第四十二話 補佐役の本領発揮
「さっ、ほら行くよ! あっちの広場に噴水があってー、そこが街の中心!」
ルークはハルトとリリィの間に入り、二人の腕を引っ張って歩いた。先程まで考えていたのとは違う意味で、二人きりにさせてはいけない気がする。
「うわっ、ルーク!? どうしたの?」
「そんなに噴水が見たいなら早く言ってくれれば……」
「違ぇよ! あーもーっ、めんどい二人だな!」
自分ばかりが気を揉んでいる悔しさを紛らわすように、ルークは噴水に向かってずんずん歩いた。
大きなブティックの角を曲がると、長い階段が見えてくる。階段の手前で二人の手を離して翼を広げ、ルークは下に見える大きな噴水まで一気に降りた。
「うわぁ、大きな噴水!」
ルークが噴水前に降りると、案の定リリィは瞬間移動を使って一足先に、ハルトとともに噴水を見ていた。場所が変われば話題も変わる。もう翼の話題は出ないだろうと、ルークも一息ついて噴水を見上げる。
「噴水にはジンクスがあって、通りかかったときに虹が見えると願いが叶うっていわれているんですよ」
「へぇー、凄い……あっ、あれ! 見て!」
ハルトが指した方向には、小さいけれどはっきりとした虹が架かってた。周りの天使や死者たちが湧きたつ。
「リリィさん、きっと願い事叶うね」
「ねーちゃん通るたび虹出るのなんで?」
「え、そうなの?」
「なぜか毎回架かるんですよね」
たまたま幸運に巡り合えたと思ったハルトだったが、リリィとルークは不思議そうに首を傾げている。幸運も出会いすぎれば普通を通り越して不可思議な現象として映るらしい。もったいないなと思いながら、ハルトは虹を堪能した。
「ハルトさんは、どんなお願い事をするんですか?」
「うーん……やっぱり、立派な勇者になれますように、かな?」
「うわ真面目」
「そういうルークは何願うの?」
「おれはー……天国の平和」
「真面目じゃん。リリィさんは?」
「私は、もっと美しく洗練された翼が欲しいです!」
「だからリリィさんの翼は充分綺麗だって」
「さっきの話に戻っちゃったじゃん……」
ハルトがシルヴィアの翼を絶賛していたことが地味にショックだったリリィは、先ほどの話をだいぶ引きずっている。更にタイミングの悪いことに、その天国一綺麗な翼と巨大な黒い翼が空高くからだんだん降りてくるのを発見し、ルークはあからさまに顔を顰めた。
「うわぁー」
「どうしたのよ?」
噴水の前に降りたシルヴィアの翼は、やはり美しい。思わず目を逸らすリリィを見て、ハルトとルークはシルヴィアに近づいた。
「(や……ちょっと今だけさ、その翼しまってくんない?)」
「(いいけど……何があったのよ?)」
「(ちょっとリリィさんが情緒不安定で)」
「(ハルトがシル姉の翼ほめるからだよ)」
「(だってまさかこんなにショック受けるなんて)」
「(ばっかねー。翼は天使のプライドなんだから、安易に比べちゃだめよ)」
小声で状況を説明する二人の話を聞いて、シルヴィアはとりあえず翼を消した。
「翼なんて白ければいいだろうが。今の天国では」
少し遅れてやってきたクロムは、離れた位置にいたのに小声での会話もよく聞こえているようだ。彼は地面に足をつける前に黒い翼を消したが、周りに集まっていた天使や死者たちはあからさまに目を逸らし、怯えや敵意を含んだ表情をうかべて足早に去っていく。途端にがらんとした広場を見て、リリィがショックを受けたような顔をした。
周囲の黒い翼に対する冷遇を目の当たりにした後では、どちらの翼が綺麗かで悩んでいるなどとはとても言えない。
「師匠に対する視線も、一段と厳しくなってるっすね」
「クロムさんは何も悪くないのに……」
「誰しも未知のものは怖い。今の天国は悪魔の存在に慣れていないからな」
