第一〇三章:狂気
――あれから一年が経った。
大学二年生となった僕は、医学部に進学していた。
日本の医学部の学部専攻は、普通は大学の入学時に行われる。
その事情はウチでも大体同じで、医学部は殆ど理科三類の生徒で構成されるのが通例なのだが、進振りなんて面倒な制度があるウチの大学では、まあ他の類からの編入もあり得ない話では無かった。
……理科一類からの僕はまだまともな方。
中には文科一類から入って来た変わり者まで居るくらいである。
まあその辺りの事情なんてモノは、今の僕には関係の無い話。
要点は、進学した僕は狂ったみたいに医学に没頭して、それこそ頭がおかしくなるくらいに勉強したという事。
――犯罪者嫡子と一般嫡子の養子統計から見る犯罪の遺伝性。
――MAOA遺伝子の活性と暴力的犯罪の関連性。
――“犯罪者遺伝子”を仮定した上での殺人犯1000名を対象にした遺伝学的比較。
……一言で言えば、犯罪者と普通の人間は何が違うのかという研究。
進級してから、僕が提出したレポートの数々である。
――端的に言えば。
この時の僕は、どうしても連中を人間だとは思えなかったのだ。
きっと犯罪者っていう生き物は、遺伝子レベルで僕たち人間とは違っている別の何かで、生まれながらにそうなる事が決定付けられている悪魔なんだって、この時の僕は本気でそう信じて疑わなかった。
……、我ながら、バカな事を考えた物だ。
だって犯罪者っていうのは、法律を破った人間に与えられる只の称号だろう?
その法律という概念からして、人間の歴史から見れば極最近出来た物なんだし、何より時代に応じてコロコロと変わってしまう物。
日本だってほんの数百年くらい前までは、子供だってピストルや剣を持ってドンパチやるのが法律で、つまりは“正義”だった筈じゃないか。
……たまたま今の法律に触れる人間が居たとしたって、彼らと僕たちの間に明確な違いを見出すことなんか、初めから出来る筈も無かったのである。
本当は、僕だってきっと分かっていた。
でも感情の部分で、どうしても納得が出来なかったのだ。
ソレを探す事でしか自分を保てなくて、だから僕は、必死にあり得ない物だけを求め続けた。
――ああ、そうだ。
そんな日々を終わらせる切っ掛けになったのが、丁度この日だったな……。
「ふぅ……。結構溜まったな」
蒸し風呂のように暑い日の、午後の事だった。
このところ大学に泊まりこんで勉強に没頭していた僕はこの日、久しぶりに少しだけ自分の寮に戻って、郵便受けに溜まった書類をテーブルに広げて確認していた。
大半はとっくに使用期限の切れたクーポン券とか、行くつもりも無いどこかのカラオケショップやスーパーのチラシとかだったけれど。
その中で、一枚だけ。
僕は酷く薄っぺらい、見慣れない紙が混じっているのに気が付いたのだ。
――警察からだった。
詳しく読んでみると、どうやら彼らは、やっと奈菜を殺した犯人を見つけたらしい。
犯人は、既に別件で服役中の薬物中毒者。
既に死刑は確定していたらしいが、他にも何件か余罪があったらしく、その中の一件に奈菜のことが含まれていたという話であった。
……動機はオブラートに包まれ過ぎていたせいでよく分からなかったけれど、簡単に言えばただの八つ当たり。
自分たちの生活が楽にならないのは、ウチの大学の出身者みたいなのが高給を独占しているからで、だからコイツらが減れば景気が良くなるに違いないとかいう、何とも非の打ち所が無い持論をお持ちになっていたらしい。
たまたま僕の部屋に来ていた奈菜は、そいつに勘違いされて殺されたっていうわけだ。
警察が送りつけてきた手紙の内容は、要はその死刑囚の処遇についてだった。
なにやら小難しい単語がズラズラと並んでいたせいでよく分からなかったが、要約すると、
『貴方の妹さんを殺した犯人は、私達が捕まえておいてあげました。
いつかはまだ決めてませんけど、貴方の代わりに私達が殺しておいてあげますので、終わったらご連絡差し上げます』
――と、いうことらしい。
「ははっ……。なんだよ、それ……」
人間、ここまで来るともう笑いしか出ないものだ。
まったく。本当に、吐き気がするくらい親切極まりない。
僕が直接●すと、それはそれで法に触れてしまうから、愛と正義と平和の為に、彼らが頑張って穏便に済ませてくれるのだそうだ。
「…………、……けんな」
――殴り付けた。
テーブルに、無造作に投げ出されているその紙を。
何度も、何度も。
拳から血が出るくらい。
思い切り、力の限り、殴って殴って殴り続けた――。
「ふざッけんなよっ!!!
こんな、こんなモノで!!
こんなモノで――、誰がっ!!!!」
――殴る。
――殴る。
右手が痺れて、感覚が無くなって、壊れてしまうまで。
いっそ、本当に壊れてしまいたいとも思った。
だって、知らない。
僕は、こんな男は知らない。
……、会った事も無い。
彼女を殺した知らない男が、どこか僕の知らない所で、僕の知らない連中に殺される。
――これは、それだけのこと。
こんなモノで、誰が納得できるんだ――ッ!!!!
「……っ!!
ふぅ……っ!! は……っ!!!」
――そして、気が付いた時には。
テーブルは、凄惨な赤に染まっていた。
僕の拳から噴き出したその血糊は、とっくに犯人のページを塗り潰してしまっていて、もう名前すらも分からなくなってしまっている。
感覚の無い右手とか、理不尽に彼女を殺した犯人とか、勝手にその男を殺して正義ぶっている警察とか。
全部がバカみたいにおかしくて。
全部がバカみたいに憎かった――。
「……、犯罪者なんか、みんな死ねばいい」
俯く僕は、静かに怨嗟の言葉を吐き捨てる。
赤く染まってしまったテーブルには。
見たことが無いくらい暗い瞳をした、誰かの顔が映っていたような気がした――。




