第三十六章:相原奈菜
視界が、ツクリモノのように歪んでいく。
脳の神経が刺激に飽和して、目の前の世界が過去に向かって逆行していく。
やがて、その中のワンシーン。
僕の人生に於ける、ある一点で映像が止まって――。
――――。
「ごふっ……!?」
ある日の休日のベッドの上。
快適な安眠を一撃で吹き飛ばす、腹を貫く鈍い痛みで目を覚ました。
胃とか肝臓とか腎臓とか、そういった大事な臓器がいっぺんに全部潰れてしまったかの様な鈍痛。
何が起きたのか分からずに、ベッドの上でイモムシみたいに悶絶する。
「お兄ちゃ~ん♪ おっはよーっ!! お目覚めいかが~?」
やがてひとしきり苦しんだ頃、お腹の上の方から降ってきた声。
それでやっと、自分の上に乗っている異物の存在に気が付いた。
今年から高校生になったというのに、まだまだいたずらっ子のような雰囲気の抜けない、あどけない少女。
そう、彼女は――、
「……奈菜。朝っぱらから何をしてる?
いやそもそも、なんでここに居るのかな?」
無防備な腹部にヒップドロップを決められたダメージはまだ抜けず、僕はうめくような声でそう返した。
――そう。
彼女は僕の妹、相原 奈菜だ。
確かこの時にはもう、僕は大学に進学していて、地元から離れて寮で暮らしてたんだっけ……。
あ~、と、そうだ。
確かその寮に、この日彼女が来た理由は――。
「へー。“何で”なんて、流石にエリート大学生さんは言うことが違いますねー。
……お兄ちゃん、今日が何の日か忘れちゃったの?」
菜々は覆いかぶさるような姿勢で、上から僕の顔を覗き込んで来る。
ネコのように大きな、可愛らしい瞳は、でも何故か怒りと不安の間でユラユラと揺れているように見えてならなかった。
――ああ、そうだった。
この日は、確か――。
「あー……、うん。もちろん覚えてるよ。
今日は奈菜の誕生日だ――って、あれ?
おかしいな。じゃあ、何で僕は寮にいるんだ?
確か、誕生日には帰るって約束してたはずなんだけど……」
「お兄ちゃん♪」
寝起きの鈍い頭で考えこむ僕に、奈菜は天使の様な笑顔を浮かべて言う。
その薄皮一枚の笑みの下に、サタンも裸足で逃げ出す程の怒りを秘めながら――。
「信っじられない、ばかアニキっ!!
昨日あたしが電話したら、
『うぅーん……。ゴメン、もうムリ……。そっちが来れば?』
とかなんとかワケわかんない事言ってたくせにっ!!
ナニ!? ナニ寝てんの!?」
ぐわぁぁあっと、凄まじい剣幕でまくし立てながらユサユサと肩を揺する我が妹。
――おわ、なんてモノスゴイ高周波。
やばいくらい耳がキンキンする。
「わ、分かった!! 分かったってば!!
だから、ちょっと、待っ!! あ、頭イタ……」
頭痛と吐き気をこらえながら、僕は必死に奈菜を制止し続けた。
ああ、そうだ。この日は、確か……。




