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3 アリシャとソニア

「アリシャ様、お見舞いに来ていただきありがとうございます」

「押しかけてしまってごめんなさいね。少し瘦せられましたか?」


 アリシャ様が後宮入りした頃はジェスレーン様が不在で食欲が湧いていたから全体的にお肉がついていた。閨が再開されて体重がどんどん落ちていったので驚かせてしまったけれど、ルーティ国にいた頃もこのような体型だったから心配しないでほしいと思って『少し痩せてしまいました』と返事をした。


 お見舞いの品々にフルーツや食べやすいお菓子を選んでくれたことに感謝していると手のひらサイズの紙の束を見せられた。


「あと、来月発売する予定のトランプをお持ちしましたの」

「トランプ、ですか?」

「えぇ。あとで遊びましょうね。あら……そちらはリバーシかしら?」


 一緒にゲームができないかと思ってテーブルに設置していたリバーシに気が付いてくれた。どのように話を切り出そうか迷っていたから、アリシャ様の観察力に心の中で感謝した。


「先日、ジェスレーン様に頂きました。気晴らしになるだろうと……。ですがまだ使えていないのです。ジェスレーン様がアリシャ様に教えてもらうと良いとおっしゃっていたのですが、イメラ王国の上級貴族であるアリシャ様をこのような事でお呼びするのもどうかと思いまして……」

「まぁ! ソニア様、私たちはジェスレーン様の妻なのですから母国の事はどうか気になさらないで?」


 失敗したと思った。

 セーリオ帝国の後宮に入っているのだから既に上級貴族の娘ではない。謝罪をしなければ、と考えているとアリシャ様が『ふふっ』と笑ってリバーシに視線を向けた。


「さっそく遊んでみましょうか? お喋りを楽しみたいから侍女たちには下がってもらって良いかしら」

「えぇ、皆、下がっていてもらえる?」


 メイドと違って侍女は常に部屋の中にいるものだと思っていたから追い出しても構わないのだと初めて知った。


「ルールは分かりますか?」

「はい。ルールブックの内容は覚えました」

「まぁ、凄いですわ!」


 すごい?

 いま、凄いって言われた……

 本の内容を覚えただけなのに、初めて褒められた……!


「ソニア様、まず謝罪をさせてください。ジェスレーン様から大体の事情を教えていただきましたの」

「アリシャ様が謝る必要はありません、こうして会いに来てくださったことが本当に嬉しいのです」


 パチ、パチとリバーシの駒を置きながら、ジェスレーン様が私のことを話して様子を見に行かせたという予想が当たって安堵の息を吐く。こうして私がお見舞いを受け入れたことでアリシャ様の顔を立てることが出来ただろう。


「体調不良は精神的なことが影響しているのではないかと思うのです。何かお悩みのことはありませんか?」

「悩み……ですか」

「えぇ、自分の気持ちを人に話すだけでも楽になりますよ。こうして人払いもしておりますし、何よりも、私は口が堅いです」


 慈愛に満ちた表情で微笑まれて、この人なら笑わずに聞いてくれるかも……という気持ちにさせられた。 


「優しい人ばかりで、怖いのです」

「怖い?」

「ルーティにいたころ、私の周りにいた人はみな怒ったような顔で、話し方も乱暴で、メイドにすら見下されているのが分かりました」


 これまでの人生をかいつまんでお話した。

 平民によく見られる容姿が原因で国王夫妻に愛されなかったこと、第2王女ばかりが溺愛されたこと、王女なのに使用人と同様の暮らしを続けてきたこと……


「ここには私のための侍女が5人もいます。物心ついてからは着替えも入浴も食事もすべて自分でしてきたのに、ここですべてのお世話をされることに慣れることができなくて……」


 自分で出来ると訴えても『お世話をさせてください』と言われてしまう。嘘をついたときでさえ優しくされて、あれからの10日間は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「ジェスレーン様にも申し訳ないことを……」

「ジェスレーン様?」

「初夜のときは緊張が取れなくて、用意されていたお酒を飲んだら眠ってしまったのです。ベッドに出血の跡があったので初夜が済んだことは分かったのですが……」


 こんな事まで話して良いのだろうかという不安はあった。けれど、閨のことは自分と同じ『妻』であるアリシャ様にしか分からないことだった。心にため込んでいた気持ちを吐き出していくと、少しずつ呼吸が楽になっていくような感覚があった。


