドという仮面を被っているだけで、実は相当な鬼畜なんじゃないだろうか。

 更に鬼畜なルナさんが細かく説明してくれたが、この場合の下着とはあの女にとって必要あるかも分からないブラジャーと、パンティーを含む(以上の情報は至極当然過ぎて死ぬ程どうでも良い)そうだ。

 しかし、ルナの言うとりわけ重要なポイントは、両者とも布地の面積が異常に小さかったので隠しやすかったということだ。そうして綺麗に畳んで箪笥の中の、俺のパンツの中に包み込んだそうだ。

 なるほどな、これなら、まず、見つかるまい。素っ裸のままのあの女は隠された牛乳瓶に続いて、隠された下着について訝しげな視線と共に脱衣所で下着を捜索し、やがて諦観と疑念の募る表情で新しい下着をわざわざ用意して着用したのであろう。

 そうすれば、僅かではあるが、俺の欲するだけの時間は稼げるはずだ。現に彼女は今、ようやくドライヤーを終えたところだ。つまり、ルナの作戦は成功し、『暁月の環』(グレモリー)の絶対性は守られた。運命の書き換えは成功したということになる。

 まあ、実際のところ、あの女が普段の身なりからは想像のつかないような布地の面積が異常に小さい過激な暗黒色の下着を身につけているのは熟知しているのだが(驚くな、殆どが紐パンだ)、その事実を利用して「隠しやすい」と何の躊躇いも無く言って退けたルナの真の鬼畜振りに俺は幾ばくかの驚嘆の念を隠し切れない。

 そう、俺が今、弁明したいのはそういうことだ。あの女の破廉恥な下着のことではない。それに、今更興味の無い女の下着で興奮する程、俺も子供ではないのだ。下着事情で言うのであれば、ルナ、お前の和服の中身の方がこの上なく気になっているのだ。早く脱いでくれ。ぐへへ。


「って、おおおお、お前! 何で、俺の、俺の下着の中に、あの女の下着を隠しているんだ! 俺の仕業だと思われるだろうが!」

「申し訳ございません、ご主人様。しかし、そうは仰っても、衛世様や玲華様の下着の中に隠すことは躊躇われまして……」

「あの女の下着なんだから、最初からあの女の下着が入っているところに隠せば良かったじゃないか! っていうか、何でご主人様の下着なら良いと思ったんだ!」

「ご主人様の下着なら……その、朝方に、既に拝見させていただいております故……。それに、ご主人様の下着、延いてはお召し物に抵抗感を抱いているようではメイドとしての役目が成り立つでしょうか」


 ルナは照れた調子で反語表現を用いた返答をしたつもりなのかもしれないが、残念ながら、当然ながら、俺が望んだ返答とは一パーセントも掠っていない。それこそ小数点以下の数値にさえ掠っていない。

 それに……ああ、もう、思い出したくないこと思い出しちゃったよ。そうだった。俺はフィリップさんに眠らされていたから覚えている道理が無いのだが、朝方、ルナはずぶ濡れのままの俺を自室のベッドまで届け、お着替えまでしてくれたのだ。

 このお着替えというのは、寝巻き代わりのジャージの上下(これはもう昨夜の戦闘の余波でズタボロに裂けているので処分されたそうだ)だけに留まらず、下着まで取り替えられていたというのだから背筋がゾクゾクしないはずがない。

 お陰で風邪も引かずに元気な俺はここにいるのだが、この言いようも無い恥ずかしさはどのように忘れれば良いのだ。暗記科目の苦手な俺だが、どうか、今一度、忘れる方法を教えて欲しい。

 っつうか、マジで俺が下着泥棒としてあの女にしばかれるような事態が起こってみろ。あの女はやる時はやる女だし、この家の洗濯業務を携わっている以上、彼女こそ俺の下着への抵抗感も躊躇いもないだろう。

 彼女が牛乳瓶の隠匿から何かを察して俺の下着の中から彼女の破廉恥極まりないブラジャーさんとパンティーさんを発見する可能性も無くは無いのだ(さっきは無意識に見つからないと断定してしまったが、不安になってきた)。

 それこそが指輪の定めし運命だと言うのか? ああ、ヤバいよヤバいよ。


「いやいや、ルナさんよ。もし、あの女に下着の隠し場所がバレてでもしてみろ。俺が真っ先に下着泥棒の冤罪を……」

「時間です、ご主人様。間も無く玲華様が二階へやって来ます。私めとの会話が続くとご主人様が今夜、大きな不利益を被る可能性があります。今夜の旧滝沢邸への侵入は後ほど検討致しましょう。では」

