第十七話 鏡写しの幻影
「リ、リシェル、なんだよね? 本物のリシェルなんだよね?」
「……うん、そっちはまるでルーンそのものだね」
リシェルはいつもの優しげな眼差しで私を見つめ、小さく頷いた。
どこか覚えのある仕草だった。
「リシェル……」
リシェルは私の知っている表情のまま、長剣を構えた。
「なるほど、こういう化け物もいるのか。悪趣味な罠を張ってくれるよ」
「えっ……」
ドン、ドン!
二度、銃声が響いた。
アリスが私の背後から、リシェル目掛けて銃弾を放ったのだ。
リシェルは、明らかに銃弾を目視してから背後に退いた。
彼女が刃の一閃を放つ。
宙で、何かが斬れた。
遅れて理解する。
リシェルは、一発目の銃弾を退避し、二発目の銃弾を斬ったのだ。
かなり余裕を持った回避だった。
信じられない身体能力だった。
明らかに司教以上だ。
そうではないかと、思っていた。
リシェルは、身体特化型の兵、騎士だったのだろう。
「私の出来損ないに加えて、アリスの偽者もいたのか。だけど、そんなの、百発撃たれても当たってあげられないよ」
状況に、頭が追い付かない。
私は……必死にこれまで私が連れてきた灰色のリシェルの腕を引き、アリスの許へと引き返した。
偽リシェルの後ろに、二つの人影があった。
こちらへ走ってきている。
「さっ、先に行かないでよ、リシェル!」
「先陣は、ボクが出ると決めていたです」
見たものが信じられなかった。
アリスだ。
片方はアリスの偽物で、もう片方は、私の偽物だった。
「ごめんね、二人共。自分の身を守る能力は、私が一番高い。正体不明の相手は、私が単身ですぐに終わらせたかった。けれど、私達の姿を真似ているばかりか、銃を持っているとはね。ルーンの魔法まで真似ているかもしれない、慎重に行こうか。何故だか、私の紛い物は不完全みたいだけれど……」
偽リシェルは、偽アリスと偽者の私に、そう優しく声を掛けていた。
有り得ない。
これは……また、何かの幻なのだろうか。
私は一体、何と対峙させられたのだろう。
状況が全く掴めない。
「ルーン、木の多いところまで逃げるです! ここではあまりに不利です!」
本物のアリスが、私へと叫ぶ。
「ア、アリス、あのリシェルは……? 私と、あっちのアリスは?」
「幻か、暗示か知らないですが、間違いなくそれに類する罠です! アイツの考えそうなことです! あの建物に司教がいやがったくらいです! こんなわかりやすい目印を、自分の目前に置いた以上……陰湿な罠を仕掛けてきやがると思ってたです!」
私は息を呑んだ。
アリスは、どうやら例の人物と会ったことがあるようだった。
並走しながら、アリスは自然と私の後方へ回った。
背後に銃を向けている。
向こうの三人が接近してくるのを、牽制しているのだ。
ドン、と二つの銃声が同時に鳴った。
アリスと偽アリスが一斉に撃ったのだ。
私の頬を、何かが掠めた。
途端、前方の地面が爆ぜ、土の飛沫を上げた。
ぞっとした。
相手のアリスも、この距離でも、こんな精密に銃弾を撃てるのか。
銃の腕前までそっくりそのままだ。
「外しました! ルーン、リシェルを置いていきましょう! それを連れて、戦える相手じゃないです! アイツに会いたいなら、わかりました! ボクも、知っていることを全て伝えるです! アイツが蘇生の技術を持っているのなら、そのリシェルは死体だって関係ないはずです!」
「で、でも……」
……死んでも生き返る、だなんて、私には簡単には思えない。
私がリシェルを離せずにいると、ルーンはリシェルを突き飛ばした。
「きゃっ!」
私は手を放してしまった。
リシェルは力なくその場に倒れ、丘を転げて落ちていく。
「リシェルッ! リシェル!」
私が足を止め、彼女へ向かおうとすると、アリスが私の肩を掴んだ。
