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9 侍女リィナから見たアリシャ

「事業にかかる資金はお父様が援助します。その代わり、リィナを頂くわ」


 上級貴族の娘であるアリシャ様は私を見て美しく微笑んだ。それが私とアリシャ様の出会いだった。

 学園の3年目が修了し、学年最優秀の成績表を手にして帰宅したところ父から『事業が失敗した。うちはもう没落するしかない』と告げられた。母や兄は先に知らされていたようでどちらも暗い顔をしていた。


 14歳の自分が平民になって何が出来るだろう。せめて学園を卒業したという実績があれば家庭教師として生きる道があったのに、そんな事を考えていたらアリシャ様が突然我が家を訪ねてきたのだ。


 本当に突然だったけれど、事業のやり方を変えれば軌道に乗ること、資金援助の代わりとして私を行儀見習いに出すようにと説明がされた。侍女見習いとして働きながら学園を卒業することが条件だったけれど、既に学園で習う範囲の勉強は済んでいたので何も問題は無かった。




「アリシャ様はなぜ私のような者の事を知っていたのでしょう」


 アリシャ様の屋敷で働くようになってからもその疑問はずっと残っていた。たまたま、執事のダニエルさんのお手伝いをすることがあったので休憩時間に尋ねてみたところ経緯を教えてもらうことができた。


「リィナはサミュエル様と同学年ですね?」

「はい。お話したことはありませんが……」


 アリシャ様のお兄様であるサミュエル様とは同学年だけれど、上級貴族と中級貴族では使用する教室が違うので会話をしたことは無かった。


「サミュエル様が『中級貴族にリィナという優秀な女子がいるのに実家の都合で退学になりそうなんだ、勿体ないことだよ』とお話されたことが切っ掛けでした」

「え? 我が家の事業が失敗したことはそんなに早く知られていたのですか……?」

「貴族社会において情報を摑む速さは何よりも重要ですからね。それに興味を持ったアリシャ様が事業の内容とリィナの成績を精査して旦那様に資金援助を頼んだのですよ」


 意味が分からない。

 アリシャ様はまだ9歳だ。第1王子の婚約者として王妃教育を受けているから優秀であることは知っているけれど、9歳の女の子が資金援助を決めるなんてあり得るだろうか? しかも、9歳の女の子が言い出した言葉をそのまま受け入れる旦那様って……?


「混乱していますね」

「……すみません」

「アリシャ様の才能に触れた者は必ずそうなります。直に慣れますよ」


 ダニエルさんはそう言って笑っていたけれど、私はすぐに『アリシャ様の才能』に触れることになった。



「まぁ、お父様、船乗りの病って正式には壊血病っていうのよ。食事で何とかなるわ。柑橘類とかキャベツの塩漬けが効くんじゃなかったかしら?」


「サミュエルお兄様、ふわふわのパンを食べたいのなら天然酵母よ。レーズンとかライ麦粉を使うの。詳しい作り方? ふふ、よく知らないけど果物についたイースト菌を自然に培養する必要があるらしいわ」


「お母様、それってカカオ豆のことじゃない? 今のうちに買い付けておいた方が良いわ。時間がかかるけどすっごく美味しいお菓子ができるのよ」



 家族の会話の中でアリシャ様がポロっと零した言葉が大変な利益を生む瞬間を何度も目の当たりにした。アリシャ様に『なぜそんなことを知っているのですか?』と尋ねてみると、きょとんとして『分からないわ』と言ったあと『でも、知ってるのよね』と笑われた。


 このような事が何度も続いたので多少のことでは驚かなくなった。直に慣れる、ダニエルさんの言うとおりだった。



「リィナ、もしかしてだけど学園の学習範囲を終えているのではなくて?」

「は、はい。なぜお分かりになるのですか?」

「だって屋敷にいる間は私の侍女見習いとして働いているのに、ちっとも成績が落ちていないんだもの」


 学園の4年生を修了して学年最優秀の成績表を持ち帰ると、それを確認したアリシャ様に質問された。


「実家に兄が使っていた教科書がありましたので、学習自体は終わっています」

「やっぱりね。今すぐ学園を卒業する方法があるとしたらどうする? あぁ、でも友達と過ごす時間も大事よね」

「その方法があるなら今すぐにでも卒業したいです。仲の良い友達もいませんし……」


 男子より優秀な成績を取るせいで中級貴族のクラスでは浮いた存在だった。可愛げのない女だと思われているようで男子からも距離を置かれている。


「それなら飛び級してさっさと卒業しましょう。お父様にお願いしておくから卒業試験だけ受けてちょうだい」

「飛び級、ですか?」

「そう。学年を飛び越えるの」


 聞いたことのない単語だったけれど、これもまたアリシャ様の才能だろう。


「アリシャ様は家の中では様々な助言をしてくださいますが、外ではあまりそういった事をなさいませんね」


 10歳になったアリシャ様は奥様に連れられてたくさんのお茶会に出席しているが、才能を感じさせるような発言をされることはほとんどない。何か思いついた様子でも帰宅してから家族の誰かに伝えるようにしていた。


