92.処遇と腹黒
夜の追いかけっこ(命がけ)は、見ている分にはドキドキものですが、追いかけられる側にはなりたくないですね。
今日だけは、アランさんに心から同情できないアーサー君です。
追いかけっこは、アランさんの見事な真剣白刃取りで幕を閉じました。 ……チッ!
そんな訳で、今は何事かと駆けつけてくれました、敏腕メイドさんが出してくれた果実水をちびちびと飲みながら、ソファに座っております。
うん、寝間着姿の敏腕メイドさんを見れたのは、不幸中の幸いでしょうか?
まあ、最初に駆けつけた一瞬だけで、果実水を運んできてくれた時には、すでにいつものメイド服姿だったんですけどね。
あの短い時間でどうやって着替えたんでしょうか?謎は深まります。
「それで、いつから見ていたのかしら?」
ムスッとした表情でアランさんを睨むミレイア様は、かなりご立腹みたいですね。
うん、その点については俺も同意見です。
「いや、『ミレイアと呼んで』 とか、私は何も聞いてませんよ?」
「アーサー、木刀貸して……」
「俺、練兵場に穴掘ってきますね」
俺はそう言って、ミレイア様に木刀を渡し、練兵場の方に遠い視線を向けました。
「ちょ、アーサー君!今どこから木刀を出したの!っていうか、なんでそんなに息ピッタリなの!」
慌てた様子で腰を浮かせたアランさんを見て、俺はクルリと木刀を回転させ、ソファの横に置きました。
こんな所で流血騒ぎを起こしてもマズイので、わざわざ腰を下ろしたアランさんの言葉を促します。
「それで、何か進展があったのですか?」
俺の言葉で必死にミレイア様をなだめていたアランさんは、ゴホンと咳払いをして、ようやく真面目な表情を作ります。
「ああ、ハワース伯の処遇が、ついさっき決まったよ」
そう言ってディボ達の今の状態と、処罰の内容を聞きました。
「ハワース伯は引退し、家督を兄弟へ譲る事になった。それでディボ君は……」
そこで話を切ったアランさんは、小さくため息を吐いてからお茶を一口飲んでから、ゆっくりと話を続けます。
「ディボ君の処遇は随分と揉めたんだ。
処刑すべきだという話と、辺境伯家へ与える影響から、穏便に済ませるべきという意見があってね」
まあ、もっともな話ですね。
確かに罪状だけ見れば死罪で余りあるのですが、子供のしでかした事ですし、父親と刑のバランスも取れません。
それに国境付近の政治的な空白は、あまりよろしくありません。
同時に、国境を接しているアルマス王国との交易は、ほぼハワース家が握っていますので、そこを切り取ると面倒なことになります。
「それで紆余曲折あって、貴族籍を剥奪の上で辺境伯家とは絶縁。放逐という事になったよ」
うわっ、これはある意味、かなり厳しい処分ですね。
生活の手段がある俺は例外としても、箸より重いものを持った事のない、わがままな坊っちゃんが、身一つで野に放たれるのです。
これは野垂れ死ねというのと、大差ないです。
「これは正式な刑としての処遇だから、辺境伯家としては絶対に手出しできない。
王家の責任において確実に放逐される」
少し厳しい表情でそう言ったアランさんは、もう一度ため息を吐きました。
アランさんの話では、同時にウシガエルやミュアー商会の番頭についても、処刑の日取りが決まったらしいですね。
ディボは、その日に罪人達と一緒に高等法務院へ登壇させられて、刑を言い渡されるという事です。
そして刑の執行を見せてから、最低限の衣服である貫頭衣を着せられ、窓のない箱馬車に押し込まれるそうです。
王都直轄領から出た、どこかの領にて無一文で放逐されるらしいです。
わりと過酷な感じですね。お金も靴もなく道具もなし。それでどこかの荒野に放逐ですからね。
サバイバルスキルでもなければ、貴族の坊っちゃんには生き残るのは厳しいかも知れません。
「まあ、可愛そうだとは思うけど、生き延びて私の前に顔を出したら、今度こそ息の根止めてあげるわ」
いや、ミレイア様よ。どんだけディボの事、嫌いなんすか……
そもそも、今回の元凶はアンタっすよ?
