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第六十二話 嵐の前日

「お疲れ様」

「あぁ」


 ミカエルが天秤の修理をしていたちょうどその頃。明日で閉店をむかえるクリニックの片づけを終えて、店へとやってきたシルヴィアは意外そうにクロムを見た。彼はいつも通り調理台へと向かっていたが、その視線は珍しくスマホに向けられている。


「珍しいわね」


 クロムは交友関係が極端に狭い。天国でも地獄でも使えないその機器を使う相手はハルトとシルヴィアくらいだ。何か重要な連絡が来たのか、それとも新たに連絡を取るような相手が出来たのか。


「彼女でも出来た?」

「は?」

「やっぱ何でもないわ」


 一応聞いてみたが、心底訳が分からないという目で見られた。後者は無いなとシルヴィアは一人頷く。ならば相手はハルトだ。


「ハルトくん何だって?」

「お前も見ろ」


 何故相手がハルトだと知っているのかと、クロムは聞かない。代わりに渡された画面を見ると、そこにはハルトからの業務日誌のような報告が長々と記されていた。クロム相手だからか真面目な文面だ。これは確かに自分が見ても問題ないなと判断し、最初の文字から目を通す。


「瑠奈ちゃんが天国目指してるって?」

「そうらしいな」

「健気ねぇー。可愛いじゃない」

「やると決めたらやり遂げる奴だ。おそらく天国に届くのも時間の問題だろうな」


 瑠奈の努力家な面を評価するような彼の言葉を聞いて、シルヴィアは微笑んだ。彼女の頑張りが報われる日も近いかもしれない。


「天国に来たら、あの子もリーダー会議に参加するのかしら?」

「それを決めるのは俺じゃない」

「でもあんたの意見は尊重されると思うわよ」


 リーダー会議の参加者を決める権限は、言うまでもなくミカエルにある。そう言ったクロムだが、ミカエルは瑠奈の事を何も知らないどころか顔を合わせた事も無い。どれだけ信用出来るかを判断するのに、クロムの意見が重要視されるはずだ。


「ミカエルさまは瑠奈ちゃんの事を知らないけど、あんたの事は心から信頼してる。あんたが仲間だって言えば仲間になるし、敵だと言えば敵にもなり得るわ」


「……あいつが魔王をどう思うかだな」


 クロムは考えるように視線を落とした。瑠奈のとこれまでに交わした会話を一つひとつ思い返すと、彼女はおそらく自身の仕事に対する考え方ややり方に共感しているのだろうとわかる。そして価値観の一致は色恋よりも信用できるものだと、クロムは常々思っていた。


「思い返してみても、あの襲撃(しゅうげき)以外に不審な点もない。主張も一貫しているし問題ないだろう。あいつが望めばミカエル様に口添えくらいはしてやる」

「今の言葉、本人が聞いたら泣いて喜ぶわね」

「ミカエル様が拒否したら知らんぞ」

「本人もそれは分かってるわよ。でも、何かせずにはいられないんでしょ」


 瑠奈はクロムが直々に選んだリーダーだが、ハルトと店舗を襲撃(しゅうげき)した事によるイメージの低下は大きい。本人もそれを気にしているからこそ、こちらの味方になりたいと、行動で覚悟を示そうとしているのだろう。


「それに、ハルトくんからの後押しもあるしね」

「ハルトとお前が良いというなら俺の出る幕も無いな」


 クロムは肩を(すく)めた。ハルトからのメールには、瑠奈の努力に対する尊敬と応援したい気持ちが丁寧に書かれている。襲撃された当の本人がこれほど推すなら良いのだろう。そう言いつつも未だ考え込んでいる様子のクロムに、シルヴィアは首を傾げた。


「なによ、まだ何か考えてんの?」

「あいつは最下層にも出入りする。情報は慎重に与えなくてはと思ってな」


天使や人間と違い、瑠奈は地獄でケルベスと直接顔を合わせることもできる。敵側の情報に惑わされてハルトを襲撃した前科もあるため、利用されないように細心の注意を払わないといけない。そう思ったクロムだが、シルヴィアは異を唱える。


