7 第1夫人エディリアーナ
「エディリアーナ、しっかり学びなさい。お前は皇帝の妻となるのだから」
「素晴らしい成績です。セーリオ帝国の正妃となるのはエディリアーナ様でしょう」
後宮入りするまでの間に何度この言葉を聞かされてきただろう。物心ついたときから屋敷にはたくさんの教師が出入りしていた。セーリオ帝国の正妃となるためには淑女教育だけでなく歴史や経済などの幅広い分野までカバーする必要があった。
セーリオ帝国の正妃は上級貴族出身の女性だが、皇帝にお手付きにされた使用人まで含めるとハーレムには18人の妻がいる。これだけの数の妻がいるということは、後宮で誕生する皇子や皇女の数は更に上をいくわけで……私は『皇帝となる男の妻』という立場を目指して学び続けていた。
次期皇帝になるのが第1皇子だと決まっていたら私も動きやすかっただろう。けれど、セーリオ帝国は生まれた順番や母親の身分に関係なく力のある男子が皇帝となるのが習わしだ。
皇子が参加するパーティーやお茶会には毎回出席していたが、いかんせん数が多すぎる。父や母の話によると上級貴族から嫁いできた母をもつ皇子たちが有力候補だろうという事だった。
自分なりに情報収集をしつつ、誰が皇帝になっても対応できるように浅く広くの交流をしてきたが、私が17歳になった時に情勢が一変した。
何の前触れもなく、皇帝が崩御したのだ。
表向きには心臓の病だったという発表がされたけれど、後になってジェスレーン様に教えてもらったところ、お気に入りの妻の部屋で腹上死したらしかった。
皇帝の崩御で混乱しているところへ攻め込んできた隣国を返り討ちにしたのがジェスレーン様だった。当時24歳だった第7皇子のジェスレーン様は自らが所属していた帝国騎士団を率いて見事に勝利を勝ち取ったのだ。そして、帝国民からの圧倒的な支持を得て新たな皇帝となった。
第1夫人の打診があったのはジェスレーン様が即位してすぐの事だった。
「エディリアーナは皇帝の妻となるために育てたのだ。必ず正妃になりなさい」
「エディリアーナは正妃になるわ。私の娘だもの」
両親からの言葉を受けて後宮入りした日、恙なく初夜を終え、ようやく息を吐くことが出来た。
その後も続々と上級貴族の娘たちがハーレムに加わったけれど、戦争や平和協定でジェスレーン様が留守になる際の仕事を内密に引き受けていたのは私だけだった。
ジェスレーン様との会話も政治的な内容が多く、政略結婚をした両親と同じような関係性が築かれていたと思う。正妃になるのは私しかいないだろう、という思いを抱えたままジェスレーン様の仕事を手伝い、ハーレム内の序列を崩さないよう調整している間に3年という時間が過ぎた。
「エディリアーナ、ちょっと良いか?」
「まぁ、どうしましたか?」
ジェスレーン様が先触れもなく私の部屋を訪れたのは、第10夫人のアリシャ様が後宮入りした翌日のことだった。
「まぁ! 先触れも無しにいらっしゃるなんて! 皇帝陛下、私とエディリアーナ様のお茶会を邪魔するなんて酷いですわ!」
「ユーリエ、すまぬが席を外してくれ」
ユーリエは私を慕って後宮入りした女性なのでジェスレーン様に対しては基本的に塩対応をしているようだ。それに、名前を呼ぶことを許されていても頑なに『皇帝陛下』と呼び続けている。
お茶会の最中だったこともありユーリエは不満の表情を隠すことなく抗議し始めた。ユーリエの実家が莫大な資金援助をしているのでジェスレーン様もユーリエの態度を咎めることは無い。
「埋め合わせは明日の夜でどうだ?」
「……そういうことでしたら仕方ありませんわね。エディリアーナ様、明日の夜にお会いできるのを楽しみにしていますわ」
明日の夜はユーリエが閨を行う日だ。それを免除すると言われ、ユーリエは上機嫌で退室していった。
「ジェスレーン様、なにか緊急の御用ですか?」
「面白いことがあったのだ」
ユーリエが座っていた場所に腰を下ろすとジェスレーン様は昨夜の出来事を話してくれた。
「アリシャが話してくれたのだが……」
第10夫人アリシャ様は『緊張が解けないときに飲むお酒』を一気飲みし、初夜を執り行った後に酩酊状態となって自分のことを話しだしたらしい。ジェスレーン様が上手く誘導して質問をしてみると驚くべきことが分かった。