ここで受ける冷たい視線には慣れていると、クロムは平気そうに言った。だからと言って天使になりたいなどとは、彼は全く思っていない。
天国で黒い翼を消すのは恥ずかしいからではなく、周囲を怖がらせないためのマナーのような感覚だ。彼も天使と同様に自身の黒い翼に誇りを持っているが、それとは別にTPOはきちんと考える。
しかし、城でクロムを目撃したことのある天使たちや、先ほど降りてくる黒い翼を見た死者たちは、安全圏に避難しながらも小さく彼を指さすのだった。
「(ちょっと見てくださいよ。あれ……)」
「(さっき黒い翼が……コウモリみたいな)」
「(なんて気味の悪い翼なんでしょう)」
「(あんなのが天国にいてもいいんですか? 恐ろしくて出歩けないよ……)」
「(誰かあいつを地獄に帰してくれないかな……)」
「(あなたが行ってきてくださいよ)」
「(え! 嫌ですよ恐ろしい……)」
「ちょっとそこ! 不満があるなら堂々と言いなさい。こいつに何をされたわけでもないでしょうが」
シルヴィアの声に、遠巻きにこちらを見ていた者たちの口が閉じた。天国には似つかわしくないピリッとした空気を感じ、クロムは眉を寄せる。
「おい。俺はいいと言って……」
「全然良くないわよ。あんたも諦めてないでいい加減わかってもらう努力を……」
「いいから行くぞ。泥沼になる未来しか見えん」
「ちょっと! 放しなさいよ!!」
シルヴィアの腕を掴んで、クロムは黒い翼を広げた。トラブルになる前に強制連行だ。
「ルーク。シルがお前に用がある。ハルトは午後の訓練だ、水鉄砲をもって裏の林に来い」
「りょーかい」
「わかりました」
ハルトとルークは普通に返事をした。クロム本人がいいと言っていることに、二人は口を出さない。しかしシルヴィアは別だ。彼に同等の立場で意見できるのは、この場では彼女だけである。
「あんたね。何も悪くないのに何で逃げなきゃいけないのよ」
シルヴィアはクロムの手を振りほどき、真っ直ぐに目を見て言った。嫌がる罪人の魂を地獄へ連れて行き日々管理している悪魔は、天使に比べて肉体的にも精神的にもはるかに丈夫だ。しかし、傷つかないわけではない。
「変えられるわ。でもそのためには行動しなきゃ。あたしが話つけてくるから……」
「わかった。でもお前は黙れ。悪魔を庇った天使と言われて信用を失ったらどうする」
「いいわよそんなの」
「俺が良くないんだ。いいからお前はそこで見ていろ」
クロムはわざわざ黒い翼を出して広げると、シルヴィアを背に隠すようにして一歩前に出た。天国では通常見ることがない、黒い蝙蝠のような翼。恐れや怯えや不安を抱えながらも、全員がその異質な翼に注目する。
そんな不快な視線を一身に集めたまま、クロムは胸に手を当てて深く長く一礼をした。
その敬意ある態度に、周囲の彼に対する怯えの視線が驚きに変わっていく。たっぷりと間を取ってその空気の変化を確認してから、クロムは気持ち声を張り上げた。
「今日はここで失礼します。またどこかで会う事もあるでしょうが、こちらに一切の敵意はありません。お楽しみのところお邪魔してしまい申し訳ありませんでした。お詫びにこれを」
クロムは噴水に向かって片手を上げると、氷の力を利用して噴水の飛沫と空気中の水分を凍らせた。小さな無数の氷の粒が天国の太陽に照らされ、ダイヤのようにきらきらと光りながら降ってくる。常春の天国では見ることができないその幻想的な光景に、誰もが目を奪われた。
「では、引き続き楽しんで」
柔らかな笑みを残してバサリと黒い翼を動かし、クロムは空へ飛びあがった。すぐにシルヴィアも後を追い、二つの翼は瞬く間に消えていく。広場に残されたハルト達は、呆気にとられた顔で空を見ていた。
「今の……黒谷さんだよね……?」
「頭下げてんのにダサくなんねーのなんで?」
