閑話12 とある女神の存在消失
天を衝く高層ビルが、次の瞬間にはねじれて縮み、一匹の子猫になる世界。公園で餌をついばむ雀たちが、銀色の円盤となって宇宙へ向けて飛び立つ世界。夜空の花火を眺めていると、深海魚の生物光が瞬く海底にいる世界。
そう、これは高次元知性体のフレイア、高町みさきの言うところの女神モドキが住む世界の話である。いや、いまは住んでいたと表現すべきか。
毎度の前置きで恐縮だが、例によってこれは三次元に住む我々地球人類にとってわかりやすい形に翻訳したものであり、高次元知性体の世界を正確に描写したものではないことをお断りしておく。
フレイアの部屋には、二人の男が侵入していた。一人は初老で、もうひとりは若者だ。侵入といっても、家主の許可は得ていないものの、倫理規約に沿った適法行為である。
「まったく、生配信でずいぶん面白いものを見せてくれた」
「同時視聴数ダントツのトップですからね。現地生体に食われたり、殴られたり、こんなのは前代未聞だったのでは?」
「そういう楽しみ方もある、という考えが広まったのは幸いだった。これまでは観光旅行の劣化版のようなものだったからな」
「まさに体験型エンターテイメントですねえ」
「ま、私は見るだけにしておきたいが」
私もですよ、と軽口を叩きながら二人の男はフレイアの部屋を調べはじめる。
「それにしても、統一局から依頼をした矢先にこんなトラブルを起こすとは……」
「何か持ってるんでしょうねえ」
「統一局の正規職員がそんな低次生体のようなくだらないことを言うな。……とはいえ、この女については同意しかできんな」
「でしょ? 生配信中に装置が壊れて戻れなくなるとか笑うしかないですよ」
「ほら、軽口ばかり叩いてないで手を動かせ」
「ちゃんと動かしてますよ……あ、ありました!」
若者が取り上げたのは擬似現界に用いる装置だった。普段フレイアが低次世界の管理に使っている端末の前に無造作に放り出されていた。
初老の男が若者から擬似現界用装置を受け取り、つぶさに観察をはじめる。
「少々古い型だが、さんざん改造して最新型と同等以上の性能になるようチューンされてるな。なぜこんな面倒なことを……」
「あー、世界創生にハマる人はそういうDIY的な改造が好きな人も多いみたいですよ。ほら、あれ見てください」
若者が示した棚には、害虫駆除用の割り箸やら針金を布でくるんだもの、ペットボトルに穴を開けただけの魔素・霊素の添加装置(と思われるもの)やその他ガラクタとしか思えないようなものが大量に詰め込まれていた。
「純正品を使ったら負け、みたいな感覚があるんですかねえ」
「マニアの気持ちは知らん。ともあれ、目的のものは回収できた。帰るぞ」
「あ、彼女の端末も回収しておいた方がいいと思いますよ」
なぜだ、と初老の男が尋ねる。擬似現界用装置を修理し、フレイアを高次元世界に帰還させるのが今回の目的なのだ。統一局におけるフレイアへの評価は高い。擬似現界を流行させるためのコンテンツメーカーとして引き続き働いてもらわなければならない。
「彼女が降りた世界、引き続きメンテしないと壊れちゃいますから。たぶんそれの修理、一筋縄じゃいかないです」
「ああ、そうか。擬似現界中の事故で人気配信者が廃人になった……などという事態は洒落にならんな」
「擬似現界を利用した移住推進は最優先事項ですからねえ」
若者がフレイアの端末を梱包するのを眺めながら、初老の男は考える。自分やこの若者の世代までは問題ないだろう。しかし、その次、その次の次となるとどうなるかわからない。
高次元世界でも、低次世界における瘴気領域と類似した現象が問題となっていた。これは統一局が抱える案件の中でも最重要機密に属するもので、その事実を知るものはわずかしかいない。
統一局の研究部門が総力を注いでも瘴気の発生メカニズムは解明されておらず、直接的な対策は絶望視されている。一部の研究者からは、この世界もより高次の存在によって作られた箱庭なのではないかという意見が上がっているほどだ。
高次元知性体の人口が増え、文明が発展するにつれ瘴気領域の拡大が進んでいることから、高次元知性体の活動自体が瘴気発生に密接に関わっていると推測された。両者の相関係数は極めて強く、99.9999%以上の確率でこの仮説は正しいと試算がなされた。
そこで新たに進められたのが、人工的に創り出した低次世界への移住計画である。この世界での高次元知性体の活動を減らせば、瘴気の発生量も抑えられるだろうという理屈だ。
移住といえば聞こえがいいが、実質は疎開や棄民に近い。遥かに文明レベルの劣る低次世界に好んで住みたがるものなどほとんどいないだろう。
そのため、あくまで自然発生したという体裁で世界創生ブームを仕掛け、次いで擬似現界を流行させ、低次世界への移住の心理的障壁を下げようと目論んだのだった。
「それにしても、セキュリティ用のバックドアが生きていたのは幸いだったな」
「高次元生命体の存在が現地生体にバレたら興ざめなんてものじゃないですしね」
「それもあるが、移住用の低次世界をかきまわして楽しむなんて遊び方が流行ったらたまらん」
「移住用の世界が壊されてはキリがないですもんね」
「そのとおり。移住者にはなるべくゆっくり余生を過ごしてもらいたいものだ」
「スローライフってやつですねえ」
若者が梱包を終えると、二人はフレイアの部屋を後にし、荷物を抱えて統一局への帰路についた。




