2 お薬は用法用量を守って正しく使いましょう
セーリオ帝国までは馬車で移動するのかと思っていたけど私を待っていたのは大きな乗り物だった。寝具やベッド、テーブルにソファに簡易キッチンまで備えられているため1週間程度なら問題なく生活できそうだ。前世でいうところのキャンピングカーだろうか。
「帝国にだけ生存すると言われている幻獣のおかげね。護衛の騎士に聞いてみたのだけれど馬の数百倍もの力があるそうよ。こんなことならもう少し本を積めば良かったわ」
「何を言っているんですか! 皇帝陛下はアリシャ様のお荷物の大半が本だということに驚いておられましたのに……これ以上増やすだなんて!」
帝国に嫁ぐ私についてきてくれた侍女のリィナが呆れ顔で紅茶を運んできてくれた。
「ほほほ、半分は冗談よ」
「残りの半分は本気という事ではないですか。……アリシャ様、婚約破棄をされた頃から雰囲気が変わられましたね」
核心をつく言葉にドキッとしたけどここで動揺を表に出すような鍛え方はしていない。
「そうねぇ……婚約破棄をされて肩の荷が下りたのかもしれないわ」
「婚約をしてからずっと国のために努力されていたのに……私はまだ納得できません、こんな、人質だなんて……」
「リィナ。この契約でイメラ王国を護れるのだから私は構わないわ。それが貴族の役目でもあるし」
帝国のこれまでの歴史によれば、正妃に選ばれなければ皇帝陛下が代替わりをするときまで後宮を出ることは叶わない。帝国との国境に到着したら顔を隠すヴェールを装着してジェスレーン様と共にお披露目用の馬車に乗り換える予定になっている。市街地を移動し、そのまままっすぐ後宮入りだ。
婚姻の契約は既に終わっているため儀式などは特に無い。正妃が選ばれたときだけ国を挙げてのお祝いをするそうだ。
「それに国境まではこうしてリィナと二人きりにして下さったわ」
「……はい。それでは今のうちにたくさんお喋りをしないといけませんね」
リィナは「生涯アリシャ様のお傍に居たいです」と言って私についてきてくれた。正直なところ、たった一人で国外に嫁ぐのは少し不安だったからリィナの気持ちがとても嬉しかった。それにリィナは私専属の侍女だったおかげで高レベルの教育や社交マナーを習得している。私の後ろで控えながら授業を聞いているだけでマスターするなんてポテンシャルが高すぎるわ。
数日後、無事にセーリオ帝国との国境に到着した。ジェスレーン様と会話をする余裕もないままお披露目用の馬車に乗り換えて市街地を通り抜ける。ヴェールのせいでよく見えなかったけど国民からは歓迎されているみたいで一安心した。
「アリシャ、それでは夜にまた会おう」
「皇帝陛下のお越しを心待ちにしております」
後宮に到着するとすぐに自室に案内された。広々とした部屋のなかにジェスレーン様が約束してくれた壁一面の本棚を見つけた瞬間、心が躍る。独自の連絡方法があるのかもしれないが、私が到着する前に本棚を用意してくれているとは思わなかった。帝国の男性が妻となる女性を大切にしているという話は本当らしい。
私には5名の侍女がついてくれるようだ。リィナの指示で部屋が整えられていくのを横目に本棚の整理を始めることにした。せっかくだから本の並べ方は日本の図書館と同じ方法の日本十進分類法でいこうと思う。国外から取り寄せた本はとりあえず国別にまとめておいて、読み終わったものから分類ごとに本棚に入れていくつもりだ。
「アリシャ様は旅の疲れもございましょう。本の整理は私どもでやらせて頂きます」
「ありがとう、でも分類を考えながら整理したいと思っているの。並べるときに手伝ってもらおうかしら」
「かしこまりました」
侍女さん達もみんな親切だ。私は人質のようなものだから適当に扱われるかもしれないと思っていたけど嫌われていなくて良かった。
一般的なお部屋を用意してくれていたので荷解きはすぐに終わった。調度品などは自分好みのものをこれから揃えていけば良いらしい。本棚の整理も侍女さんたちが手伝ってくれたおかげで思い通りに配置することができて今はもう幸せしかない。このままずっと本棚を眺めていたい気分だ。
夕食後はお風呂で念入りに磨き上げられた。なんでこんなに念入りなの? と思ったけどこれから初夜が待っている。そういえばジェスレーン様が「夜にまた会おう」って言っていた気がする。よく考えずに条件反射で「心待ちにしております」って返事しちゃったけど……まぁ良いか。
「アリシャ様、どの香りにいたしましょうか? 最近はこちらなどが流行っておりますよ」
