番外編 新春 白黒対抗雪合戦
「皆、よく集まってくれたね」
「事前の広報活動が上手くいったな」
煉獄の天秤前。死者たちの審判を一時中断して片付けられた広い空間で、ミカエルとサタンが並んで周囲を見渡した。
翼を動かして宙に浮いている二人の後方には、大量の雪が天国まで続くのでは無いかと思うほど高く積まれている。そしてその雪をぐるりと囲むようにいる多くの天使と悪魔たちが、白や黒のベストを着てアナウンスを待っていた。
「準備万端! みんなベスト着てるー?」
雪が溶けないように気温は常の煉獄よりも低く、吐く息は白い。本日の室温管理と特殊なベストの開発を任されたルークが皆に呼びかけた。もちろん彼自身もそれを着ている。今は白いが、雪玉が当たると真紅に変わるものだ。
「そろそろ始まるな」
「負けないわよ」
「こっちの台詞だ」
クロムとシルヴィアが宣戦布告しあっている少し前方では、医療棟に勤務している天使たちが彼女の中指に光る指輪に視線を向けている。いつの日か彼女がこれを付けるようになってから、医療棟の話題は指輪の贈り主に関することで持ち切りだ。
「ほら、あの指輪……」
「あ、ほんとだ! やっぱクロム様が?」
「姐さん自分で買ったって言ってたけど」
「いやねぇだろ。他の男? いやもっとねぇか」
「やっぱさー……」
小声で交わされている噂話は、クロムの地獄耳にだけ聞こえていた。かえってややこしくなっているのではと思いながら、シルヴィアの銀の指輪にちらりとだけ視線を向ける。流行を追わない彼女らしい、シンプルで素材の良いものを選んだつもりだ。気に入っているようで何よりだと思う気持ちは、表情にも態度にも全く出ていない。
「足を引っ張ったら承知しませんわよ」
「大丈夫だって! 作戦考えたの僕だし。ルナ様こそしくじらないでくださいよ」
「生意気ですわね」
雪山の裏側では、聖夜とルナがそれぞれ入念な準備運動をしている。そしてその横では、揃いの装飾品をつけたハルトとリリィが、真剣な表情で作戦を書いた紙を無言で確認していた。クロムに聞かれたら困るので、声に出すのは厳禁だ。
「では、ルールを確認する」
やがて、煉獄の隅々にまで聞こえるルーク作の拡声器を手に、サタンが厳格な声を出した。
「ルール1、範囲は煉獄大広間。ルール2、相手の身体に当てるのはここにある雪のみ。ルール3、能力や道具の使用は相手に当てなきゃ何でも自由。ルール4、ベストが赤くなったら即退場。で、日没まで残ってたやつが多い方が勝ちだ。今日のはあくまで天使と悪魔両種族の親睦を深める意味合いであることを忘れるな。十三条の基準は少したりとも緩めるつもりはねぇから、悪魔は雪玉の硬さや能力の使用には充分に注意する事。いいな!」
「「「了解っ!」」」
黒の翼たちが一斉に姿勢を正したのを見て、サタンが満足そうに壁際に下がる。代わりにサタンから渡された拡声器を手に前に出てきたミカエルが、堂々と競技の開始を宣言した。
「ではいくよ。第一回親睦行事。『白黒対抗雪合戦』はじめ!」
「「「うぉぉーー!」」」
宣言が終わってすぐにミカエルが大きく飛び上がって壁際に寄り、代わりに多くの翼が白黒入り乱れて雪山へ突っ込んでいった。
「よっしゃ! ガンガン倒してやるぜ!」
「やられんじゃねぇぞ! 皆、アタシについてきな!」
まず悪魔の先発隊が脅威的な速さで拳大の雪玉を作っていく。中でも一際張り切っているのは全身に刺青を入れた悪魔だ。彼女は早速天使に狙いを定めて、腕を大きく振りかぶった。
「喰らえっ!」
至近距離なので加減した、しかし当たるとそれなりに痛そうな球が彼女の手から放たれる。しかしそれは目の前の天使の身体には当たらず、天使を守る防護壁に弾かれただけだった。
