第十四話 三本の脚
本棚の残骸の向こう側で、司教の身体が震える。
かと思えば、銃弾で弾き飛ばされた腕の血が見る見るうちに止まっていく。
それから肉が蠢き、元の形の腕を形成しようとしていた。
再生速度が、巨大芋虫や化け兎の比ではなかった。
「くたばりやがれです!」
アリスが司教へと銃弾を放つ。
だが、司教は奇怪な動きで宙を舞い、銃弾を躱して見せた。
動きが変則的な上に、速すぎる!
左右の倒れた本棚を三本の足で蹴って、より変則的な動きを交えていた。
「嘘っ……!」
私は頭痛を堪えながら、鏡色の小鳥を放つ準備をしていた。
しかし、こんな相手に正面から当てられるわけがない。
おまけに司教は、明らかに魔法の知識を有しており、私の小鳥の性能を知っていた。
正確に攻撃範囲を知らなければ、初撃の避け方なんてできっこない。
司教は人間離れした速度と頑強さに、前動作なしで撃てる魔法の衝撃波を有していた。
最初に出会った瞬間に仕留めなければならなかったのだ。
私が初撃を当て損ね、かつアリスの作った好機を活かせず、相手に自由を与えてしまった。
本の知識と記憶では、司教は結局、騎士にも女王にもそれぞれの本分で大きく劣る、器用貧乏の戦力だとされていた。
しかし、対峙している今、とてもそうだとは思えない。
あんな化け物をどうやって倒せというのだ。
司教は、私が鏡色の小鳥で床に開けた穴を飛び越える。
アリスは向かってくる司教に対し、むしろ大きく前に出ていた。
「アリスッ!」
「ルーンは、すぐ撃てるように準備をするです! ボクが、なんとしても隙を作ってやるです!」
司教は鞭のように関節の多い腕を打ち出し、アリスへと放った。
アリスは回避行動を取らず、そのまま銃口を司教の脚の一本に突きつけ、ゼロ距離から放った。
ドンッ!
銃弾が司教の、真ん中の脚の関節を破壊した。
だが、司教には三本の脚がある。
一本を奪っても、大きな痛手にはならない。
……それに、脚を千切り飛ばすことはできなかった。
あれだと司教は、すぐに再生してしまう。
司教の腕の一撃が、アリスの横っ腹に刺さった。
「うぶっ!」
アリスが床に叩きつけられた。
押し出されたように、口から血が噴き出した。
「アリスッ!」
やはり、純粋な膂力も人間の比ではなかった。
このままではアリスは殺される。
私は《次元の杖》を用いて、準備していた鏡色の小鳥を放った。
足許に倒れているアリスには当たらないように、司教の頭部の方を狙う。
司教は恐ろしく身長が高いので、アリスを除けて司教だけを射程に入れることは難しくない。
当てられるとは思えないが、これで司教を牽制できれば、アリスから離れてくれるはずだ。
司教とて、鏡色の小鳥は怖いはずだ。
当てられる目が薄くても、警戒目に動いてくれるはずだった。
思った通り、司教はアリスから、鏡色の小鳥へと注意を移してくれた。
そのとき、アリスは床を転がり、私が初撃の小鳥で床を抉って作った空洞へと落ちていった。
「アリスッ……!」
司教は小鳥を回避しようと、脚を曲げる。
その次の瞬間、ガクンと、司教の身体全身が揺れた。
司教は、関節の多い首をごきりごきりと動かす。
混乱しているようだった。
アリスはわざと窪みに落ち、その勢いで司教の脚の一本を引いたのだ。
元々普段は三本脚で動いている司教は、その一本がまともに動かせなくなり、平常時に比べればやや不安定な状態になっていた。
その状態でアリスに脚の一本を引かれたため、身体のバランスを失ったのだ。
司教は身体を捻り、振るい、アリスを落とそうとする。
「これが、最後の一本……です!」
アリスは掴んだ脚を脇でがっちりと締めながら、司教の身体を支えている最後の脚へと銃弾を放った。
ドンッ!
その音と共に、司教の身体がその場に無防備に崩れる。
鏡色の小鳥が炸裂した。
司教の腕が三本千切れ、つるりとしたのっぺらぼうの上半分が消し飛んだ。
衝撃で、周囲の倒れていた本棚や、本の残骸が舞った。
司教が、床に膝を突いた。
アリスはさすがに身体が限界だったらしく、司教の脚から手を放して窪みに落ちていった。
司教の身体全体が、ガクガクと震える。
アリスに撃ち抜かれたはずの脚を動かし、立ち上がろうとしていた。
頭が半分吹き飛んでも、まだ立てるとは思わなかった。
ほうっておいたら、あの頭部もすぐに再生してしまうかもしれない。
「……でも、これで終わり!」
私は《次元の杖》から、二羽の鏡色の小鳥を放った。
これまでは、同時に一羽しか出せなかったし、こんなに連続で小鳥を放つことはできなかった。
だが、本によって知識を補い、それが呼び水となって過去の記憶が断片的に蘇ったことで、《次元の杖》と、自分の脳の使い方がわかってきたような気がする。
司教はよろめきながら、その場から逃れようとする。
だが、今の身体では、さすがに充分に動けないようだった。
二羽の小鳥が、空間を球状に歪ませる。
それに巻き込まれた司教は、身体の大半を失った。
腕の先と、脚の残骸、そして砕けた頭部がその場に転がった。
「はぁ、はぁ……」
私は《次元の杖》を抱えたまま、その場に膝を突いた。
頭痛が吐き気へと繋がる。
脳に、かなりの負荷が掛かっているような気がする。
あの夢で見た戦場が真実ならば、私はもっと多くの小鳥を操れるはずなのだ。
《次元の杖》の使い方が悪いのだろうか。
私は《次元の杖》を床に突いて、よろめきながら前に進む。
司教の残骸をしっかりと視界に収め、睨み続けていた。
……次の瞬間には動きだしそうな気がして、怖くて仕方がなかった。
「アリス……アリス……」
「……大丈夫です。生きてるですよ。ボクは、無事です」
窪みを覗き込むと、血塗れのアリスが仰向けで倒れていた。
明らかに酷い外傷だが、アリスの声はしっかりとしていた。
「す、すぐに、引き上げるから! ほ、包帯……!」
「……ボクを引き上げるより、上から持ってきてほしいです」
「そ、そうだね、そっちがいいかも……!」
私はちらりと、司教へ目を向けた。
「い、一応、あの頭、私が上に持っていくね! 急に動くかもしれないし……」
「……それはいいので、早くしてほしいです」
「う、うん!」
私は急いで上に行こうとして、地面の本に足を取られて転んだ。
「つつ、つ……」
「ランプ、持っていっていいですよ」
「……だ、大丈夫だよ、ほとんど階段だけだし。暗いと不安でしょ?」
「大丈夫です。ルーンほど暗がりが苦手じゃないので」
アリスはどう見ても重症なはずなのに、受け答えはしっかりとしていた。
脳裏に、断片的に蘇った記憶が浮かび上がる。
アリスは血だらけの姿で、平然と銃を構えていた。
……やっぱり、彼女は歩兵だったのだろうか。
歩兵は戦場では、才能のなかった者がせめての戦力して改造された、頑強な使い捨ての肉盾であると、そう本には書かれていた。
重装備に耐えられるだけの、膂力も持たされている、と。
『ルーンなんかがこれを撃ったら、反動で肩が吹き飛ぶですよ』
以前、アリスから言われた言葉が頭を過ぎった。