肌のお手入れを終えると侍女さんたちがキャッキャウフフしながらお香を選んでくれている。なんてったって初夜だ。雰囲気づくりも大事! ということで準備万端でジェスレーン様を迎えようとしてくれているらしい。
「あなたたちに任せ……あッ! お香はだめよ!」
リィナだけは私が何を言うのか察したらしい。額に手をあてている。そういう態度はせめて私の見えないところでやってほしい。
「本に匂いが移っちゃうからお香はだめなの!」
「ほ、本、でございますか……?」
侍女さんたちはお香の入った箱を抱えながらポカーンとしている。
「そう、植物紙で作られた本はすぐに匂いが移ってしまうのよ。だから私の部屋ではお香を焚かなくても良いわ」
セーリオ帝国は平民でもお香をたしなむ女性が多いと聞く。前世には「郷に入っては郷に従え」という言葉があったけど、ごめん、無理、従えない。本が最優先。
「このベッド、良い香りだわ。石けんの香りだけで十分よ。メイドたちが洗濯を頑張ってくれたおかげね」
無理があるか!? と思ったけど侍女さんたちは後宮で働く者が褒められたことが嬉しかったようで、お香を焚くのを諦めてくれた。
「良かったらそれは皆で使ってちょうだい。今日の荷解きを頑張ってくれたご褒美よ」
皇帝陛下の妻が使うものだから最高品質のお香だ。侍女さんたちは大喜びで受け取ってくれた。
「私どもは下がらせて頂きます。何かございましたらベルでお呼びくださいませ」
リィナを含む侍女さんたちが一糸乱れぬ動きで頭を下げてから退室していくのを見届けて、ゆっくりとベッドに腰掛ける。ベッドサイドテーブルには3種類の水差しが置かれていた。ジェスレーン様の好きなお酒、普通の水、どうしても緊張が解けないときに飲むための甘いお酒を用意してくれたようだ。
イメラ王国でのお妃教育では子作りの際の注意事項として「淑女らしくして殿下に身を任せるように」としか教わっていない。もしかしたら結婚したあとで詳しい閨教育があったのかもしれないけど婚約破棄された今となってはそれを知る由もない。
「はぁ……緊張してきた」
侍女さんたちが下がったときにこちらの準備が整ったということがお知らせされるだろう。ジェスレーン様は間もなく到着するはずだ。夜のアレコレは前世でも経験がなかったせいか緊張が凄いことになっていて心臓がドコドコと早鐘を打っている。緊張を解すためのお酒を飲むかどうか迷っていたところ、ジェスレーン様がやってきた。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます」
ふわふわした素材で作られた可愛らしいネグリジェのスカート部分を持ち上げて、頭を下げて挨拶をしたけど返事がない。不敬になるかな? と思ったけど返事をもらう前に顔を上げてみればジェスレーン様は不思議そうな表情を浮かべて室内を見回していた。
「あの……皇帝陛下? どうされました?」
「あぁ、すまない、香が焚かれていない部屋を初めて見たものだから。それに本棚もさっそく使っているのだな」
ジェスレーン様は本棚の前に移動すると興味津々といった様子で私の蔵書を眺めている。とりあえず後ろからついていって説明をすることにした。
「皇帝陛下が本棚を作ってくださったおかげで今日のうちに整理することが出来ましたの。本当にありがとう存じます。香を焚くと本に匂いが移ってしまいますでしょう? そのような理由で私の部屋では使わないのです」
満面の笑みで説明したせいかもしれない。ジェスレーン様はキョトンとした表情で私を見下ろしている。それから数秒後、クツクツと喉を鳴らして笑い出した。
「なるほど、そういうことか」
「申し訳ありませんが、これだけは絶対に譲れませんの。でも……ほら、石けんの良い香りがしますでしょう?」
ベッドにたくさん置かれている枕を一つ手渡してみるとジェスレーン様がもう一度「なるほどな」と理解を示してくれた。
「たまにはこういうのも悪くない」
「ベッドにおかけになってくださいませ。お酒をお持ちします」
よし、今の会話で緊張が少しだけ和らいだ気がする。このままの勢いで初夜を乗り切るわ。
「どうぞ」
「あぁ、頂こう」
サイドテーブルに載せられた3種類の飲み物は既に毒見が済んでいる。ジェスレーン様も抵抗することなく飲んでくれた。
「アリシャ」
「はい」
「そなたは私の妻だ。今この時より我が名を呼ぶことを許そう」
あまりの色気に心臓がギュッってなった。