「それから一度も閨を行えていないのです。男性に慣れていないせいで身体が震えてしまって……」

「そうだったのですね……」

「ジェスレーン様は私の部屋まで来てくださいますがお喋りをして過ごしているのです。妻としての務めを果たせなくて申し訳ないと思っております」


 雰囲気が暗くなってしまった。

 そろそろ話題を変えた方が良いかもしれない。


「ジェスレーン様はいつもアリシャ様の話をしてくださるのですよ」


 アリシャ様が話を聞いてくれたおかげで気持ちが楽になった。心からの笑顔を浮かべてみると、アリシャ様の頬がうっすらと赤く色づいていて、照れているのが分かった。


「アリシャ様の隣にいると気が休まるのですって。きっとソニアとも気が合うだろうから会って話してみなさいと勧めてくださいました」

「そ、そうだったのですか、なんだか恥ずかしいです」


――パチッ


 最後の駒を盤面に置いた。

 話に夢中で盤面をよく見ていなかったけれど、無意識のうちに圧勝してしまった。


「……リバーシは初めてでしたよね?」

「ルールブックを読み込んでおりましたので」


 アリシャ様が呆然としている。

 わざわざ来てくださった相手に盤面で暴力を振るったようなものだ。急いで謝罪を、いや、ここで謝罪をするのはおかしい、どうしよう……と焦っていると、アリシャ様が私の両手をギュッと握ってキラキラと瞳を輝かせている。


「ソニア様、凄すぎます。頭の回転が恐ろしく速いです。私でなければ見逃していました、ソニア様の才能を……」


 すごすぎる? あたまのかいてんがおそろしくはやい? もしかして、また、褒められた……? 


「ふふ、大げさですわ。あぁ、とても楽しかった……」


 褒められたことが嬉しくて変な顔をしてしまいそうだった。盤面を見つめて『楽しかった』と呟いてみるとアリシャ様がもう一勝負しようと提案してくれた。


「実は私も環境が変わったことで精神的に不安定になってしまった時期がありました」


 アリシャ様もイメラ王国では常に働いていたせいで自由時間に慣れることが出来なかったそうだ。そんなとき、エディリアーナ様の勧めで適度な労働と適度な休養をとることで回復することができたと話してくれた。このリバーシのようにアリシャ様が情報を提供して、エディリアーナ様が商品化をするという形が既に出来上がっているのかもしれない。


「ソニア様も少しずつお世話される範囲を増やしてみてはいかがでしょうか。高貴な女性のお世話をする事は、ここで働く侍女やメイドの大切な仕事なのです。それが出来なくなると彼女たちも困ってしまうと思うのです」

「仕事……」


 そうか。私が『城内の書類を引き受ける』という仕事をしていたように、彼女たちが『第9夫人の世話をする』ことも仕事なのだ。私が『世話をされる』ことも仕事なのだと思えば……


「アリシャ様のおっしゃる通りですね。ジェスレーン様が集めてくださった侍女たちのためにも、少しずつ任せてみようと思います。お世話をされるのも仕事だと思ったら、上手く対応ができそうな気がしてきました」

「無理はしないでくださいね。仕事を任せているうちに、侍女たちの好意や尊敬の心に触れることができると思いますよ」


 その優しい言葉に胸が温まる。

 私の心を軽くしてくれたアリシャ様。

 本人にそのつもりは無いようだけれど、アリシャ様こそが正妃にふさわしいのではないかと思えてきた。


――パチッ


「……あっ」


 しまった! 盤面がほぼ一色になっている! 盤面で暴力を振るうどころか殺人事件を起こしてしまった! 話に夢中になっていたせいで手加減ができなかった……


「ソニア様は頭の回転が速いというか処理能力が恐ろしく高いのでしょうね、素晴らしいですわ」

「そ、そんなことはありません、アリシャ様がお相手してくださるから、楽しくて……」


 すばらしい……? 素晴らしいって言われた……! アリシャ様は僅かな時間で私のことをたくさん褒めてくれた。盤面で失礼なことをしたのに褒めてくれるなんて、アリシャ様は本当に優しい人だ……


「わ、私なんて……アリシャ様が、優しくお相手をしてくださるからで、その……」


 頬に熱が集まってくるのを感じる。ちゃんとした淑女教育を受けていればこういった気持ちもコントロールできるのかもしれない。でも今は、この喜びの感情を抑えたくなかった。


「次はトランプで遊びませんか? これはリバーシと違ってたくさんの遊び方があるのですよ」

「まぁ……楽しみです」


 トランプは4種類の絵柄のそれぞれに、1から13までの数字が書かれた合計52枚のカードと、ジョーカーと呼ばれる2枚のカードを合わせた54枚のカードで構成されている。アリシャ様の説明を受けながら『神経衰弱』『七並べ』『スピード』という種類のゲームをしてみたところ、楽しくて楽しくて……あっという間に時間が過ぎていった。


「ソニア様は記憶力まで優れていますのね! 本当に羨ましいですわ」


 どうしよう、また褒められた……!


