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第四十九話 白黒混ざって灰になる

「シルバー……やはりあの銀髪は奴だったか」


 地獄の最下層で、玉座の悪魔が低く(うな)った。クレハは地面に額を擦り付けたまま、報告を続けている。まさか以前暗殺を命じられたあの銀髪の人間が癒しの天使だったなんて、誰が想像できただろう。


「だから殺せと言ったんだ」

「申し訳ありません。まさか彼女が天使だったとは」

「言い訳をするな! 天使だと知っていたら殺せたのか?」

「それは……」


 言い(よど)むクレハに大きな溜息(ためいき)を浴びせて、彼は宙を(にら)んだ。ここ五百年もの間、彼女は表に出てこなかった。おそらく力を使い果たしたか大怪我を負ったかしたのが最近復活したのだろう。ここまで全く気付かずにいたことが悔やまれる。


(シルバー)は今何をしている」

「それが……天国の情報源が途絶えてしまい、何もわからない状態で……」

「それでよく報告に来れたものだな!」


 一段と低い声で吠えるように言葉を放つと、怒りのあまり身体からシューシューと毒霧が()れた。玉座の周囲が濃度の濃い毒霧に(おお)われ、クレハのいる位置まで降ってくる。彼女も毒に耐性があるとはいえ、まともに吸うと命が危ない。しかし逃げればますます怒りを買うだろう。クレハは少し迷った末に、静かに息を止めた。

 

「お前も天国に行け」

「……申し訳ありません。それは……」

「修行しろ」

「そんな……っ……」


 クレハはできるだけ息を吸わずに答えようとしたが、マスターからの無茶な要求に思わず悲痛に叫び、そして口元を押さえた。喉が(しび)れ、手足の感覚も無くなってくる。しかし、この命令は取り下げてもらわなければならない。天国へ行くということは、クレハにとっては死と同義だ。


「……『勇者育成計画』があります」


 クレハは絞り出すような声で言った。言うまでもなく浅黄のことだ。彼は順調に聖なるオーラを蓄えている。勇者になれるのも時間の問題だろう。


「勇者は天国に行ける。聖剣があれば、クロムも潰せる……か」


 水面下で進めていた計画がようやく動き出す時が来た。法律上、悪魔は金印を持つクロムに手を出せない。しかし人間は別だ。浅黄が勇者になったら、クロムを魔王と(いつわ)り聖剣で消させ、任命印を手に入れる。それが、()ねてから温めていた『計画』だった。


「報告を聞く限り、浅黄とやらは単純な人間だ。あれが魔王だと紹介すれば、喜んで聖剣を振り下ろすだろうな」


「……はい…………」


 朦朧(もうろう)とした意識の中で、クレハはやっと返事をした。これはもう会話になりそうにないと、玉座の悪魔は呆れながら追い出すように手を振った。同じ毒の能力を持っているというのに、力不足もいいところだ。


「行け」

「…………」


 もう話すこともできないクレハを、彼はじっと見ていた。一礼して去っていく黒い翼は毒の影響か真っ直ぐは飛べないようだ。時折ふらつきながら最下層を抜けていく彼女に視線を向けながらも、彼が考えているのは別の事だった。


(シルバー……ずっと、クロム(あいつ)とともにいたのか)


 クロムの店で店番をしていたという、銀髪の人間。彼女の暗殺失敗の報告とともに突然現れた癒しの天使。同一人物だという事はもはや確定事項だ。


 彼女の背に広がる純白の翼を思い返す。そしてそれに寄り添うように立つ、大きな黒い翼。種族が違うにも関わらず、二人は当然のようにいつも隣にいた。互いに尊重し合い、どちらかに染まることなく否定することもなく、ただありのままに並んで立つ。


(まるで見本のようだと、思っていた時期もあったな)


 遠い昔を懐かしむように、彼の目が細められる。しかしそれは一瞬だった。仲良くなんて、そんな幻想を抱いていた時にはもう二度と戻ることはできない。


(何が良好な関係だ。弱くて卑怯で臆病で、一人では何もできないくせに集団では途端に強気になり、正義や平和のためなら何をしても良いとさえ思っている。天使とは、最低な種族だ)


 滅ぼしてしまえばいい。白い翼など、この世から消してしまえばいい。悪魔だけになっても天国は運営できるだろう。何なら地獄だけになってしまっても一向に構わない。金印に心を支配された彼にとって、人の魂の行く先などはもはやどうでもよくなっていた。


