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SS 12月25日 聖夜×ルナ

「あっ。瑠奈ちゃん! こっちこっち!」


 繁華街の駅前の、大きなクリスマスツリーの前。大きく手を振る聖夜のもとへ、ルナは迷いなく歩いて行った。今日はクリスマス当日。前夜祭には及ばないものの、街は恋人同士で溢れている。


「良かった。ちゃんと来てくれて」

「来ないという選択肢もあったんですのね」

「あるわけないじゃん。瑠奈ちゃん来ないなら僕が探しに行くだけだし」

「あなたから逃げ回って一日無駄にするよりは、半日付き合ったほうがマシですわ」


 瑠奈は溜息をついた。視線をわざと聖夜から外し、派手に飾り立てられた大きなツリーの方を見る。しかし聖夜は何も気にしていない。瑠奈と視線が合わないのはいつもの事。彼はむしろ、最近やっと会話してもらえるようになった事に喜んでいる。


「綺麗だよね」

「こんなものを飾り立てて喜ぶなんて、人間とはおかしなものですわね」

「興味ないの?」

「全く」

「そっか」


 きっぱりと首を振る瑠奈を前に、聖夜は少し考えた。よく考えても考えなくても、悪魔である彼女がクリスマスなんかに興味があるとは思えない。ならば予定していたクリスマスっぽいデートコースは、彼女の趣味には合わないだろうか。


「瑠奈ちゃんは、普段何してるの?」

「仕事に決まってますわ」

「休みの日は」

「業務外の勉強ができる絶好の機会ですわね」

「趣味って」

「人間を観察するのは好きですわよ」


 瑠奈はそう言って、腕を組んで歩いている恋人同士を眺めた。元魅惑の悪魔にしては冷めた横顔を眺めながら、やはり魅了は彼女には合わないなと聖夜は改めて思った。性質と性格の可哀想なくらいの不一致。クロムが最初からミアを復活させるつもりだったのだとしたら、そこまで見越して後任に彼女を選んだのかもしれない。


「……何か?」

「いや。やっぱり魅惑の悪魔って感じじゃないよなってさ」

「馬鹿にしてます?」

「心底惚れてる」


 照れもなく真顔で言い切った聖夜だが、人間の女性なら誰もが頰を染めるであろう口説き文句もルナには効かなかった。どんなに向いていなくても彼女の能力は間違いなく魅了だし、口説かれるのにはそれなりに慣れている。


「月並みですわね」

「変化球の方が好み?」

「別に要りませんわ。今日はどちらに?」

「デー……や、勉強(・・)


 デート、と言いかけて、聖夜は方向性を変えた。今日の予定は何ひとつ変えないまま、なるべく彼女の好みに沿うように言いかえる。


人間(・・)がクリスマスにみんな(・・・)やる行事(イベント)があるんだ。それを教えてあげるよ」

「イベント? ……そういえば、今日は普段より人間が多いですわね」

「でしょ。おまけに、みんな恋人同士のように男女寄り添って歩いてる」

「恋人同士だからでは?」

「そうとは限らないよ。今日だけの即席カップルも珍しくない」

「何のために」

「クリスマスのためさ」


 そう言って、聖夜はルナの手を取った。振り払われるだろうと予想していたが、ルナは周囲の恋人たちを真似て、聖夜の腕にそのまま腕を絡ませた。意外すぎるその行動に、聖夜は目を見開く。


「瑠奈ちゃん?」

「こうやって歩くのも、クリスマスの一環ですの?」


 不思議そうに確認してくるルナの表情は素だ。以前ならばどんなに頼んでも指先ひとつ触れてくれなかっただろうが、息をするように始終誰かにくっついているミアを日常的に見ているせいで、おそらく麻痺している。


(ミアさんありがとう!)


 こちらを覗き込むルナの表情も、ミアに魅了のかけ方を教わっているだけあっていつもに増して可愛く見えた。聖夜は内心でミアに多大なる感謝を捧げ、緩みそうになる頬を理性を総動員して抑え込んだ。動揺して彼女が離れてしまったら勿体ない。あくまで勉強のためという名目を保たなければ。


「さ。行こう」

「どこへ?」

「買いも……市場調査。人間たちが何を好むか、よりわかるでしょ?」

「……そうですわね」


 ルナは疑わし気に眉を寄せたが、おとなしく着いてきた。クリスマス当日の夕方ということもあり、周囲にカップルが多かったので違和感なく受け入れているようだ。


「瑠奈ちゃんは欲しいものとかないの?」

「特にありませんわ」

「そう言うと思った」


 いくつかの店を冷やかし程度に見て回ったが、ルナの興味を惹くものはなさそうだ。夕食はレストランを予約しているが、それまであと数時間はある。これ以上目的もなく歩き回ると彼女が飽きてしまうだろう。