ハルトとルークは顔を見合わせた。止まっていた時が動き出したように、静まり返っていた周囲がざわめく。
「(……もしかして、あの悪魔けっこう優しいんじゃ)」
「(いや、わかりませんよ。信用しすぎると痛い目にあうかもしれません)」
「(横にいた天使は彼を庇っているようでしたが)」
「(いや、一緒に我々を騙そうとしているのかも……)」
周囲は混乱していた。礼儀正しいが威圧感のある見た目をしているあの大きな悪魔を、敵か味方か決めかねているようだった。ついでに隣にいたシルヴィアにも疑惑の声がかかるのを、リリィはじっと聞いている。
固くなっていく彼女の表情を見ていたハルトは、心配になって声をかけた。
「リリィさん?」
「ハルトさんとルークは先に行ってて。私はちょっとやることがあるので」
リリィはにっこりと笑った。彼女には珍しい、意志の強い作り笑顔だ。
「わかった……けど……大丈夫?」
「ねーちゃん……まじで気をつけてね? いろんな意味で」
全力で「いいから黙っていなくなれ」と言いたげな彼女の表情を見て、ハルトとルークは不安そうに広場をあとにした。
(みんなそれぞれ頑張ってる。私もできることをやらなきゃ)
一人残った広場で、リリィは拳を握りしめた。先程クロムとシルヴィアに疑いの視線を送っていたのは、リリィの管轄の天使たちだ。彼女はルークのように全員の名前を覚えているわけではないが、何度か直接報告を受けたことがあるので顔はわかる。
(部下の不安を私が解消できてないから、クロムさんとシルヴィアさんに迷惑がかかったんだわ)
二人は違うと笑うだろうが、今回クロムに不快な思いをさせてしまったのは自分の不手際だと、リリィは思っていた。
翼が戻ったばかりなのに天国の差別問題を何とかしようと声をあげたシルヴィア。理不尽な冷たい視線に向かって頭を下げただけでなく、細やかな気遣いをも忘れないクロム。それに比べ、自分は何をしていたのだろう。この五百年間リーダーの筆頭として天国を管理していたはずなのに、肝心なところは何も見えていなかった。
(こんなんでリーダーを名乗っているなんて。私は自分が許せない)
自分への怒りでこぼれそうになる涙。それをぐっとこらえ、リリィは笑顔で部下に近づいた。まだ空を見ながらクロムとシルヴィアの噂話をしていた天使たちが、彼女の姿を見て慌てて姿勢を正す。
「こんにちは」
「リリィ様っ! お疲れ様です!」
「お姿はお見かけしたのですが、その……近づくことができず、申し訳ありません」
暗にクロムのせいだと言いたいのだろう。少し迷惑そうに空に視線を向ける天使たちに笑顔を向ける。
「少し、お話しませんか?」
リリィは未だかつてないほど頭をフル回転させて、クロムのイメージアップを図る方法を考えていた。五百年前の事件については様々な噂があるが、魔王や悪魔が一方的に攻めてきたように誤解している天使が多い。機密情報は漏らさないように、どうにかその誤解を解かなければならないのだ。同時にシルヴィアが仕事をしやすいように、彼女がいかに素晴らしいリーダーであるかも伝えなければ。
(もう二度と、あんな冷たい視線は向けさせない。クロムさんとシルヴィアさんは、私が守る!)
リリィは誰にも見えない位置で、再び拳を握りしめた。
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一方、空の上では……
「あんたの仕事モード、久々に見たわ」
「方々に謝り倒してフォローするのはむしろ本職だからな」
「サタンさまの補佐って大変よね」
「ミカエル様ほどじゃない」
「そうね……そう、ちょっと聞いて! ミカエルさまってば、この五百年で未処理の書類山ほど抱えてんのよ! いくら天秤にかかりきりだとしても酷すぎると思わない?」
「お互い苦労するな……」
という会話があったりなかったり。




