第一話 悪夢と日常
気が付くと私は、暗い平原にぽつりと立っていた。
人の怒声や悲鳴があちらこちらから聞こえてくる。
視界の先では、鎧を纏い、剣を手にした人達が殺し合っている。
ショッキングな光景ではあったが、現実感がないというか、自分とは遠く離れた世界で起こっていることのように感じる。
頭が、追いつかない。それに、意識がぼんやりする。
私はちらりと、自分の握る金属棒に目をやる。
私の背丈の半分程の長さをしている。
これは……確か、《次元の杖》だ。
そう呼ばれていたような気がする。
「ぼさっとするな! お前の動きが遅れれば、それだけこちらの死者が増えるんだぞ!」
横に立つ長身の男が、私へと怒鳴りつけて来る。
いつの間にか、私の指先が止まっていた。
「も、申し訳ございません……」
「謝る暇があれば撃て! 魔法適性のある人間の蘇生には、多大な費用を要する! お前一人蘇生するのに、どれだけ殺したと思っているのだ!」
「はい……わかって、います」
怒鳴られて、わけもわからなぬまま、咄嗟にそう口にした。
だが、腕が動かない。
動かさなければと思っているのに、急に動かなくなってしまった。
動け、動け――そう念じれば念じるほど、まるで身体が鉛のように重みを増していく。
自分の息が荒くなる。頭が、熱くなっていく。
そのとき、誰かに肩を叩かれた。
「大丈夫だよ、ルーン。私がついている。絶対にこれから先、貴方を殺させるような真似なんてしない。だから、お願い。この戦争を、終わらせよう。貴方には、その力があるから」
銀髪の、美形の少女だった。
髪は女の子にしては、やや短めなものだった。
穏やかそうで、それでいて意志の強そうな碧色の瞳をしていた。
年齢は私より、二つほど上くらいだ。
「ありがとう……リシェル……」
思い出すより先に、彼女の名が口に出た。
身体が、動く。
私は《次元の杖》を空に掲げた。
辺り一面に、光の文字列が走っていく。
どうやら私が展開させているもののようだった。
急に、私の視界が広がる。
何故かはわからないが、私は戦地の全てを、細かいところまで見渡すことができるようになっていた。
空高くに、私の目がいくつもあるかのようだった。
私の上、空に、空間が裂けたとしか表現できないような、不気味な隙間が生じた。
そこからまるで、全身を鏡に覆われたような奇妙な姿の小鳥が、十二羽飛び出していく。
鳥は戦地に舞い降り、敵の兵士へと接近していく。
私は自然と、《次元の杖》を降ろす。そうしなければならないと、身体が知っているようだった。
全ての鏡の鳥が、白い閃光と共に破裂した。
戦地から、これまで以上の悲鳴が飛び交う。
近くにいた人間の身体が綺麗に削り取られ、足や腕、身体の一部を残して消滅した。
直後、強い吐き気と恐怖が私を襲った。
これまでどこか、見てみるもの全てが遠い世界で起きているようで実感がなかったのに、急に全て感覚が現実味を取り戻したようだった。
「うぷ……おえっ……」
私は喉を押さえ、えづいた。
立っていられなくなり、その場に座り込んだ。
「大丈夫か、ルーン! おい、しっかりしろ!」
リシェルが私の背を叩き、名前を呼ぶ。
◆◆
「……寝てるですか、ルーン?」
「ひゃっ!」
聞き覚えのある声に、目を開ける。
目の前には、しかめっ面の少女の顔があった。
金のシルクのような美しい髪が、肩の下まで垂れている。
青を基調とした、フリルの付いた可愛らしい洋服の似合う彼女は、アリスだ。
私の大事な友達である。
アリスは私が起きたのを見て、少し安堵した様に息を吐きながら身体を引いた。
背に、柔らかい感覚があった。
背後を見て、ああ、私は花畑で寝ていたのだと、そう思い出した。
「ごめん、なんだか心地よくって……綺麗なお花に包まれて、その柔らかな匂いを嗅いでると、なんだか夢見心地っていうか……」
