4 適度な労働、適度な休養
「アリシャ、あなた顔色が悪いわ。どうしたの?」
先触れからしばらくしてエディリアーナ様が私の部屋にやってきた。ちなみに、私が17歳でエディリアーナ様が19歳。エディリアーナ様の方が年上なので私のことは呼び捨てにしてほしいとお願いしたら了承してくれた。
「エディリアーナ様……」
後宮入りしてから2週間が経過した。
初夜も先輩妻達への挨拶回りも無事に終わって読書三昧の快適な人妻ライフが始まった……始まった、はずだった。うまく言えないけど不安感に襲われて、食事が喉を通らなくなってしまったのだ。
普段から部屋に引きこもっている私の体調不良がエディリアーナ様に知られているということは5名いる侍女さんのうちの誰かがエディリアーナ様の子飼いなのだろう。ほかの侍女も誰かの子飼いだという可能性はあるけど、みんな敬意を持って働いてくれているし、知られて困るような情報は持ってないし、正妃を目指すには情報収集が必須だから子飼いが紛れていることは気にしていない。それに、大事なことはリィナにだけ相談するつもりだから今のところ問題はない。
「私、(前世から)ずっと働いていたのです」
「えぇ、そうね。分かるわ。私も幼少期からずっと教育を受けてきたもの」
「こんなにゆっくり過ごす時間は初めてなのです。このままで良いのかしら、この時間は無くなってしまうのではないかしら、と不安になってしまって……」
前世で数日の休暇を取ったとき、休み明けに自分のデスクが無くなっているのではないかと不安に駆られたことがある。そのときの感情に近いかもしれない。
「適度に働いてみるのはどう?」
「ジェスレーン様が、妻は働く必要がないとおっしゃっておりましたが……」
お迎えにきてくれた日、女性は国の宝だと説明をされた。
「働きたい女性がいる場合は周囲の人が全力でサポートするの。ここはそういう国なのよ」
「そうなのですね……でも、死ぬほどの労働は……」
「アリシャは極端すぎるわねぇ」
エディリアーナ様はフフッと微笑むと私の手を優しく握ってくれた。あぁ……エディリアーナお姉さまとお呼びしたい……
「前に話してくれたことがあるでしょう? りばぁし、だったかしら?」
「え? ボードゲームのリバーシですか?」
ジェスレーン様もエディリアーナ様も前世のことに興味があるようで、どのような暮らしをしていたか教えてほしいとお願いされたことがあった。私が転生していることを知っているのはこのお二人だけなので、ジェスレーン様が夜に私の話を聞いてエディリアーナ様に共有したり、お茶会でエディリアーナ様が聞いた話をジェスレーン様に共有したりしているらしい。
「そう、それを作ってみたらどうかしら?」
セーリオ帝国にもチェスのようなボードゲームがあって紳士に人気の遊びらしい。女性や子どもが遊べるものがないかと聞かれたときにリバーシを紹介したことがあった。
「簡単なゲームなのでしょう? アリシャは設計図とルールブックを書くだけ。あとは職人に依頼をかけるだけで誰でも楽しめるゲームが生まれるわ」
「……それなら程よい労働が出来そうです。なんだか気力が湧いてきた気が致します」
「これで安心ね。そうだわ、職人はどうしましょう、ジェスレーン様の方で選定を……」
これはエディリアーナ様の派閥メンバーとしてアピールする絶好のチャンスだ。
「こちらは出来ればエディリアーナ様のご実家、またはエディリアーナ様のお名前で製作を引き受けて下さいませんか? かなりの人気と利益が見込める商品だと思いますし、エディリアーナ様の足場固めに使ってほしいです」
「まぁ……アリシャ、ありがとう。父に連絡してみるわね」
最終的にリバーシは爆発的に売れて売れて売れまくった。貴族向けの技巧を凝らした一品、富裕層向けに丁寧に作られたもの、平民向けの簡素なもの、帝国内で使われるものや輸出用などたくさんの種類が作られた。そしてアイデア料だけでなくリバーシが一つ売れるたびに少しのお金が懐に入ってくるようになった。セーリオ帝国にも特許のような考え方があり、エディリアーナ様がしっかりと契約をしてくれたおかげだ。
――1か月後。
リバーシのように私がアイデアを出して仕様書を作り、エディリアーナ様が商品化をするという流れで様々な商品を生み出すことに成功した。国が絡みそうな重要案件はジェスレーン様とエディリアーナ様で協議をしてもらうことになっているので私は読書時間と仕事時間を上手く調整することで完全回復を果たした。
「回復したようだな」
「えぇ、ご心配をおかけしました」
