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第八十四話 戦いは手段、目的は平和

「浅黄先生……」


 ハルトは人形のようになった浅黄を見た。焦点の合わない琥珀色がハルトを向く。目が合ったとは言えないが、認識はされている気がした。


「……どうやら、話ができそうな雰囲気ではなさそうだね」


 ミカエルが、残念そうに眉を下げる。浅黄の顔自体を見るのが初めてのリリィは、じっとその顔を見て、そして自信がなさそうに言った。


「あの……勇者候補さん、ですよね?」

「うん。いつもはもっと熱血な感じの先生なんだけど」


 ハルトは前に出てリリィの横に並んだ。その横ではシルヴィアがやはり浅黄の様子を見ていたが、軽い溜息とともに首を振る。


「だめね。あれは治せないわよ」

「聖剣が関係あるかな?」

「たぶんね」

「なら、聖剣を手放してもらえば正気に戻るんでしょうか」


 リリィの視線が、聖剣をしっかり握った茶色の革手袋に向けられた。ハルトは頷き、一歩前に出る。すぐにシルヴィアがハルトを庇う位置に飛んだ。


「ダメよ。危ないから下がってて……ねぇ、聖剣って人間に効くのかしら」

「一応対悪魔用の武器だけど、人間にも効くだろうね。人間は聖なるオーラと魔のオーラ、両方持ってるから」

「特にハルトは危険だ。『カウンター』の減点には魔のオーラを使う。ハルトの中にはかなりの量があるはずだ」


 ミカエルに続き、クロムの解説が後ろから聞こえる。浅黄が彼の声に反応したように聖剣を構えた。今にも斬りかかってきそうな動作に、煉獄が緊張感に包まれる。


「来るぞ!」


 サタンの声と同時に、浅黄が地面を蹴った。それぞれが緊張感をもって彼の行動に注意を払っていたが、熟練の剣士のようなその素早い動きに反応できる者はほとんどいなかった。


「うわっ!」


 いつの間にか目の間にいた浅黄を、ハルトはリリィの手を引いての瞬間移動で辛うじて避けた。天使に聖剣は効かないのでリリィは避ける必要がないのだが、なんとなく嫌だったのだ。


「ハルトさん。ありがとうございます」

「修行しててよかったよ。リリィはここにいて」

「ハルトさんの方が危ないんですよ。私は聖剣が効かないので……」

「うん。でも、僕が嫌なんだ」


 ハルトは浅黄がこちらを向いていないことだけを確認して、リリィの瞳を真っ直ぐに見た。吸い込まれそうな蒼。その瞳には、いつも穏やかに輝いていてほしい。


「まだ僕は何も恋人らしいことは出来てないけど、いつもリリィを守りたいと思ってるんだよ」


 危険なことばかりで、何があるかわからない。だから、伝えられるうちに気持ちはしっかり伝えておきたい。ハルトは繋いだ手に力を込めて、そしてそっと離した。これ以上は後だ。自分に出来ることを、しっかり考えないといけない。


「ハルトさん……私、本当はハルトさんに危険なことをして欲しくないんです」


 リリィはハルトの服の裾を少しだけ掴んだ。やんわりと引き止めるような仕草。でも邪魔にはならないよう、その手に力は入っていない。振りほどいて行くのだろうとリリィにはわかっている。そして、そんなハルトの優しさと勇気を、リリィは好きになったのだ。


「ありがとう」


 そして、やはりリリィの思った通り、ハルトはリリィのそばから少し離れて前に出た。その頃には、浅黄はクロムに斬りかかっていた。彼はもともとの高い身体能力で聖剣を危なげなく避けているが、反撃が出来ないのでもどかしそうだ。リリィがまだ少し不安そうにハルトの背中を見ていると、再びハルトが振り向いた。


「あのさ。全部終わっ……」

「?」

「な、何でもない……頑張ってくる!」


 不思議そうに首を傾げるリリィを背に、ハルトは密かに危なかったと息を吐いた。終わったらデートしようね、と言いかけて、慌てて言葉を切ったのだ。うっかり死亡フラグを立てるところだった。短く息を吐いて気持ちを切り替え、改めて前を向く。


(黒谷さんは戦えない。僕が聖剣で戦わないといけないんだ……僕の剣で戦えるなら……)


 今こそ自分の出番だと確信し、ハルトは聖なるオーラを全身に巡らせた。大切な仲間とともに過ごしている時のあたたかな気持ち、役に立ちたい前向きな気持ち、そんな事を考えていると、白い光が身体の奥から湧き出てくるのを感じる。


(剣、剣、剣が……守るための剣が、欲しい)


 手が熱くなってきた。身体中を包む白い光が、右手に集中しているのを感じる。ハルトはその手に握られた剣の姿を想像した。浅黄の手にあるものとは違う、自分だけの剣があるとしたら、それはどんな形だろう。


(敵を鋭く斬るのかな……うーん、それはちょっと怖いな。でも戦えなきゃ意味ないし……なるべく、平和的な……そういうのないかな)


 この期に及んで逃げ腰だと笑われるかもしれないが、ハルトはそんなことを考えていた。勇者になりたいと言いながら、戦わずに済むのなら戦いたくないとすら思っている。でも、きっとそんな勇者がいてもいいはずだと、ハルトは前向きに考えていた。


(剣を振るうだけじゃない勇者に、僕はなりたいんだ)


 聖なる光で黒い指輪を溶かし、シルヴィアを天使に戻した時のように。ルークの天秤を守る装置の後押しをした時のように。誰も傷つけない方法で、大切なものを全て守りたい。「勇者になって何を成すか」。甘すぎるかもしれないけれど、それが水島ハルトの答えなのだ。


 そんなことを思いながら、ハルトは右手に目が眩んで見えないほどの光が集まって、だんだんと剣のように細長く伸びていくのを、とても穏やかな気持ちで見つめていた。


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