5 帝国男子の愛は重い、とても重い
セーリオ帝国の正妃と寵妃が決定して後宮が解体されたので、城内では様々な場所で改装工事が行われている。アリシャ様から改装工事が落ち着くまでは商品開発の会議をお休みすると言われたので最近はずっと図書室に入り浸って『メンデルの法則』についての理解を深めているところだ。
アリシャ様が『前世』のことをお話してくれたおかげで『遺伝』についての情報を得ることができて本当に助かった。アリシャ様から聞いた話、本から得られた内容、自分なりに考えた内容をまとめて論文を書いているのだけど、空き時間に実験ができるようにスケジュールを調整してみようと考えている。
「ソニア様、今日も調べものですか?」
「あら、エリュード。最近よく会うわね」
小声で話しかけてきたのは筆頭文官のエリュードだ。部下に来させるのではなく、本人が図書室まで出向いてくるという行動は上級貴族にしては珍しい。
「ここの図書室は蔵書が豊かで助かるわ。エリュードも調べものかしら?」
エリュードとは平和協定のときの縁があるだけでなく、こうして図書室で会うたびに会話をするようになったので今では普通に接することができる。騎士とは違う小柄な体格や、美しい顔に長い髪という中性的な容姿の影響も大きいかもしれない。
「いえ、資料として使った本を戻しにきたのです。ソニア様はいつも熱心に調べものをされていますね。差し支えなければどのような事を研究されているのか窺っても良いでしょうか?」
「アリシャ様に教えて頂いたのだけれど『遺伝』という概念について調べているの」
「遺伝、でございますか?」
アリシャ様が説明してくれたように、親の特徴が子どもに受け継がれることを『遺伝』と呼ぶのだと話してみた。アリシャ様の前世のことは話せないので誤魔化しながらだったけれど、少ない情報でもエリュードはすぐに理解してくれた。
「アリシャ様の知識には毎回驚いておりますが……その知識を更に極めようと研究されているソニア様も本当に素晴らしいです」
「ふふ……エンドウ豆で実験をしてみると良いと言われたので空き時間にやってみようと思っているの」
「あぁ、それなら私の記録も役に立つかもしれません」
エリュードは『本を戻してきます』と断ってからカウンターで返却の手続きを済ませると、すぐに戻ってきてくれた。
「私は4人兄弟の末っ子なのですが、私だけこのように小柄で……騎士を輩出している家系なのに何故だろうとずいぶん悩んだ事があるのです」
「まぁ……そんなことが……」
「騎士になることを諦めて文官になろうと決意したのが10年前……14歳のときでしたね」
勝手に同年代だと思っていたけれどエリュードは24歳だった。童顔のせいか、かなり幼く見える。
「その時に一族の身長を調べたことがあるのですよ。親族に話を聞いて回って、数代前まで遡って記録したものが残っています。記録のついでに髪の色や目の色も記載してありますので資料として役に立つのではありませんか?」
「凄いわ! すぐにでも見せて欲しいくらい!」
図書室にいることを忘れて大きな声を出してしまい、慌てて司書に謝罪した。エンドウ豆で実験する前に実際の人間で確認したデータに出会えると思わなかったので本当に嬉しかった。
「私の執務室にありますのでお貸ししますよ。ソニア様にお見せしたいものもありますので、宜しければ執務室までお越しください」
「えぇ、喜んで伺うわ」
私の後ろに控えていたフェリシアが本やノートを片付け始めると、エリュードが声をかけていた。
「ソニア様は私が自室までお送りするから君は先に戻っていて構わないよ。今でも鍛錬は続けているから、いざという時は私がソニア様を避難場所まで護衛する」
「かしこまりました」
フェリシアに見送られてエリュードの執務室に向かうことにした。今日は午後からずっと図書室に居たから気が付かなかったけれど、窓の外は夕焼けで赤く染まっていた。
「夕日がきれいね」
「えぇ」
「エリュードの色だわ」
「……?」
エリュードの髪の色と窓から見える夕焼けの色が重なって、とても美しく見えた。
「ソニア様の御髪も美しいですよ」
「ふふ……お世辞をありがとう」
「お世辞ではありません。私は栗が大好物なのです」
「そうなの?」
「えぇ。ですから、ソニア様の栗色の御髪も素敵だと思っています」
まるで女性と一緒にいるような安心感。
アリシャ様と過ごすときのように他愛もない会話をしながら歩いているとエリュードの執務室に到着した。
