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第九十九話 ふたつの翼の行く末は

「もうすぐリリィが戻ってくるころだ。皆、油断しないでしっかり見ているんだよ」


 中心街の広間の大きな噴水前で、ミカエルが多くの天使たちに呼びかけた。


 時刻はもう深夜に近く、多くの天使は既に眠りについているはずの時だ。しかし今、眠いと愚痴を漏らす者はひとりもいない。皆天国を守るという使命を持って、先ほどルークの指示で作った球体を両手に持っている。それを投げる対象を誤らないように、城勤務の天使たちが、先ほどからミカエルに何度も確認をしていた。


「マスター。確認ですが、敵になるのは少し欠けた翼を持つ悪魔だけですか?」


「そうだね。あとは堕天使がひとり。翼が違うからすぐにわかるはずだが、おそらく姿を消しているから気を付けて。あとの悪魔は「味方」だから、間違えないように」


「悪魔が味方……まだ信じられないですが、噂は本当なんですね」

「本当に決まってるでしょう。あのリリィ様が涙ながらに語ったんですよ」

「勇者と魔王の物語。あの「魔王様」が、実は生きていたなんて」


 ざわざわと騒がしくなる広場に目を向けて、ミカエルは心の中で再びサタンに詫びた。リリィが悪魔のイメージ向上のために作った物語。あれを信じている天使たちが、いらぬ心配をはじめているのだ。


「おい、魔王様ってあの、かつて勇者様とシルヴィア様をかけて争ったという?」

「そうそう。クロム様に後を頼むと言い残してこの世を去った……」

「ということは、魔王様が復活されたらクロム様とシルヴィア様は」

「三角関係?! それともやはり魔王様とご結婚なさるのか? そんな……あんなに仲が良さそうだったのに」

「何てことだ……」


(そろそろ誤解を解かないといけない段階に入ったようだ)


 ミカエルは苦く笑って噂話に耳を傾けた。本人たちが来たらどう言い訳しようかと悩み始めたところで、リリィが仲間たちを連れて帰ってくる。


「ただいま戻りました! 敵は今天国(こちら)に向かってます」

「うわ、すごい綺麗」

「ライトアップなんて、事件前のあの祭りの日以来ですね」


 一緒に瞬間移動してきたハルトとクロムが、驚いて街灯を見上げた。以前は年に一度の祭りの日のみ点されていた街灯は、事件以来一度も使うことなくただのオブジェと化していたのだ。


「これを灯すことはもう無いのではないかと思っていたが、何でも残していれば役に立つ日は来るものだね」


 煌々とあたりを照らす街灯を、ミカエルが感慨深げに見上げた。一時期は撤去することも考えたこの灯りが今、敵をおびき寄せるために一役買うことになる。


「ミカエル様。ルークの調子はどうですか?」

「来たがっていたが、医療棟の許可が下りなくてね。ファルコは権力に媚びないところも含めて、特に優秀な医師だよ」

「それは安心ですね」


 文句を言いながら渋々横になっているであろうルークが目に浮かんで、ハルトが微笑みながら頷く。おそらくここにいたら防護壁(シールド)を張って皆を守ろうとしてしまうからだろう。作戦を考えることはできても、これ以上力を使うことはさすがにできない。


 そんなハルトの手に光る聖剣を見て、周囲の天使たちがざわついた。


「あれは「聖剣」じゃないか?」

「まさかあの方が伝説の「勇者様」じゃ」

「魔王様の恋敵……あの少年が?」

「とてもそうは見えないが……」


 周囲の天使たちは一目で、ハルトを「勇者」と認識する。しかし、天使たちの勇者のイメージは今、リリィ原作のロマンス小説に出てくる人間だ。冷静に考えると時代が違うのだが、完全にあのイメージに引きずられている。


「……あの……なんか先代勇者(カイル)さんと勘違いされてる気が」

「気にしたら負けよ」

「何も聞くな」


 ハルトの後ろで被害者の会の会員(クロムとシルヴィア)がアドバイスを送った。この誤解は早く正してあげた方がいいと判断したミカエルが、ハルトの背に手を置き、大勢の天使たちに向けて声を張り上げる。