「あっ、ずりぃ!」
「能力の使用は自由ですから」
防護壁に守られながら悠々と雪玉を作っていく天使。よく見たら雪山に近づいている天使全てが防護壁の使い手だ。
「考えたな」
「まぁねー」
雪玉から離れたところで感心したように頷くクロムに、分厚い防護壁を全開に張ったルークが得意げに胸を張る。天使側の作戦を考えた彼は大きな籠を抱えていて、天使たちが作った雪玉をそこに次々と入れているのだ。守りに特化した天使ならではの作戦である。
「もしかして天使の圧勝だったりしてー」
「言ってろ」
勝ち誇ったように笑うルークの後ろから、豪速球が飛んでくる。それを難なく避けて、クロムは隠し持っていた雪玉をルークの後ろへ放物線を描くように投げた。挨拶がわりの一球をこれまた難なく避けた銀髪が、ルークから受け取った雪玉を再度クロムの方へ投げつける。クロムが避けたそれは偶々通りかかった悪魔に当たり、彼の黒いベストが赤く染まった。
「そこ。失格!」
ピッと短い笛の音が鳴り、サタンの声が降ってくる。開始三十分ほどで既に悪魔の方に三割程度の脱落者が出ており、審判役のサタンとミカエルが忙しく飛び回っていた。
「先手必勝! 幸先いいじゃない」
「甘いですねシルヴィア先生。勝負はこれからですよ」
突然シルヴィアの背後から爽やかな声が聞こえ、彼女の白い翼の付け根を狙って新たな雪玉が飛んでくる。それを躱した銀髪を囲む黒の一団。中心にいるのは本日の悪魔側作戦担当、聖夜だ。
「天使側最強のシルヴィア先生を倒せば、この勝負は勝ったも同然! いきます!」
シルヴィアを囲む悪魔たちが一斉に雪玉を構えた。上にも下にも黒い翼がいてどこにも逃げられない。
絶体絶命の状況。しかしシルヴィアは微笑み、四方八方から飛んでくる雪玉が身体に届く前に消えた。
「うわっ! やばっ」
シルヴィアが消えたことで投げられた雪玉が向かいの悪魔に当たり、彼女を囲んでいた悪魔たちの八割が失格となった。ギリギリで躱した聖夜が、悔しそうに数メートル先を見る。
「瞬間移動か! ハルト君やるなー」
聖夜が目にしたのは、シルヴィアを移動させたハルトの姿だ。見渡せばリリィもあちこちに現れては消え、多くの天使を助けている。
「負けませんよ聖夜さん!」
ハルトからの宣戦布告で、聖夜の闘志に火がついた。片手を真っ直ぐ上に伸ばし、天に向かって合図をする。
「攻撃用意っ!」
「え?」
「うわっ!」
何が来るかと上を見たハルトが、慌ててシルヴィアと消えた。いつの間にか悪魔は全員壁際に寄っており、中央部分にいる天使たちの頭上に大量の雪玉が降ってくる。防護壁を使える天使も含め、不意打ちで一気に半数程度の天使が失格となった。
「空を制すものは戦を制す。負けませんわよ」
煉獄の天井付近で、ルナを中心とする悪魔たちが天使目掛けて攻撃を仕掛けている。天使が反撃しようとしても下から上に向かって雪玉を投げるのは難しく、飛んで近づくのも危険だ。
「うわ、やられた」
ルークが悔しそうに眉を寄せた。この五百年間、煉獄の空に近づこうとする悪魔はひとりもいなかった。天国に近い空は天使の領域だからだ。しかし、時代は変わったのだと実感する。
「ま、勝負は厳しくなったけど、親睦としてはいい傾向ってことか」
参加者でもあるが、どちらかというと主催側のルーク。追い詰められているにしてはどこか嬉しそうに黒い翼で埋め尽くされている空を見上げ、次の作戦を実行に移そうとあたりを見回しながら白いタイルに降り立った。
「あれ?」
飛んでいるときには気付かなかった小さな違和感に、ルークは首を傾げた。足元に微かな振動を感じるのだ。
(地震? なわけないか。なんだろ?)
