第120話 犠牲の対価
デュランもリサもオッペンハイムの企みを理解していながらも、何もできない自分達にただ歯がゆい気持ちを胸に抱くことしかできず、結局レストランで出している黒パンの大きさを以前よりも二回りほど小さくすることで、この急場を凌ぐほかなかった。
また食の基本はなんと言っても『塩(または塩味)』である。
デュランのレストランではスープに使っている食塩はもちろんのこと、パンも他所の店から仕入れているため、仕入れ元であるパン屋が値上げしてしまえば、デュラン達もそれに従うほかなかった。
本来であれば、塩の価格上昇分を上乗せし銅貨一枚から二枚へとすべきなのだが、それではこれまで来てくれた客達が逃げてしまうとリサから助言され、苦肉の策として仕入れのパン屋に頼み込み、デュランの店には特別にパンの大きさを他よりも小ぶりにすることで仕入れ価格を抑えて卸してもらうことにしたのだった。
『食パン』という名のとおり、パンには必ず食塩が使われている。
そしてそれは欠かすこと無い調味料であり、ある意味でパンに膨らみと柔らかさを与えてくれる酵母と同じくくらい大事なのだ。
人間は贅沢をしなくとも生きていけるが、塩分が無ければ死んでしまう。
だから昔から力ある権力者達は、庶民の生死に直接関係のある塩製業だけは専売特許という形を取ることで手放さなかった。
……手放さなかったのだが、今回ルイス達オッペンハイム商会はそれをも手中へと収めてしまい、実際庶民の暮らしに悪影響を与えている。
誰も彼もが彼らのことを悪魔のように思っているにも関わらず、何か口にしてしまえば立ち所に彼らの耳へと入り塩を売ってもらえなくなると恐れ、誰も悪口を言うことができない。
それは庶民や貴族だけでなく、国も同じだった。
結局のところ、塩の販売という旨味だけをルイスに奪われ、文字通り力の差を見せつけられてしまっていたのだ。
これを打開するには早急に塩の製造を増やし需要に対する供給を賄うか、あるいは他国から仕入れるという他の選択しかないのだ。
けれども当然それは自国の弱みを他国へと知らしめることになり、普通の国ではしないことである。
先程も述べたとおり、塩とは食の基本であり、人として欠かすことのできない唯一の調味料。
それは何も庶民だけでなく、出兵する兵士も同じなのだ。
一度戦争ともなれば長期間食料を確保しなくてはならなくなり、塩が最も大切になってくる。
つまり塩を他国へ頼るということは、国同士の力関係すらも変えてしまうほど影響力があると言えよう。
それは融通するという形で多額の関税をかけられてしまい、難しいとされる国家同士の貿易交渉すらも容易且つ優勢に進めてしまえるほどなのだ。
だからこそ内陸の国々は海を所有する国の領土を求めて、昔から戦争が絶えることはなかった。
ルイスは一介の企業でありながら、自国へと宣戦布告したのと同義である。
けれども今の国にはそれに対抗する手段も、そして資金や人員も不足しており、彼らの思うがまま従うほかない。
『塩』という一調味料を用いて庶民の生死を人質に取られているのである。
それを打開するには外(国外)の力を借りるか、あるいは内(国内)から攻め入る他ないだろう。
そしてその“きっかけ”は意外なところに転がっているものである。
「……ふむ。これはもしかして……」
誰も立ち寄らない、それこそ熟練の鉱員ですらも立ち入らない坑道の奥底で一人の男がタガネと金槌で壁を削り、独り考え事をしていた。
その手には何かの鉱物を含んだゴツゴツとした、それまで見たことの無いような奇妙な鉱物石が握られている。
「んっ……」
じっくりと、その真贋を観察するかのように手元ランプの灯りだけを頼りにして、時折角度を変えることでランタン灯かりを取り入れ、じっくりと念入りにもその鉱物石が何なのかを調べている。
そして徐にハンマーでその鉱物石をかち割ると、割れた口に光が当たるよう掲げることで、更に詳しく観察をしている。
「……やっぱりそうか。これでようやく恩を返せるかもしれない」
その男は唐突に鉱物石片手にそう呟くと、誰も居らず暗闇が支配する坑道の中だというのに、とても嬉しそうに泥とススで汚れた横顔を腕の裾で拭い喜んでいた。
「……これならデュランの奴も喜ぶだろうな!」
それはケインその人である。
彼はデュランに一家の名誉と財産を助けられ、その命までも天から救われたことにより真に心を入れ替え、以前とはまるで人が変わっていた。
そしてそれは『労働』という以前の彼なら馬鹿にしていたはずの庶民が生業としていた物事ですらも自ら進んでするようになり、こうして誰も近寄らない坑道奥深くでも内部を掘り進めていたのだ。
その原動力となったのは、紛れもないデュランと妻であるマーガレットである。
彼らが望む期待に応えられるようにと日々努力を重ね、昔は嫌悪感を抱いていたはずの労働者達に交じって働き、毎日汗を流していた。
最初こそ、彼の働きは庶民である労働者から良い顔をされなかった。
それも当然の報いである。なんせその中には彼に直接的にもクビを切られ、その日から仕事を失った者達が大勢含まれていたのだ。
けれども雇い主であるデュランと現場を一手に任されているアルフの説得により、彼らから仕返しをされることもなく「ケインがいつ、ここを辞めて逃げ出すか? それは明日か明後日か……」という、賭けの対象にされたくらいであった。
だがしかし、彼らの予想を大きく裏切りケインはこの数ヵ月の間、一日たりとも休むことなく坑道へ潜り仕事をしていたのだ。
それはケインに対して恨みを胸に抱いていたはずの労働者ですらも、彼のことを「自分達の仲間である」と言わせ認めるほどの努力だった。
ケインは生まれた環境こそ恵まれなかったのかもしれないが、今は足枷となるものが一切無くなり、彼本来の持ち味を生かすことができているのかもしれない。
それは妻への愛情でもあり、デュランに対する恩を返す……ということが彼の原動力となっているのは言うまでもない事実だった。
デュランがそんな彼の本質を事前に見抜いていたのかまでは分からないが、それでも彼に人として生きるチャンスを与えたことはまず間違いなかった判断と言えよう。
それがデュランの窮地を救うことになるのも、また『運命』という名の必然だったのかもしれない。
「うわあぁぁぁぁぁっ」
…………ケイン自らを、その犠牲の代わりにすることによって。




