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申し訳ありませんでしたーっ!


「ま、マスター、申し訳ありません……」

「……」


えー、ただ今、動物姿の私とシャルさんは、怒れる……いや、むしろ落ち込んでいらっしゃるご主人様の傍らに平伏し、ひたすら謝罪を繰り返しております。


カルロス様と愉快なしもべ達の現在地は、王都はパヴォド伯爵家のお屋敷、ご主人様が王都滞在時に時折お借りしている、住み込み使用人居住棟のとある一室。

人間の姿から子ネコ姿へ変わる最低限の条件としては、人目の付かない路地裏で一瞬にして変身するだけで済むので、ある意味楽だ。変身前にユーリが着ていた脱ぎ散らかされた衣服を、カルロスが羞恥に顔を赤らめつつ荷物を入れる袋へとザカザカ詰め込むという過程が必要となるが。


今日はこのお部屋に駆け込めたお陰で、そのなりふり構わない手段を出さずに済んで良かったです……


カルロスはパヴォド伯爵から、ユーリを使う必要があるご命令を承ったらしい。

パヴォド伯爵が知っているのは、一応子ネコのユーリだけである筈なので、ひとまず『黒髪の娘ティカ』は移動の疲れから与えられた部屋で休んでいる……という状態を装って引っ込み、ユーリは閣下からのお仕事に備えてこうして再び子ネコ姿に変わった訳であるが……


だがしかし、今現在のカルロス様は、ベッド脇に腰を下ろして両足を無造作に投げ出し、上半身を捻るようにしてシーツの上へと顔面を突っ伏していた。

そして、低い声音で呟く。


「……そうか……俺、ルティから、窮地に陥った子供を救った恩を盾に、淫らがましい関係を迫った最低野郎とか思われたのか……

いくら人里離れた森の中で2人暮らし足すイヌ付きの生活とはいえ、後ろめたい事なんざ、何もねえのに……ふ、ふふふ……」


あ、あの主……本当に、本当に申し訳ありません。

何か、真面目な理由だけでなく『そんなお馬鹿な勘違いしてるブラウさん、面白~い』とか、一瞬だけとはいえ虚仮にしたい気持ちを感じてしまって訂正の機会を逃したのは、私のミスです……


ここまで主人が自らの尊厳を傷付けられた、友人からそんな誤解をされたとショックを受けると分かっていたなら、キチンと誤解を解いておくのだった。

そうしきりに悔やむユーリをガバッと振り向いたカルロス。勢い余って乱れた金髪が一瞬遅れて顔にかかり、表情を覆い隠した。

彼の両腕が伸びてきて、乱暴にグイッと主人の胸元に抱き上げられる。


「このバカ!」


そして、容赦なくムギューッと顔面をそこへ押し付けられ、怒声が降ってきた。


「違うだろう!

嫌な思いや怖い思いをしたのはお前だろうが! 俺の前でまで、隠せもしないくせに我慢しようとするな!」


ジタバタ、ともがいていたユーリは、カルロスの言葉に段々抗う力が抜けていき……そのまま、ご主人様の胸元にしがみついた。タトタト、と足音がして、カルロスの傍らに陣取ったらしいシャルの、毛皮の感触と重みが背中から被さってくる。


「……心のどこかで俺は、盲目的に奴を『ルティ』とだけ捉えてた」


低く吐き捨て、カルロスはベッドの上に後頭部を力無く乗せた。


「ユーリの故郷では、こっちよりも開放的な事は知ってる。

だがな、だからといってお前がヨソの男共から淑女として扱われんのは我慢ならん」


いえ私は別に、身持ちが悪く誰でもカモンな遊び人扱いをされた訳では。

利点や難点を天秤に掛けてたせいで、すぐに弁明出来なかっただけ……


「そんな事に、お前が利点云々なんか考える必要無い!

危険は察知してたくせに、何でよりによってブラウリオと対峙しようとする!?