「皆! あの話に出てくる勇者は先代で別人だ。彼は「勇者ハルト」。ともに戦ってくれる、頼もしい仲間だ」


「「「おぉぉ!!」」」


「あと、彼はリリィと良い仲だそうだから、静かに見守るように」


「「「おぉ……えぇぇええ!!??」」」


 敵が来る直前に大きな爆弾(発言)を投下したミカエルは、涼しい顔で大混乱中の天使たちにくるりと背を向けた。


「さて。ケルベスとルシファーだが……」

「マスター……」

「天使たちが凄い顔で僕の事見てくるんですけど」

「平常心を保て」

「無になるのよ」

「そんな無茶な」


 そんな会話を交わしながらも、全員の視線は既にミカエルの指した指の先にあった。階段をのぼり、にぎやかな街の中心から外れた暗い路地。煉獄へ繋がるルートはいくつもあるが、短時間でより多くの天使を仕留めようとするならばそちらの入り口からくるはずだ。そう、ミカエルとルークで意見が一致したのだ。


「ふたりは姿を消しています。この数の天使たちを守りながら戦えるかはわかりませんが……」

「大丈夫だ。援護の準備はちゃんとできてるし、誰かひとりが犠牲になるような戦い方はしないって決めたからね。全員、納得済みだ」

「天国守るのは、天使の仕事だもの」


 誇らしげに微笑むミカエルとシルヴィアを見て、クロムは頷いた。皆が路地を見つめている中、リリィだけは不安げに医療棟に目を向けている。あの栞の加工を外すのには特殊な器具を使うらしく、取り出すのに少し時間がかかるとのことだった。


(間に合うかな)


 持ち主の願いを叶えるという「虹色のクローバー」。運命を司る天使としてどんな願いをかければ、彼らの心は救われるのか。


「きっと大丈夫だよ」


 ハルトがリリィの隣に立って、不安を拭うようにほんの一瞬手を握った。たったそれだけの事で、リリィの顔に笑顔が戻る。もしもの事を心配しても仕方がない。この一瞬にできること、思いつくことを全力で。ひとりひとりの力は小さくても、助け合えばどんなことも叶えられるはずだ。


――チリン


「? 何か鳴りましたね」


 その微かな音に、真っ先に反応したのはクロムだった。彼のその言葉を聞いて、後方にいた天使たちが一斉に高く飛び上がる。


 クロムの地獄耳はどんなに小さな音でも聞き分けられる。打ち合わせなどしなくても、路地に仕掛けた鈴の最初の音を聞いて皆に伝えてくれるだろう。そうルークは予想して、「師匠が鈴の音に反応したら敵が来る合図」と天使達に伝言をしていた。


――チリン、チリン、チリン


 鈴の音はどんどん大きくなってくる。説明がなくても、これが敵が近づいて来る合図であることは全員が理解できた。姿を消せても実体はある。狭い路地のあちこちに仕掛けられた小さな鈴に少しでも当たれば、音は出るのだ。


「来るぞ!」


 前方で、球体のいっぱい入った籠を持った天使が言った。それきり誰も何も言わずに、微かな鈴の音に全力で耳を傾ける。今鳴った鈴は噴水横の階段から五つ向こうのもの。四つ前、三、二、一。


「今だ!」


 最前列の天使が叫び、手に持った球体を投げつけた。それを合図に、多くの天使たちが両手に一つずつ持った球体を同じ方向に投げる。そして投げ終えた天使たちは素早く白い翼を消し、広場に置いてある球体を取りに走っていった。


「うわ、すごい」

「掃除が死ぬほど大変そうだ」


 思わず大きく下がったハルトが、驚きに目を丸くした。隣でクロムが眉を寄せているのは、後始末を考えてのことだ。


 なぜなら先程から天使たちが投げている球体のおかげで、ここ噴水前の広場は、みるみるうちに金色に染まっている。金薔薇(ゴールドローズ)という花の花弁で作った塗料を詰めた、即席のカラーボールだ。


