第八十三話 作戦会議
「これで全部だな」
サタンは、半分ほど文字で埋まったボードを見た。天国の会議で使っているこのボードは、リリィが瞬間移動で運んできたものだ。同じく折り畳みの椅子を人数分事務室から運んできて、今はそれにサタンとクロムをのぞく全員が座っている。並び順は適当だし、列も揃っていない。自由気ままに好きなところに座っていた。
「だいたいは書きましたが」
ボードの前でペンを持っているのは、やはりクロムである。彼はそれぞれがもっている武器や能力を箇条書きにして書いていた。その横で立っているサタンが、ボードを確認する。
「水鉄砲に回復効果がついたのか。使えそうだな……あとは、何だこの大量の武器?」
「私が普段使用しているものですわ」
使い魔の猫がじゃらりと何十もの武器を吐き出す。大鎌を担いだ魅惑の悪魔の姿を見て、サタンは思わずクロムを見た。どうしてこうなったと言いたげな視線を、クロムは無視している。
「……まぁわかった。武器な。あとは、聖なる十字架に、呼び出しのホイッスル……靴? 何だこれ?」
「鉄板だそうです」
「材質聞いてんじゃねぇよ」
「意外と当たると痛いのよ」
「私もやられましたが、思わず怯んでしまいましたわ」
「仲間割れしてんじゃねぇか」
サタンは呆れたように軽い溜息をつき、再びボードに向き直った。悪魔の能力はよく知っている。アイテムも大体把握した。次は……と少し考えて、サタンはハルトに視線を向ける。
「お前の瞬間移動はどこまでできる?」
「リリィの二割と聞いてます。長距離はできません。敵の攻撃を避けたり、味方を庇ったりする練習はそれなりに」
ハルトの言葉にサタンが頷く。彼に関して不安なのは防御力だ。今あるアイテムで使えそうなのは聖なる十字架だが、それが必要なのはハルトと聖夜の二人。どちらに与えれば良いか、サタンは迷っていた。
「リリィ。お前は瞬間移動だな」
「はい。あと……これを」
リリィはルキウスの手帳を出した。クローバーについては、言うかどうかまだ迷っている。懐かしい空色の表紙にサタンの金の瞳が緩んだ。
「それ、お前が持ってんのか」
「あぁ。なんでも、気になるページがあるらしいよ」
ミカエルがすかさず横から口を挟んだ。言ってごらん、と視線で背中を押している。サタンが手帳をのぞき込んでいるその前で、リリィは震える手で手帳を開いた。しかし震える手で開いても、目をつぶって開いても同じ。ぱっと開いたそこにはちゃんと、見慣れた四葉の絵がしっかりと描かれていた。
「……虹色のクローバー?」
「はい。あの……何があるかはわからないんですけど、どうしても気になって……」
「勘か?」
「……はい」
リリィは畳んだ翼をきゅっと縮めて頷いた。サタンは頷き、リリィから手帳を借りてじっくりとそのページに目を通す。
「これ、見たことあんな……クロム。あー……シルヴィア?」
「シルバーでいいわよ別に。人間だった時に天使名を名乗るの、ちょっと気が引けただけだから」
「いや似合ってっからそれでいく。お前らこれ持ってなかったか?」
サタンはクロムとシルヴィアに、ルキウスの手帳を開いて見せた。幸運のクローバーと書かれた虹色に、二人は揃って頷く。
「懐かしいわね。それ、栞に加工してクロムにあげたことあるわ」
「え?」
リリィは思わずシルヴィアに駆け寄った。持っているなら話が早い。あの広大な花畑を探さなくてもいいのなら、新しい力を探る手間がぐんと省けるのだ。
「持ってるんですか?」
「まさか。渡したの大昔よ」
しかしシルヴィアはすぐに否定した。クロムにそれを渡したのはもう五百年も前のことだ。いくら彼の物持ちがいいからと言っても、まだ持っているなんてことはないだろう。しかし、クロムは当然のように首を縦に振った。
「あれなら黒の部屋にある」
「嘘でしょ!? まだ持ってたの?」
「当たり前だろう。保存状態もいいはずだ。聖なる木の箱に入れてあるからな」
「俺の小物入れじゃねぇか……別にいいけど」
聖なる木の箱とは、天国の聖なるオーラで満たされた木で作った小物入れだ。天国とは違い、地獄はすぐにものが腐ってしまうが、大切なものはその小物入れに入れることで永久保管が可能になる。
「魔王の宝箱を勝手に使うとは、いい身分になったなマスター」
「……金印はお返しするので二度と俺をマスターと呼ばないでください」
揶揄うと、心底嫌そうな視線が返ってきた。しかし、サタンは首を振る。まだ金印を返してもらうつもりはない。
「もう少し持ってろ。全部揃ったらもらう。それまで俺はただの魔王だ」
「ひらの魔王なんて聞いたことありませんが」
「いいんだよ……で、そのクローバーは黒の部屋にあるって?」
サタンはリリィを見た。リリィの蒼い瞳が不安そうに揺れている。その肩にサタンの冷たい手が触れた。
「お前のアイテムは地獄の最下層の奥。敵の巣窟に突っ込んで、ラスボスの目を掻い潜ってやっと辿り着けるところだ。ちょっと時間がかかるな」
「いえいえいえ! いいです。もともと少し気になっている程度のものなので」