悲鳴上げて拒絶してすぐに逃げろ、さもなきゃ蹴り上げて張っ倒せ! 容赦なく!」

「わたしも同感です」


せっかく、しもべなりにご主人様の窮状に関して策略を巡らせたというのに、カルロスはそんな身を挺したユーリの考え方にすっかりおかんむりである。

そしてあろうことか、ある意味元凶たるシャルまでもが、カルロスの発言に同調を示してのっそりと頷く。


「ユーリさんは危機意識を取り違えている節があります。

なるほど、確かにルティさんの方が殺傷能力は圧倒的に上でしょう。ですがだからといって、弱者であるユーリさんがほいほいと言いなりになる必要もありません」


でも……主、シャルさ……


「『でも』じゃありません。

良いですか、ユーリさん。

例えマスターが、惰眠を貪っていようとエステファニアお嬢様と良い雰囲気だったり閣下とご会談中であろうと、あなたはご自分の危険を速やかにマスターに伝える義務があります」

「……少しばかり、エストとの時間は考慮してもら……」

「いかにマスターが、誰にも邪魔されずにエステファニアお嬢様と存分に語らおうとなさっている真っ只中でも、微笑まれたお嬢様のお姿に恍惚と見蕩れていようとも、必ず伝達するべきです」

「……ああ、身の安全は第一だな、何事も……」


言い募る天狼さんの熱弁に、微妙にしょんぼりしてしまったご主人様は、ぐりぐりとユーリの頭を撫で回した。


「ユーリ、今日だってお前は、耐えようとせずにちゃんと叫べば良かったんだ。『主、怖いよ助けて!』ってな。

そうしたら俺は、シャルを窓から蹴り飛ばして突撃させてた」


……主。

それはパヴォド伯爵閣下の御前で行うに際し、問題無い行動なのでしょうか。


お話の最中、突如としてシャルが逐電よろしく窓から飛び出して行ったなら、パヴォド伯爵は、そして同席していたというエストやレディ・フィデリアはいったいどう思うのだろうか。そろそろ具体的なご命令内容について伺いたいと、チラリと考えるユーリであったが、カルロスは相変わらずユーリの頭を火花が飛び散ろうかという勢いで撫で続けている。


「喜べユーリ。閣下はお前をお気に召されている。

可愛いユーリがどこぞの粗忽者に害されそうだと聞けば、鷹揚に頷いて納得して下さるに違いない」


……わ、私のような下々の者に、もったいない事です。


あの伯爵閣下に気に入られるというのは、喜ばしい事なのかそれは? と、内心微妙な心持ちではあったが。


「……お前の世界では、ああいうやり取りは頻繁にあるのか?」


カルロスの曖昧な疑問符に、ユーリは先ほどのブラウの遊びのお誘いであろうとあたりをつけ、「み~」と弱々しい鳴き声を漏らした。


アプローチのやり方は人によるので。

別に頻繁という訳ではありませんが、騒ぎ立てるほどのものでもありませんね。


カルロスは疲れたように「そうか」という呟きと共に溜め息を零す。


「そんなお前に忠告しておくが、こっちじゃあ、ブラウリオのあの行動は未婚の娘に接する態度としては、不躾で侮辱的で軽んじ過ぎている」


ほほう……この国の貞操観念はやっぱり堅いですね。


元来、貞淑だの慎みだのといった、女性の控え目な美徳が芯まで叩き込まれている……とは言い難く、どちらかというとお転婆で甘えたがりな性格、だと自覚しているユーリは、窮屈な女性の立場に何だか息苦しさを覚えた。

もっと慎み深くあろう、と目標として掲げてはいるのだが、ご主人様が彼女の生活態度に『淑女の心得が身に付いている』と感じ入って下さるのは、いったいいつになる事か。もしかすると、永遠にカルロスの厳しい基準には満たないかもしれない。


「だからユーリ、お前は自分自身の淑女としての評判と、尊厳と、何よりも自衛を真っ先に考えろ。いいな?

お前の発想力や才気は俺も認めるところだが、間違っても自分自身を餌に小細工を弄しようとするな」


……承知致しました、主。


このご主人様は実はかなり過保護だよな……と改めて実感しつつ、ユーリは自身のバーデュロイにおける『女性としての名誉』を守り通し大切にする事を誓った。


そんなユーリの答えに納得したのか、カルロスはようやっと、黒ネコ頭部天辺ハゲに至るプロ的行程作業を中断し、彼女をベッドの上に下ろしてちょこなんと座らせた。

そしておもむろに立ち上がると、ベッド脇の床に伏している銀色の毛並みのしもべの傍らへとしゃがみ込み……やおら、シャルの首に両腕を回してギリギリと捻り上げた。


「ぐぇぇぇぇ……!?」


何気なく主人の姿を目で追っていたユーリは、無意識にふりふりしていた尻尾をパタリとシーツの上に落とした。

彼女が驚愕し固まっている間にも、カルロスは容赦なく腕に力を込めているのか、シャルの口からはくぐもった呻き声が上がる。毛皮のせいで顔色は全く判別出来ないが、青褪めていっているように見えるのは気のせいだろうか。


