第九十二話 代わりにすんごくおバカになるみたいー
大ゴブリンの緑色の皮膚が内側から押し上げられたように波打ちはじめる。皮膚が盛り上がるたびに、ウロコが松かさ状に逆立つ。
「ごれ゛……おま゛……なにを飲まぜだ……?」
「ちょー強くなるおクスリぃー」
関節までぶくぶくと膨らんだ大ゴブリンが、緩慢な動きで浅黒女に掴みかかる。浅黒女は余裕をもってそれを避け、数回飛び退いて距離を置く。
「強くなるけどー、代わりにすんごくおバカになるみたいー。じゃー、あーしはこんなところでしっつれーい」
「ぎざ……謀ったな゛……」
浅黒女が壊された北門に向かって走り去っていく。
大ゴブリンはそれを追って一歩、二歩と進み、膝をついた。排水溝から水が逆流したような音が喉から鳴っている。四つん這いになり、そらから背骨が折れるのではないかと思うほどに背を反らす。脇腹がひび割れ、引き裂け、しわだらけの赤い肉が露出した。
古代魚のエラを思わせるそれは規則的に脈動し、例えようもない色の粘液を垂れ流す。さらに背を反り、バキバキと硬いものが折れる音が響く。大ゴブリンの腹が割れ、中から内臓がこぼれだす。あふれた腸はビクビクと震えると、あちこちに無数の腫瘍が生じ、幼児が粘土で作ったような、かろうじて人面に見える何かを無数に形作った。
ついに大ゴブリンの後頭部と臀部が接触する。両手が地につき、腹を天に向けた四足の生物のような姿となった。胸が真ん中から割れて肋骨が飛び出し、尖った先端が不規則に四方に向けられたままゆらゆらと動いている。
割れた胸の奥から赤い何かが飛び出し、周辺に倒れていたトカゲゴブリンの死骸を引き込む。まるで昆虫を捕らえるカエルのようだ。数体の死骸を体内にしまい込むと、無数の肋骨が内側に折りたたまれ、ごりぼり、べちゃぐちゃと汚い音を立てる。
「うべぇ……うめ゛……うめ゛ぇぇぇ……」
逆さまになった大ゴブリンの顔が喜悦に歪む。本来、口であった部分から大量の涎があふれ、頭頂に向かって垂れ流される。
トカゲゴブリンの、そして同じく倒れたエルフの戦士たちの死骸を次々に取り込み、背側に二つ折りになった大ゴブリンが肥大化していく。激昂したエルフたちが次々に矢を打ち込むが、人面つきの腸が振り回され、それを叩き落とす。
形状こそまるで違うが……これは選考会の馬頭ゴブリンと同じ現象だ。どういうわけだが知らないが、ボルデモンのおっさんが馬頭ゴブリンに飲ませたものと同じ薬物をあの浅黒女は持っていたのだ。
周辺の状況を確認する。こんな事態でも頭のどこかが冷静で、戦況を一度に把握できる。メルカト様の加護は実に偉大だ。あちこちに倒れたエルフたちにゴブリンたち。総量は選考会のときに比べて圧倒的に多い。
つまり、単純に考えればあのときの怪物よりもはるかにヤバい怪物ができあがるってことだ……。ミリーちゃんもあちこちに弾丸を撃ち込んでいるけれど、致命傷は与えられていないようだ。これ、どうすりゃええねん。
とりあえず、近場に転がっていたトカゲゴブリンの小剣を拾い、投げつけてみる。ぐるぐる回転して飛んだそれは、あっさり人面腸に弾き飛ばされた。ですよねー。
「『火球・連弾』!」
後ろからリッテちゃんの声が聞こえる。視線をやると肩で息をするリッテちゃんの手からいくつもの火の玉が生まれ、大ゴブリンに向かって次々と飛んでいく。だがこれも、本体に到達する前に腸の鞭に打たれ、少し離れたところで爆発する。
「風霊様! 渦巻く風を!」
続いてマーシャルさんの声。聞こえると同時に大ゴブリンに向かって吸い込まれるような突風が生じる。リッテちゃんの魔法による爆炎が風に巻き込まれ、巨大な火炎の竜巻となってその巨体を飲み込んだ。
「ぎがん……ぎがぁぁぁあああん!」
炎の竜巻が斜めに切り裂かれ、中から異形と化した大ゴブリンの姿が現れる。反対に折り曲がった身体はそのままに、手足の数が無数に増殖している。そのうち2本の手を使ってやつ愛用の戦斧が握られていた。
そういえば、あの戦斧は魔術も斬れるとかなんとか言ってたな……これは厄介だ。
次の攻め手が思いつかずに様子を見ていると、その間にも大ゴブリンは次々に残った死骸を喰らい、身体を大きくしていく。あれだけ巨大に見えた戦斧がいまでは薪割り用の片手斧のようだ。
セーラー鎧モードを解禁して一気に勝負をかけるか? もうまともに戦っているトカゲゴブリンはおらず、解除後のスリープモードは問題にならなそうだ。弱点は……たぶん、頭部か心臓だろう。一応しゃべってるし、脳はある……と思いたい。
だが、あの腸触手の攻撃をかいくぐって接近するのはかなり難しい。うかつに近寄れば弾き飛ばされるか、下手をすると捕らえられてしまうかもしれない。
ううー……なんにも思いつかん。こりゃもう逃げの一手か? エルフ村のみなさんには悪いが、命あっての物種だ。村がめちゃくちゃになってしまうだろうが、一旦退いて王国軍とやらに援軍を頼むのが最善手の気がする。
「ご主人、ひとつ提案があります。セーフティを解除しましょう」
わたしの返事も待たず、セーラー服君は光の泡へと姿を変えた。