ここが人間界ならわかるが、死後の世界に地震などあるわけがない。しかし微かな揺れは次第に激しくはっきりと感じられる。ルークが原因を探そうと翼を広げた時、ピーとサタンの笛が長めに響いた。
「試合中止! 緊急事態だ」
「何があったんすか?」
「わかんねぇけど何か来る」
ルークがサタンの目線を辿ると、地獄へ繋がる階段の辺りをクロムが飛んでいるのが見えた。彼の耳がいち早く危険を察知して、既に原因を探りに行っていたようだ。
「師匠ー、なんかわかった?」
「黒谷さん大丈夫ですか?」
「まだ何も分からん」
「やばそうな揺れ」
「地獄で何かあったようですわね」
「早めに避難を促した方がいいでしょうか」
「そうね、何か凄いの来そうだし」
本日地獄当番のミアをのぞく各リーダーと元人間が全員階段前に集結する。何が近づいているのかはわからないが、何かが起こってから避難したのでは遅いだろう。ひとまず原因を確かめるため悪魔が残り、天使は避難を呼びかけに向かった。
「皆天秤の裏に集まって! 天使も悪魔も全員ね」
まずルークが、煉獄大広間の四割ほどを覆う巨大な防護壁を張った。害意が無ければ天使も悪魔も守ることができる防護壁は、ルークだけの特別仕様だ。
「なるべく固まっていてくださいね」
「迎えに行くからその場で待っててください」
ハルトとリリィが瞬間移動で遠くにいた天使と悪魔を防護壁の内側に運んでいく。最初に異変を感じてからたった数分での見事な連携で、瞬く間にほぼ全ての天使と悪魔が移動を終えた。
「治療が必要な天使と悪魔は……」
「こっちだ! 治癒に翼の色は関係ねぇ。天使でも悪魔でもしっかり治してやるからな」
シルヴィアは怪我人がいないか確認しようとしていたが、ファルコが既に動いていた。急な混乱で怪我をした悪魔を抱えて防護壁の内側へと移動していく頼もしい後ろ姿に微笑み、階段付近へと戻る。
「治癒はいいのか」
「医療棟は優秀なのよ」
嬉しそうなシルヴィアにクロムが頷いた時、階段を猛スピードで飛んできたミアがクロムの腕をぎゅっと掴んだ。
「せんぱい! 助けて大変っ!」
「落ち着け」
「何があったのよ?」
「シルバーさぁん! 聞いてよぉ!」
クロムはミアの縋るような瞳を呆れたように流し見た。彼とその隣で不思議そうに首を傾げたシルヴィアに、ミアは呼吸を整えながら地獄の異変を報告する。
「ワンちゃんが逃げてきちゃった」
「ワンちゃん?」
「地獄で犬って飼えるんですか?」
「人間界の犬とは違いますわよ」
普段見ている犬の姿を思い浮かべた聖夜に、ルナが冷めた目を向けながら説明をはじめた。それを何となく耳に入れながら、シルヴィアは厳しい顔で考え込んでいるクロムに話しかける。
「何? まずいの?」
「普通にしてたら逃げるなんて事は無いはずだからな」
「犬逃げたって? 何でだ?」
競技中止を周知し終えたサタンもいつのまにか近くに来て話を聞いていたらしく、ミアの方を向いている。地獄で犬と言えば最下層の金庫を守っている番犬「ケルベロス」のことを指すのだが、不審者以外に牙を向けることのない優秀な番犬が、自らの意思で逃げ出すなどとは考えられない。
「金庫はどうしてる」
「針の山の責任者とクレハちゃんが守ってます。すぐ戻らないと」
「そうだな」
「クレハは上昇志向が強いだけで、本来真面目な悪魔ですわ。心配はいりませんわよ」
クレハが金庫を守ることを不安視されているのではと思ったルナが、彼女を庇った。彼女はケルベスの部下として動いていた過去があるため、いつも肩身が狭そうにしている。天使たちにあわせる顔がないと滅多に煉獄には立ち寄らず、今回の行事にも不参加で、下層や最下層付近の清掃を黙々としているのだ。