「つー訳でシャル。

バーデュロイの未婚女性はなぁ? 例え婚約者が相手だろうが男相手に肌を晒したりなんざしねえし、触らせたりなんかぜってーしねえんだよ。

んな事があったら思い詰めて世を儚むかもしれん」

「ぐぇぇぇぇ」


腕に力が入っている割にカルロスはしみじみと説いているが、肝心の天狼さんがあの状態では、お説教がまともに頭の中に入っているかどうかすら怪しい。

ベッドの上にちんまりとお座りしたまま、主人と同僚のハードなスキンシップをなすすべもなく見守るしかないユーリ。ここで下手に口を挟んだら、彼女の方にまで被害が飛び火しそうだ。


う~ん。今まで私、主はストイックな方だと思っていましたが、バーデュロイの基準に照らし合わせるともしかして、かなり手が早い積極的な方に分類されるのでしょうか。


「おまけにあんないかがわしい痕まで残して、よりにもよって奴に見つかるし……このアホイヌがーっ!?

ユーリに悪い虫が寄ってくるから、二度と痕なんざ残すな!」


タシッ、タシッと、ヨロヨロと震える前脚で床を軽くタッチし、降参の意を弱々しくアピールするシャル。

主人を止めようにも力不足であり、あわあわと焦りながら無意味に右前足を振るしか出来なかったユーリであるが、カルロスは不意に顔を上げて窓の方に視線を投げかける。ズルッと、主人と腕の中から滑り落ち、シャルは鼻面を床に激突させる羽目になった。


ベッドからピョンと飛び降りシャルの目を覗き込むと、天狼さんは先ほどのお仕置きもさして堪えていないのか、「やれやれ」などと呟きながら体勢を整えて改めて床の上に寝そべった。

カルロスはそんなしもべ達の様子に構わず、一歩窓の方に足を踏み出し軽く右手を眼前に翳す。

ひらりひらりと、舞い遊ぶようにのったりとした動きで、一筆書きの微かに光る蝶……に、見えなくもない微妙に灰色がかった白っぽいモノが、まるでそこに壁など無いかのようにスルリと通過して、ゆっくりとカルロスの指先に留まった。


主、それ……先触れの術、という連絡書簡用の光る蝶ですよね? 何か、形が歪であんまり光ってませんけど。


「ああ。まあ、正確な相手に届いて内容が保存されてれば……速度と形状は二の次三の次だからな」


ユーリの疑問に上の空で答えたカルロスは、どこかの魔術師から届いたらしき連絡に集中しだしたようだ。

どうやらあの手の通信術、見た目や通信速度に関しては術者の実力によってまちまちらしい。

急な連絡に耳を傾けているうちに、カルロスは徐々に訝しげな表情を浮かべ始める。何かまた厄介事だろうか。


ユーリはポスッと、シャルの前脚に寝そべった。同僚の鼻面が下りてきて押し上げられてしまい、軽い身体はあっさり転がって反転してしまう。

見上げると、さしもの天狼さんも神妙な表情を浮かべている……ような気もする。


「人間という生き物は、本当に面倒な生き物ですね、ユーリさん」


はあ。

私には、シャルさんの思考の方が複雑で難しいですが。


「たかだか身繕いを手伝っただけで、よそのオスを欲情させるとは予想外でした」


私もあの女装男の行動原理は予測不可能です。


ふう、やれやれ。と、彼は疲れたように溜め息を吐き出し、組んだ前脚の上に鼻面を乗せる。そんなシャルの前脚に遠慮なく寝そべっているユーリは、右前足で天狼さんの長い銀色の毛並みを撫でた。


シャルさんはこんなに長い毛並みの生き物ですし、きっと、群れの仲間を舐めて毛繕いをなさるのが本能に染み付いていらっしゃるんでしょうねえ。


「……そうなんですか?」


いや、『そうなんですか』って。


ユーリの推測に、シャルは驚いたように目をしばたたく。そんな天狼さんの鼻面に向かって、思わずツッコミと共ににゃんこパンチを繰り出していた。


「最近、ネコ姿のユーリさんの毛並みが目について仕方がなかったのですが、なるほど……これがマスターがしきりに仰っていた本能のなせるワザとかいう衝動だったのですね」


かねてよりの疑問に、大いに納得がいったのか、シャルは満足げにそんな呟きを漏らしてから、改めてユーリを見下ろしてきた。


シャルさん、シャルさん、主にブラッシングしてもらうと気分が良いですか?