(金印を手に入れ、白い翼を全て消す。近いうちに必ず、そうしなければならない)


 彼の手の中で改正印が怪しく光る。彼は黒い翼一色の世界を思い描いた。憎き白がこの世から消える。金印も両方手に入れる。そして悪魔だけになった死後の世界で、最高位のマスターとして、堂々と迎えに行く(・・・・・)のだ。


「……ルシファー……もうすぐだ……」


 小さな呟きは、罪人の(うめ)き声にすぐにかき消される。かつて隣にいた翼を思い浮かべ、玉座の悪魔は目を閉じた。



        ◇


 

「悪いね。すっかり手伝ってもらっちゃって」

「いえ。必要な事ですから」


 白の部屋の最奥。びっしりと古代語の本が並んだ本棚から『開く』と書かれた背表紙の本を抜き出すと、武器庫への隠し扉が開かれる。


 中には厳重に管理された聖なる武器や聖なる書とともに、全長五メートルを超えるほどの大きな『裁きの天秤』が置かれていた。五百年前聖剣から放たれた聖なる刃の攻撃を受けて壊れた天秤は、ミカエルの努力によりようやく元の形を取り戻し、あとは最終調整を残すのみとなっている。


「ここから先は、『地獄の(マスター)』の力が必要だからね」


 ミカエルが、大きな天秤の支柱を()でた。金色に光るこの天秤は、天国と地獄の両マスターが共同で管理するものだ。修理には聖の力、調整には魔の力。それぞれ役割がある。


「俺が扱えるかは心配でしたが、問題なさそうですね」


 支柱の反対側に手を当てていたクロムが、少し離れて両方の皿のバランスを見た。改正印のない状態で天秤が動かせるかは不安に思っていたが、ミカエルは当然のように頷いた。


「勿論できるさ。ちゃんと継承(・・)の手続きはしてあるんだろう?」

「したと聞いていますが」

「なら問題なく、今はクロムがマスターだ」

「聞いただけなので実感はないですけどね」


 金印を正式に譲渡するには、継承の手続というものが必要らしい。しかしそれがどういう手続きなのか、クロムは知らなかった。


 サタンが封印される前に、継承の手続きは済ませたという言葉と共に突然任命印を渡された時。あれほどの衝撃は、長い一生の中でもそうそうないだろう。


 おかげで何の心の準備も覚悟もないまま何となくマスターになってしまったクロムは、今でも自分がそう呼ばれるたびに違和感を感じている。その点に関してだけは、改正印を盗んで不正所持のまま堂々とマスターを名乗っているあの悪魔の事は、内心少し尊敬していた。敵ながら本当にいい度胸だ。


「でもこれを動かせるんですから、やはり継承というのは重要な手続きなんでしょうね」


 右の鎖が長いな、と確認して、クロムは再び支柱に戻り手を当てた。天秤を扱うのは初めてだが、こうして念じると不思議と思い通りに天秤が動く。


 反対に距離を取ったミカエルは、右の鎖が少しずつ短くなっていくのを感心したように眺めた。


「当然さ。それにしても初めてでこんなに上手に調整できるなんて、クロムは本当に優秀だね」


「サタン様には敵いませんが」


「任命印がきちんと継承されてて本当に良かったよ」


「金印を半分に分けたり、死にそうになってる最中に継承を済ませたり。サタン様のやる事は破天荒すぎてついていけませんね」


「先の先まで予測して常識にとらわれず、打てる手は全て打っておく。サタンらしいね……っと、ストップ」


 ミカエルの合図で、クロムは支柱から手を離し再び距離を取った。鎖の長さは(そろ)ったが、まだ少し右に傾いている。


「……凄すぎて、時々意味がわかりませんよ」


 クロムは半分になった金印を出して眺めた。そもそも任命印と改正印の二つの用途で使用する丸い印を、半分に分けて使うなんて事自体が前代未聞だ。(すき)をついて盗られる可能性も考慮して用途別に分けて保管するなんて、サタンから聞くまでクロムは想像もしていなかった。