ちなみにクレハとは違い、針の山の責任者が地獄に残ったのは単純に当番だからである。彼は最近復活したベテランのひとりだが、五百年前から天使には好意的で、自分も遊びたかったと血涙を流していた。
「それはわかっている」
「あいつ、前はケルベスがマスター名乗ってたからついてただけだろ。金庫には他にも防犯装置を置いてるし、ハリヤマも一緒なら尚更心配ねぇよ。心配するとしたら、最下層に長くいると火傷するかもってトコだな」
全面的に信用しているわけではないが、特に疑っているわけでもない。サタンとクロムが理解を示したことに、ルナは安堵の息を吐いた。最近復活した悪魔たちは誰も混血種を差別しない。今は本人の気持ちもあって馴染めていないようだが、すぐに違和感なく働けるようになるだろう。
「今はそれより、ケルベロスに何があったかだ。あいつリーダーの顔はちゃんと覚えてるし、ミアにも懐いてたはずだろ」
「はい。実は……あ」
「危ない」
ドドドド、ともはや会話も聞こえないくらい大きくなってきた地響きに、クロムが大きく手を後方に振って避難を促した。その場の全員が飛び上がるのとほぼ同時に階段付近の壁に大きな穴が開く。ドーン、という大きな音が聞こえ、崩れた壁から上がる煙の向こう側から、三つの巨大な獣の頭が顔を出した。
普段最下層にいるケルベロスは、天使はもちろん普通の悪魔も滅多に見ることはない。大きな牙を剝き出しにして唸る三つの首を見て防護壁の向こう側からざわめきが聞こえた。落ち着くように、とミカエルの指示がとぶ。
「地獄の犬って大きいのね」
「シルヴィア先生でも見た事ないんですか?」
「ないわよ」
「番犬なので、餌当番以外に関わることはありませんわ」
「そうそう! 餌の時間で、いい子にしてたからご褒美あげようと思ったんです」
八階建てのマンションほどの大きさの獣を眺めながら、ミアが申し訳なさそうに右手を振った。その手に握られた小さな紙袋を見て、クロムとシルヴィアが同時に叫ぶ。
「それ食べさせたんじゃないだろうな!」
「それ食べさせたんじゃないでしょうね!」
「え……ダメでしたか?」
きょとんと瞳を丸くして二人を交互に見るミアに悪気はない。ケルベロスは甘いものが好きなので、食後にちょっとした焼き菓子などを与えるのはよくある事だ。そしてそんな時用に、崩れて売り物にならない菓子をクロムが常備しているのもミアは知っている。
「せんぱいの執務室に書類置きに行ったらこれ置いてあって。いつも試作品とか置いといてくれてるし、形崩れてたからワンちゃん用かなって」
「悪かったわね。それ作ったのあた……」
「焼き菓子に入れられる香辛料の限界を試してたんだ。伝えてなくて悪かったな」
何も大勢の前で料理下手を暴露する事は無いだろうと思いながら、クロムは正直に申し出ようとしたシルヴィアの口を塞いだ。続いてミアの手から紙袋を奪い取り、素早く上着のポケットに押し込む。幸いシルヴィアが作ったことが周囲に伝わることはなく、ケルベロスの異変の原因は大量の香辛料による興奮ということになった。
「(今回は何入れたんだ)」
「(ちゃんと手順どおり作ったのにおかしいわね)」
「(粉の種類は確認したのか?)」
「(したわよ。砂糖と塩もちゃんと確認したし、毒物が混入しないように時々浄化してたし、あとバニラエッセンスが無かったから調理場から借りて……)」
「(それだな)」