「次は侍女たちを呼び戻して大人数で楽しむゲームをしてみましょうか? きっとソニア様がいっぱい勝つと思いますわ」


 アリシャ様の期待を裏切るわけにはいかない。全力で取り組ませてもらおう、と気合を入れて『ババ抜き』『大富豪』といったゲームをやってみたところ無事に勝利を掴むことができた。


 アリシャ様だけでなく侍女たちからも『ソニア様お強いですね!』『ソニア様さすがです!』と褒められて、とても嬉しかった。これまでの人生で最良の日になったと思う。


「あとはソリティアというゲームがあるのですがルールがうまく説明できなくて……」

「どんなゲームなのですか?」


 高揚感に浸っているとアリシャ様が別のゲームの話をしてくれた。その説明を聞きながらルールを紙に書き留めてみたところ、アリシャ様に絶賛された。


「ソニア様あなたは天才ですか?」

「そ、そんなことはありません、アリシャ様の説明が分かりやすかったのです」

「トランプのルールブックを準備しているところなのですが、ソニア様さえ宜しければ協力して頂けませんか? 私にはソニア様が必要なのです」


 物語の本の中で見たことがあるけど、これはプロポーズ……? こんなに強く、誰かに求められたことは初めてで、嬉しくて、涙が出てきそうだった。きっと顔が真っ赤になっていると思うけど、なんとか声を絞り出して『わ、私で良ければ……』と返事をすることができた。


「アリシャ様、それではまるで求婚です。ソニア様がお困りですよ」


 アリシャ様の侍女がそう言ってくれたおかげで部屋の中の雰囲気が変わった。私の侍女たちも嬉しそうに笑っている。心配ばかりさせてしまっていたので、侍女たちが笑ってくれたことが嬉しかった。


「あら、もうこんな時間……名残惜しいですがそろそろ失礼しますね」

「アリシャ様、今日は私のためにありがとうございました。このように楽しい時間は生まれて初めてです。また……私と遊んで頂けますか?」

「もちろんです。私も楽しかったですわ。トランプのルールブックを作るお仕事もありますし、次は私の部屋にご招待させてくださいね」


 アリシャ様にまたお会いすることができる!


 失礼のないように貴族の心構えや社交マナーを学びたい。侍女長のフェリシアは気品があって、私よりも貴族らしい佇まいをしている。フェリシアがどんな風に学んできたのか聞いてみよう。


「皆、今日はアリシャ様をおもてなししてくれてありがとう」


 御礼を言ってみると5人の侍女たちが優しく微笑んでくれた。


「私は……アリシャ様のような素晴らしい女性を目指したいと思うの。今はまだ、皆の主として未熟だと思うけれど、少しずつ変わっていくから……これからもよろしくね」

「ソニア様、今後も誠心誠意お仕えさせて頂きます」


 侍女たちを代表してフェリシアが『こちらこそよろしくお願い致します』と返事をしてくれた。


 フェリシアだけ残して他の侍女たちにはお茶会の後片付けをしてもらうことにした。


「貴族としての心構え、マナー、社交術……私が学ぶべきことはたくさんあるわ。時間を無駄にしたくないから勉強のスケジュールを組もうと思うの。フェリシアの意見を聞かせてくれる?」

「お任せください! ソニア様が効率的に学べるようお手伝い致します!」


 フェリシアは上位貴族の三女で、エディリアーナ様の親戚にあたるようだ。家柄を見れば正妃候補に挙がっていてもおかしくない。幼少の頃から高等な教育を受けてきたので、その経験が役に立ちそうで嬉しいと笑っていた。



 私の勉強がスタートして数日が経つと、驚くべきことが起きた。ジェスレーン様から公式文書が届いたのだ。


「ソニア様、皇帝陛下はなんとおっしゃっていますか?」

「読んでみるわね……『第9夫人ソニアの淑女教育を公務として扱い、閨については今後3ヶ月を限度として職務専念義務の免除を認める』……と書かれているわ。閨のことは気にしなくて良いから淑女教育に集中しなさいとジェスレーン様からのメモが……」


 きっとフェリシアが私の淑女教育のことを報告してくれたのだろう。フェリシアやジェスレーン様の気遣いに心が温まる。皆の期待に応えるためにも、たくさん努力しよう。


 そして、私の能力を認めてくれたアリシャ様の役に立てるように頑張ろう!



フェリシアはエディリアーナの子飼いです。

ソニアが淑女教育を始めたことはフェリシアからエディリアーナに、エディリアーナからジェスレーンに報告がいきました。

「ジェスレーン様がイメラ王国に行っていて閨がなかった時期は元気にしていたそうですよ。いっそのこと閨を免除したらどうかしら?」

「その方が良いだろうな。文書にして届けさせよう」

という会話がありました。

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