「彼は親しみやすく見えて、実は誰よりも用心深いからね。私もこれを分けて保管するなんて考えたこともなかったよ」


 ミカエルも自身の丸い金印を手に取った。クロムの手にあるものと違い、金色に光り輝いている。本来の金印の姿だ。


「天国では盗まれる心配はないでしょうからね」

「私には地獄の管理は無理そうだ」

「天国の管理が向いているんでしょう」

「クロムは優しいね。でも、そろそろ()が動くかもしれないだろう? 何か対策はしないといけないと思っているんだよ」


 ミカエルは金印をしまった。そのいつになく真面目な表情を前に、クロムも腕を組んで考える。


「シルが戻った事も伝わったようですしね」


「もともと隠す気もなかったし、情報が漏れるのは想定内だ。同時にプレッシャーも与えられて動きが出ればと思ったが、向こうもなかなか冷静だね」


「腐ってもリーダーですから。元々血の気の多いタイプではありましたが、奴も(すき)を作りたくはないでしょうし、そう簡単には出てこないでしょう」


 クロムは久しく見ていない自称マスターを思い浮かべた。かつては悪魔と天使は仲良くすべきだと、暑苦しいくらい真っ直ぐに熱弁を奮っていた悪魔。しかしある事件以来、彼はすっかり変わってしまった。


「……あの事件は気の毒だった。彼が変わってしまったのは、天使(こちら)が……」

「ミカエル様がそれを口にすべきではありません」

「……そうだね……ごめん」


 たとえ事実だとしても、天国を()べる(マスター)として、天使を卑下(ひげ)するような発言は許されない。クロムに(たしな)められて、ミカエルは眉を下げた。


 きっかけが何だったのかは、(いま)だによくわからない。天使と悪魔の感覚の違いや文化の違い、妬みや誇り(プライド)。それに不運な偶然が重なり、ある日犠牲(ぎせい)になってしまった一対の翼。


「……彼が金印を盗んだのは天使を絶滅させる目的もあるでしょうが、おそらくルシファーのためでしょうね」


「『マスター権限』か。あれは不正所持でも使えるのかい?」


「不正所持でも印鑑としての効力は変わらないので使えるはずです。天秤とは違い、『魂の救済』には金印を使いますから」


 地獄のマスターのみが使える『魂の救済』とは、地獄に送られた魂を復活させることだ。もちろん全てというわけにはいかないが、充分に(みそぎ)を済ませた魂ならば肉体を元に戻すことが可能である。


「救済には膨大な魔の力を使いますが、奴の力でも一人は救えるでしょう。ルシファーが地獄に()ちてからもう随分(ずいぶん)時間も経ってますし、条件は満たしているはずです」


「二人には幸せになって欲しいと、私も思っていた時期があったよ」


 ミカエルは天秤を見上げた。かつてこれが現役だった頃、天使と悪魔の距離がもっと近かった頃、異種族間恋愛のモデルケースになろうと努力していた、白と黒の二つの翼。しかし、白い翼は黒く染まり、黒い翼は復讐(ふくしゅう)()られた。


「……彼の境遇には同情しますが、任命印を渡すわけにはいきません」


「当然だ。こちらとしても、黙ってやられるつもりはないよ」


 二人は(そろ)って天秤を見上げた。天国(みぎ)側に傾いているのは、聖なる力が多く注がれているからか。バランスを取らないといけないのかもしれないと、クロムは支柱に手を当て力を込めた。ほんの少しずつ左に傾く天秤を見守りながら、ミカエルがぽつりと呟く。


「この期に及んでサタン頼みというのも、ちょっと情けないと思ってるんだけどね……」


 申し訳なさそうに放たれた言葉を聞いて、クロムは一度手を止めた。膨大(ぼうだい)な力を注ぎ込んでも天秤は少ししか動かない。今日はここまでかと思いながら、天秤からミカエルに視線を移した。


「天秤の修復もサタン様の復活も、ミカエル様なしではあり得ません。サタン様は復活したら、ミカエル様に感謝しながら五百年分の恩を返して働くべきでしょう」


「サタンにそれだけ言えるのは、全ての世界を合わせてもクロムだけだよ。……ありがとう」


 くすりと笑って、ミカエルは答えた。返事の代わりに一礼して部屋から出ていく黒い翼を見送って、頼もしい事だと一人頷く。


「さて、もう少しやっていこうかな」


 先程鎖を調整している時に、左側の(くさり)が切れかかっているのを見つけた。それだけでも治そうかと、ミカエルは白い翼を動かした。

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