「それ、あたしは逆だと思うわよ」

「逆?」

「正確な情報が無いから、変な情報に惑わされるのよ。先にあんたがちゃんと話をすれば問題ないわ」


 それは確かに一理あると、クロムは頷いた。敵に利用される前に全てを話してこちら側に付いてもらうのが最善な気がしてきた。早速シルヴィアに連絡を取ってもらおうかと隣を見れば、呆れ返った視線が返ってくる。


「もしかして連絡先も知らないの?」

「知らんな」

「信じらんないっ! だからあんたは駄目(だめ)なのよ」

「何が」

「人生の甘さが足りないって話」


 ずっと昔にどこかで聞いたような言葉だとクロムが考える間もなく、シルヴィアは彼のスマホを見せつけるように(かざ)した。連絡先は見事に二箇所(かしょ)、あとは材料の仕入れ業者だけだ。


「とりあえず瑠奈ちゃんの連絡先は入れとくわよ。後でちゃんとあんたから連絡しなさい」

「そうだな」

「あと別に恋人じゃなくてもねぇ、友達くらい作んなさいよ」

「友達……?」

「ちょっと……初めて聞く単語みたいに言わないでよ……」


 ぎこちなく繰り返したクロムに、不安になったシルヴィアが自分のスマホを取り出す。老若男女職種も様々、その多岐(たき)にわたる連絡先の数々に、ほとんどクリニックとケーキ屋の往復しかしていない癖にいつの間にと、クロムは画面を流し見た。


「お前凄いな」

「感心してる場合じゃないのよ。あ、この人! あんたに会いたがってたのよね」


やがてシルヴィアは一つの連絡先を示した。クロムは自分に向けられた画面を見る。心当たりがまるで無い。


「誰だ?」

「パティシエよ。駅前の大きなケーキ屋さんあるでしょ?」

「あぁ」

「前に食べに来たのよ。あんたの作るケーキが美味しいって十個も買ってったわ」

「熱心な事だな」


 感心半分呆れ半分で黒谷は頷いた。同業者による敵情視察というやつだろうが、天国と違って消費期限というものがある事だし、一度にそんなに買ってちゃんと消費できたのかと心配になってくる。


「落ち着いたら会ってみる?」

「何故俺が」

「だってこの人、あんたのケーキ食べて泣いてたわよ。この味は真にケーキを愛するものでないと出せない究極の味だーとかって」

「面倒な奴だな」


 クロムはスマホをシルヴィアに押し付けるようにして自分の目の前から離した。話に聞くだけで面倒臭い。泣かれるのもケーキについて熱く語られるのもごめんだ。それに、断じてクロムはケーキを愛してはいなかった。


「んー、じゃあこの人は? 先祖が元悪魔で、今コウモリの羽の研究してるの」

「お前の友人には(ろく)な奴がいない」


 まだ二人の情報しか聞いていないが、クロムは断言した。やはり知り合いは数多ければ良いという訳ではないようだ。しかしシルヴィアはクロムに新たな友人を作る計画を諦められないのか、未だ画面に視線を落としている。それを再び覗き込んで、彼はふと沸き起こる疑問を口にした。


「その中に本命はいるのか?」

「は?」

「いや。何でもない」


 心底訳が分からないという目で見られた。無いんだなと内心頷き、クロムは疑問を引っ込める。いたからといって特にどうといった事はないのだが、無用なトラブル防止のために、二人は時々探りを入れる。


「閉店準備は終わったのか?」

「えぇ。明日のお昼で終わるから、そのまま(ここ)に来るわね」

「ハルトも明日は午前授業だと言っていたし、ちょうどい……っ!!」


 クロムが言葉の途中で大量の魔の力を感知し、黒い翼を全開に広げた。反射的にシルヴィアを(かば)うような姿勢を取りながら、呆れたように息を吐く。


「サタン様か……」

「ほんと寂しがりやよね」


 ほどなく雷鳴が(とどろ)き、雨の音が聞こえた。もうすぐ復活するのだと、存在を知らしめるように堂々と(あふ)れる闇のエネルギーは、おそらく力のある悪魔なら地獄にいても感じられるだろう。


「封印が解かれたわけじゃないわよね」

「万全な状態ならこんなもんじゃないだろ……しかし今ので流石に奴にも気づかれたな」

「折角内緒にしてるのに台無しじゃないの」

「封印されてても困った方だ」


 逢いたいのはこちら側だけではないのかもしれないと、クロムとシルヴィアは顔を合わせて少し笑った。しかし、これで敵に魔王の事が知られてしまった。妨害してくる前に速やかに復活させたいと思っていただけに、地味に痛い結果だ。