(計画変更……プランCでいこうかな)


 いきなりデートが成功して彼女といい関係になれるとは、聖夜は思っていない。今日の目標は、彼女と少しでも長く同じ空間にいることだ。そのためならばどんな手でも使ってやろうと、聖夜はこの日のための計画を何通りも練っていた。素早く端末(スマホ)を操作すると歩く方向を変え、一軒の建物へとルナを案内する。


「ここは?」


 ルナは聖夜に促されるがままに木製の扉をくぐり、あたたかい室内で靴とコートを脱いだ。店内は満員というわけではないが、そこそこ客が入っている。やはり男女の組み合わせが多いのだなと納得したルナは、次に店内にいる人間以外のものに目を奪われた。


「ねこ……?」

「魔物じゃないやつ、初めて見るんじゃない?」


 店員と何事か話していた聖夜が、猫を見て固まったルナの背を押して、店の奥へとゆっくり進んだ。いつも見ている黒い靄の塊ではない、実体(いのち)のある生き物。店内には十匹以上の猫がいたが、皆毛並みも表情も違う。


「触ってもいいんだって。瑠奈ちゃん猫好きだよね」


 確信を持って、聖夜はそう断言した。ハンカチやスマホケースなど、瑠奈の持ち物の多くには黒猫のイラストが描かれている。使い魔と似ているからという理由だけではないだろう。見たことがないなら余計、見たいと思うはずだ。


(ほら。やっぱり)


 ルナからは何の返事もなかったが、彼女の表情は明確に肯定を示している。流麗に歩き、しなやかに跳躍し、愛らしく丸まって寛ぐ猫たちから、彼女はひと時も目を離さない。


 ただ、聖夜にはひとつ心配なこともあった。動物は気配に敏感だ。悪魔の気配を感じて、警戒されるかもしれない。


「瑠奈ちゃん。なるべく気配(オーラ)消して。出来れば完全に消して」

「完全に……難しいですわね」


 店内の中心にそびえるキャットタワーにそろそろと近づくが、猫たちは素早く逃げてしまう。今は属性不明だがついこの前まで人間だった聖夜は何とか背中に触れることには成功したが、元から膨大な魔のオーラを持っているルナは、完全に気配を消すのが難しいようだ。


 しかし、猫を触るために気配(オーラ)を消す練習をするというのは、真面目なルナの興味を大いに惹いたようだ。彼女の感覚ではこれはデートではなく修行だが、とにかく同じ空間に居続けることには成功している。


「あっ! また逃げてしまいましたわ」

「大丈夫。さっきより近づいてるよ」

「やはり気配が漏れているのでしょうか」

「うーん……まだうっすら見えるかも。もっと薄くできない?」

「こう、でしょうか?」

「あ。いい感じ! ほら、近づいてきたよ」

「本当ですわ。かわい……あ」

「瑠奈ちゃん。集中集中!」


 いつの間にかルナは、気配を消して猫を触ろうとすることに夢中になっていた。聖夜はそんな彼女の前に、あるものを差し出す。


「何ですのこれは」

「オーラのコントロールがしやすくなる道具だって。これで猫も寄ってくるんじゃないかな」


 聖夜の手のひらに載っていたのは、小さな黒猫がついた腕輪(ブレスレット)。突然出てきた謎のアイテムにルナが驚いている間に、聖夜は彼女の手を取り、細い銀のチェーンを腕に巻いた。


「ちゃんと地獄で加工してもらったから効き目は保証するよ。さ。頑張って」


 聖夜はルナの背に手を当てて、一匹の黒猫の前に押し出した。ルナはそっと猫の前に手を出す。手首に巻かれた細い輪のおかげなのか、先ほどよりもオーラの流れが明確にわかるようになった。


(ただの装飾品(アクセサリー)ではないというのは、本当のようですわね)