「女神様の花園より以前の記憶……ですか」
「かなり文明が発達していたようだ。そこで乙女ゲームなるものの中にセーリオ帝国の未来の様子が描かれていたそうだ」
アリシャ様の話によると、ハーレムの女性とトラブルを起こしてアリシャ様がイメラ王国に追い返されるのだが、その際に第1王子セラスの友人としてやってくるイレーネという娘がジェスレーン様に気に入られて正妃となる……らしい。
「ジェスレーン様が初対面の娘を正妃にするとは思えませんわね」
「うむ。そのイレーネという娘のことは放っておくつもりだ。イメラ王国で姿を見たが……あれはソニアの妹と同類だな。かなり頭が弱そうだった」
「そのような娘に王妃候補の座を奪われてさぞかし辛かったでしょうね」
「いや? 最後の仕事として国のためになる事ができた、後宮では読書三昧の人妻ライフを送りたいと張り切っていたぞ」
私と同じように『王の妻』となるためだけに学び続けてきた女性。冤罪で婚約破棄をされ、こうしてセーリオ帝国までやってきて辛い思いをしているだろうと思っていたが、そうではなかったらしい。
自分と同じだ。彼女の中では『国のトップに立つ男の妻になる』という事は、ただの貴族としての義務だったのだ。そこに恋愛感情は存在していない。
「アリシャ様とは気が合いそう」
ぽつりと呟いた言葉にジェスレーン様は笑って頷いた。
「アリシャの国の言葉で女神様の花園より以前の記憶を『前世』というらしいが、その『前世』の文明が素晴らしくてな。出来ることから取り入れてみたいと思うのだ。アリシャと話してみてくれぬか?」
「えぇ。私も興味があります。今夜は体調不良という事にしますので、もう少し詳しいことを聞いてきてくださいませんか?」
そうお願いしてみるとジェスレーン様は二つ返事で了承して執務室へと戻っていった。
「マリベル」
「はい」
「明日、第10夫人のアリシャ様が挨拶に来るでしょう? 髪飾りを一つ用意してちょうだい」
「よろしいのですか?」
「えぇ、きっと必要になるわ」
アリシャ様が私と同じ感覚を持っていれば、ジェスレーン様からの話を聞いた時点で正妃候補が誰なのか察するだろう。後宮での平穏な生活を望むならば、私の派閥に入りたいと申し出てくるはずだ。
私の紋章としている花を模した髪飾り、それを身に着けていれば一目で私の派閥に入ったことが分かる。きっとアリシャ様に渡すことになるだろう。
それからの日々は目まぐるしく過ぎていった。
ある日「エディリアーナ様、どうか私のことはアリシャと呼んでください」とお願いされ、断る理由もなかったので了承した。ユーリエとは違うタイプの慕われ方に、妹がいたらこんな感じだったのかも、と考えたことは何度もあった。
アリシャが仕様書を作り、私の実家の力を借りて商品化したリバーシは帝国だけでなく様々な国で愛されるようになった。私が正妃になるための基盤となる事業だったので父は協力を惜しまなかったし、母は社交界で宣伝する役目を担ってくれた。
搾取するだけの関係にはなりたくなかったのでアリシャにアイデア料が入るような契約をするだけでなく、アリシャが発案者であることを公表するようにした。
アリシャがもたらした知識によってジェスレーン様の子を宿したものの、体内に自分とは別の生命があるという状態にはなかなか慣れることが出来なかった。アリシャが次々に発明してくれる『マタニティグッズ』にどれだけ助けられたことか……あと、フライドポテト。あれは良い。フライドポテトはとても素晴らしい食べ物だった。
つわりは酷かったけれど、アリシャに『働いていた方が気晴らしになるかもしれませんよ』とアドバイスをされ、無理のない範囲で仕事を続けていた。
次々に生まれる新しい商品や新しい技術のおかげで雇用が増え、帝国民の生活が豊かに変わっていくのを感じていた。実家からの手紙には『エディリアーナ様こそ正妃にふさわしいという声が各地から聞こえてくる』と毎回のように書かれ、その後には必ず褒め言葉が綴られていた。
私が貴族としての義務で動いているように、両親も『正妃となる娘を育てる』という義務で動いているのだろう。利害が一致しているので思うところは特にない。そう思えるようになったのは、後宮での生活が充実しているおかげだろう。