クロムは興味本位で買ったデスソースがいつの間にか半分ほどに減っていたことを思い出して眉を寄せた。そんなに生地に練りこんだら皮膚や粘膜が無事では済まないはずだが、毒と同じようにある程度浄化されたのか、それか少しでも異変を感じるとすぐに治癒してしまう癖が仇となったのかもしれない。バニラエッセンスの代わりだとしても数滴ほどしか使わないはずだが、一体何を思ってそんなに入れたのかなど、諸々気にはなるが確認はあとだ。
「すげぇ怒ってんな。何を食わせたらああなるんだよ?」
「辛み成分がかなり。実験用なので舌に痛みが走るくらいかと」
「食べたのはあの右側の頭でしょうか?」
「おそらくそうですわね」
聖夜が右側の頭を指さし、ルナが頷いた。三つの頭の中で、右側だけが明らかに怒った顔で火を噴いている。辛い物を食べたことが原因なら水を飲ませるか舌を冷やすかしたらいいのではとの聖夜の意見に、クロムが頷いた。
「頭ごと凍らせれば済む話か」
「いや、お前の氷じゃ強すぎる。ケルベロスは地獄に一体しかいねぇ希少種だから、三分の一でも殺すわけにはいかねぇだろ」
「雪山に誘導というのはいかがでしょう? あそこならほどよく冷やすことができますわ」
「いつもならできるんだけど、ワンちゃんさっきからいう事聞いてくれなくて……きゃっ」
「大丈夫ですか? うーん、凄く怒ってますね」
ミアに炎のブレスが直撃しそうになったのを聖夜が庇い、雪山の目の前まで下がった。最下層の炎にも耐えられるミアがこんな炎で怪我などしないのだろうが、気持ちの問題だ。
「セーヤくんありがとっ! あれ、何見てるの?」
「いえ。そういえば発動してない作戦があったなと」
雪山を見ながら聖夜が考えていたのは、雪合戦のために仕込んだ作戦の一部だ。後半の切り札にするつもりだったが試合は中止になったことだし今使っても問題ないだろうとひとり頷き、呼びかける。
「出ておいで!」
聖夜が大きく手を振って雪山に合図をすると、ボコボコと穴が開き、何十もの小さな鳥のようなものが顔を出した。天使たちの目を盗んで雪山に隠しておいた魔物がケルベロスに向かって飛び、両足に挟んだ雪玉を右側の頭に落としていく。
「こんなもん仕込んでたのか」
「終盤で勝負賭けようと思って……ちょっとは冷えるでしょうか?」
「痛そうですわよ」
「なんかさっきより怒ってる気がするわね」
シルヴィアが言った通り、ケルベロスの右側の頭が低く唸り、魔物の鳥に嚙みついている。他の二つの頭は右側に引っ張られるように動いていて、若干迷惑そうな顔をしていた。
「感情や感覚は共有しているのかと思っていましたが、そうでもないんですね」
「三つの脳でそれぞれ考えてんのか? いつも同じ表情で同じ動きしてるから知らなかったな」
巻き添えにならないように避けながら観察しているサタンとクロム。なるべく機嫌よく最下層へ帰ってもらう方法について話し合っていると、目の前に、ぱっとハルトとリリィが現れた。
「あの右側の頭冷やすって聞いたんですけど、あってますか?」
ハルトの質問にサタンが頷く。ハルトは長いホースを脇に抱えていて、そのホースの反対端をリリィが雪山にセットしていた。ミアが興味深そうにその様子を見ながら首を傾げる。
「それなぁに?」
「天使の秘密兵器です!」
自信満々にそう言って、ハルトはリリィに視線を合わせる。ハルトの合図でリリィが何かの操作をすると、ハルトの持つホースの先から、ぶわっと大量の雪が飛び出してきた。作戦を知っているシルヴィアが、驚いてそれを見る。
「雪玉ぶつける機械じゃなかったの?」
「雪玉作成モードをオフにすれば、まき散らすだけもできるみたいです」
