第七十六章:悪魔
反射的に振り向いた。
振り向きたくなんか無い。
でもソレをしなくては、どうなってしまうのかなんて分かりきっていた。
ギチギチと音が鳴りそうな関節に負荷を掛けて、断頭台に首を乗せているような絶望感と共に、僕は凍傷に罹ったように重たい首を回す。
「…………っ」
その瞬間に覚えた恐怖を、何と表現すれば良いのだろう。
目の前に居たのは、さっきまでモニターの中に居た筈のあの怪物。
――そう。さっきまでは、所詮モニターの中の話でしか無かったのだ。
――醜悪だ。気味が悪い。
画面越しに漠然と感じていたそれらの感情は、しかし画面越しである限りはあくまで他人ごとでしか無くて、だからソレが実際に自分の前に現れた瞬間にこそ本当の恐怖へと変貌する。
悍ましいほど黒く、ウゾウゾと蠢く腹を引き摺る大蜘蛛は、何の感情も見られない機械じみた八つの眼球でギョロギョロと僕たちの顔を眺め回していた。
生理的嫌悪感を抱かせる、キチキチという不気味な音。
それは腹の中で孵化した仔蜘蛛が、腹を食い破って生まれようと暴れている音だった。
――親殺しの音。
ああ、そうだ。それはとても苦しいだろう。
きっとこの母蜘蛛は、喰われてしまった氷室と同じような苦痛を、ひたすら緩慢に受け続けているのだ。
それがどうしようもなく苦しいから、何か他の生き物に押し付けて、どうにかして自分だけは助かろうとしている。
なんて悪い冗談なんだ。
僕だって、モンスターパニック系の映画くらいは見たことがある。
でも、ああいうのはあくまで映画の中だからこそ楽しめるものだろう?
ソレが画面から抜けだして、まさか自分が映画に出てくる名も無き被害者Aみたいな立場にされてしまうだなんて、これが悪い夢じゃなかったらなんて言う?
半開きになっていた扉を押しのけて入ってきた、絶望の悪魔。
ソレは黄土色の毛がギッチリと生えた触覚を振って、牙をギチギチと動かして、僕たち三人の姿を真っ赤な目でギョロギョロと睨めつけると。
――瞬間。
凄まじい勢いで、僕に向かって跳び掛かって来た。