「まあ……執拗にさえならなければ」


ビミョーなお言葉が選ばれた背景が裏打ちされるように、カルロスが満面の笑みを浮かべて天狼さんなシャルのブラッシングを行う情景が簡単に思い浮かんでしまうのは、これも一つの主人の人徳だろう。多分、恐らく。

ともあれ、カルロスは昔からシャルの毛並みを喜んでブラッシングしてあげており、それをシャル本人も望んで受けていたであろう事は想像に難くない。人間の姿の時でさえいつでもブラシを持ち歩くほど、シャルは毛繕いを好んでいる。

だからきっと、この同僚は舐めるという行為の何が悪いのか、理解する事が難しい。


シャルさん、人間はですね、皮膚が脆いのです。

そして、親子夫婦以外で肌をさらけ出すのは『好ましくない』事なのです。


「はあ……」


ですから、若い娘が夫も持たない身で吸い付かれた痕なんか付けてたら、虫の目がキラーンになるんです。

故にシャルさんは、私を舐める時はお互いに動物の姿で行うのがベターなのです。

お分かりになりましたか?


気のない返事を寄越すシャルの鼻面に、ベシベシッと軽く肉球パンチを繰り出しつつユーリが畳み掛けると、彼は鬱陶しげに鼻面と前脚を振って黒ネコを転がした。

そして、床にゴロンとしているユーリを見下ろす。


「分かりました。つまり人間のオスという生き物は、人間のメスの前では途轍もなくバカになる生き物だという事ですね?」


……まあ、間違ってはいない解釈です。


「おおいっ!?」


やっと分かったぞ~と言いたげに、アハ体験よろしく満足そうにうむうむと頷き尻尾を振るシャルと、別段訂正を試みないユーリに向かって、背後からご主人様による全力ツッコミが飛んできた。

のたのたと飛んでゆく光る蝶が壁の向こう目指して飛んでゆく姿を見ると、どうやら返信を込め直して術者へ向かって解き放った直後らしい。


何ですか、主。

シャルさんがシャルさんなりに分かり易い理屈だと、それで納得して下さったのなら良いじゃないですか。

概ね、間違ってはいませんし。


「……ユーリ、お前、実は男が嫌いなのか?」


腰に両手を当てて彼女を見下ろしてくるご主人様に向かって、床の上にごろにゃんとしたまま答えると、カルロスは微妙に渋い表情を浮かべて呟く。


私の半生を知る主が、それを問いますか。


ユーリの答えに、カルロスはしばし無言のまま宙に視線を向け……ガバッと黒ネコを抱き上げた。


「いいか、ユーリ。

お前はこの国の……いや、マレンジス一の愛くるしいにゃんこだ! お前を欲しがる野郎共は数多いが、俺が認めた野郎にしか嫁には出さん!」


背中に頬擦りしながら宣言され、ユーリはグッタリと脱力しつつ、内心で思った。


ええ、ネコ大好き主がわざわざ与えて下さった姿ですからね。きっと絶世の美ネコで、下手すりゃ傾国の美ネコなんでしょうとも。

もしも、パヴォド伯爵閣下とレディ・フィデリアがどーしても私を飼いたいと仰ったら、主はどうするつもりなのでしょう。


よくは分からないが、今日もご主人様の『ネコ大好き心』を大いに刺激してしまったらしく、背中頬擦りからなかなか解放して下さらない。


主、それよりも今日閣下から仰せつかった指令とやらをお聞かせ下さいませんかーっ!?


両手両足をジタバタとさせつつ、ずっと気になっていたそれについて尋ねてみると、カルロスは渋々といった面持ちでユーリの背中から顔を上げた。

ユーリを腕に抱いてベッドの上に改めて腰を下ろしたカルロスは、主人の足元にお座りして首を伸ばし彼の膝の上に顎を乗せたシャルの頭を軽く一撫で。


「実はな、ユーリ。

閣下から大変なご命令を受けた。

お前も知っての通り、あの方は持って回った言い回しで裏に意図を含ませ伝えるのがお得意だ。特に今日は、エストやレディ・フィデリアも同席なさっていたからな……

閣下の仰った内容からご命令内容を噛み砕いて平たく言うと、お前にまた飼いネコとしてこの屋敷に何日か滞在して欲しいらしい」

「マスターがご説明して下さらなかったら、伯爵閣下はユーリさんをまた数日預かって、一緒に遊びたいという意味かと思いましたよ、わたしは」


はあ……私がこのお屋敷にまたご厄介に。

それのどこらへんが、大変なのでしょう?


