第二十五話 素顔
目から零れそうになる涙を、私は押さえた。
今は泣いている場合じゃない。
「……ありがとう、リシェル。私が全部、終わらせてみせるから」
私はそうリシェルへお礼を言った。
「こんなこと、有り得ない……どうして? あのリシェルの状態は、作った私が一番よく理解していたはずなのに、そんな……!」
白面は動揺しながら、リシェルから《次元の杖》を引き抜いた。
リシェルの身体が、血溜まりの中へ崩れ落ちていく。
私は《次元の杖》を握り締めた。
リシェルが作ってくれた最大の好機を逃すわけにはいかない。
私は《次元の杖》を構え、周囲に数式を浮かべた。
全ての力を込めるつもりでやった。
今までの中で、最高で最速の《鏡色の小鳥》を、白面へ放ってやる。
リシェルに驚いていた白面は、一瞬反応が遅れた。
「……まさか、この距離で《鏡色の小鳥》をぶっ放すつもり! 今それを使ったら、私だけじゃなくて、貴女も巻き込まれるわよ!」
そんなことはわかっている。
白面に滅ぼされた世界のために、こんな世界でも必死に生きていたのに白面に身勝手に殺された人達のために、そして何よりも、彼女の狂気に弄ばれてきた、全てのリシェルとアリス、私のために。
この女だけは、生かしておいてはいけない。
こんな悍ましいことは、もうこれ以上行わせてはいけないのだ。
「刺し違えてでも、貴女を殺す!」
白面は慌てて《次元の杖》を構える。
私の《鏡色の小鳥》が先か、白面の瞬間移動が先か。
失敗すれば私だけが死ぬことになる。
だが、《鏡色の小鳥》は発動しなかった。
数式の光がくすんでいく。
「え……?」
「フフフ、アハハハハ! いいわ、いいわ! 死を実感したのは、本当に久し振りよ! ああ、ぞくぞくしちゃった!」
白面が興奮したように声を荒げる。
それを聞いて、遅れて理解する。
私の数式に《次元の杖》で干渉して、不発にしたのだ。
「それは、使わないって言っていたのに……!」
私は唇を噛む。
白面ほどの女王に片っ端から魔法を不発にされては、勝ち目なんてあるわけがない。
白面は自ら縛りとしてその手段を禁じていたが、それを破ってきた。
「誇っていいわ。イレギュラーがあったとはいえ、この白の魔女に禁じ手を破らせたルーンは、貴女が初めてよ。フフフ、久々に、生を実感できたわ!」
白面が《次元の杖》を振り上げる。
私の紡いだ数式が、完全に砕け散って宙へと消えた。
今度こそもうダメかと思ったそのとき、銃声が鳴り響いた。
白面の右腕の手首が破裂し、血肉が舞った。
銃弾が撃ち抜いたのだ。
「あ……」
白面の振り上げた《次元の杖》が、床へと垂れる。
続けて放たれた二発目が、白面の仮面に当たった。
仮面が砕け、血が舞った。
白面の身体が大きく折れ曲がり、よろめいた。
「うぐ……ま、まだ動けたなんて……!」
白面が顔を押さえる。
追撃を警戒してか、透過の魔法を使ってすぐに半透明の姿になっていた。
そのまま瞬間移動して、空中へ逃れる。
私は銃弾が飛んできた方へと目を向けた。
アリスは床に倒れたまま、銃口を白面へと構えていた。
表情のない顔で、カチカチ、カチカチと、何度も何度もトリガーを引いていた。
全ての弾をついに撃ち尽くしてしまったようだった。
あと一発でも弾丸があれば、白面を仕留め切れていたかもしれない。
アリスは意識があるのかないのか、それさえ定かではない状態だった。
自分が半死半生の状態で、朧げな意識の中、それでも彼女は好機を待ち続けていたのだ。
そして白面が、私の魔法を打ち消した瞬間を狙った。
白面ほどの実力者であっても、打ち消しにはかなりの集中力を要するようだった。
それが死角にいたアリスへの対応を遅らせたのだ。
私は白面へと《次元の杖》を向ける。
白面の顔は仮面に守られている。
そのせいで致命打にはならなかったが、頭部に銃弾を受けたのだ。
《次元の杖》の扱いにも支障が出るはずだ。
リシェルとアリスの繋いでくれたチャンスだ。
絶対に無駄にはしない。できるわけがない。
「もう、この仮面は使い物にならないわね……」
白面は仮面を押さえていた手を離した。
仮面が完全に彼女の顔から剥がれ落ちた。
白面が露になった素顔で私を睨みつける。
「う、嘘……?」
よく見知った顔が、そこにはあった。
終末戦争の記憶の断片に引っかかるものがあったが、それだけではない。
あの日常でも、ここに来るまでの旅の中でも、何度も何度も、何度も何度も目にした顔だった。
私は目を疑った。
同時に理解した。
アリスが本当に隠したかったのは、白面の正体だったのだ。
彼女はきっと、白面の正体に気が付いてたのだ。
だから私に白面の具体的な話をすることを過度に嫌がっていたのだ。
瞳が大きくて、長い睫がぱっちりしている。
小さな鼻と、控えめな唇。
ちょっと幼く見られがちで、私はそれがコンプレックスだった。
「貴女……私だったの? どうして……」
大量虐殺を行って世界を終わらせ、今なお滅んだこの世界で大量の死者を出しながら、私達の命と尊厳、その魂をも弄んできた、白の魔女。
彼女の正体は、私だった。
正確には私は終末戦争の中で一般兵だった頃のルーンで、白の魔女はその後功績を積み上げて戦争の指導者となり、世界を滅ぼした一端となった後のルーンなのだろう。
ずっと疑問だった。
一体どんな立場であれば、私とアリス、リシェルにここまでの狂った執着心を抱くのか。
彼女は他でもない私自身だったのだ。
終末戦争の指導者となって心を病んだ白の魔女は、純粋だった頃の自分自身と、その際の親友であったアリスとリシェルを添えて、終末戦争の存在しない平穏な世界で暮らす三人組としてずっとごっこ遊びをさせていたのだ。
白面はぺろりと、頬についた血を舐めとる。
「まさか未熟だった頃の私相手に、ここまでしてやられるなんてね。さすがにサービスが過ぎたのかしら」
「……貴女は、私が終わらせてあげる」
「できやしないわよ、貴女如きには」
白面は口端を吊り上げて笑った。




