第七十九章:逃亡
亜希が振るった一撃は、大蜘蛛の長い脚を一本切り落とした。
重鈍な鉈による斬撃は、彼女の力でも容易く硬い甲殻を切断し得る。
だが、それはやはりこの動物兵器に致命傷を与えるには至らない。
「……きゃっ!!」
蜘蛛は残った脚を使って、亜希から鉈を跳ね飛ばした。
根本から切り落とされた脚から体液を垂れ流し、牙を剥いて亜希の腹へと突っ込んでいく――。
「……らぁああっ!!!!」
その時、あり得ない方向からの援護があった。
先ほどボロ雑巾のように跳ね飛ばされた筈の船橋だ。
身体に掛かった負荷は相当な物だった筈だが、格闘家みたいに鍛えられた筋肉が幸いしたのか、彼は交通事故さながらの衝撃をものともせずに蜘蛛の脇腹に鈍器の一撃を加える。
それで、悪魔の巨体が飛んだ。
殆どさっきの鏡写しだ。
黒い悪魔は壁へと大きく跳ね飛ばされ、鈍い音を立てながらボトリと床に落下する。
「逃げるぞテメェら!!
今すぐこの部屋から出ろ!!」
――逃げる。
つまり船橋は、アレは自分たちにどうにか出来る物では無いと悟ったのだろう。
そして、その判断は正しい。
あれだけの攻撃を受けても、あの悪魔は何事も無かったかのように立ち上がっているし、しかもそれは、まだアレの動物兵器としての強みですら無いのだ。
――ほんの少しでも腹を裂いてしまったら、そこからウジャウジャと溢れてくるであろう、無数の蜘蛛の幼生。
その事実がある以上、アレは倒す倒さないという次元の生き物では無い。
下手に傷つけるのは逆効果。直接的な排除は詰んでいると考えて良いだろう。
大蜘蛛の姿をハッキリと確認する前に、僕たちは警備室から逃げて、勢い良く外から扉を閉めた。




