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第六十五話 たまには役に立つ男

(そろそろかな)


 いつものように校門で、聖夜はスマホをちらりと見た。メッセージアプリには突然辞めた旅行サークルの仲間やたまに遊んでいた女友達から大量にメッセージが届いているが、彼はそれに一切の返信をしていない。今スマホを見たのもただ時刻を見るためだ。下校時刻が過ぎているのを確認して、再び校舎に視線を向けた。


(いつもより遅いな……どうしたんだろ?)


 今日は午前授業と聞いている。校舎からは多くの生徒が出てくるが、そこに瑠奈の姿はなかった。生徒会の業務もないだろうし、そろそろ来るはずだと目を凝らす。


「(うわぁ。あの人かっこいい)」

「(ダメダメ、あのひと会長の……)」

「(え、そうなの? なんだぁ)」


 通りがかりの女生徒が聖夜にあからさまな視線を向けるが、待ち人が瑠奈だと知って落胆の表情を浮かべた。会長の彼氏と噂されているのは毎日の待ち伏せの成果だ。瑠奈は嫌な顔をするが面倒なのか明確に否定もしていないようで、順調に外堀が埋まっていく手応えを感じる。肝心の彼女の心を掴まないと、何の意味もないのだけれど。


(よしっ。今日こそはどこか誘おう。参考書買いに行くとか、どこかでお茶するとか……駅前のケーキ……は、だめだよなやっばり)


 ケーキの話はしないでと、悲しそうに眉を下げる瑠奈の姿が思い出される。あれからその話は避けていたが、やはり彼女の想い人はパティシエなのだろうか。


(やっぱりシルヴィア先生に聞いておけば良かったかな……なんとなく怖くて聞けなかったけど。でも今日も行くって言ってたし先生のお友達は生きてる、よねたぶん?)


 先程話をしたばかりの、シルヴィアの様子を思い出す。悲しそうでもなかったし、店には普通に行っているような感じだった。シルヴィアはあまり自分のことを多く語らないが、あれほどの友人が亡くなったならさすがに態度に出るはずだと、聖夜はそう推理した。


(あ、でも凄い魔除けおいたって言ってたし、やっぱり何かはあったのかも……あ)


 校舎から出てくる瑠奈の姿を見た瞬間、聖夜の思考は切り替わった。いつものように背筋を伸ばし、周囲の生徒に笑顔を振り撒きながら歩く品行方正な生徒会長。しかし聖夜はその姿に違和感を感じた。いつもと何かが違う。


「瑠奈ちゃん! どうしたの?」

「…………」


 瑠奈は聖夜を一瞥もせずに校門を出て左に折れ、駅の方へと早足で向かった。つれない態度はいつもの事だが完全無視は珍しい。おそらく何かがあったのだと、聖夜は走って追いかけた。


「瑠奈ちゃん! 瑠奈ちゃんってば」

「あなたと話している時間はありませんの。着いてこないで」


 冷たいが返事が返って来たことに、聖夜はひとまず安堵した。対して瑠奈の頭の中は聖夜をどうやって撒くかでいっぱいだ。


(しつこいですわね。スピードを上げても着いてくる……このまま店へ連れていくわけにはいきませんし)


 あまりにも天使に近いオーラを(まと)っているので混乱する事もあるが、聖夜は紛れもない部外者だ。巻き込むわけにはいかない。


「どうして急いでるの?」

「急用ができましたのよ。あなたには関係ありませんわ」

「そうなの? 友達?」

「えぇまあ」

「瑠奈ちゃん友達いたんだね」

「馬鹿にしてます?」

「いや安心してる」


 聖夜は瑠奈の交友関係について知らない。校門から出てくる様子を見ている限りでは大勢の生徒に好かれているようだが、瑠奈の方は心を開いていないのが明白だった。仲がいい子がいるなら少しは安心かと思いかけたところで、そういえばハルトという子と親しそうにしていたなと思い出して青ざめた。