「よく作れたわね」

「医療棟の全面協力のおかげだ」

「動く金色を探せばいいんですね」

「そうだな」


 ハルトの言葉にクロムが頷き、噴水の上に雷を落とした。ギャオウ、という魔獣のような叫び声は、おそらくルシファーのものだろう。すかさず天使たちが黒い煙目掛けて球体を投げつけ、それが弾けて金色の液体が彼女の形を露わにしていく。


「きゃー!!」

「ぐわぁっ!」

「危ないっ! こっちよ!」


 その噴水の前では、最前列の天使たちが鋭い爪に引き裂かれて消えそうになっているのを、すかさずシルヴィアが治癒してまわっていた。バランスを失って落ちてきたルシファーに、ハルトが水鉄砲を撃ちこむ。反対側の手に持っている聖剣が白く輝いて薄い膜となって大きく広がり、天使達を守る簡易的な防護壁(シールド)ができた。


「天使の皆さんはなるべくこの内側にいてください!」

「おぉ!」

「さすが勇者様だ」


 天使たちが感嘆の声をあげながら防護壁(シールド)の内側へ移動する。怪我をする天使が大幅に減ったことにミカエルが安堵の息を吐いたが、まだ勝負はついていない。クロムがミカエルの隣に来て、周囲を見回しながら言った。


「消えました。物陰で動かなければ染まっていてもわかりづらいですね」

「どこもかしこも金色だからね。今は(・・)


 ミカエルは手のひらを上にして微笑んだ。彼の近くの街灯がひとつ、またひとつと彼のてのひらに吸い込まれていく。瞬く間に暗くなった広間に、星屑を集めたように輝く金色がふたつ現れた。


「暗くなると生命反応を感知して光るんだよ」

「成程。確かに見やすくなりました」


 クロムが大きく頷き、そこに雷を落とした。


「ギャアォォオ―――!!」


 聞こえた叫びは、もう悪魔の声ではなかった。心までも獣に近づいたケルベスが、漆黒の毛を金色に染め、身を低くして唸っている。その横ではルシファーが、ガンガンとハルトの張った膜に体当たりしていた。肌に細かな傷ができていても、彼女はうめき声をあげない。ただ無表情に白い翼を目で追っているだけだ。


「理性を全て失う前に、止めを刺してやる」


 クロムが残念そうに息を吐き、右手を高く上げる。黒い雲が広場を覆った。ケルベスが黒い翼を大きく広げ、ルシファーを庇う。彼らを救うことはもうできないのだろうと、クロムは諦めて力を込めた。狙いは定めた。あとはこのふたりの脳天に大きな雷を落とせばその瞬間、ふたりの存在は永遠に消えるだろう。

 

「リリィ様ー!」

「!?」


 しかし、クロムがとどめを刺す前に、医療棟の方向から白い翼が飛んできた。微かに聞こえる叫び声に最初に反応したのはやはりクロムで、彼が振り向き一瞬の隙ができる。そこを逃さず、ケルベスがクロムに向かって飛び掛かった。


「クロム!」

「平気だ」


――ガウッと低い唸り声がして、鮮血が散る。右腕を大きく前に突き出して獣の口にあてがい、クロムは炎を纏わせた。


「グワァァァアアア」


 地獄の業火に近い赤い炎が獣の口から噴き出し、顔に燃え移る。口内と赤褐色の瞳が焼かれ、首を振って悶える獣の姿が夜の闇に鮮明に浮かんだ。


「悪いな」


 血が滴る腕を伸ばし、クロムは今度はその炎ごと獣の顔を凍らせる。噴水の上でバランスを崩した欠けた翼が落ちていき、バシャンと大きな飛沫をあげた。


「クロムさんすみません。私に少し任せてください」


 ケルベスが体勢を立て直す前に追撃をしようとしたクロムの前に現れたのは、白い翼と金の髪。


(ルキウス? ……いや、リリィか)


 姿形は紛れもなくリリィなのに、クロムは思わず彼女の父親を連想した。それほどまでに、リリィの身体から発せられる聖なるオーラは膨大だ。背に広がる白い翼は先程までのリリィとは比較にならないほど強くしなやかで、全身が光り輝いている。その眩しさは、聖なるオーラに反応して襲い掛かるルシファーでさえ、気圧されて動きが止まるほどだ。