「ちょ、ちょっと……!」


 俺が麻痺も完全に回復したであろう脚で壁を蹴って、タイヤ付きの椅子をゴトゴトと鳴らしてルナの真ん前で抗議するも、彼女は早々に会話を切り上げてしまった。そのまま彼女はやや乱れた紅の和服を直し、深くお辞儀をして部屋の右隅に控えた。

 このメイドに言いたいことは山程あるのだが、ここは大人として、ご主人様としてグッと抑えよう。それに、これはメイドたるルナのありがたいご主人様への配慮なのだ。俺もこの配慮を無下にして、あの女にルナの存在を教える程愚かしくはない。

 さっさとあの女が寝静まるのを待ってから、俺とルナの二人だけでこっそりと旧滝沢邸にまでお散歩に行って、楽しい函の作り方のご本を奪ってきてやるつもりだ。

 だが、問題のあの女はどういうわけか、自室に入って数秒後に廊下へとんぼ返りしてきたような……音が聞こえた。スリッパをぺたんぺたんと鳴らす音が段々と近付いてきて、我が自室に取り付けられた薄っぺらいドアに終末を告げるノックが二回。終いにはこちらが応答する前にあの女はドアを弱々しく、しかし強く主張するように開けて入ってきたのだ。何故だ。

 彼女は青地に水色のいやに鋭角のあるスペードのスートが散りばめられたパジャマ姿で、湯上がりでほっかほかという様相でもないが、微かに頰を赤く染めている。彼女はそんな火照った顔を両手でクロスするように持っていたもっこもこでピンク色の、これまたスペードのスートが散りばめられた枕に埋めている。彼女は自室でこれを取りに行っていたのか。


「あ、衛紀くん……。お勉強の邪魔、しちゃったかな?」

「いや、お勉強なんて全くしていない。で、でも、出来れば第二象限とか第三象限について知りたいかなあ。知り合いが得意げに言っていたもんで」


 ど、どうしてだろうか。百パーセント、嫌な予感しかしない。

 はははは、どうしてパジャマ姿で枕なんか持って俺の部屋に入ってくるのか。数学や世界史なんかより、まずはその理由を教えてくれよ……!


「勉強はいつでも教えてあげるけど、今夜は衛紀くんと一緒のベッドで寝たいな……。ダメ、かな?」


   ***


 雫の垂れる音が、一つ木霊する。

 狭い空間に響く音はそれぞれの終着点へ向かい、そこから帰ってくる。

 こうしてただの音は、跳ね返され、混ざり合い、複雑かつ流麗な木霊と成る。

 調律された木霊は、この狭い空間にある直径八ミリから九ミリ程度の小さな膜を振動させる。振動はいくつかの骨片を物理的な振動に変え、更にその物理的な振動は小さなプールを揺らす。

 一般的に、そのような役目を持つ小さな膜を鼓膜と言う。人間の頭部の左右側面にある平衡聴覚器の中に、それらが左右一枚ずつ存在する。


 そう、この水の張られた狭い空間には合計四枚の鼓膜が存在した。

 良いか、合計四枚だ。合計、四枚だ。


 というか、回りくどい言い方が嫌いな俺としては妙に回りくどく、且つ意味不明な表現をしたものだ。許して欲しい。状況が状況なのだ。


「な、何故、お前まで同時に入るのだ。入るにしても、俺と同時に入る必要もあるまい。め、目のやり場に困るだろうが……」

「何を仰いますか、ご主人様。ご主人様はお命を狙われている御身でございます。ご主人様に害を為すものを薙ぎ払い、且つご主人様の御身をお守りするのが私めの役目でございます。それが、たとえ、入浴時であっても例外ではございません」


 というルナの熱く堅い信念の元、俺とルナの二人は同じ湯船に浸かっていた。

 我が家の風呂は、田舎特有の極上の檜風呂でも、懐かしのドラム缶というわけでもなく、ごく一般的な作りをしている。そのため、二人で入浴すれば、否応なく目の前にぶら下がる甘く大きな果実の付け根を観察せざるを得ないくらいには狭くなるのだ。

 いやいや、目は可動範囲内なら自由に動かせるわけだが、正直言って、日々のストレスを抱える思春期、青年期真っ盛りの男子の視線はその雪のように白く、微かに火照る果実に釘付けになるのも仕方のない現象だろう。

