第十六話 リシェル
館を出て、一週間が経過していた。
私達は、地図にあった大きな湖へと辿り着いていた。
私は湖を覗き込む。
白濁しており、生き物の気配は全く感じられなかった。
不気味なところだ。
だが、私には強い達成感と……それから、大きな不安があった。
「ついに、ここまで来っちゃったね、アリス!」
自分を鼓舞するように、私は口にする。
地図には、私達の家と、それからあの大きな館、そしてこの湖があった。
湖からすぐのところに、メッセージの主がいるであろうバツ印……ずっと私達の目指している、目的地があるはずなのだ。
不安は当然あった。
私達にあの廃墟で幸せな夢を見せていた意味がわからないし……あのメッセージの真意もわからない。
そして私達の望みであるリシェルの治癒にも、犠牲となる人間が数十人単位で必要となる可能性がある。
この世界でそんな膨大な犠牲を賄えるのかもわからないが……そもそもそんなことが許されると、私には思えないのだ。
アリスは憂鬱げに湖を眺めていた。
「……どこかで諦めてくれると、そう思っていたです。司教を見ても下がらなかった時点で、きっとボクが行動するべきだったです」
「アリス……?」
「……ボクは、こんなところに来たくなかったです。リシェルだって、どうでもよかったのに……。ルーンさえ無事でいてくれれば、それでよかったです」
「な、何を言ってるの? あの森近くの家での想い出は、確かに怪しいものだけど……でも、リシェルとアリスと私は、終末戦争でも戦友で……」
「……全部、嘘っぱちの紛い物です」
アリスが消え入るような声で言った。
「え……」
アリスは、リシェルへと銃を向けていた。
「……ずっと前に、きっとこうするべきだったです。それができなかったのは……ボクの全てでもあった、ルーンに嫌われたくなかった、ボクの弱さです」
「な、何してるの……アリス? 冗談でも、そんな真似止めてよ!」
私はリシェルの前に飛び出した。
それでもアリスは銃口を下げなかった。
照準の先に、私を捉えている。
「何も聞かないでください。戻るです、ルーン。あの館じゃなくて……あの、ボク達の家まで。やっぱりそうしないと、きっとダメなのです」
「何を……!」
「この先は、あまりに酷です。何一つだって、ルーンは知るべきじゃないです」
「そんなので、私が納得すると……!」
ドンと、銃声が鳴った。
「熱っ……!」
私の足を、銃弾が掠めていた。
私は目を見張った。
アリスが私に銃弾を放つなんて、思っていなかった。
「ただの脅しじゃないです。ボクは、無意味に残りの少ない銃弾を浪費させたりしないです。それに、皮一枚を狙って撃てるくらい、精密でもないです。ルーンの脚を奪ってもいい、そのつもりでやったです」
「ア、アリス……?」
「そうしたら、ルーンは一人で長い距離をまともに移動することは、できなくなるです。無理をして、先に進もうとなんてできないでしょう。次は、当てるです」
私はアリスの顔を見た。
行動こそ異常だったが、アリスは間違いなくいつものアリスだった。
クール振った無表情で、それでもよく見れば泣きそうな眼をしていて、脅しているというよりは、どこか懇願しているようでもあった。
……違和感は、ずっとあった。
「……アリス、やっぱり、あの夢を見せられてなかったんだね」
「っ!?」
私の言葉に動揺してか、アリスの照準がブレた。
「……ごめん、アリス、これまで巻き込んじゃって。でも……私は一人でも、先に行くから!」
私はリシェルの腕を引いて走った。
「ま、待つです! 止まらないと、リシェルを撃ちます!」
アリスが声を荒げる。
「私は、そうなっても行くから! 《次元の杖》使いは、蘇生だってできるはずだから! それでも……リシェルが撃たれそうになったら、私は身体を張って守るよ!」
私はリシェルの腕を引いて、湖の外側を走った。
……おかしいと思っていた。
記憶に残るアリスは、ずっとリシェルと言葉を交わしていなかった。
アリスは元々小食で……どこか食事自体を憎んでいる様子でさえあった。
アリスは、私よりずっと早くにこの異様な世界に適合していた。
化け兎を撃退した後の言動も怪しかった。
そして、リシェルについては、明らかに他人事だった。
変化に戸惑っているのだと思っていた。
それでも少し冷たいと、私はずっと訝しんでいた。
違ったのだ。アリスにとって、リシェルはずっと、あの状態だったのだ。
決定的なのは、《次元の杖》に触れた時の反応だ。
私は元々、魔法を操る女王だったから、《次元の杖》に触れたことで、他者の魔法による干渉を振り切ることができたのだろう。
だが、アリスは《次元の杖》に一切適性を持たない、歩兵なのだ。
《次元の杖》に触れただけで、魔法を振り切る力を持てたとは、とても思えない。
あれは、私に合わせるための嘘だったのだ。
アリスは、日常の夢幻を見ていない。
アリスはリシェルを一切知らない。
そしてアリスは、私の知らない何かを知っている。
その上で、アリスは私から離れないようにしながら、何らかの不都合な真実を私に伏せつつ、どうにか説得できないかとずっと考えていたのだろう。
「待つです、ルーン! お願いです! ボクの言うことを聞いて欲しいです!」
私は必死にリシェルの腕を引きながら走り続けた。
アリスは銃を撃っては来ない。
この状況で撃てば、私のどこに当たるかわからないと、そう考えているのだろう。
全ては、私の我が儘かもしれない。
きっとアリスには、私は酷いことをし続けてきて、今もそうしているのだろう。
それでも……全てから目を背け、あの廃墟に戻ることなんて、私にはとてもできない。
遠くに、人影が見えた。
「人間……?」
銀髪の、美形の少女だった。
髪は女の子にしては、やや短めなものだった。
穏やかそうで、それでいて意志の強そうな碧色の瞳をしていた。
年齢は私より、二つほど上くらいだ。
それは……私が、よく知っている顔だった。
ずっと追い求めていた人物だった。
夢で見た、藍色に輝く軽装の鎧を身に着けていて、腕には背丈ほどある長剣を構えていた。
私は足を止めた。
「リシェ、ル……?」
私は必死に手を引いていた、隻眼の、灰色肌のリシェルから、自然と手を離していた。
きっと、偽物だったのだ。
灰色肌の、同じ言葉を繰り返すだけの目も合わせてくれないリシェルは、ああ、きっと、ただの偽物だったのだ。
目前のリシェルこそ、私の記憶と寸分と違わない、本物のリシェルだった。




