18-04 特別編 アビスより来た男
あれはきっとただの気まぐれだった。
地上に憧れた自分はアビスの裂け目よりはい上がり、この薄闇の渓谷より東の地を目指した。
「怪物だ!!」
「違う!」
最初は木こりの山小屋だったはずだ。
腹が減った自分は食べ物を無心したが、結果は誰にでもわかることだった。
しかし当時の自分は、アザトはそれすらも知なかった。
人は姿形が異なる者に恐怖するという避けられぬ現実に。
「ひっ、助けてっ、誰か助けて……怪物よ!!」
「違う……自分は、怪物じゃ……違う!」
エルフたちは俺を恐れた。
森の中で狩りを覚えた俺は、獲物を持って村里に姿を現したが……やはり結果は見えていた。
「違う! 自分はただ、ただこの世界に憧れて……! もう里には姿を現さない、だからどうか……っ、この地に住む自由を……っ」
竜の姿をした、人の形の何かは迫害を受けた。
誰もがアザトを怪物と恐れ、弓を鱗に撃ち込み、さらには地上に紛れ込んだこのアビスの怪物を刈り取るべく天使たちがアザトを付け狙うようになった。
そしてとうとう追いつめられた。
亜種を狩る冷酷な天使たちだ。彼らに命を絶たれんとしたそのとき――彼が光臨していた。
創造神と名乗るこの世の主……サマエルだ……。
「ぁ、ぁぁ……。なぜ……俺を……、貴方は……」
サマエルは天使を止めてくれた。
アビスの醜い怪物に過ぎない自分に、やさしくその手を差し伸べて、物静かにこう言った。
最初にして最後の邂逅だ、今も一句一句覚えている……。
「正気を保ったままアビスより来たものよ、その希少性を称えてそなたの願いを1つだけ叶えてやろう。我は全知全能の神サマエル、この地上にはい上がって来た貴様が、この地で果たしたい願いを言え」
自分は驚き、返答に言葉を、思考すらも詰まらせた。
相手は世界の主、古くは己の祖先をアビスに落とした張本人だ。
いやそんな関わりの無い過去はすぐに忘れた。
神が叶えてくれるというのだ、自分がこの地上で果たしたいことを……。
「遠慮せず言うがいい。貴様は、我の生み出した失敗作どもよりは、まだ見所がありそうだ」
「失敗、作……とは、何者でしょうか神よ……」
「貴様を迫害した愚かな種族どもだ。だがいずれあれも、我に生み出された最後の種族ヒューマンにより駆逐される。今の栄華は長く続くまい。……さあ願え、希望を言うといい。願いはなんだ? あの失敗作どもへの復讐か? それとも不死の強い命か? 全てを見渡す知恵か?」
神の気分を害さぬよう、自分は悩み焦った。
自分が欲しいもの、地上で実現したいことを……。
そして……焦った俺はとある願い事を、最悪の存在にしてしまった……。
「アビスにも……地上にも、自分の居場所は無かった……。だから……どうかお願いです神様、こんな自分を……愛してくれる伴侶が欲しい……! その妻と力を合わせて子を増やし、地上から、失われた竜族をここに復興させたい! それが自分の願いです!」
神は意外そうに小さく驚いていた。
いや、しかし一瞬のことだ。サマエルは創造主とは思えぬほど軽薄に、笑った……。
「いいだろう、その願いを叶えてやろう」
「ほ、本当ですかッ?!」
欲に目がくらんで自分は、アザトは舞い上がった。
相手がどんな存在か知りもしないで。絶望の底から輝かしき存在を見上げていた。
「ただし……」
「――ッ!?」
今だ忘れられない……それはあまりに冷たく残酷な声だった……。
喜びは凍り付き、疑問が浮かんだ。……これが本当に創造主その人なのか、と。
そいつは、サマエルは、アビスの魔貴族たちがかすむほどに、邪悪だった。
「この地上は、けして堕落し切った生物が暮らす楽園じゃない。神を崇めなかった巨人、我こそが神とおごった有角種、それにいいように支配された獣人、与えられた寿命と個性に甘んじ成長を忘れたエルフども……」