ルークが雪合戦の終盤で導入しようとしていた秘密兵器だけあって、ホースはなかなかの威力で雪をまき散らしている。ハルトが狙いを定めると、右の頭は大きく口を開けて舌を出し、雪を口に入れて気持ちよさそうに目を細めていた。
対して他の二つの頭は迷惑そうに首を反対方向に向けている。ハルトはそれを見て、より慎重に右側だけに狙いを定めた。
「リリィ、ちょっと調整できる? ピンポイントで右側だけに当たるようにしたいんだけど」
「なら範囲を絞りますね」
範囲が絞られ、右の頭の口の中に大量の雪が入った。やがて雪山が半分ほどに減ったころ、落ち着いてきたケルベロスの三つの頭にクロムが口直しの菓子を入れてまわる。
「美味そうだな」
「サタン様にはあとでちゃんとしたものがありますから」
「まさかお前が菓子職人になってるとは、長生きしてみるもんだよな」
可笑しそうに笑ったサタンが、ケルベロスの切れた鎖の端を持った。高いところから様子を見ていたミカエルが降りてきて、拡声器を口元に当てる。
「今日の勝負は引き分け! 中止は残念だったが、天使も悪魔も見事な連携を見せてくれた、いい試合だったよ。打ち上げ用にクロムが色んなお菓子を用意してくれてるから、参加できる者はこのまま残るように」
うわっと歓声があがり、防護壁が消えて多くの天使と悪魔が片付けや打ち上げの準備をはじめていく。ケルベロスの三つの頭が分かれる太い首のあたりにサタンが座り、指示をしながら地獄への階段を下っていった。
「あ、待ってください! 私が行きます」
「ミアは打ち上げ楽しんでこい。クレハに打ち上げ強制参加の命を出してくるから、お前らで馴染めるように取り計らってやれ。ルナと聖夜もな」
「お任せください。得意分野です」
ひらりと手を振って遠ざかっていくサタンとケルベロスに向かって一礼し、聖夜は振り返った。サタンの後を追って地獄への階段を降りようとするクロムを、ルナとハルトが引き留めている。
「クレハのことならハルトと聖夜がいればどうにかなるだろ。俺は仕事が……」
「いいえ駄目です! クロム様のいない親睦会など考えられませんわ」
「あの大量のお菓子、全部黒谷さんが作ったんですよね? 絶対残ってください!」
「お前らな……」
右腕をルナ、左腕をハルトに取られ、クロムは溜息をついている。聖夜は楽しそうに目を細め、クロムの右側からクロムの薄墨色をのぞきこんだ。
「親睦会も仕事、でしたっけ? クロム様。スイーツコーナーの手が足りなくて困ってますよ」
「……仕方ないな」
観念して歩き出したクロムは、数分後には見事な手際でケーキをカットしはじめた。聖夜はルナの手を取ろうとして冷たくあしらわれたが、その手首を自分が贈った腕輪が飾っているのを見て嬉しそうに口角を上げ、ふたりで地獄への階段付近でクレハを待つ。
「あっ来た来た! クレハさーん」
「遅いですわよ」
やがて緊張に身を固くした彼女が階段を上ってくるのを見て、ふたりは同時に手を差し出した。
天使も悪魔も混血も、区別はあれども差別はない。新しい「死後の世界」の年が、賑やかに幕を開けたのだった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!
SSを書こうと思ったんですが書き終えてみたら全然ショートじゃない長さで、「番外編」ということでお楽しみいただけたらと思います(´艸`*)
これで「天獄に続く洋菓子店」は一度完結設定にしたいと思います。またバレンタインや夏休みなど、たまにSS追加したいと思ってますので、読んでいただけたら嬉しいです。
天獄メンバー一同、また読者の皆様にお会いできる日を楽しみにしてます(*^-^*)