「師匠! シル姉! いる!?」

「緊急連絡です!」


 予想通りというべきか。今度は瞬間移動でリリィとルークが飛んできた。ミカエルは天国から出られないので、この二人が来るのは必然といえるだろう。ちなみにハルトはおそらく魔のオーラなど感じない。こちらから連絡しない限りは普通に自宅にいるはずだ。


「何があった」

「天秤をすごい勢いで動かしたらしいっすよ」

「自分で出てくる気じゃないでしょうね」

「出てこれるはずがないんだが、遠隔で天秤を動かすあたりに本気を感じるな……で、天秤は」

「ミカエル様が最終調整に入ったので、明日には起動できるそうです」


 リリィの言葉に、クロムとシルヴィアは頷いた。ちょうどいいタイミングだ。ルークが先程の膨大(ぼうだい)な魔力を思い出しながら口を開く。


「それにしてもすげーオーラだったっすね。魔王様」

「本当にびっくりしました」


 魔王が味方で良かったと、リリィとルークは同時に安堵(あんど)の表情をうかべた。決して理不尽に恐ろしい存在ではないと知っているからこそ、こんなに落ち着いていられるのだ。


「逆に向こうは平静ではいられないだろうな」

「今頃最下層で大慌てね」

「シル姉いつまで人間界(ここ)? 癒しは治せるけど防げないし普通に危ないっしょ」

「明日で閉店だから午後から天国(そっち)行くわ。さすがに向こうもある程度戦略練ってから来るでしょうし、いきなり今夜決戦とはならないわよ」

「明日までは俺もここにいるから問題ない」

「ハルトさんも明日の昼にはここに来ると言ってましたし、また天国に集合ですね」


 ハルトと順調に連絡を取っているらしきリリィがスマホを確認した。天国版の端末もあるにはあるが、人間界と天国で連絡を取ることは出来ないので、リリィはここ最近、瞬間移動で一日何度も一瞬だけこの店に来るという迷惑行為を繰り返している。


「おっけー。じゃ、それまでこれ置いとくわ」


 ルークが一緒に瞬間移動してきた大きな箱のようなものを両手で持った。引越し用の段ボールくらいの大きさの重そうなものだ。それを店の隅の目立たないところに置き、スイッチを入れる。突然店の周囲に聖なる気配を感じ、クロムが興味深そうに装置に近づいた。


防護壁(シールド)か」

「そっ。自動のやつ」

「凄いわね。作ったの?」

「まーね。でもまだちょい威力弱め。強いの来たら破られるかもだから、明日また作業させて」


ルークはそう言ったが、これをあの短時間で作り上げるのは並大抵のことでは無い。優れた頭脳と才能と努力。やはり血は争えないと、シルヴィアは微笑んだ。


「『害意のある魔』を弾くように設定したから、師匠はへーきっすね」

「そうだな。効果は?」

「半径五メートル。俺がいなくても数千年はいける」

「凄いな」

「でっしょ! 天秤復活したらこれ置いとけばいいと思って」

「天秤のために作ったのか」

「当然」


感心したように装置を見るクロムの言葉に、ルークは胸を張った。五百年前、勇者の攻撃から天秤を守るために最後の力を使った彼の父親の姿を、クロムははっきりと覚えている。そのことを知らないルークにはそこまでの思い入れはないだろうが、ルキウスの息子が作った装置がこれからの天秤を守るという事に感慨深い思いを抱き、クロムはわずかに目元を緩ませた。


「じゃ明日の昼集合って事で」

「明日の朝もその……様子を見に来ます」

「ふふ。いいわね」

「好きな時に来るといい。防護壁(シールド)も電波までは弾かないだろうからな」

「うぅ……すみません……」


天国では何の役にも立たないスマホを持ったまま深く頭を下げるリリィを、微笑ましげな視線が包む。その後再び二人だけになった店内で、クロムとシルヴィアは昔話を楽しみながら敵側が取るであろう戦略を色々予想し合った。しかしそのどれとも違う展開が明日訪れることを、まだこの時の二人は知らない。

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