今夜は久しぶりにジェスレーン様との夜を過ごしている。リバーシが作られ始めた頃にやっと落ち着いたけれど、しばらくは体調不良が続いていたせいでジェスレーン様のお渡りも中止になっていたのだ。
「仕事と自由時間をバランスよく設定することでなんとか回復ができました。商品開発を一手に引き受けて下さったエディリアーナ様と、スケジュール管理をしてくれたリィナのおかげですわ」
今日はベッドではなく長椅子に座ってお喋りをしているところだ。ジェスレーン様は今日も胸元が開いた服を着ているので目のやり場に困る。正面ではなく隣に座れて本当に良かった。
「お見舞いの本、とても嬉しかったです。ありがとう存じます」
ジェスレーン様には過去のことを知られているし、お酒で酩酊した姿を見せてしまったし、素の表情を見せてしまったので今はもう淑女の仮面をつけていない。満面の笑みで御礼を伝えると嬉しそうに笑ってくれた。
皇帝としての笑みではなく、ジェスレーン様のプライベートな笑顔を見せられて、不意に胸が高鳴った。
「アリシャが楽しめたようで良かった。あまり睡眠時間を削らぬようにな」
「はい。気を付けます」
少しの沈黙のあと、視界に影ができた。
その影は……隣に座るジェスレーン様が触れるだけのキスを落としてくれたからだった。
「なかなか授からぬものだな……」
お腹のあたりを優しく撫でられる。
ジェスレーン様とは3回ほど夜を過ごしたけれど、妊娠には至っていない。他の妻達にも同じように触れているのだと思うと、胸にチクリと何かが刺さったような気がした。
「ハーレムの弊害かもしれませんね」
「ハーレムの弊害?」
「はい。現状、妻が10名いますよね。生理や体調不良が重ならなければ10日に1回のお渡りですから……排卵日に当たらなければ意味がありませんので……」
前世では彼氏ができたことがないので結婚は当然していない。しかし、年頃の女性だったので学校の授業で習うレベルの知識や排卵日・危険日についての知識は普通に持っていた。
「排卵日?」
「えぇ。前世では医学が発展していたので妊娠しやすい期間が、ある程度ですが予測できるのです」
「……それをエディリアーナに教えることは可能か?」
ベッドイン直前のこの状況で他の妻の名前を出さないでほしいけれど、エディリアーナ様は私にとって特別な人なので先ほどのような胸の痛みは感じなかった。
「もちろんです。商品開発の前にこちらを優先するべきでしたね」
「アリシャの知識には助けられてばかりだな。何か欲しいものはないか?」
良い行動に対してご褒美をくれようとするところが皇帝らしい。この人のためなら何でもしたいという気持ちにさせられる。
「知識への報酬はエディリアーナ様が十分なほど用意してくださっています。ジェスレーン様にはたくさんの本も準備して頂きましたし、これといって希望はございませんね」
「欲のないことだ」
「きゃっ……」
ジェスレーン様に横抱きにされた。急に視界が高くなったことに驚いてしがみついてしまったものの、ジェスレーン様は楽しそうに笑うだけだった。
「妻たちには申し訳ないがハーレムは解体すべきであろうな」
「えっ……今さら追い出されても困りますよ?」
「アリシャを手放すわけがないだろう。先代に倣ってそうしただけであって、ハーレムが必須だとは思っておらぬ。現にこうして弊害が出ているだろう」
追い出される、またはイメラ王国に追い返されるわけではないみたいでホッと安堵の息を吐く。エディリアーナ様やジェスレーン様のお傍を離れるのは寂しいというのが正直な感想だった。
「なぁアリシャ」
「え? なんでしょう?」
「今日は妊娠しやすい日か?」
「き、今日は違います。それに、私は出来ればエディリアーナ様のご出産を待ちたいです」
「ははは、アリシャは忠義者だな。ここまで強くアリシャの心を射止めているエディリアーナを羨ましく思うぞ」
侍女さん達が厳選してくれたフワフワのネグリジェが、少しずつ紐を解かれていく。
「アリシャ、甘い酒は必要か?」
その意地悪な質問に思わず唇を尖らせる。
ジェスレーン様の武骨な指がゆっくりと私の唇をなぞっていった。
「あのお酒は……要りません……」
緊張をほぐす必要も、媚薬も、今の私には必要ない。
言葉にはしなかったけれど、その気持ちを伝えるようにジェスレーン様の背中に手を伸ばしてギュッと抱き着いてみせる。
「明日は午後のお茶の時間にエディリアーナ様と打ち合わせがございます」
「なるべく影響が出ないようにしよう」
ジェスレーン様なりに気遣ってくれたのだと思うけど、私が目覚めたのはお昼前だった。