「……任せた」


 天使は攻撃は出来ないはずではと思いながらも、意志の強い瞳を見てクロムは下がった。リリィはシルヴィアが彼の腕を治癒するのを見て安心したように微笑み、噴水前の地面に降りる。


「ルシファーさん」


 皆の注目を浴びながら、リリィはルシファーに向かって手を伸ばした。その手の中に光っているのは、虹色のクローバー。それを見て、ルシファーの濃緑の瞳がはっと見開かれる。正気を取り戻したルシファーの耳に、優しくあたたかい声が聞こえた。


「あなたは何も悪くない。きっと、皆そう思ってます」


 五百年の時を経てかけられた言葉。ゆっくりと心を溶かすその一言に、翼が黒く染まったあの日の記憶が思い出される。ルシファーは、哀し気に瞳を伏せた。


「私じゃない……ううん。私のせいかもしれない……」


「あなたのせいではありません」


「違うの……私は、何を間違えたのかわからないの」


「あなたは何もしていなかった」


「でも、私には天使の資格なんて無いもの」


 黒く染まった翼の端を視界に入れて俯くルシファーを見て、ハルトも防護壁(シールド)を剣の姿に戻し、リリィとルシファーのもとへと歩いて行った。そしてルシファーの前までくると地面に膝をつき、そしてにっこり笑顔を向ける。


 翼の色形にこだわる必要はない。この暗闇ではもう、彼女の翼は白にも黒にも見えないのだ。この場にいる誰よりも輝いている唯一無二の翼に目を細め、ハルトはルシファーに声をかけた。


「ルシファーさん。その翼、とても綺麗ですよ」


「え?」


 ルシファーは自分の背に広がる翼を前に寄せた。カラスのような真っ黒な翼がそこにはあるはずだと思っていた。しかし、ルシファーの目に飛び込んできたのは眩いほどの金色。塗料をかぶっているせいで、翼が金に染まっている。


「何これ……あははっ! ねえ見てケルベス」


「……ルシファー…… ?」


 ちょうど噴水から出てきたばかりのケルベスが、ずぶ濡れのままこちらに戻ってきた。欠けた翼は崩れ落ち、片目が焼かれ、もう片方の目は辛うじて開かれている。彼の身体からは塗料が落ちて、代わりに噴水の水が金に染まっていた。しかし、もう姿を消して逃げることはないだろう。彼の表情はただ、再び恋人の笑顔を見ることができた満足感に溢れていた。


「ねぇ、ケルベス。似合う?」


「あぁ。綺麗だ」


「ふふっ、ありがとう。私、この色がいいな」


 誰もが一歩下がって見守る中、ぴたりと寄り添った黒い獣の背を撫でながら、ルシファーは夜空を見上げた。天の国の夜空を彩る、無数の星と同じ金色。白にも戻らず黒にも染まらず、ただ在るがままの自分で輝くことができたら。


ルシファー(あなた)の願うままに」


 リリィの手の中から、虹色の光が溢れた。ルシファーの翼が金色に染まり、彼女は幸せそうに微笑みながら、夜空を目指して飛んでいく。その翼が小さくなって星のように輝くのを、ケルベスは広場のタイルに腰を下ろしたままじっと見ていた。


「一緒に行かないんですか?」

「俺は、やはり悪魔だ。天に憧れるだけの獣のままの最期でいい」


 星空を見上げたまま、ケルベスはそう言った。ハルトは水鉄砲をしまって、聖剣を両手に持ち直す。


 その手の中の聖剣は、もう先の丸いものではなくなっていた。傷つける覚悟を持って聖剣を向けたハルトの全身が白く輝く。ケルベスはもうピクリとも動かなかった。「勇者に倒された最後の悪魔」として散る覚悟が、彼の中にもあるようだった。


「ずっと忘れません」


 ハルトは静かにそう言って、多くの天使たちが見守る中、鋭利な剣を獣の首に向かって振り下ろした。


 広場のタイルに落ちた獣の首は、聖なる光に包まれて消えるまでずっと、星空を眺めるように上を向いたままだった。


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