 口では目のやり場に困る……だなんて言っているが、目は口ほどに物を言うとはよく言ったもので、俺は面白いくらいにルナのおっぱいしか見ていなかった。俺はアニメや漫画の主人公のように視線を逸らす素振りさえ出来ないし、ルナも大して気にしていない、というのは多分嘘だが(段々と顔まで火照ってきている)、取り分け静止の声が入らないので問題無さそうだ。

 というより、口を半開きにして頰を染めているルナ、のエメラルドの瞳から放たれる視線こそ、俺のそれなりに鍛えてある胸板や腹筋を数秒注視し、それから視線を腹筋から下へ滑らせている辺り(下げては上げ、下げては上げを繰り返している)、お互い様と言ったところであろう。

 それ故に己の身体を隠す挙動を取らないのも男として恥ずかしいことだ、というよりは寧ろ「ルナも隠していないのだから。お互い様だから」という一種の責任感と罪悪感からであった。今、俺たちは生まれたままの姿で向き合い、互いの身体を無言のままで観察し合っていた。

 いやいや、そんなに視線の乳繰り合いをしたくないのなら(たとえそれが本心でなくとも、男は形式上そう言わなければなるまい。俺は今、名言を言った気がする)互いに背を向けて湯船に入るという方法もあるではないか。

 確かにそのようなメソッドもあり、実際に俺の進言通りに俺とルナはその体勢には一度はなったのだ。だが、これがまたルナの背中全体と(失礼な物言いなのは分かっているが、俺はそういうのが大好きなのだ)大きくまん丸なお尻が当たり、視覚では決して得られない柔らかさや温もり、視覚以上のエロスを受け取ってしまった俺は再度この体勢へと戻るように要請したのだった。

 というわけで、そうなのだ、俺は大きな胸と大きなお尻が大好きなのだ。世は正に大尻巨乳主義。目指せ撲滅ロリコーン(燎弥、フィリップさん、お前らのことだ!)。

 だが……ルナさんよ。大きい胸も大きいお尻も大好きだが、メイドの身の上で、鞘も被せていない大きなモノを放置とは、如何なものかと思うぞ。勘違いしないでくれ、いかがわしい意味は無いからな。


「ルナ……お前、そんな物騒なものまで、どこから持ってきたんだ。怖いから安易に壁に立て掛けて置かないでくれ。倒れてきたらどうする気だ……」

「玲華様は研鑽された剣技の心得があると聞いております。この浴場という狭い空間で彼女に強襲された場合、彼女の持つ剣の間合いに入らざるを得ません。この場合、魔銃を放つ前に真っ二つになってしまうので、構えだけで防御となるロングソードの類が有効であると考えたので、ご用意させていただきました」


 メイドのルナに「狭い」と評価されて若干の哀愁を漂わせる我が屋の狭い浴場には、誠に恐ろしいことに、鍔の広がり方が特徴的な西洋剣がすぐ手の届く範囲に設置されている。

 本日は鋸や鉈を除いたとしても、「盗蹠」という読み方の分からん漢字二文字の銘が彫り込まれている日本刀や氷製のレイピア、獄炎を纏うツーハンデッドソード、神の一物をも切断する金色の鎌刀、持ち主の背丈以上の大きさのある幅広片手剣……と、法外な量の刀剣類をお目にかかっているのだが、ルナがどこからか用意したその西洋剣もまた相当な業物であった。

 しかし、本日見た刀剣の中ではまだ落ち着いた方かもしれない。剣全体は確かに大きい部類には入るのだが、肝心の持ち主であるルナよりも小さいし、氷や炎を纏ってもいないし、煌びやかな宝石が鍔に散りばめられていたり、黄金の柄を持っているわけでもない。

 同一の逆態接続を重ねて使うのも些か言語能力が無いと思われるのも承知で言わせてもらうが、しかし、この鍔の広がりが特徴的な西洋剣は、あの殺人鬼の携えていた血刀にも負けぬ鮮烈な凄みや迫力がある。まあ、簡単に言うとだな、今日見てきた刀剣の中でも、圧倒的に強そうなのだ。明確な根拠があるわけではないが。

