第十五話 蘇生の技術
四日ほど、館で療養に時間を費やした。
アリスは身体の怪我が酷かったし、私もこれまでの旅路でかなり疲れていた。
以前の私であれば落ち着いて眠れなかった、虫食いだらけの古びた毛布でも、今の私はぐっすりと熟睡することができた。
人間の適応能力は案外侮れない。
必要とあれば、なんだってできるものなのかもしれない。
「……もう、大丈夫なの?」
「平気です。ボクは頑丈ですから」
アリスはこの四日で、すっかりと回復していた。
やっぱり、普通の人間とは回復力が違うのかもしれない。
……既にこの世界に、普通の人間が残っているのかどうかはわからないけれど。
この休息の間に変化したことがあった。
まず、私は、新しい《次元の杖》の使い方を身に着けていた。
《次元の杖》を使い、やや離れたところを観察することができた。
射程はそう長くはないが、自分から離れたところに視点を作ることができるのだ。
今は一か所しかできないが、夢の中の私は複数個所の視点を作っていたように思う。
この魔法を使えば、危険なところは先に偵察できる……かもしれない。
何度も使うと疲れるし、そこまで先を確認することはできないので、明らかにこの先が危ないとわかっているようなときでなければ、役には立たないかもしれない。
しかし、これによってわかったことが二つあった。
一つは、やっぱりあの夢は、私の夢の再現なのだろうということだ。
読み漁った資料とも符合するので、今更なのかもしれないが……。
そして、もう一つある。
……私が頻繁に感じていたあの謎の視線は、恐らく何者か、この技術を使って私達を観察している、ということだ。
きっとそれは、私達に暗示を掛けたり、あのメッセージを残したりしていた相手と同一なのだ。
《次元の杖》に関する資料を読み漁っていて知ったことだが、あの鏡に覆われた小鳥は、そのまま《鏡色の小鳥》というらしい。
私も自然とそういう呼び方をしていたので、やはり記憶の奥底にはあったのかもしれない。
そして視点を作る魔法は《空の瞳》と呼ぶそうだ。
《空の瞳》は、自分から遥かに離れた位置に、正確に魔法現象を発動するために用いられるらしい。
だとすれば、あの突然現れたメッセージにも納得がいく。
私達を呼びつけている相手は、《空の瞳》を用いて私達に魔法を掛け続けていたのだろう。
ただ、腑に落ちないことがある。
《空の瞳》の射程があまりに長すぎるのだ。
私達はこれまでかなり歩いてきたが、まだまだあのメッセージの主の許へは辿り着けそうにない。
だが、本によれば、《空の瞳》の射程は、せいぜい最大で百メートル程度だという話だった。
本当にメッセージの主がずっと森の先にいるならば、本の射程の軽く千倍以上はあることになる。
……私達は、いったい、何に呼びつけられているのだろうか?
考えれば、考えるほどぞっとする。
しかし、そんな相手だからこそ、リシェルだって元に戻してくれるのかもしれないと、そうも思える。
ここ四日で、アリスにも少し変化があった。
たまに、彼女が世話して、リシェルにご飯を食べさせてくれるようになったのだ。
アリスはリシェルと並んでベッドに座り、スプーンで彼女の口許に食事を運んでいた。
「ありがとうね、アリス」
「……ルーンが大切にしている相手ですから。ボクも、少しは大切にしてあげたいと、そう思っただけです」
アリスは淡々とそう言って、私へと目線を上げる。
「ルーン、準備が整ったら、出発するですか?」
アリスは、何かを期待するような目をしていた。
彼女の気持ちはわかっている。
ここまでの旅は、決して楽なものではなかった。
それに、あの化け物……司教だって、少し何かが違えば、私達は間違いなく殺されていたはずだ。
アリスはこれまでも、何度も私に訴えかけてきていた。
旅はもう、お終いにしよう、と。
「……うん、そのつもりだよ。明日の早朝にここを出よう」
……でも、私はそう答えた。
アリスがリシェルに優しく接してくれるのも、きっと私に現状に満足してもらうためなのだ。
わかっている。
それでも、やっぱり私は、このままでいようとは、どうしても思えないのだ。
アリスは顔を俯かせた。
その様子を見て、私は涙が込み上げてきた。
アリスが命懸けでついてきていくれると知っているから、私はこんな我が儘ばかり口にしてしまうのだ。
……でも、それでも、諦められない。
「ごめん、アリス……私、やっぱり、元のリシェルに会いたいよ。だって、本には書いてあったよ。《次元の杖》を自在に扱える人間なら、死んだ人間だって生き返らせられるんだって。じゃあ、きっと、あのメッセージの主なら、リシェルを元に戻すくらい、簡単にできちゃうはずだもの」
そう、私にはとてもできそうにないが、《次元の杖》を自在に扱えれば、死者の蘇生さえ不可能ではないそうであった。
高次元の空間に意識を繋げ、そこに残っている死者の情報を読み取り、この世界に復元するのだそうだ。
とんでもない力だ。
《次元の杖》の使い手の中でも、そこまで行える人間はごくごく一部なのだそうだ。
しかし、《空の瞳》を本に記されていた千倍以上の距離で行える人物であれば、それくらい容易いはずだ。
最初は、駄目元半分のつもりだった。
ただ、今は確信がある。
あのメッセージの主は、本当に私の願いを全て叶えるだけの力があるのだ。
北の地へ辿り着けさえすれば、きっとリシェルを元に戻してくれる。
「……でも、それには、生きている人間十人以上の生贄が必要だと、そういう話だったです」
アリスが冷たい声色で言った。
そう、死者の蘇生について述べていた本には、そうも書かれていた。
それも、十人は普通の人間に限る。
主な蘇生対象であった優秀な兵士は、それ以上の人数を必要としたと、そう書かれていた。
歩兵の蘇生でさえ、十五人以上の生者が必要だったそうだ。
《次元の杖》を操れる王女となれば、蘇生のために百人以上の犠牲が必要な上に、ほとんどが失敗作であったという。
「きっとリシェルも、終末戦争の兵士だったのでしょう? 数十人の犠牲が必要になるです。ルーンは、それだけの犠牲があってもリシェルを戻したいですか?」
アリスが問うてくる。
「……きっと、書物にある情報は、ちょっと遅れてるんだと思う。終末戦争の中の競争で、《次元の杖》の技術は一年ごとに爆発的に引き上げられていたみたいだし……だから、もしかしたら、犠牲を払わなくても蘇生できるようになっているのかもしれない。それに、リシェルは生きてるよ。治すだけなら、そんな犠牲なんて必要ないかも……」
「…………」
アリスは、それ以上は何も言ってはこなかった。
ただ、彼女の目は、そんな都合のいいことがあるわけがないと、口よりも雄弁に私にそう言っていた。
……私も、わかっている。
《次元の杖》の蘇生は、簡単に言えば、高次元界に刻まれているデータベースに基づいて、生者の肉を継ぎ接ぎすることで復元しているようだった。
《次元の杖》を操れる私は、多少専門の数式などを読み解けるようになっており、簡単な理論は掴むことができていた。
どれだけ効率を上げられようと、犠牲を出さずに行えるものではないのだ。
犠牲が必要だと……そう明言されても、私は浅ましく、リシェルの治療を求めるのだろうか。




