第一〇四章:孤立
――そうして、どれくらいの時間が経ったのだろう。
数日だったような気もするし、数ヶ月だったような気もするし、もしかしたら数年だったのかもしれない。
僕は大学を中退して、とある製薬会社に勤務していた。
一般に知られている大手製薬会社の裏の顔。
お茶の間に間抜けなミュージックと共に、子供ウケするCMを流している会社にあって、大学を中退した僕ですら雇ってしまうようなまともじゃ無い部門。
――端的に言えば、この会社は武器商人。
需要次第で国際法スレスレの商品を売り捌く、この国の財界の暗部とも呼べる部分なのであった。
この会社に誘われたきっかけは――、なんだったかな。
僕の提出したレポートを見たお偉いさんが来たからだとは思ったけれど、詳しい事情なんかもう覚えてもいない。
――だって、心底どうでも良かったから。
僕に資金と場と人材を与えてくれるのなら――。
犯罪者を抹殺するための手伝いをしてくれるって言うのなら、僕にはそれ以外に興味のある事なんか何にもなかったのだ。
僕がどうして医学部に行こうと思ったのか。
医学部に入って、どうして犯罪者と人間の違いなんかを探していたのか。
そんなの今となってはとっくに忘れてしまったけれど、きっとそれも殺す為だったのだろうと思う。
サンプルAとBを分離する為には、AとBの違いを探せばいい。
犯罪者と人間の違いが遺伝子レベルで特定出来れば、その違いを標的にするウイルスなり細菌なりをバラ撒いて、犯罪者だけを抹殺することなんか簡単に出来てしまう筈なのだから――。
……まあ、結局その違いを見つけるところには行き詰まってしまったので、この際そっちは別の誰かに任せる事にして、僕は先に悪魔を抹殺する手段の方を用意しておく事にしたのだった。
それが、彼女への手向けになるのだと信じて――。
ウチの部門は、十分な医学の素養さえあれば学歴や年齢は特に問わなかった。
いや、問えなかったと言った方が正しいだろう。
どうも殺人兵器の作成っていうのは、ただでさえ志願者が少ないっていうのに、まともな神経で続けるのは難しいらしい。
少なくとも、ウチじゃ一年続けられる人間はかなり稀だった。
結果として人材により好みなんか出来る筈も無く、この頃には年齢的にはまだ学生の僕が研究チーフを任されていた、って言えば、ウチの人材不足の深刻さも大体分かって頂けるだろうか。
……まあ、言ってもそれは、別に僕がお飾りという意味では無い。
実際問題、僕より熱心に仕事に打ち込んでいる人間なんか他に居なかったし、僕は他の誰よりも上手く兵器が作れたから、いつかチーフになるのは当たり前といえば当たり前の話だったのだけれど。
――皮肉なもので。
彼女を失った事が原因で、僕は花火大会が出来るほどの金を自由に出来る立場を手に入れてしまったのである。
持っていても使い道なんか無いし、だからその金を捨てるように投資して、僕は更に新しい兵器を作っていった。
そうなると更に手元にお金が入ってきて、持っていても仕方ないからまた兵器の開発に投資する。なんとも素敵な循環だろう?
……どんなにお金があって、名前入りの花火をいくつ打ち上げたって、見てくれる人が居なきゃ意味なんて無いのにね。
「ふぅ…………」
僕の為に用意された大袈裟なデスクに座って、僕は今日の分のレポートに目を通していく。
――実験結果は、予想よりも遥かに順調。
はっきり言って、天然痘やペストなんか目じゃないと自負するほどの完成度だ。
……インフルエンザくらいで生物兵器の陰謀論を唱えている輩には、一回本物の生物兵器ってやつを見せてやりたいものだな。
本物は、あんな天然物なんかとは次元が一つ違うんだ、ってね。
――なんて、僕もちょっとはこの仕事が板についてきたのかな?
小さな達成感と充実感をもって資料を置いて、その時。
僕は、資料の間に見慣れた紙が挟まっているのを見つけて目を留めた。
――転属願いだ。
「……、またか」
ポツリと、何の感慨も無く呟く。
……どうも僕がチーフになってからというもの、只でさえ多かった異動希望の数に拍車が掛かっているような気がしてならない。
軟弱な連中の言い分なんか聞く気にもなれなかったけれど、曰く――、
「相原さん……。貴方は、どうしてここまで出来るんですか?」
「ぐじゃぐじゃに腐ったあの女の子が、毎晩夢に出てくるんです。
……このままだと、頭がおかしくなる」
「……ごめんなさい。
こんなの、人間に続けられる仕事じゃ無いです」
――とのことらしい。
彼らの言っている意味はよく分からなかったけれど、要約すると、連中は僕が犯罪者を積極的に実験動物に使っている事が気に入らないらしい。
……まったく、おかしな奴らだ。
あの悪魔どもを人間扱いするなんて、頭がおかしいのはどう考えたってそっちじゃないか。
大体、確かに実験動物を警察に捕まる前に確保したり、手懐けた警察から流してもらったりする費用はバカにはならないけれど。
お陰で僕は、他の班のチーフに比べたって抜群の業績を誇っているんだろう?
コイツらは何の文句があるって言うんだ?
「……まったく。
これ以上人が減ったら、流石に実験に支障が出るっていうのに――」
皮肉げにぼやきながら、僕は今週に入って何件目かの転属願いを受理した。