「辺境伯家や取り巻き連中が、秘密裏に支援する可能性は?」
「いや、それはない。向こう10日間は辺境伯家に閉門措置が取られるし、そんな事をする利点がないよ。
それに、もしそんなことが露見したら、それこそ御家の取り潰しもあるからね」
そんな会話を交わしてから、アランさんはお茶を飲んで立ち上がります。
「さあ、随分と長いトイレになってしまいました。ミレイア様、戻りましょうか……」
「貴方のおかげで、いい雰囲気が台無しだったんだけど、それに対する謝罪や、ちょっと気を利かせるなんて真似は……」
「残念ながら、時間切れですね。本当にそうしたいのでしたら、有無を言わさず押し倒すべきでしたね」
押し倒すとか、サラッと過激なこと言いますねアランさん……
ミレイア様が、再びアワアワしてるじゃないですか。
「そもそも、こんな場面を貴族の息がかかった者に見られたら、どうなるとお思いですか?」
「それなら問題ないわ。この部屋を見張っていた連中は、全員黙らせたから」
そう言ってミレイア様は、血染めの自分の木刀をチラリと見やります。
ああ、あの血は警備の兵士さん達じゃなくて、監視者のそれでしたか……
「ええ、道すがらそうした連中は、私の方で拘束しておきましたよ」
そう言ってアランさんは、長いため息を吐きます。うん、苦労してるね。
そんなやりとりのあと、アランさんに背中を押されミレイア様が部屋の入口まで歩き出します。
なんか、ドナドナされている仔牛の雰囲気が、ミレイア様から漂ってますね。
「大丈夫ですよ。すぐにまた会えます」
アランさんが、慰めとも本気とも取れる口調で、ミレイア様にそう伝えました。
その言葉にキッとした視線をアランさんに返したミレイア様は、突然振り返って俺に抱きつきました。
「必ず、また会いましょう」
「ええ、必ず……」
短いハグでしたが、ようやく治まったドキドキが復活したのは、アーサー君の身体が若いからなのか、それとも……
こうして月夜の逢瀬は終わり、俺は再び部屋で一人になります。
ボフンとベッドに飛び込んで、天井を見上げますがさっきの感触やぬくもりが、微妙に思い出されなかなか寝付けません。
若さを持て余すって、こういうことを言うんでしょうかね?
前世ではオッサン一歩手前だった自分としては、なんだかひどく懐かしいような、奇妙な戸惑いを覚えてしまいます。
ですが、ジタバタしているうちに睡眠欲求には逆らえないらしく、いつの間にか俺は眠りに落ちていました。
翌日は色々な手続きがありまして、朝から忙しい事になりました。
目が覚めて洗面を済ませると、いつものように騎士団の稽古に出向こうとして、メイドさんに怪訝そうな顔をされてしまいます。
ああ、そうだ。ダリルさんからは今日は休んでおけと、珍しくそう言われたんでしたね。
そんな訳でいつもよりも少し早い朝食を取りまして、マッタリしていますと一人の文官さんがやって来ました。
どうやら、今回の一件に関するもろもろの報酬などを確認したいという、宰相さんからの使いのようです。
文官さんに案内されて、宰相さんの執務室に通されると、そこは書類の林でした。
机の上は書類や資料に占拠されてまして、カップを置くスペースもなさそうです。
そこで再び対面した俺と宰相さんは、互いに黒い笑顔で握手を交わし、着席しました。
そして宰相さんと独自に交わした晩餐に関する報酬の確認、それと滞在中の報酬についても話が及びます。
俺が自腹で作った刀の代金、それから稽古の報酬、その他恩賞や報奨金と額面だけでも、かなりの金額ですね。
いやはや、これは思わぬ臨時収入ですね。
最後に何かあったら、また手を貸して欲しいと言われ、俺達は再び笑顔で握手を交わしました。
うん、腹の底では何考えてるか判りませんが、利害関係がハッキリしている方が、よっぽど貴族達より信頼できますね。
何より金払いが良いのが、信頼の証です。
そうしてホクホク顔で部屋に戻ると、敏腕メイドさんから言伝を聞きました。
『今夕、アーサー様を晩餐に招待したいと陛下からのお言葉が……』
金だけもらって、さっさとトンズラという訳には、行かないみたいですね……
最後には、やっぱりラスボスが控えてました。
退路を探して、ふと敏腕メイドさんの方に目を向ければ、すでに晩餐で着る衣装を手に持ってらっしゃいます。
ざんねん、まわりこまれてしまった!
週明けまで更新ペースが落ちると思います。(多分




