第五十章:家族
そうして、どれくらいの時間が経ったのだろうか。
氷室は相も変わらず、まるでそういう機械のように黙々と解錠に耽っている。
……時折緑茶を飲むことから人間だという事は確認できるが、傍から見ている分には進んでいるのかどうかちっとも分からない。
ずっと不満顔でそれを眺めていた船橋はというと、
『んだよ、酒はねーのかぁ?』
なんて最初の内はぼやいていたが、今ではハムを摘みながら炭酸飲料を飲んで寛いでいた。
……どうでもいいが、船橋は未成年の時に逮捕され、それからずっと少年院か刑務所に入っていた筈だ。
酒の味を知っているなら、完全に法律違反である。
「? 浮かない顔してるじゃない。
……腕、痛むの?」
手持ち無沙汰に彼らの様子を眺めていると、隣から亜希に声を掛けられた。
普段から、唯我独尊な物言いが目立つ彼女だ。
僕の傷を気にかけてくれているのは少々意外で、正直に言えば嬉しかったのだが。
この傷の事を思い出すと、どうしようもないくらいに胸が痛んだ。
「……いや、今のところは問題無いよ。
大丈夫だから、できればその話はしないで欲しい。
気にすると痛み出すからね」
なるべく苦笑に見えない苦笑で、自嘲気味に呟く。
まあ、その、何にしても。
彼女もこれで、意外と優しいところもあるという事なのだろうか。
……と、一瞬だけ思ったのだが。
よくよく見ると、彼女の周りには空っぽのボトルが2本も転がっていて、今は3本目を豪快に飲み干している真っ最中のようだった。
本当に心配してくれているのか、どうにも疑わしくなってしまう。
「ナニよその目。
せっかくあたしが気遣ってあげたっていうのに、不満だっていうの?」
「だからこそ、っていうのはダメかな?
同じモノだって食べちゃったし、僕にとっても他人ごととは思えないからね」
「あはは、言えてる~。
確かにあたしが気を遣うなんて、ナニか悪いモノでも食べなきゃ――ってはぁ!?」
うわ、凄いな。
5kmは遠回しに皮肉ったつもりなのに、誤差2秒でノリツッコミまで返してきた。
実は頭の回転が速いのか、単純に僕の性格を掴んできただけなのか。
……どっちでもいいから、取り敢えず仕返しに僕の左腕を突っつこうとしているその人差し指は止めてくれ。ホント洒落にならないからソレ。
「――ったく。
ほんっと、アンタ。一言一言がいちいちムカつくのよね。
まったく、どんな親に育てられたのやら」
苛立たしげに眉を潜めて、亜希は言う。
……まったく。
何て返答すればいいのか、ここまで迷う質問も珍しいな。
「……、親は居なかったんだ。
子供の頃は親戚と住んでたけど、物心ついてからはずっと妹と二人暮らしだったよ」
――まあ、はぐらかす程の事でも無いだろう。
スポーツドリンクの残りを飲みながら、僕は淡々と事実だけを述べる事にした。
「へ――?
……そう、なんだ。
悪いこと、聞いちゃった、かな」
地雷を踏んだと思ったのだろう。
僕の答えを聞くなり、亜希は気まずそうに目を伏せてしまった。
普段の傍若無人ぶりを知っているだけに、彼女にこういう態度をされると、少し気まずい。
「いいよ、気にしてない。
大体、親が居れば幸せってわけでもないだろ?
ウチは、他の家庭よりもよっぽど幸せだって自信があるよ」
機嫌を取るつもりは無いが、正直な気持ちを告げることにする。
確かに、ウチには親がいなかった。
おかげでしなくても良い苦労なんていくらでもあったし、運動会や授業参観の時に辛いと感じた事も一度や二度じゃない。
でも、僕はそれを不幸だなんて思ったことは一度もなかった。
だいたい、僕にはかけがえの無い家族が居るのだ。
それ以上を望むなんて、あまりにも贅沢すぎる。
「……、そっか。
うん。そう、だよね」
亜希は、何かを思い出すように目を細めていた。
遠くの景色を眺めているように手元のボトルに視線を落として、空っぽのそれをクルクルと回している。
「……、ちょっと、分かるかも。
ウチも、親は居なかったからさ」
そして。
独り言のように、そんな言葉を零したような気がした。
「交通事故でね。
あたしとお姉ちゃんだけは助かったんだけど、お父さんとお母さんは2人共死んじゃって。
……その事故った相手っていうのが、またちょっと悪くって。
親戚がイロイロ揉めてる間に、最後はお姉ちゃんと二人っきりにされちゃってさ……」
「…………」
――少し、驚いた。
彼女――亜希は、明るくて自由奔放な少女だと思っていた。
いや。多分、実際にそうなのだろう。
普段の彼女の言動からは、こんな暗い過去なんて全く想像することも出来ない。
だからこそ、驚いた。
過去を語る彼女の声は、決して明るい物なんかじゃ無かったのに、それでも一切の悲壮感を覚えさせるものではなかったからだ。
きっと、彼女は――、
「それでも、幸せだったんだろ?
亜希はその姉に、かなり大事にされてきた筈だ。
そうじゃなきゃ、そんな性格になんか育つもんか」
――そう。
きっと彼女も、過去の寂しさを埋めて余りある程に幸せだったんだ。
親が居なくて、親戚にたらい回しにされて、それでも何の関係も無かったのだろう。
だって家族の大切さっていうのは、数なんかで決まる物じゃないのだから――。
「へ? えぇ!?
ちょ、い、いいいま、亜希って!!
アンタ、なにいきなり名前呼び捨てにしてるのよ!!」
亜希が、突然パタパタと騒いでそんな事をいう。
……ミスった。
どうやら、彼女の名前を呼んだのはこれが初めてだったらしい。
特に意識していたつもりも無いし、名前を教えてきたのはそっちじゃないかとかイロイロと突っ込みどころはあるが、“君”で定着していたこともあってけっこう驚かせてしまったらしい。
おかげで亜希は、パタパタと忙しい手でトートバッグの紐を引っ掛けてしまうし、結果中身が盛大に床に――、
「――って、あれ?」
その瞬間に見た物を、いったいなんて形容すれば良かったのだろう。
呆れがちに亜希の奇行を眺めていた僕は、散らばった資料の中に、ナニか奇妙なモノが紛れている事に気がついて目を留めた。
……なんだろう。
説明書みたいなツルツルの紙に、なんか目の前の扉にくっついている装置とすごく似たような図が描いてあって、どう見ても明らかに8桁の数字が記されているようにしか見えない。
「ウソ。これって……」
――瓢箪から駒。
2人で完璧にフリーズしながら、僕の頭には何故かそんな言葉が浮かんでいた……。