「扉は開けておきますね」
執務室の扉を全開にした状態で中に入ることを促された。エリュードに対してそういった心配はしていないけれど、その心遣いが嬉しかった。
「確かこの辺りに……」
エリュードが本棚を探している間、執務室を眺めていると不思議な感覚になった。
(……この場所、見覚えがある)
「エリュード、この執務室は……」
「ソニア様の許可を頂いてから、と思ったのですが……」
記録していたノートが見つかったのか、エリュードが私の前に戻ってきた。
「ここはソニア様の執務室を参考にさせて頂きました」
「私の……?」
あの日、別れを告げた場所。
「あの日、ソニア様の執務室に入った瞬間に受けた衝撃を今でも鮮明に覚えています」
5年を過ごした執務室。
希望を持った場所で、絶望を知った場所でもあった。
「動線を配慮して整えらえた通路幅、効率を考えて配置された書類棚、丁寧に分類された資料、引継ぎのために分かりやすく整頓された案件……そのどれもが美しかったのです」
私だけの居場所であり、牢獄でもあった。
「ソニア様の執務室はまるで宝石箱のようでした」
「エリュード……」
ぽろり、と、一筋の涙が頬を伝い落ちていく。
「ソニア様、も、申し訳ございません……! 嫌なことを思い出させてしまいました!」
「いいえ、違うの、エリュードの言葉が嬉しくて……」
慌てた様子のエリュードが懐からハンカチを取り出して、そっと涙を拭ってくれた。
「私は、私の執務室を、牢獄のようだと思っていたわ……それを、エリュードは、宝石箱と言ってくれるのね……」
「可能であればソニア様の執務室をそのまま帝国に持ち帰りたいとさえ思っていましたよ」
「ふふ……いくらなんでもそれは無理よ」
あぁ、なぜ忘れていたのだろう。
『この執務室を見るだけでソニア様がどれだけ優秀な方か理解できる。口頭で指示があるだけありがたいと思え』
私の努力を初めて認めてくれたのは、目の前にいるこの人だったのに……
「エリュード、ありがとう」
ハーレムが解体された後の希望を聞かれたとき、エリュードは結婚相手として『もしよろしければ上級貴族出身の文官などは……』と提案してくれた。
栗色の髪を美しいと言ってくれた、私の執務室を宝石箱だと言ってくれた、上級貴族出身のエリュードとの結婚を希望することは、許されるかしら。
「ソニア様、私と結婚しませんか?」
「えっ?」
「私と結婚すると良いことがたくさんあるのですよ」
「えっ?」
なぜだろう。
私がプロポーズしようとしたらプレゼンが始まった。
「まず、アリシャ様と同じタイミングでの懐妊をお約束します。皇帝陛下のスケジュールは私が管理しておりますので」
「それは魅力的ね……?」
「アリシャ様と同じ時期にマタニティライフを送りたくはありませんか?」
「それも楽しそう」
「アリシャ様と同じ時期に子育ての喜びや悩みを共有したくはありませんか?」
「私の知識がアリシャ様の助けになるかも……」
「もしアリシャ様のお子様とソニア様のお子様が結婚、ということになったら名実ともに家族に!」
「ちょ、ちょっと待ってエリュード!」
畳み掛けるようにプレゼンを強行してくるエリュードの胸に両手を置いてみるとピタリと止まってくれた。
「あなたと一緒になりたいわ。……でもね、アリシャ様のことが理由ではないのよ。私は、私の事を大切に思ってくれていたエリュードと結婚したいと思ったの」
「ソニア様、求婚を受け入れて下さるのですね?」
「誰にも愛されないと思っていた私を、ここまで大切にしてくれたエリュードの気持ちに応えたいわ」
優しく引き寄せられて、包み込むように抱きしめられた。
エリュードと私の身長はそんなに変わらない。私と同じように小柄な体格だけれど、エリュードの身体には筋肉がついていて、ちゃんと男性の身体だった。
――パチパチパチパチ
全開にしていた扉から拍手が聞こえてきた。慌てて身体を離すとそこには見慣れた3人が立っている。
「皇帝陛下、エディリアーナ様、アリシャ様。覗き見はお行儀が悪いですよ」
エリュードがジト目で抗議するけれど、3人は楽しそうに笑うだけで全く聞いていなかった。
「まぁ、酷いわね。フェリシアが『お二人に動きがありそう』なんて報告をするから私たちここまで早歩きで来たのよ?」
「ソニアが幸せになる瞬間を見られて良かったわ!」
「エリュードも初恋が実って良かったではないか」