 一緒に天国に行きましょうと握手を交わし合うような関係。あの同盟の人数がこれ以上増えて、最終的に集団自殺にまで発展してしまったら。


「瑠奈ちゃん! その友達に会わせて!」

「はぁ?」


 聖夜は走って瑠奈の前に回り込み、行き先を塞ぐようにして立った。友人が安全だとわかるまでは会わせるわけにはいかないと必死な表情を前に、瑠奈は眉を寄せる。


「何故邪魔を?」

「心配だからね」

「あなたに紹介するような友人はおりませんが」

「違うよ、そういう意味じゃなくてさ。女の子?」

「…………」

「いや違うって! 紹介してって意味じゃないから!!」


 変質者を見るような目で見られ、聖夜は叫んだ。断じて出会い目的などではないのだ。男性だったらちょっと嫌だな、とは思っているが。


「同じ学校の子? ……だったら待ち合わせなんてしないか。えぇと……年上?」

「……そうですわね」


 瑠奈は一度足を止めた。思ったよりも面倒臭い。適当に途中まで話を合わせて隙をついて逃げようかと作戦を考える。仮の待ち合わせ人の特徴は……クロムでは、話が更に(こじ)れるかもしれない。女性がいいだろう。ちょうどクレハという名を、先ほど聞いたばかりだ。


「クレハさんという方ですわ。この先で待ち合わせておりますの」

「くれはさん? あ、それってもしかしてコウモリの……?」

「コウモリ?」


 思いもよらない言葉を聞いて、瑠奈は(いぶか)しげな視線を聖夜に向ける。対して聖夜は何てことないように頷いた。浅黄とクレハと三人で肉を食べたあの日から、聖夜の中で彼女は『コウモリの羽の人』だ。


「コスプレ好きだよね、彼女」

「こすぷれ?」

「ほら、背中に羽つけてたりとかさ」

「羽……コウモリの……」


 瑠奈は確信した。聖夜が見たのは悪魔の翼だ。コウモリなどと一緒にされるのは屈辱だが、自分のことを言われたわけではないので今は気にしない。それよりも重要な事は、なぜ彼がクレハを知っているのかだ。


「彼女と知り合いですの?」

「兄さんと親しいみたいで、一緒に食事したことがあるんだ。あっ、三人でね」

「何人だろうとどうでもいいですわよ。お兄様は?」

「僕にも興味持ってよ……兄さんは、瑠奈ちゃんの学校で数学教えてるんだよ。知ってるんじゃないかな?」

「もしかして……浅黄……」

「正解っ!」


 人差し指を立ててにっこり笑う聖夜。その自信満々な態度、爽やかな笑顔、雰囲気はまるで違うが、確かに重なるものがある。


(まるで部外者というわけでは、なくなってしまいましたわね……)


 店まであと数百メートルほどの路地で立ち止まったまま、瑠奈は密かに頭を抱える。全く関係ないと思っていたものが、突然繋がった。


「ね、くれはさんと会うの?」


 変わらず何の含みもない笑顔で話す聖夜は、おそらく悪魔の存在を知らない。しかし貴重な情報源となりうるこの青年を、手放すのも惜しい気がする。


「……わかりましたわ。聖夜さん」

「え?」

「ちょっと付き合ってくださらない?」


 悩みに悩んで、瑠奈は聖夜を店へと連れていくことにした。クロムの判断を聞いて、不要ならば追い出せばいい話だ。しかしそんな瑠奈の胸中は知らず、聖夜は浮足立った。瑠奈からの誘いは初めての事だ。そして、名前を呼ばれたのも。


「もちろん。何でもするよ」


 優し気な、しかし少しだけ計算の入った笑みをうかべて、聖夜は瑠奈を真っ直ぐ見つめた。このチャンスを逃してはいけない。たとえ行き先が天国だろうと地獄のような場所だろうとしっかりついて行くのだと、彼は瑠奈には知られないよう密かに決意を固めるのだった。





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