 うん、そうだな。確かに、ルナの見立て通り、構えるだけであの女が持っている幅広の片手剣さえも鍔迫り合いに持っていけそうである。即死は免れるはずだ。


「まあ、黄金色の柄を持つあの幅広大剣で襲われたら間合いには入るだろうな。何せ、持ち主の背丈よりも刀身が長いんだから。それで、その、何だっけ。大昔の地雷にもついてそうな、その西洋剣の名前」

「クレイモア、ですね。よくご存知で。紀元前の世で衛世様がケルト系のご友人からこの大剣についての扱い方をよく語っていたので、それを真似て作ってみたものです。使う機会が無ければ良いのですが……」


 ま、また出たよ、紀元前ネタ。いつまでそのネタが続くのかは知らんが、相変わらず父の人間関係には疑問符を打たざるを得ないことだらけだ。

 当の本人であるルナや国連主要機関の長であるフィリップ大総統、悪の枢軸港元市の魔女である矢吹遥に霧谷優梨、大事故から命を救われた電脳間脳少女の澄鈴……昨晩から本日にかけて新たに遭遇した人物は必ず父との関わりを持つ人物である。

 何というか、世界は狭いっつうか、出来過ぎた話だなあと思う。父の死をきっかけに、父の役回りが全て俺に覆い被さって来た感覚だ。このまま順当に行けば次はケルト人の剣闘士、若しくは鍛冶職人のお方ともお会いするらしいぞ。バグパイプとキルトでお出迎えすれば良いのだろうか。

 そして俺は、ルナにクレイモアと呼ばれた鋼の塊を見上げる。刀身は鋭いまでの銀光を放っており、どこか父の形見である銀の指輪にも似た印象を覚える。全く、ルナも言ったが、コイツを使う機会が無いことを祈るまでだ。


「まあ、警備上の問題は良いとして、だ。ルナ、今後の作戦についてだが……今夜は諦めよう」

「はい、私もそのように奏上するつもりでした。我々は完全にあのUSBメモリの中身のデータを確認したわけではございません。このまま旧滝沢邸に侵入するのは、性急が過ぎるかと」

「そういうことだ。澄鈴が言うに、あのUSBにあったURL先のページでセキエイシステムの力が必要となるのはあの殺人実況だけだ。残りのページは携帯からも閲覧出来る。と、いうわけで、明日は携帯の修理に取り掛かり、全てのサイトを閲覧。完了次第、旧滝沢邸に行こうと思う。異論はあるか?」


 ……正直に言うと、俺が今夜の旧滝沢邸の秘密の地下図書館への侵入を控えたのは、既に俺のベッドの上であの女が俺の帰りを待っているというのもあるが、風呂に入ったらもうやる気が無くなってきたからだ。

 風呂って、凄いよな。疲労が洗い流されるからこそ、今日一日蓄積された異常なまでの疲労を意識してしまうのだ。思えば、爆速自転車ダッシュと麻痺のダブルパンチで脚が死滅寸前の状態だったのだ。この脚のままで果処無村までの険しい山道を登り、瓦礫だらけの旧滝沢邸内に侵入してはルナの足手纏いとならざるを得ない。

 というわけで、ルナの奏上(何だか、古文で見かけたような表現だ。後で古文単語帳で見てみよう)した内容のことなんて一ミリも考えていなかった。確かに、このまま知識不足のままで乗り込むのは危険かもしれない。

 はは、脚のコンディションも最悪で、余りの疲労で頭も回転していないらしい。これはいつも通りかな。悲しいことに。

 だが、ルナがいれば何とかなる。そんな気がした。


 目下のところ、大きく不明な点は二つ。


 斬殺事件や儀式など、果処無村で発生している忌まわしい事件についての謎。

 『例外』(インダルジェンス)を纏う魔術師たちを派遣した港元市の真の目的についての謎。


 その二つの謎を結びつける情報こそが、ゴスロリ殺人実況が浮かび上げた『咒殺子凾』の製造法だ。この函の製造法を知ることが、俺たちの大きな一歩となるはずだ。これが果処無村と港元市の繋がりへの鍵となる。


「それで行きましょう、ご主人様。異論はございません」

「よし、明日こそは、叛逆の時だ」


   ***


 だが、日本人のクセに港元市門外不出の数列爆弾を使った漢4のカガリって一体何者なのだろうか。生死不明だし、村の人間でも無さそうだし。

 あー……っていうか、我が自室のベッドの上で待っているあの女が怖くて、風呂から上がれねえじゃねえか。このまま正面で浮かんでいるルナのおっぱいでも拝んでいようか。そうしよう、それが良い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