「鈍いですねえ、ユーリさん。つまり、鼠退治のご命令ですよ」


はあ……って、は!?

わ、私にスパイを探り当てるだなんて出来ないだろうという事は、閣下も既にご承知のハズでは。


「……だからこそ、じゃないか? 身に迫る危険は自身の手で排除せよ。

つまり、俺達が閣下の身辺から情報が流れていると睨んでいるのなら、誰がユーリは俺のクォンだという情報を入手して、それを例の黒ずくめの連中に渡したか……自分で探して懸念の芽は摘め、と」


そんな閣下の裏の意図を懸命に汲み取る必要に駆られる七面倒臭い対談だったならば、カルロスが混乱しきりでユーリの方に意識を振り向けられなかったのも無理はない。

にっこり、と、ユーリに微笑みかけてくるご主人様。しかし、その秀麗な笑みに反して声音が非常に不機嫌そうに低い。


「……俺が、エストのデビュタントの為に丹精込めて調香した夜会用香水、使って欲しかったら鼠を締め上げろ、というのが閣下のご意向だ」


ああ、今日はついに主の自信作をエストお嬢様にお渡ししに行ったんですね。


カルロスが、これだけは自分1人で作ると宣言し、エストの為に夜なべしてこさえた魅惑的な香りを脳裏に思い起こしつつ、ユーリはコクコクと頷いた。


……で、交換条件がスパイ捕縛。

閣下、自分の家に忍び込んでるスパイに関しては、弄ぶ気満々だったようですのに。


「要は、某か失態を犯したのでいい加減鬱陶しくなられたのでしょう」

「その辺の事情は、俺には関係ねえ。

良いか、ユーリ。お前は何が何でも、どんな手を使ってでも、鼠を特定しろ。

俺が許す。その姿の特権を大いに活用しろ」


あ、主……目が据わっていらっしゃいますよ。


「俺が『やれ』と言ったらやれ」


カルロスの低い声音でのご命令に、ユーリは即座に『諾』と了承の意を送った。

ここですぐさま応えねば、ただでさえご機嫌ナナメなご主人様の気分が、ますます下降線を辿る事間違いなし。


あ、あの……ところで主。

しばらく私が屋敷に、という点は把握しましたが、その間主とシャルさんはどちらに滞在なさるのでしょう?


「俺とシャルもここに……と、言いたいところだが。

残念ながら、許可が下りなかったんでな。しばらく、本部の塔に厄介になる事にした」


さ、左様で。


いかに王都の中とはいえ、象牙色の塔からこの屋敷まではそれなりに距離がある。カルロスもシャルも屋敷の中には居ないのか、と、ユーリはもやもやとした不安を覚えて溜め息を吐いた。

と、不意にシャルがお座り体勢から四肢を伸ばして身を起こし、大人しくカルロスの膝の上に乗せていた頭を持ち上げ。


「ユーリさん、今日は怖い思いをさせてすみませんでした」


開いた顎の間から覗いた舌が、カルロスの腕の中に収まっていたユーリの顔面をベロンと舐めた。


いえ、それは大丈夫で……


どうやら、落ち込んでいるユーリをシャルにしては珍しく、慰めてくれようとしているらしい。

同僚がもう少し何事かを言いたげにしている。ユーリもまた、それについては何ら問題無いのだと、そう言葉を繋げようとしていたのだが、彼女を抱えていたご主人様はユーリをベッドの上へポンと投げ出した。

咄嗟の事で上手く着地出来ず、「みぎゃっ!?」と悲鳴を漏らし、もがきながら立ち上がる。


「お・ま・え・はーっ!?

結局さっきの説教でも全く懲りてないようだな、このアホイヌがーっ!?」

「ぐぇぇぇぇっ!?」


ベッドの上にちんまりとお座りしたユーリが目にした光景は、先ほどと寸分違わぬ『ご主人様に両腕で思いっきり首を絞め上げられるイヌな同僚』というモノだった。

シャルの種族的特性を踏まえて、『お互いに動物姿の時なら良いんでない?』と提案した身としては、このまま手を拱いて見ている訳にもいかないと、ユーリは助け舟を出す。


あ、主……それはお説教ではなく、体罰だと思います。


口下手な彼女には、こんな時に荒ぶるご主人様を宥める適切な言葉は浮かばなかった。



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