「だって注目を浴びたら面倒でしょう? 外では猫を被っているのよ」

「猫、を……被るのですか?」

「うふふ、本性を隠して外ではおとなしくすることを猫被りって言うの」

「面白い言葉ですね」


 アリシャ様の助言通り、学園を飛び級で卒業した私はアリシャ様の専属侍女となることが出来た。アリシャ様は幼少期から王妃教育を受けていたので私も侍女として王城に同行することが許されたのだ。飛び級を選択して本当に良かった。


 アリシャ様は多忙ながらも充実した日々を送っていたけれど、異変が起きたのは12歳になって学園生活が始まった頃だった。周囲に優秀さが認められて評価をされていくアリシャ様に引け目を感じたのか、セラス殿下が公務をサボりだしたのだ!

 アリシャ様は『頼りないところがあるけれど、悪い人ではないわ。私が支えてあげたら上手くバランスが取れるわよ』なんて悠長に笑っていたが、笑いごとではない。バランスを取るどころかアリシャ様にだけ負担が一気に押し寄せてきたのだから。


 アリシャ様とセラス殿下が学園の最終学年になった年、下級貴族のイレーネという娘が編入してきた。セラス殿下を筆頭に上級貴族の子息達がその娘に夢中になっているという報告が上がってきたとき、セーリオ帝国との平和協定を結ぶかどうかの協議が始まった。


 アリシャ様は当事者であるため会議に参加することが許されていた。私もちゃっかりアリシャ様の後ろについていったので会議の内容を知ることが出来たのだ。

 平和協定を結ぶには皇帝陛下の妻となる女性を差し出す必要がある。王家に適齢期の女性がいないことから、白羽の矢が立ったのはアリシャ様だった。


 セーリオ帝国との平和協定、通常の公務、セーリオ帝国のことを予習する、いくつかの事を同時進行する必要があったせいでセラス殿下のことを後回しにしていた。下級貴族の娘に夢中になっている事は報告があったけれど、何を言っても聞かないから放置していたのだ。

 そのうちアリシャ様がイレーネを虐めているという根も葉もない噂が広まりだした。アリシャ様は『もう卒業だから放置で良いわ』と更に放置していたところ、セラス殿下が卒業パーティーで婚約破棄を突きつけてきたのだ。アリシャ様は冷静に『分かりました』と返事をしていた。婚約は解消する予定だったから何の問題もなかった。


 アリシャ様が『被っていた猫』を投げ捨てたのはこの頃だ。


「リィナ、本を買うわよ!」

「本はもう十分です!」

「駄目よ! 足りないわ!」


 隠していた本性をさらけ出して自由に振る舞うアリシャ様を見ていると心がぽかぽかしてくる。厳しい王妃教育を続け、セラス殿下の分まで公務を担って、息抜きをすることも出来なかったアリシャ様が生き生きと輝いているのだ。


 私がセーリオ帝国にお供したいと願い出たときはとても喜んでくれて、私も嬉しかった。色んな思いが込み上げてきて二人でちょっとだけ泣いたのは良い思い出だ。




「ねぇリィナ、新作のお菓子が届いたの。試食してみない?」

「ありがとうございます。あぁ、美味しい……このままだとお仕着せがきつくなってしまいます……」

「大丈夫よ! ダイエットの本を出版しようと思っているの」

「ダイエット、ですか?」

「体重を減少させたり、健康的にサイズダウンさせたりすることをダイエットって呼ぶの。その方法をまとめたものを本にするわ!」

「アリシャ様、お顔がニマニマしていますよ」


 アリシャ様の才能に触れる日々はセーリオ帝国に来た今でも続いている。幼少の頃から不思議な発言で周囲を驚かせ、そして数々の恩恵をもたらしたアリシャ様。そのアリシャ様が作り出していく道は、きっとキラキラと美しく輝いていることだろう。



セーリオ帝国のお話はこれでおしまいです。

最後までお付き合い頂きありがとうございました。

次のページは登場人物の一覧、設定、その後などをまとめたものです。

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