 これは使えるとルナは判断した。腕輪に導かれるようにオーラを消すと、やがて目の前の黒猫がゆっくりと近づいて来る。


 それから数分後、無事ルナの膝には一匹の黒猫が丸まっていた。


「なんて可愛らしいのかしら」


 ルナは慎重に漆黒の毛を撫でて、そのあたたかさを噛みしめている。その様子を隣で聖夜は微笑ましく眺めた。


「すっかり暗くなってしまいましたわね」

「瑠奈ちゃんすごい集中してたよね」

「次回はもっと早くから触れられるようにしたいですわね。腕輪があっても難しかったですし」

「また来週行こうよ。僕もオーラを抑える修行したいし」


 並んで夜風に当たりながら、ふたりはそんな話をした。いつの間にか次回のデートの約束をしていることにも、聖夜の選んだブレスレットを自分のもののように腕につけている事にも、ルナは気づいていない。


「さて。お腹空いたし食事でも……」

(わたくし)はそろそろ帰りますわよ」


 レストランの予約の時間をちらりと確認した聖夜に、ルナは背を向けた。やはりそう来たか、と聖夜は用意していた引き留め文句を思い浮かべた。ルナは長話を好まないので、いきなり切り札を使用する。


「この前針の山の責任者(ハリヤマ)さんに聞いたんだけど、クロムさんはたまに親睦会を開いたり、何かの節目には個人的に飲みに誘ったりもしてくれるらしいんだよね」


 去りかけた足が止まり、彼女の肩がピクリと動いた。この線でいけると確信し、聖夜は畳みかけるように続ける。


「クロムさんも言ってたんだけど、円滑に仕事を回すためにはコミュニケーションも必要だって。苦手だけど頑張ってるらしいよ。すごいよね、あんなに出来る悪魔(ひと)なのに、自分に足りないものがあるってまだ努力してるんだから」


「当然ですわよ。あの方ほど地獄のために身を砕いている方はいません。魔王様も勿論ですが、(わたくし)はやはりクロム様に憧れますわ」


 わかりやすく瞳を輝かせたルナを見て、聖夜は頷いた。引き留め文句に他の男を使うのは癪だが、プライドよりも結果が大事だ。逃してはなるものかと黒く微笑み、ルナの顔をのぞきこむ。


「で、ルナ様(・・・)。そのクロム様が親睦は必要って言ってたんですけど、一食くらい付き合ってくれません? もちろん仕事(・・)の話で」


「……仕方ないですわね」


 溜息をひとつその場に残して、ルナは戻ってきた。もう腕を組んだりはしてくれないが、以前よりも確実に縮まった距離に、聖夜の足取りは軽い。


「食事はどちらへ?」

「この近くに美味しいステーキのお店があるんだって」

「段取りはよろしいようですわね」

「瑠奈様のお時間をいただくのですから当然」


 そんな会話をしながら、聖夜は無事予約していたレストランに二名で到着することに成功した。フレンチでもイタリアンでもないのは、悪魔の食卓には酒と肉さえあればいいからだ。出される肉のランクは高い方がいいが、格式高すぎる店では下心が透けてしまう。選んだのは、あえて少しランクを落としたカジュアルめの内装の店だ。


「一応未成年だっけ?」

「この後仕事ですのでお気になさらず」

「ならとりあえずお肉だね。ご希望は」

「好きに頼みなさいな」

「……まぁそうなるよね」


 ごく当然のようなルナの言葉に、聖夜はメニュー表の陰で顔を顰めた。仕事の話で部下と食事といえば、ここは上司が奢るのが自然な流れだ。実際クロムも部下に払わせたことは一度も無いらしいし、ルナもそうする気だろう。聖夜もサタンとの交渉が成功して毎月かなりの金額を貰っているが、以前ちらりと聞いたリーダーの給料は驚くほど高かった。今日はアルコールは抜きだがたとえ高級酒を片っ端から飲み干そうと、ルナの懐具合には何の影響もないだろう。


「今日は僕が支払おうと思ってたんだけど」

「なぜあなたが?」

「んー……日頃の感謝かな。僕の力の源は瑠奈ちゃんだし、地獄に就職できたのも瑠奈ちゃんのおかげだし」

「確かに契約は不本意ですが、過ぎたことを気にしても仕方ありません。あなたは(わたくし)の部下なのですから、会計の心配など要りませんわ」

「流石ルナ様。懐が大きい」


 きっぱりと言い切ったルナを見て、聖夜は退()いた。仕事の延長として誘った以上、今は自分の男としての顔を立てるより、ルナの上司としての顔を立てるべきだと切り替える。遠慮なく店で最も高い肉を頼み、ノンアルコールで乾杯した。