「こうするしかないです! 幻影だか、なんだかわかりませんが……少なくともあの三人は、思考能力を有しているです。リシェルが脅威じゃないことくらい、見てすぐわかるはずです。ボク達を優先して追ってくるです! リシェルを連れて行けば、むしろリシェルをより危険に巻き込むことになるです!」
「で、でも……」
「森で迎え撃つです! あの偽者の三人を殺して、それからリシェルを回収する、それしか、リシェルを守る手段はないです! 足手纏いのリシェルを連れて、三人で逃げていれば、絶対に殺されるです!」
「う、うん……」
私は地面に倒れたままのリシェルに小さく頭を下げ、森の方へと走った。
白化した木々が並んでいる場所へ向かい、その中でなるべく大きなものの蔭へと身を潜めた。
「……偽リシェルは、騎士だったみたい」
私は息を荒げながら、アリスへそう言った。
「そうみたいですね。あの動きを見れば、わかるです」
「……本当に、ただの幻みたいなものなのかな? あのリシェルや、アリス……私を、殺してしまっていいのかな?」
「罠として造られた紛い物です! それ以外、何があるっていうです!」
……私には、何もわからない。
どうして、私達そっくりの人間が存在するのか。
踏み込めば踏み込むほど、真実の断片を追えば追うほど、意味のわからないことばかりだ。
アリスはどうやら、メッセージの人物を知っているようだった。
そのアリスが、メッセージ主の仕掛けた魔法による罠だというのなら、そう考えるのが自然なのかもしれない。
しかし、何がどうなれば、こういう事態になるというのか。
頭がどうにかなってしまいそうだ。
いや、既にもう、なってしまっているのかもしれない。
「まるで、意思を持っているみたい……」
「ルーンは、そう言ってずっとリシェルの幻と対話していたです! 《次元の杖》に、常識なんて通用しないです!」
……本当に、そうなのだろうか。
「ルーン、殺さなきゃ、殺されるだけです。少なくとも、向こうさんはそのつもりみたいです」
アリスに言われ、私は頷いた。
迷ったり、悩んだりしている余裕はない。
偽アリスは、アリスと同じ銃を持ち、同程度の銃の腕を有しているようだった。
きっと偽ルーンも《次元の杖》を使いこなせるはずだ。
そして私達のリシェルは意識さえ怪しい状態なのに、偽リシェルは騎士の力を持っており、十全に発揮している。
偽リシェルの差は大きい。
正面対決では無理だ、何か私達の強みを見つけ出して、そこで出し抜かなければならない。
私は《次元の杖》を構えた。
周囲に数式を浮かべていく。
《空の瞳》を遠くに浮かべ、あの三人組の位置を確認する。
偽アリスを先行させ、偽リシェルは偽ルーンの横に並んでいる。
頑丈かつ銃で安定した攻撃を仕掛けられる歩兵を盾にし、騎士で確実に女王を守る陣形らしい。
「《空の瞳》を、使っていない……?」
理由はわからないが、偽ルーンは《空の瞳》を使う気配がない。
どうやら私より《次元の杖》を使いこなせていないようであった。
そういえばあの三人は、私達ほど怪我を負っていないように見えた。
しかし、全くの無傷というわけでもなさそうだった。
「もしかして……向こうにはリシェルがいたから、危機に追い込まれたことが少ない?」
私はこれまで何度も命の危機に晒されてきた。
必要に駆られるように、私の脳は、得た情報と眠っている記憶を繋げ、私に《次元の杖》を制御する術を教えてくれた。
もし司教以上の身体能力を有するリシェルがいれば、これまでの旅路は比較的安全なものになっていただろう。
だから、もしかしたら、その差で、偽ルーンはいわゆる経験値が薄いのかもしれない。
何かが、頭の中で噛み合いそうになっていた。
あの三人は、きっとただの夢や幻ではない、もっと別の何かなのではなかろうか。
「ルーン、何をぼうっとしているです! あの三人はどう動いているですか!」
「ご、ごめん、アリス……」
考え事をしている猶予はない。
今は、目前の敵を倒すしかない。