「『運命の天使』の『幸運の力』については、ルキウスも研究しようとしてましたから。幸運繋がりで、何かあるかもしれませんね」
慌てて首が取れるのではないかと思うほど勢いよく振っているリリィを、クロムが擁護した。彼女に「幸運」の可能性について教えたのは自分だ。危険を冒してでも手に入れると決めているような彼の表情を見て、サタンも頷いた。
「だから「時間がかかる」と言ったんだ。取りには行く。地獄の今の状態も一度見てみてぇしな。最下層だし、行くのは俺とクロムとシルヴィアか……ルナは留守番」
「何故ですの!? 私も最下層は楽に……」
「わかってる。だがここを守る奴がいねぇんだ。お前は煉獄から天国までのルートを死守しろ。天国にひとりも悪魔を入れるな。重要な任務だ……わかるな?」
「わかりました。そのような事でしたら……仰せのままに、魔王様」
ルナは深く頭を下げた。天国を守る。ルナにとって、これ以上の任務はない。サタンは先程聖夜から、ルナが天国に憧れを抱いていることを少し聞いていたのだ。今地獄にいる悪魔の中で、人の魂のいく先が天国である事を真に願える者はどれほどいるだろう。サタンは疑問だらけだったクロムの選定基準とルナ自身を少し見直して、ここ煉獄を任せることにしたのだ。
「ハルト。お前ホイッスル持ってるだろ。とりあえずルナに渡せ。煉獄や天国で何かあったら合図にできる」
サタンの指示で、ハルトがルナに黒いホイッスルを渡す。しかし、ルナは大きく首を振って一歩下がった。
「い、いいえ、無理です! 無理ですわよ。クロム様を笛で呼び出すなんて……考えられませんわ」
「ですよね」
何故そこで拒否るといわんばかりの仲間たちの視線を感じながら、ハルトだけは同意を込めて頷いた。ルナの気持ちはとてもよくわかる。何を隠そうハルトは、この黒いホイッスルを肌身離さず持っていながら一度も吹いたことが無いのだ。理由は今のルナと同じ、単に恐れおおいのである。
「いいから何かあったらすぐに呼べ」
「無理です!」
「お前らの関係ってほんとどうなってんだよ」
「魔王様、お役に立てず申し訳ありません。クロム様のような尊きお方が私なんかに笛ひとつで呼び出されるなんて……むしろ私の方がクロム様の犬になりた……」
「瑠奈ちゃんストップ。魔王様が引いてる」
「全員引いてるわよ」
聖夜がルナの口を塞ぎ、シルヴィアとサタンは引き気味に、クロムは何を考えているかわからない無表情でルナを見ていた。ハルトは少し考えて、聖夜にホイッスルを渡した。聖夜の配置はまだ決まっていないが、おそらくルナとセットだろうと思ったのだ。
「私はリリィと一度天国に戻るよ。煉獄の存在をまだ周知していないだろう? あちらも混乱してるはずだからね」
ミカエルがリリィの肩をポンと叩いた。サタンは頷く。これでだいたいの配置が決まった。あとは人間二人だ。
「じゃ、まずはハルト。お前は……」
「サタン様」
ハルトに何かを指示しようとしたサタンの言葉を、クロムが遮る。訝し気にクロムを見たサタンは、彼の指が指し示す方を見て驚きの声を出した。
「マジか……やるな」
いつの間にか、地獄へ繋がる白い階段を塞ぐ氷塊に大きなヒビが入っている。隙間から漏れて僅かに見える白い光は聖なるオーラに満ちていた。
「まさか、浅黄先生が?」
「兄さんがここに?」
「色々あったのよ」
「借り物の聖剣で氷塊割るのは厳しいと思ったが……本物出したわけじゃねぇよな」
「どうでしょう。もうすぐ来るので、本人に聞いてみては?」
「俺が? さっきの感じだと答えてくれなさそうだけどな」
「なら、私が聞いてみるとしようか」
ミカエルが翼を大きく広げ、一歩前へ出た。話している間にもヒビはどんどん大きくなり、やがて大きな裂け目となる。氷塊の上から下までを繋ぐ線がはっきりと見え、そこから目が眩むほどの白い光が広がっていった。
「ふたりとも下がってて」
「ここは私たちが」
「悪ぃな」
「任せた」
サタンとクロムが大きく下がり、シルヴィアとリリィも前に出る。聖剣で天使が傷つくことはないし、天使は光が得意だ。どんなに眩しくても前をはっきり見ることができる。実際、人間であるハルトと聖夜の視界は真っ白で、もう何も見えていなかった。
――ガラガラと氷塊が崩れる音が大きく響き、大きな氷が落ちてきて床のタイルがいくつか割れる。地震のように揺れた足の感覚が元通りになった頃には白い光も散っていき、恐る恐る目を開けると、ドライアイスを炊いたような白い煙の向こう側に思った通りの人影が見えた。
「浅黄先生……」
ハルトは浅黄の名を呟いた。呼びかけた、でないのは、彼が答えてくれないだろうと思ったからだ。
茶色い革手袋をつけた手にしっかりと握られているのは、先ほど会った時と同じ、魔王に刺さっていた先代勇者の聖なる剣。しかし、剣に纏った聖なるオーラは先ほどとは段違いだ。
浅黄玲央。その姿は強い輝きを放つ剣で巨大な氷塊を割り、魔王のもとへたどり着いた勇者そのもの。しかし、彼の表情は人形のように生気がなく、琥珀色の瞳は、まるで焦点が合っていなかった。