「……そういえば以前高校の同級生に聞いた事があるのですが、人間の女性は食品や手芸品などを手作りして渡す習慣があるとか」


 仕事の話があらかた終わった後、不意にルナがそんな話を切り出した。仕事以外の話を彼女からされるのは珍しいと、ステーキを切り分けていた聖夜の手が止まる。


「うん。そういうのが得意な人は、周りによく配ってるね。クッキーとかケー……け、いとで編んだ……えーと、マフラーとか?」


 ケーキ、と言いかけて、聖夜は無理やり方向転換した。以前ケーキという言葉に彼女が過敏に反応していたのを思い出したのだ。聖夜はルナの襲撃事件を知らないので、何があったのかはわからないのだが。


「毛糸でマフラーを編むんですの?」

「得意な子はね」


 実際手編みのマフラーを配り歩いている子を見たことは一度もないが、聖夜はとりあえず頷いておいた。ルナは少し考え込むように視線を伏せて、やがて机の上に小さな箱を出す。


「これを作ったのですけれど」

「何? ……え? 瑠奈ちゃんが?」

(わたくし)だって手芸くらいできますのよ」

「いや、手芸の腕の話じゃなくて」


 意外だ、と聖夜は箱を二度見した。箱のふたはしっかりと閉まっていて何が入っているかはわからない。しかし聖夜が驚いているのはその中身をルナが手作りしたということではなく、彼女がその箱を聖夜の方へ差し出してきたことだ。贈り物(プレゼント)。そう思うのは、自惚れが過ぎるだろうか。


「えぇと、これは……もしかして、開けても?」

「不要なら処分していただいても……」

「まさか。開けるよ」


 期待するなと脳が警鐘を鳴らすが、心臓の方は期待に弾んでいる。彼女から初めてもらうものだ。たとえ地獄(しょくば)で誰もが手にする仕事上の必需品であろうとも、聖夜にとっては特別だった。


「……えぇと。これは……?」


 黒く小さな箱を開けて数秒、聖夜は固まった。開けるまでに色んな想像をしたが、中身はどれとも違っている。


「触っても大丈夫?」

「あなたなら平気ですわ」

「僕なら(・・)って言った?」


 聖夜はそっと手のひらに箱の中身を載せた。真っ黒な糸が巻かれたミノムシのようなものに、山羊の角のようなものが生えた謎の物体だ。


闇蚕(ダークシルク)の糸で作った生贄山羊(スケープゴート)です」

「なるほど」


 確かに山羊っぽい、と頷いた聖夜の前で、ルナは淡々と説明を続けた。


「悪魔の力の源は、罪人たちの魂の苦しみや怒りなどの負の感情です。生贄山羊(スケープゴート)を身につけていれば、効率よく力を吸収することが可能なのですわ」

「おぉー」


 つまり、自分のために作ってくれたのだ。予想していなかっただけにこの喜びは大きい。地獄では上司が部下に作る慣習なのかと質問した聖夜に、ルナは答えた。


「ハルトさんに聞いたのですけれど、人間はお誕生日というものを盛大に祝うものなのでしょう? あなたがここ数カ月、地獄のために家族や友人と会う時間を削っているのはよくわかっています。なので、その……たまには労ってもよろしいのではと思いまして」


「……え……」


 思わず落としそうになった生贄山羊(スケープゴート)をしっかりと掴みなおし、聖夜は真顔でルナを見た。今日は確かに聖夜の誕生日だ。しかしそれを言うつもりもなかったし、祝いの言葉ひとつも無いのが当然だと思っていた。ハルトのナイスな助言への謝礼は何がいいだろうかと考え始めた聖夜の前で、ルナが少し不安そうな顔をする。あまりにも予想外で喜びより先に驚きの方が出てしまったと反省しながら、聖夜は柔らかく目を細めた。


「最高。絶対毎日持ち歩く」

「普通の人間には触らせないように……」

「瑠奈ちゃんから貰ったものを、他の人なんかに触らせるわけないじゃん」


 禍々しい漆黒の気配(オーラ)を纏った顔のない山羊は、人間の感覚では趣味がいいとはとてもいえないが、とにかくルナからの初めての贈り物だ。嬉しさを隠すことなく表情に出した聖夜に、ルナは安心したように微笑んだ。


「気に入っていただけたようですわね」


 まだ恋愛感情などは欠片もない、部下を労う上司の表情。しかしもう向けられる視線は他人行儀なものとは違う。いつかこの微笑みが自分だけに向けられる特別なものに変わるように、聖夜は密やかに願いを込めるのだった。

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