深みのある声も、整えられた短髪も、筋骨隆々な肉体も、全てが整いすぎていて少し怖いぐらい。今のジェスレーン様は胸元が大きく開いた服を着ている。その胸元が、褐色の肌が、室内の柔らかな灯りに照らされていて凄くセクシーだ。ジェスレーン様の姿が視界に入るだけで何も考えられなくなってしまう。
「ピェ……」
緊張しすぎて変な声が出た。
ここは「光栄にございます」とか「ありがたき幸せにございます」とか答えないといけないのに鳥みたいな啼き声を上げてしまった。
「呼んでみなさい」
その存在感だけで頬が染まる。それどころか、ジェスレーン様の言葉だけで顔が真っ赤になってしまったのが分かった。顔を作らなければ、と思うのに問答無用で淑女の仮面がはがされる。
「ジェ、ス、レーン、様……」
「良い子だ」
小さく微笑んだ後、頭を撫でてくれた。
それから……軽く、本当に軽く、触れるだけの口づけをされた。
「大丈夫か?」
「メェ……」
今度は羊みたいな声が出た。
今の「大丈夫か?」は、このまま初夜に突入して良いかどうかの最終確認だ。本当なら「はい」とか「えぇ」とかお返事しなければならなかったのに。
「ちょ、ちょっとだけお待ちください、心の準備を致します」
ジェスレーン様の返事を待つよりも早く『どうしても緊張が解けないときに飲むための甘いお酒』を手に取った。緊張がピークに達していたのと、早く準備をしないといけないという焦りがあったせいかもしれない。コップに移さずに水差しから直でゴクゴクと飲んでしまった。
まさかのラッパ飲みである。
「お、おい、何して……」
突然の奇行にジェスレーン様も動揺しておられる。当然だ。私も令嬢が水差しに口付けてラッパ飲みしているところなんて見たことないわ。
「目の奥がチカチカします……」
それだけじゃない、なにか、身体の奥が熱くなってきたような気がする。自分の意志とは無関係に心臓がドキドキして息が上がってきた。
「アリシャ、水を飲むんだ」
ジェスレーン様は少し焦った様子でコップに注いだ水を飲ませてくれた。一瞬、熱が消えたような気がしたけどすぐに元の状態に戻ってしまう。緊張を解すどころか異常な感じになってしまっているのだが……これは飲んだらいけないやつだったのだろうか。
「飲んでしまったものは仕方がない」
優しく抱き上げられて、壊れ物を扱うような繊細な動きでベッドに寝かされる。ジェスレーン様は困ったような表情で私の頬を撫でてくれた。
「ん……」
ジェスレーン様に触れられただけで身体がビクッと反応してしまう。どんどん息が上がって、お腹の辺りに熱がこもってくるような感覚に襲われた。
「ぁ……、ジェスレーン様、これ、なに……? こわい、身体が熱くて、へんになりそう……」
頭がグラグラするせいで淑女の仮面を被れない。素の私が出てきてしまう。
「これは……妻の拒絶が酷い時、心身の負担を減らすために飲ませるものだ。催淫剤や媚薬といえば分かるか?」
「どうしたら、いいの……? これ、治るの……?」
「何度か達せば治まるだろう。アリシャは何もせずに感じていればいい」
もう何も考えられなかった。
私はイメラ王国の妃教育で習った通り「身を任せる」ことにした。
翌日、目を覚ます頃には太陽が真上にあがっていた。どうやら昼過ぎまで爆睡していたらしい。私は目覚めのハーブティーを頂きながらグッタリしているけど侍女さんたちは浮ついた雰囲気でシーツの交換をしてくれている。
なにが『どうしても緊張が解けないときに飲むための甘いお酒』だ!
ただの媚薬じゃないか! 1回の使用量とか説明してけ!
お薬は用法用量を守って正しくお使い下さいが基本だろうが! 途中から記憶がアヤフヤだけど初夜なのに酷い目に遭った気分だよ! 室内で干からびるかと思った!
「リィナ、今日は本を読むわ」
「かしこまりました」
リィナが今後について説明してくれたけど今日は自由に過ごして良いらしい。その代わり、明日から9日間かけて第1夫人から順番に挨拶をしにいかなければならないようだ。1日1人、それも短時間で済むから負担ではない。正妃は狙っていないこと、人質としての後宮入りだと理解していることを全面的にアピールしていこうと考えている。
この挨拶さえ済めば引きこもり生活のスタートだ。本という本を読んで読んで読みまくってやる。
「次に皇帝陛下がお渡りになるのは第9夫人への挨拶が終わった日ですね」
「10日に1回だから分かりやすいわね。……リィナ」
「はい」
他の侍女さんたちに聞こえないように小さな声で「緊張を解すお酒は絶対に要らない」と念を押しておいた。
気をつけて書きましたが、良くない表現などありましたらすぐに修正します。




