第百三話 いざというときには女の方が肝が座っている
北の城壁近く、商いの神の神殿の鐘楼の上にわたしたちは立っていた。緊急事態を告げる鐘が鼓膜を何度も揺らす。鐘楼から街の外を見渡すと、そこには数千とも数万ともつかない魔物の群れが土煙を巻き上げながら押し寄せてきていた。
よくアニメや漫画なんかでこういう大群を見て「その数5000!」とか言ってるけど、どうやったらカウントできるんだろうなあ。わたしはさっぱりできそうにない。
「このように指で四角を作って覗き、百人を数えたらその何倍かで見当をつける……と教わった記憶がございますね」
実地で使うのははじめてですのでアテになりませんが、とサルタナさんが笑う。迷彩服に身を包み、防弾チョッキを着た姿はまるっきりハリウッドアクション女優だ。腰には無数の手榴弾をぶら下げている。
「1万でも10万でも関係ありません! とにかくメガネちゃんを助け出すだけです!」
鼻息も荒く勢い込んでいるのはミリーちゃんだ。いつものポンチョの上から防弾チョッキを羽織っている。できればもっと防具を固めて欲しいところだが、お腹の袋に目一杯武器を詰め込んでいるのでそれが取り出しにくくなる格好はできないと断られてしまった。
「……みんな、ありがとう。メガネちゃんは絶対助ける」
サルタナさんと同じく迷彩服を着たメカクレちゃんが真っ赤な目でうなずく。小さな体に迷彩服はまるで似合わず、出来の悪いコスプレのようだった。気を失ったメカクレちゃんを医者に診せたところ、眠り薬のたぐいをかがされていただけで予後の心配はないそうだった。
あのカマキリ女の手紙の通り、魔王軍は翌日にこの街へと襲いかかってきた。昨日のうちに王国軍へは連絡済みで、迎撃体制は整えられている。
武術大会優勝者にしてエルフ村を奇襲してきた魔王軍撃退の功労者として、それなりの信頼があるのである。エルフ村に関する功績についてはリッテちゃんとプランツ教授が主ということにして面倒事を避けていたけれど。
ま、こんな地響きと共にやってくる軍勢なんてわざわざ言わなくても察知できただろう。そのあたりも計算の上で、カマキリ女はわたしの行動を封じに来たのだ。
それほどわたしのことを厄介だと感じているのか、あるいはエルフ村での雪辱をなんとしてでも果たしたいと思っているのか……おそらく後者かな。いくらなんでもこんな規模の軍勢を相手にひとりでできることなんて限られる。
この街にいる兵力は王国軍を含めてもせいぜい2000程度。いくら籠城戦だからと言っても絶望的な戦力比だ。援軍の要請はしているだろうが、果たして陥落までに間に合うものか。
カマキリ女といえば、手紙には「北の城壁」とあった。しかし、戦争がはじまってからそんなところに突っ立ってられるわけがないだろう。戦闘に参加するか、邪魔にならないようどかされるに決まってる。見た目はほとんど人間でも所詮はゴブリン、細かい機微まで理解が及んでいないのかもしれない。
ともあれ、カマキリ女の狙いはわたしへの復讐に違いない。目立つところに姿を見せておきさえすれば、人質のメガネちゃんには手を出すまい。あいつの目的は、戦争後にわたしをいたぶることにあるのだろうから。
「わたくしだけ先に準備をしておくという手もあるかと存じますが」
「あー、うん。そんなに変わらないし、ぎりぎりまで全員がここで姿を見せてた方が相手も油断すると思う」
「なるほど。さすがは百戦錬磨の双槌鬼様」
サルタナさんが普段あまり言わない冗談を口にする。このピリピリした雰囲気を少しでもやわらげようと気を使ってくれたのだろう。さすがの大人力だぜ。
「あんなやつらはさっさとやっつけて、またおいしいご飯を食べましょう!」
ミリーちゃんが両拳に力を込めてふんすと鼻息を吐く。ミリーちゃんだって不安だろうに、心強い限りだ。ドワーフ村に瘴気領域の主が現れたときもそうだったけど、ドワーフ女性というのはこういう土壇場で気概を発揮するものなのだろうか。
……あー、でも人間でも同じ気もするな、いざというときには女の方が肝が座っているというのは。
「ってわけで楽勝だからさ! メカクレちゃんも心配しないでタイミングが整うまで待っててね!」
「……わかった。ありがとう」
わたしが無理やり出した明るい声に、メカクレちゃんは体を震わせながらこくりとうなずく。両目が充血していまにも涙が溢れそうだ。固く握りしめた拳の爪が手のひらに食い込んでいる。その様子を見て、メガネちゃんを誘拐したカマキリ女に対する怒りが再び湧き上がる。
これまでは人間のような見た目にほだされて攻撃の手が鈍ることがあったが、次は一切の容赦をしないと心に固く誓う。
――ズウン!