村の教会に忍び込み説法を聞いたことがあった。
神は、苦しみから人を救ってくれると。恵まぬ俺はそれを心のどこかで信じていた。
「彼らは恵みという蜜に集まる虫けらだ。だけど勘違いしちゃいけない、蜜は虫けらを謳歌させるために溢れてるわけじゃない。そして……神には栄えるべき種を選ぶ権利がある」
「ぇ……な……ぇ……?」
虫けら。その創造主は生み出したものを愛するどころか、虫けら扱いした。
自分はすぐに理解した。
自分もまた虫けらの1匹としか見られていない現実に。ゆえに言葉を間違えれば殺される、敵対するべきではないと。
「な、ならば……私は、ヒューマンに味方――」
「逆だよ」
「え……」
「ヒューマンを殺せ。皆殺しにしろ。そして勝った方に地上の覇権をやろう」
そう言って神は共に光臨した女の天使を己の隣に呼んだ。
愛らしい容姿をした赤毛の天使だ。続いて大胆不敵にサマエルの手がひらめいた。
「我は全知全能の神サマエル、アビスよりはい上がりし竜の末路、哀れな劣悪種に、妻を……」
「うっ、あがぁぁっっ?!!」
神の手がアザトからあばら骨を1本引き抜いた。
倒れ込み、苦しむ虫けらを無感情に見下し、次はそれを天使の体に突き刺した。
すると天使は意識と共に翼を失い、自分という哀れな劣悪種と共に地へと倒れ込んでしまった。
天使から、ヒューマンの女となった者が生まれていた。なんだ、これは。違う、これでは、約束が、違う……。
「ま、待ってくれ! この姿は……ヒューマンじゃないか! ダメだっ、竜人の女でないと困る! なぜ、なんでこんな……酷いことをするんだ……ッッ」
アザトの恩人は絶望をあざ笑った。
悪、罪、傲慢。それは絶対神からすれば悪にも、罪にも、傲慢にすらならないと姿そのものが断言していた。
絶対的な栄光の座にある者、彼がすることは全て正しい、それがこの世の決まりであると。
「この女と、交わった者は永久の時を生きる。アビス生まれの竜人と、ヒューマンの混血児を地上に生み出してゆくだろう。……だけどね。ヒューマンは弱い種族だ。君たちを必ず迫害するだろう……エルフたちより手酷く、残忍にね……」
気づいた頃にはもう遅かった。
それがサマエル、生命を弄ぶ怪物にして世界の主。
「与えられたものを失いたくなければ、殺し合え、アビスより来たりし怪物よ」
サマエルは赤毛の女を置いて跡形もなく消えた。
その傲慢さ、残酷さに自分は己が震えていることに後になって気づいた。
わけがわからなかった。神は、自分たちを救ってくれるのではなかったのか……。思考の迷い道がいつまでも自分を茫然自失とさせた。
「ぁ……」
やがて長い時間が経つと、ヒューマンにされた赤毛の天使が目覚めてしまった。
彼女には嫌われたくない、自分は迷いながらも気を使って言葉を投げかけた。
「自分は――」
「ぁ……ぁ、ぁー、ぅぁ……」
それは、悪意だ……。もはや純粋なる悪意としか思えない……。
言葉を喋れなかったのだ、その、天使だった者は……。
まるで赤子のように言語にならない声を上げ、けれど自分にやわらかくからみついてきた。
「――ッ?! ま、待て、まさか……そんな……」
「ぁ……ぁ、ぅー、ぁっ……」
女に股間を触られた。普通ならば興奮する。
しかし自分は血の気が失せてゆくのを感じた……。
それは道具だ。竜人とヒューマンの混血児を生み出すための、神が与えた道具。知能無き母だ……。
「な、何なのだ……! これは、何なんだ! 俺に何をさせようというのだ! 止めろっ、俺はそんなつもりで願ったんじゃない!! こんな願いは望んでいなかった!! サマエルゥゥゥゥッッッ!!!」
それが世界の主、創造神サマエルとのただ1度の邂逅だった。
サマエルの本質があるとすればそれは、それは悪意だ……。