色々と指摘をしたいことがあるけれど、今は嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちがいっぱいで言葉が出てこない。
「ソニア、帝国男子の愛は重いぞ」
「皇帝陛下! 余計なことは言わないでくださいよ」
「ソニアが虐げられていたことや文官が事務仕事をソニアに全て押し付けていた事実をルーティ国の民衆に『噂話』として広めるよう指示を出しただろう?」
「ぐぅっ……」
皇帝陛下は楽しそうに話しているけれど、その内容が衝撃的すぎて開いた口が塞がらない。
「粗末な服を着て嫁入りするソニアの様子は多くの民が目撃したからな。噂話は一気に広がり、自分たちと同じような容姿を持つソニアを虐げていたことへの不満が爆発、文官共はソニアが抜けた穴を埋めることが出来ずに城内は大混乱だったらしい」
「国王は退位して王弟の長男が後を継ぐのよね。ついでに国庫を空にする勢いで浪費を繰り返していた娘は国王夫妻が住む小さな領地に幽閉されたそうよ」
「それと、ソニアを虐げていたメイド達の名前も漏れなく公表されたと聞きました。王族への不敬罪ですから無事ではいられないでしょうね」
民からの不満が高まって国王は退位、国王夫妻は小さな領地に押し込められて、ついでにエリスまで幽閉? メイド達は不敬罪に問われる? 情報量が多すぎて一瞬だけ意識が飛んだ。あと、アリシャ様が『ざまぁが完璧すぎる』って呟いていたのが気になった。あとでどういう意味か聞いてみよう。
「ソニア。エリュードは愛が重いが、その重さゆえに決して裏切ることはない。安心して愛されるが良い」
「結婚式が楽しみねぇ~」
「ウェディングドレスのデザインを考えないと! エディリアーナ様、ブライダル部門の立ち上げが必要です」
「アリシャ、顔がニマニマしてるわよ」
用は済んだと言わんばかりに皇帝陛下がドアを閉めると、楽しそうにお喋りをしながら廊下の向こう側に移動していく様子が伝わってきた。
「エリュード、私のために……?」
「申し訳ありません。ソニア様が心を痛めていると思って密かに事を進めていたのですが、まさかこのような形で知られてしまうとは……」
「こんな事を言ったらいけないと思うけど、胸の中にあったモヤモヤが無くなってスッキリしたような気持ちになったわ。エリュード、私のために動いてくれて本当にありがとう」
眉を下げてシュンとした様子のエリュードだったけれど、私の言葉を聞いてパッと花開くような笑顔を見せてくれた。
「私はソニア様に初恋を捧げるのと同時に失恋した身ではありましたが……ソニア様の名誉を傷付けた者たち、ソニア様を虐げた者たちがどうしても許せなかったのです」
私とエリュードが出会った時には既に『皇帝陛下の妻』という立場だった。告白はしていないけれど、恋した相手が人妻だったので失恋という表現にしたのだろう。
「ソニア様のことは、私が生涯をかけて愛し続けると誓います。どうか、私の妻になってください」
その問いかけに、とびきりの笑顔で頷いた。
たくさんの愛で私を包みこんでくれたエリュードとの間には5人の子どもが誕生した。
数年かけてエリュードと共同で『遺伝』についての研究を進め、遺伝性の原理、優劣の原理、独立分離の原理からなる『メンデルの法則』を発表することができた。この研究が医学を進歩させる貴重な一歩となることは間違いないだろう。
私のように親から受け継がれる特徴のせいで差別を受ける子どもが一人でも減ることを願っている。
研究が一段落ついた今、次に取り組むべき論文のテーマは決まっていた。それは『寵妃アリシャ様』だ。
皇帝陛下のプライベートな部分は公にされることがない。しかし、それではアリシャ様の素晴らしい一面が帝国の民に伝わらないではないか!
でも、なんとなくアリシャ様に怒られそうな予感がしているので、内密に書籍化の準備を進めていこうと考えている。
「ソニア、そろそろ休憩しないか?」
「ねぇ、エリュード」
「どうしたんだい?」
「私、とても幸せだわ」
その言葉にエリュードが優しく微笑み、私の栗色の髪にキスを落としてくれた。
窓の向こうでは、エリュードの髪と同じ色をした美しい夕日がきらきらと輝いている。まるで、私たちの幸せな未来を照らしてくれているかのようだった――
本編に引き続き、ソニアの人生にお付き合い頂きありがとうございました。
評価を頂けるととても嬉しいです。