――ズウン!!
――ズウン!!!
門前へと迫った魔物の大軍勢の中に、巨大な火柱が無数に立ち上がる。防衛側の魔術によるものだ。城壁に備えられた魔導兵器が火を吹いたのだ。リッテちゃんの『火球』を何倍もの規模にした猛火が敵を襲う。
だが、地平線まで埋め尽くさんばかりの軍勢の前にあってはそれも所詮「点」の攻撃だ。魔王軍は勢いを衰えさせることなく、一斉に城門に押し寄せた。
エルフ村を襲った軍とはまるで装備が違う。城門には小屋が移動しているかのような破城鎚が取り付き、城壁には長梯子が次々に立てかけられる。守備側は破城槌に火矢を撃ちかけ、石を投げ下ろす。長梯子には縄がかけられ、何十人もの兵士がそれを引いて城壁から引き剥がしていく。
怒号、悲鳴、喚声、何かの焦げる匂い。立ち込める血臭。轟音、地鳴り、金属同士がぶつかり合う鋭い音。ははは、戦争じゃん。なにこれ、戦争映画の世界にでも放り込まれたのかな? スパルタ人が300人で10万の大軍をやっつける映画とか面白かったなあ。
くだらないことを考えて精神の平静を保つ。わたしたちの第一目標はあくまでメガネちゃんの救出だ。そして、それさえできれば街ごと救うことだってできる。まあ、ぶっちゃけ後者については二次目標なので、難しそうならとっとと逃げるのだが。
「セーラー服、メガネちゃん、居場所わかった?」
「絞り込みはほぼ完了しました。あの範囲にいることは間違いありません」
セーラー服君がスカーフを伸ばして示した方を見ると、軍勢の中央後方に一際体格のよいゴブリンたちに囲まれた一角が目に入った。いわゆる、本陣ってやつだろうか。天幕に覆われて中の様子は見えない。あの中にメガネちゃんはいるんだろうか。
「特定できました。あの天幕の九つに分割した左上、ちょうど中央にいます」
「了解」
そこまで細かく調べなくてもいいがな。いくらか応用ができるようになったかと思えば相変わらず融通の効かないやつだ。とはいえ、場所はわかった。あとはタイミングを計るだけだ。
止まらない怒号、悲鳴、喚声、金属音。じわりと冷や汗がにじんでくるのを感じる。城壁から落下する人、そして魔物。城門こそ破られていないが、城壁の上にはもう魔物が乗り込んで白兵戦が始まっている。
まだか……まだか……まだか。沸き上がってくる焦りを押さえつけながら、魔物の軍勢をじっとにらみつける。天幕から数匹のゴブリンが駆け出し、太鼓を打ち鳴らす。すると、天幕の後方にいた軍勢が一斉に動き出し、街に向かって駆けはじめた。
「いまッ!」
合図とともに全員で一気に鐘楼を駆け下り、直下に停めていた自動車に乗り込む。メカクレちゃんをシートベルトできっちり座席に固定したら準備完了だ。
さて、いよいよメガネちゃん救出作戦の始まりだ!