「……綺麗なお花、ですか」
アリスが花畑へと目を向ける。
私を馬鹿にした様に、怪訝に目を細めた。
「べ、別にいいじゃない! その、なんだか昼寝したい気分だっていうか……」
「……責めてはいません。どうせ、することもないです。狩りも、料理も、ルーンは全部ボクに任せて丸投げしているといいのです」
アリスがぷいっと横を向く。
彼女は大きな銃を背負っており、手にはまるまると肥えた、茶色の鳥の足を掴んでいた。
記憶がぼうっとしているが、どうやらアリスは狩りの帰りであったらしい。
「ご、ごめん、ごめんってば!」
「ついでに食事も全てボクに任せているといいです。ルーンの分も、ボクが食べておいてあげますから」
「それは死んじゃう! 死んじゃうから! ごめんなさい、ごめんなさいって!」
アリスは身を翻し、私に背を向けて、家の方へと歩いていく。
私は起き上がり、衣服についた花を払って後を追いかける。
途中でアリスが足を止め、私を振り返った。
「ルーン……匂いに、感触があるのですか?」
「え?」
「ルーンは、柔らかい匂いと言いました」
「か、感覚っていうか……そう言い表すのが一番近いと思ったと言いますか……。そ、そんな、改まって聞くことじゃなくない?」
アリスはぱちりと目を瞬かせ、こくりと頷いた。
「確かに、そうかもしれませんね。ボク、少し変なことを言いました」
アリスは小っちゃくて可愛いらしいけれど、私より頭がいいし、ずっとしっかりしている。
ただ、こういうふうに、時折ヘンなことを口にすることがある。
「あ! そういえばアリス、聞いてよ! さっき凄いヘンな夢見ちゃったの!」
「他人の夢ほど、関心をそそらない話もないですね」
アリスは溜息を吐き、また私に背を向けようとした。
「私がヘンテコな杖を持ってて、こう、なんだか鏡色の小鳥さんがぶわーって出てきて、私の目がそこら辺りにあって……うぷ……思い出したら気持ち悪くなってきた……」
断片的に思い出した要素を口にしてみたのだが、予想外に支離滅裂だった。
見ているときは、もっと整合性の取れた夢に思えたんだけどなあ……。
案外、夢なんてそういうものなのかもしれない。
見ている間は脳にフィルターみたいなのが掛かっていて、何も疑問に思わないし、不都合な記憶も持てないようになっているのだ。
「ごめん、やっぱ忘れて。私がヘンな子みたいになっちゃう」
私はぺろりと舌を出し、手を合わせてアリスに謝った。
アリスは、目を見開いて私を睨んでいた。
「そ、そこまで、可哀想な人を見る目をしなくっても……!」
「……それだけ、ですか?」
「えっ……」
「夢は、それだけ、ですか?」
真剣な顔だった。
何かを憎んでいるかのような、そんな目だった。
こんなアリスの顔は、初めて見る……。
……本当に、初めてだった?
「そ、それだけ、だけど……え、えっと、アリス、それが、何か……」
アリスは深く溜め息を吐き、顔を下げた。
また上げたときには、どこか私を小ばかにするような、いつもの顔に戻っていた。
「そんなどうでもいい話はおいておいて、とっとと行くですよ」
アリスは心底呆れた様に口にして、今度こそ身を翻すと、一人ですたすたと先に行ってしまった。
「ア、アリスが聞いたのに! のに!」
私は走って彼女の背を追いかけた。
そのとき、ぞわりと寒気を覚えた。
何かに見られているような、そんな気がしたのだ。
振り返り、空を見る。無論、そこには何もない。
「お空に、目……?」
何か思い出せそうな気がした。
だが、思考に靄がかかったように、そこで止まってしまう。
きっと、夢で何かそんなものを見たのだ。
「早く行きますよ、ルーン。本当に置いていきますよ?」
「ごっ、ごめんごめん! 待って!」
先へ行くアリスの背を、私は慌てて追いかける。




