第七十七章:応戦
悪魔は、弾丸みたいな勢いで僕に向かって突っ込んで来た。
この場に居る三人の中で、僕が襲われる可能性は三分の一。
数値にして約三十三パーセント。
でもこれは不運では無く必然だ。
野生動物が手負いの獲物を優先して狙う事なんて、今どき小学生だってテレビの特番なんかを見て知っている事実。
目の前に迫る大蜘蛛の巨体を眺めながら、僕の頭の中には仔蜘蛛に食い散らかされて藻掻く氷室の姿が何度も何度もフラッシュバックする。
「うあぁああっ!!」
だから僕は、咄嗟に右手に掴んでいたバタフライナイフを投げつけて応戦した。
僕が襲われるのは必然。
そして、だからこそ、前もってある程度の覚悟が出来ていた事が幸いした。
カニのように大きく脚を広げ、抱きつくように僕に飛び掛ってきた大蜘蛛の腹部に、鋭利な刃物が墓石のように突き刺さる――。
「なっ――!!」
だが、何の意味も無かった。
蜘蛛は一瞬だけ怯んだように見えたが、こんな小さな刃物が固い甲殻を持つ怪物に致命傷を負わせられる筈も無い。
毛むくじゃらの巨体は、轢き潰すように僕の身体目掛けて突っ込んでくる。
目の前にナイフと同じくらい大きな牙が迫ったその瞬間。
僕は、自らの運命を覚悟して目を閉じた。
「うぉらぁあああっ!!!!」
その時、左側から雄叫びが響いた。
僕の視界が暗転した瞬間に聞こえた、大口径拳銃の発砲音のような打撃音。
再び目を見開いた僕の視界には、船橋が折れた点滴台を金棒のように振り下ろして、悪魔を一撃で地面に叩き伏せる光景がスローモーションみたいに流れていく。
――パキパキ、という軽い音。
ゴキブリを踏み潰したようなイヤな音が聞こえた、次の瞬間。
脳天をかち割られた悪魔は、何度か脚をバタバタ痙攣させて、それきり動きを止めてしまった。
「船橋……」
あまりの出来事に頭がついていかずに、僕はそう言うのが精一杯だった。
どうしてコイツは、こう平気な顔で危険に突っ込んでいけるのだろう?
危険から逃げるクセのある僕だからこそ、コイツのこういう所だけは素直に眩しく思えてしまう。
「……ったく。油断してんじゃねえ」
点滴台を軽く振って、糸をひく悪魔の体液を切りながら。
船橋は、当たり前のようにそう言って頭を掻いていた。
「ふん、ナニよこいつ。
完全に見かけ倒しじゃない」
もう危険が無いと判断したのか、右側から覗きこむようにして亜希が来る。
そしてナニを思ったのか、爪先で蜘蛛の頭をチョンチョンと弄り回し始めていた。
……彼女には、恐怖とか嫌悪っていう感情が無いのだろうか。
どうでもいいが、彼女の容姿で虫を足蹴にするのは絵面的にあまりよろしくない。
「……ま、所詮は虫ケラって事だろ。
人間様の敵じゃねぇってこ――」
何となく落ち着いた、剣呑な雰囲気が漂い始めた頃だった。
「ご……ふっ!!」
鈍い音を響かせながら。
船橋の身体が、ボロ雑巾みたいに宙を舞った。




